104.幻から醒めて

この魔術・・・・が成功するとして……どうやって、使う状況に持っていけばいいんだ……?」


 前日の夜、二つの切り札を揃えたカナタは頭を悩ませていた。

 学院を徘徊する噂の怪物……イーサンを助けるための魔術にはあまりにも難しい条件があった。

 それは、本人に望ませること。

 だがイーサンは術式の影響で正気を失っているため会話はできない上にカナタをカナタとして見てもらえるかもわからない。

 

「普通に使ってどうにかなったりはしないんですか?」


 ベッドに転がってあーでもないこーでもないと考えているとあまり魔術に詳しくないルイが問う。


「そこまで都合が良くないんだよね……この効果を残すために色々条件というか自分なりの解釈を落とし込んで術式を調整したから……」

「へぇ、魔術って結構面倒なんですね」

「いや、今回のやつが特別面倒というかなんというか……」


 今回使う魔術は今まで改造してきた魔術と違って、条件をがちがちに固めてようやく成立したものだ。

 しかしその結果、使いたい相手に使えるかどうかわからない魔術になってしまった。

 まさに本末転倒なのだが、助けられる可能性がないよりはましだろう。


「……デナイアルの魔術を改造したやつなんだよ」

「うわ……あの嫌な人の……」

「いや、でも魔術はほんと凄くて……」


 カナタがイーサンを助けようと思った際に注目したのはデナイアルの魔術だった。

 それは最後にデナイアルが使ってきた切り札。相手から術式を忘れさせるという能力を持った魔術師にとってあまりに凶悪な第四域の魔術。

 それを使って、イーサンに宿った違法魔道具の術式を消せないか?

 カナタはそう考えたのである。


「それで、どう面倒なんです?」

「……相手がこの魔術を使われることを望まないと発動しない」

「誰が望むんですそれ?」

「そうなんだよね……術式を消してあげたいのに、術式のせいでおかしくなっちゃってるから受け入れるとか受け入れないとかの会話もできないし……でも、これが今の俺の解釈での妥協点というか……」


 カナタは顔を枕に埋めてぶつぶつとお手上げ状態だった。

 せめて会話ができるようになれば、と考えるがそれが出来たらイーサンは四年も徘徊していない。

 ごろごろとベッドの上で転がる。このもどかしさを紛らそうとごろごろ。


「一時的に術式を無効化、みたいなことできたりしないかなぁ……いやできたら先生の誰かがやってるよなぁ……」

「先日聞いたお話だと、その人は術式を植え付けられた影響で変になっちゃってるんですよね?」

「うん……」


 ルイは転がっていたカナタが止まる頃合いを見て毛布を掛ける。

 どこか手慣れた様子なのは流石世話係というべきか。


「それってあの状態になっても止まらないんですか? ほら、カナタ様もぐでーんってなる時あるじゃないですか?」

「ぐでーん……?」


 ルイが何を指しているのかカナタはよくわからない。

 だが世話係であるルイにとっては何度か見た光景だった。


「ほら、ブリーナ先生や宮廷魔術師デナイアルと戦った後にカナタ様が力尽きてるみたいな状態になっていたじゃないですか?」

「!!」

「きゃっ!」


 カナタはがばっと跳び起きる。

 その勢いにルイはつい体をのけぞらせた。


「魔力切れ……!」


 肉体に宿った術式は、常に肉体を巡る魔力によって効果を発揮する。

 ならば、本人の魔力が尽きたら――?

 一時的にイーサンを正気に出来るかもしれない方法が一つ。


 こうしてカナタの作戦は決まった。

 魔剣士ですら常に魔力を使って動けば一時間ほどで限界が来る。術式によって常に魔力を吸い上げられているのなら疲労も魔力消費も常人以上だ。

 魔術で体が傷つかない修練場に誘導し、イーサンを暴れさせて魔力切れだけを狙えれば。

 そんな思いで、カナタはイーサンに挑んだのだった。







「……!? っ……!?」


 魔術を唱えたカナタの背中から黒い腕が生える。

 その腕の力強さにめきめき、という音まで聞こえてくるかのよう。

 イーサンは幻覚の中に一際目立って映るその異形に目を奪われる。


「これを防げる魔力が残ってるか? 先輩?」

「――!!」


 声を出す間もなく、カナタがイーサンとの距離を詰める。

 先程よりも速い……のではなく、背中から生える巨大な黒い腕が二人の間にある距離を誤認させていた。

 カナタが一歩踏み出せば、それだけ黒い腕のリーチも伸びる。

 しかしそれがわかっていたとして、イーサンに何かできたわけでもない。

 痛みでは向かってくるカナタは止められないと十分に思い知らされた今なら尚更だ。


「『黒犬の鎖ハウンド』っ!!」


 であれば、捕まえるしかないとイーサンは即座に拘束魔術を唱えた。

 イーサンの巨大な影が伸び、鎖の形となって魔術に変わる。

 カナタの背中から生える巨大な黒い腕とカナタ本人に鎖が巻き付く。

 牙のような先端がカナタと黒い腕に食い込んで、その勢いが――


「リクエストに応えてくれてありがとう」

「っ!!」


 その程度で止まるはずがない!

 黒い腕はイーサンの黒い鎖をいとも簡単に引きちぎり、五本の指を大きく開いてイーサンに襲い掛かる。

 イーサンの体は黒い腕に捕まれて、互いに互いの魔術で拘束する形となった。

 だが……拘束するための魔術と、攻撃魔術によって拘束されたのでは捕まった結果が違う。


「この場所は……魔力を含んだ攻撃の傷を肩代わりするらしい」

「ひっ――!」

「つまり、壁や床にぶつかったりするのは普通のダメージになるってわけだ」


 ぐん! とイーサンの巨体が浮く。

 黒い腕はイーサンを軽々持ち上げ、そのまま床に叩きつけた。


「っ、は……!」

「そら、防御しないなら何度でも叩きつけるぞ」


 叩きつけられたイーサンの体は引きずられるように持ち上がって、今度は壁に。

 術式によって強化されたイーサンの体はその程度で壊れることはない。しかし魔力はどうか?

 普通の魔術師や魔剣士が身体能力を強化するには魔力が必要だ。当然自分の魔力を使っているのだから有限である。

 当然、術式による身体能力の強化も同じ。

 しかもイーサンに刻まれた違法魔道具の術式は魔物を前に恐怖しない戦士を強制的に作りあげるもの。魔術を使わずとも、この術式はイーサンへの痛みを麻痺させるために魔力を強制的に吸い上げる。


「声が聞こえるなら言っておく。あんたの魔力切れまでこれを続ける」

「みゅ、『障壁ミュール』ぅ!!」

「悪く思わないでくれよ先輩」


 カナタの声はほとんど届いていないはずだが、イーサンは本能が働いたのか防御魔術を展開する。

 イーサンは掴まれている黒い腕ごと自分の体の周囲に防御魔術を展開し、同時にカナタを拘束していた鎖は砕けて消える。

 カナタはそんな事はお構いなしに、イーサンを防御魔術ごど壁に叩きつけた。

 球体上の防御魔術は壁との衝突で砕かれて、イーサンまで衝撃が伝わる。


 防御魔術が弱いのだと勘違いしてはいけない。

 『障壁ミュール』は傑作と言われる防御魔術。

 第一域でありながらその強度は魔力量によってどこまでも固くなるという単純な構造ゆえに防御魔術のお手本そのもの。

 単純にイーサンの魔力が少ないというのもあるが、そんな傑作とされる魔術ですらカナタの黒い腕の威力は防ぎきれない。


「やっぱり、半年前の半分くらいの力しかでないな……いや、作り直せただけでも嬉しいから仕方ないか……」


 本人的には威力が不満なのか、少し難しい表情を浮かべていた。

 半年前のデナイアルとの戦いの時は術式が洗練されており、第三域以上第四域未満という火力だったが……作り直した今は第三域と同等といったところか。

 半年前なら防御魔術を壊しながらイーサンの体はを壁に叩きつけていただろう。

 それでも、この自由度と火力は魔力が少ないイーサンにとっては悪夢でしかない。


「起きましたか?」


 黒い鎖から解放されたカナタは転がっている魔術滓ラビッシュを拾いながら、イーサンに問いかけた。

 そんな悪夢げんじつでカナタは幻覚から目を覚まさせようとしている。

 医者が聞いたら悲鳴を上げるような荒療治だが、イーサンの幻覚は術式が見せている魔術の領分。

 目を覚まさせる方法は魔術に託すしかない。


「な、わを……」


 カナタはもう一度、イーサンを壁に叩きつける。

 イーサンの声は弱弱しくなっていく。


「みゅ、『障壁ミュール』……!」


 もう一度、何度でも。

 展開される防御魔術とイーサンの痛みを麻痺させるために術式が吸い上げる魔力消費。

 ただでさえ少なかったイーサンの魔力がどんどん減っていき、ついには。


「うっ……ぐ……。なんだ……急に、場所が……」


 イーサンの魔力が切れて、完全に幻覚から解放される。

 牢屋だった場所は学院に、暴れる兵士はカナタへと。

 自分が掴まれている魔術にだけ見覚えがあるようだった。


「よかった、これでいけるとは思ったけど……万が一駄目だったら一か八かになってた」

「き、みは……一体……? 僕は、連れ戻さないと……彼を……」

「大丈夫、あなたが連れ戻さないといけない誰かなんていない」


 カナタは魔術を解除して、倒れるイーサンのほうへとゆっくり歩を進める。

 さっきまでカナタの魔術を見て恐怖らしきものを感じていたイーサンもカナタの姿に恐怖する事は無かった。


「どうした、んだ君……ボロボロじゃないか……」

「……あなたもだよ」


 追い掛けられていた時に出来たカナタの傷や制服の汚れを見て、イーサンは心配するような声を掛ける。自分はもっとボロボロだというのに。

 倒れている巨体はまるで折れたひまわりのようだった。

 相変わらず目の光は濁っているが、その顔にはどこか人間らしさが戻っている。


「俺はカナタ。あなたの後輩です」

「後輩……俺の……? ああ、そうか……ここはラクトラルか……。おかしいな……」


 眠りから目覚めたようにどこかぼーっとしているイーサン。

 けれど、呆けているだけでは終わらせられない。

 カナタは今日やったことを無駄にしないためにイーサンに突きつける。


「はっきりと言います。今まであったことは夢じゃない。今日あったことは幻覚ゆめじゃない。目覚めたばかりだからと、あなたを逃がすわけにはいかない」


 目覚めたばかりのイーサンに現実を突きつけるようにカナタは言う。


「そうだ……僕は、僕は……! 何も救えなくて……」

「あなたを助けるためには、あなたが望まなきゃいけないんだ」


 現実は待ってくれない。イーサンは魔力が戻る前に決めなければならない。

 自分を蝕んだ術式を消して再び魔術師として前に進むか。

 無為に過ぎ去った四年の歳月に絶望して再び幻の中に戻るか。

 選べ。ここにその首をくくる縄はない。


――――


お読み頂きありがとうございます。

明日の昼と夜の更新で四部は終わりとなります。次の月曜から第五部の更新を始めます。

そして今日はこの更新に加えてギフト用ssも更新しますのでサポーターの方はどうぞ。

読まなくても本編の話がわからなくなることはないのでご安心ください。

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