103.取り戻したもの

 修練場は夜になっても淡く明かりが灯っている。

 壁にかかる燭台の魔道具と壁や床に張り巡らされている術式が魔力によって明かりになっているからだ。

 本来なら静まり返っているはずの夜の修練場に訪れる客が一人。


「ぶっは!」


 風に追われながら、カナタが滑り込むように飛び込んでくる。

 そして修練場の中心まで行くと体の向きを変えた。

 扉の向こうからやってくるはずの誰かを待ち続ける。

 もう逃げる必要はない。追わせる必要もない。


「逃げるな……! 大人しくしろ……大人しく……! 僕に捕まれ……! 君達のことは、僕が救う!!」


 幻覚を見ながら修練場に入ってくる大男イーサンは目を血走らせている。

 疲労はない。その血走らせた目が見えているのはカナタ……ではなく、暴れる兵士の幻覚。

 その幻覚が逃げるのをやめたことにイーサンも気付いた。


「ようやく、わかってくれたのか……! そうだ、大人しくしていれば変な目で見られることはない……大人しくしていれば!」

「大人しく……?」


 カナタは初めて、吐き捨てるように笑う。


「大人しくしたまんま何かを変えられたことなんてなかったよ、俺は」


 カナタは右手をイーサンに向ける。

 イーサンの肩がびくっと揺れた。暴れる兵士の幻覚を見ているはずだが、その幻覚の中にカナタの意思の何かを見たのか。


「それと、止まったのは大人しくする気になったんじゃない。ここなら暴れても問題無いから立ち止まったんだ」

「あ、ば、れ……? 駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ!!」

「駄目かどうかは自分で決める」


 これから始めるのはとんでもない荒療治。

 自分で言っておいて滅茶苦茶だなとカナタは笑う。


「追いかけっこは終わりだ。我慢比べといこうよ先輩」


 カナタから温存していた魔力が噴き出す。

 イーサンはその勢いに身構えた。

 

「『炎精への祈りフランメベーテン』!!」

「『駆ける嵐狼の狩牙ヴォルクラガン』!!」


 共に唱えるのは第三域の魔術。

 先程、渡り廊下で衝突した時と同じシチュエーション。

 しかし、結果はさっきとは違う。

 空間を噛み砕く嵐と燃え盛る業火は完全に拮抗する。いやそれどころか――!


「ぬう!?」

「お返しだ。さっきは痛かったぞ」


 今度はカナタの魔術がイーサンの魔術を打ち破り、イーサンを呑み込んだ。

 先程と違って手加減する必要はない。

 実技用校舎の術式がイーサンをダメージから守る。しかし痛みを無くすわけではない。


「ぐあああああああ!?」

「怪我はしないさ! 学院長の魔術を信じよう! ここの生徒同士さぁ!」


 苦しむイーサンに向けてカナタは今度は向かっていく。

 さっきまで逃げていたのが嘘のように。

 炎の合間に見えるイーサンの視界にカナタが映るが……見えるのはまだ幻覚。

 カナタの姿はイーサンに剣を向ける兵士に見えていた。


「っあああああ!! 『嵐王の猟団ワイルドハント』ぉ!!」


 炎を裂いて現れる風の剣。一本、二本……まだ現れる。

 こちらに走ってくるカナタに向けてその魔術は放たれた。

 イーサンは向かってくる幻覚に恐怖したからか、単純な攻撃魔術を唱えている。

 カナタに向かって八の剣が振り下ろされるがあくまで魔術。魔力で強化するか魔術で相殺しようと思えば相殺できるが――


「いっづぁ……! 魔……力が……勿体ない、なあ!」

「な……な……!?」


 ――カナタはその八本の斬撃に対して何もせず、自分の体で受け止めた。

 ヘルメスの魔術によって体に傷はつかず、燃えるような痛みだけがカナタの全身を走る。

 肉を裂かれる感触も流血して冷たくなる感覚もない。ただ感じるのは痛みだけ。

 ……なんて凄い、とカナタは心の中で学院長の魔術に手放しの賞賛と感謝を贈る。

 戦場で金目のものを漁っている間、何度も嗅いだあの嫌な臭いが全くしないその素晴らしさに。

 

「『火花ひのはな』!」

「離れるんだああああ!! 『群狼の雄叫びウルフズシャウト』ぉ!!」


 カナタはイーサンの体に取りつこうとするが、カナタの火属性の魔術に怯えたのかイーサンはすぐに引き離す。

 雄叫びと共に突風が吹き荒れて、カナタの魔術はかき消された。

 衝撃は魔術だけでなくカナタの体も吹き飛ばし、カナタは床に転がる。

 それでカナタが怯んでくれればイーサンとしては嬉しかったろうが……そんなはずはない。

 イーサンの足下に、魔術滓ラビッシュが転がる。

 先程唱えた魔術と合わせて三つ分落ちた音がカナタに笑みを零させた。


「さっきの黒い鎖のやつも使ってくださいよ先輩」

「――!!」


 立ち上がりながら笑うカナタにイーサンが見ていた幻覚が揺らいだ。

 イーサンは一歩、下がる。

 イーサンが見ているカナタの姿は、幻覚によってただの暴れる兵士になっている……それはイーサンが助けたいと思った人々の一人のはず。

 そのはず、そのはずが――何故か気圧される。

 その体には確かに痛みが走っているはずなのに、まるでもっと魔術を使って欲しそうにしているかのような声が耳に届いて。


「『駆ける嵐狼の狩牙ヴォルクラガン』っ! ヴォ、『駆ける嵐狼の狩牙ヴォルクラガン』ん!!」


 見ているはずの幻覚せかいとは違う何者かに向けてイーサンは魔術を唱える。

 何度も、何度も何度も。

 まるで久しぶりに本物の感情を振り払うかのように、何度も唱え続けた。


 そんなやけくそ気味な魔術がカナタに当たるはずもなく。

 いや、当たった所でヘルメスの魔術によって怪我になる事はなく、痛みだけならカナタには何故か耐えられてしまう。

 イーサンが何度魔術を唱えようと、カナタがイーサンの前から消えることはない。


「はぁ……はぁ……! ぜぇっ……!」

「落ち着きましたか?」

「はっ……! はっ……!」

「これだけ第三域を連発して、まだ魔力があるなんて……流石は先輩ですね」


 最初に聞いた時のようなカナタの優しい声色。

 イーサンの呼吸は整っていない。常に魔力を限界まで使ったことで限界が近くなっている。


「君は、君は一体……!」

「あなたの後輩ですよ」

「こ……?」


 ようやく、カナタの声がイーサンに届く。

 張り詰め続けていたイーサンの表情がほんの一瞬だけ緩んだような気がした。

 カナタは自分達が立てた推測が正しいことを確信する。

 カナタがやろうとしているのはイーサンを救う事……しかし、そのためにはイーサンに元気でいてもらっては困るのだ。

 

「さてこっちの番だ。一番強い手札を見せなきゃフェアじゃないもんな」

「っ!!」

「残りの魔力全部使って……守ってみろ」


 そんな前置きを言葉にして、カナタは唱える。


「――『虚ろならざる魔腕うつろならざるかいな』」


 あの日忘れさせられた魔術の名を。

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