102.追いかけっこ

 "失伝刻印者ファトゥムホルダー"は術式との同調率が高くなると、術式の影響が周囲に表れ始める。

 魔道具が魔力を通すと発動するように、常に魔力が巡る肉体に術式が宿っているためだ。聖女エイミーが浮遊しているのもまた術式の影響である。

 この特性は失伝魔術に限らず、精神干渉系の魔術もまたこれの応用。

 相手に術式を刻む事で精神をかき乱したり操ったりするのだが、術式の維持は難易度が高く、膨大な魔力や条件が存在するので永久にというわけにはいかない。


 "失伝刻印者ファトゥムホルダー"のように半永久的に術式の効果を人間に反映させる研究はされ続けているが……後天的に術式を刻まれた人間の肉体や精神への悪影響は非常に大きく、どんな術式であれ安全に術式を刻む方法は未だに見つかっていないまま。

 ゆえにそれをしてしまう魔道具は例外無く、違法魔道具と呼ばれる。



「"選択セレクト"」


 振り下ろされる右手を後ろに跳んで躱しながらカナタは唱える。

 いつものように頭に浮かぶ魔術の名前の羅列。

 それよりも、イーサンが振り下ろす右手が音を立てて廊下を砕いたことに意識は引っ張られた。


「魔力で強化してるにしても強すぎるな……これも術式の影響か?」


 カナタの推測は当たっていた。

 トラウリヒ神国の違法魔道具は魔物の侵攻の対策として開発されたもの。

 精神干渉以外に、魔物の力に対抗するために単純な肉体強化の効果も当然ある。イーサンほどの巨体であればその強化の影響は特に大きい。

 カナタは分析しつつも、これ弁償かなと心の中に不安がよぎった。冷静ではある。


「大人しくするんだ……! 僕が、僕が救ってやるから!!」

「大人しくしてたら潰されるだろ!」


 幻の視界に語り掛けるイーサンに、カナタは馬鹿正直に言葉で応えてやる。

 余裕? 違う。人間らしい会話をしているだけだ。

 カナタの目には彼は怪物に映っていない。


「『水球みずたま』」


 月光りの差し込む学院の廊下に現れる十の水の球体。

 月と蝋燭の火に照らされながら、カナタの意思によってそれは動く。

 十の球体から放たれた水の勢いは相手を貫く槍となる。


「『群狼の雄叫びウルフズシャウト』ぉ!」

「え」


 イーサンは当然かのように、風属性の魔術を唱えた。

 耳をつんざくような絶叫と暴風。

 イーサンに向けて放たれた水の槍は全て弾かれるように霧散した。

 カナタの魔術は第一域の魔術を改造して強化しているが、それでも第二域の魔術とまともにぶつかり合えば威力は劣る。


「魔術唱えられるのは聞いてない!?」

「違うっ! 傷付けるつもりはない……! ないんだああああ!!」

「いや、よく考えたら当たり前か……!」


 そう、違法魔道具によって刻まれる術式は元々魔物に恐怖しない戦士を生み出すためのもの。

 であれば、どれだけ精神を汚染されていても戦闘に関する機能が損なわれているはずがない。

 しかし精神に影響が出ているせいか魔力の操作はおぼつかないようで、イーサンの足下に緑色の魔術滓ラビッシュがころんと落ちた、


「かっこいい魔術だから欲しいけど……」


 魔術滓ラビッシュを拾いに行きたいが、流石にあの巨体に飛び込むのは難しい。

 後ろ髪を引かれる思いでカナタはちらちらと魔術滓ラビッシュを見ながら逃走する。

 その姿が、イーサンには牢から逃げ出そうとする兵士に見えた。


「駄目だ……! ここにいないと……ここにいないと駄目なんだ!! 外に出て暴れさせるわけにはいかない!!」

「色々壊される前に誘導しないと……それに魔術が使えるなら手加減できる気がしない……」


 カナタは肩越しに後ろをちらっと見る。

 廊下の床を踏み抜きながら追いかけてくるイーサンの姿は狂暴な熊のよう。

 朝になったらまた新しい噂が追加されそうな暴力的な足跡だ。


 術式による肉体強化に体中に張り巡らされた魔力による増強。

 そして元々カナタよりも高い身体能力をもって、カナタにすぐ追い付きそうになる。


「『黒犬の鎖ハウンド』ぉ……!」

「ちっ……!」


 イーサンの影から伸びるように、鎖状の影がカナタの背中向けて放たれる。

 夜闇に紛れて壁を這うその魔術が燭台の明かりで照らされた。


「『水球ポーロ』!」


 壁を這っていた鎖の影はカタナを捉えようと壁から剥がれる。

 その勢いを遮るように、カナタは自分の背後に巨大な水の球を置いた。

 影の鎖は水の中に入ると速度が落ちて、カナタはその間に渡り廊下のほうへと走る。


「逃げるなぁ! 牢屋の中で……大人しくしていろぉおおお!!」


 カナタの出した巨大な水の球を突進で吹き飛ばし、びしょびしょになりながらもイーサンはカナタを追い続ける。

 突進の勢いで壁に衝突し、壁が壊れた音がカナタの耳に届いていた。


 壁っていくらするんだろう、と普段考えもしないことを考えながら渡り廊下を走る。

 振り切っては意味がない。イーサンが走ってくるのを待つ。

 いや待つまでもなかったかもしれない。床の木材を踏み抜き、あちこちを壊しながら向かってくる音は徐々に大きくなってきた。


「見つげだぞおおおお!!」

「待ってたんだよ!!」


 夜の学校の中、二メートルを超える筋骨隆々とした大男が追ってくるのを待つのは正直霊よりも恐い。しかも魔術まで達者と来ればたちが悪い。

 渡り廊下でイーサンを待っていたカナタはそのままこちらに走ってくるかと身構えたが――


「『駆ける嵐狼の狩牙ヴォルクラガン』!!」


 そのまま立ち止まり、魔術を唱えながら渡り廊下に向かって握り拳を付き出す。

 放たれるのは渡り廊下を埋め尽くす規模、空間を噛み砕く風の嵐。

 渡り廊下の窓や壁を破壊する勢いでカナタを呑み込まんと迫ってくる。

 事実、渡り廊下に固定術式が刻まれていなければここはもう廊下からただの庭に変わっていただろう。


「『炎精への祈りフランメベーテン』!!」


 その威力と規模から間違いなく第三域の魔術と判断して、カナタも第三域の魔術で対抗する。

 使い手が望んだものだけを燃やす業火が向かってくる嵐と衝突した。

 渡り廊下に刻まれた固定術式が軋んで、壁や窓が徐々に耐えられなくなり、ひび割れていく。

 同時に……カナタが額に汗を流しながらぎりっと歯を鳴らした。


「こ、の……! 火力、負けして――!」


 同じ領域でありながら拮抗しない二つの魔術。

 カナタが放つ業火は突き進む嵐に飲み込まれて、魔術としてのカタチを失っていく。

 その間にカナタは渡り廊下を駆け抜け、扉の向こうへと飛び込んだ。

 思い切り扉を閉めて嵐が過ぎ去るのを待つ。


「うぐっ……! げほっ……ごほっ……!」


 扉を閉めてなお伝わってくる衝撃が体に伝わり、カナタは咳き込む。

 扉の向こうから風の音がしなくなるのを確認してカナタは距離をとるように走った。

 ……ダンレスの時のようにただ同じ第三域の魔術をぶつけても拮抗しない。

 つまり、魔力量か技術のどちらかで上回られているということ。

 それもそのはず。イーサンは違法魔道具によって精神を汚染されている被害者だが……それ以前は他国への留学があっさり許されるほどの生徒だった。であれば、その技術が平凡であるはずがない。

 そしてなにより、今のイーサンはタガが外れてしまっている。

 魔術に込められる魔力量は常に全力。イーサンを助けるために威力を抑えているカナタの遥か上を行くのは当然だった。


「後輩にはもう少し優しくしてくださいよ先輩……!」


 カナタは距離をとるものの、完全に引き離すわけにもいかない。

 目的はあくまで誘導であり逃げ切ることではないのだ。

 ゆっくりと、渡り廊下の扉が開く。


「縄ヲ、くれ……! 縄を……! 君ヲ縛り付けるための縄ヲ!!」


 床に燃え移った火を踏み消しながら、イーサンはカナタに向かって突き進む

 ボロボロになった渡り廊下を背景に歩いてくる姿は誰かが見れば確かに噂通りの怪物に見えるだろう。


「さっきも言っただけど、救われたいなら縄より魔術を求めろよ先輩……俺達、ここの生徒だろ」


 カナタはあくまで同じ生徒としてイーサンに語り掛ける。

 それは戦場に置いてきた数多の誰かに向けた優しい声色。

 カナタはクラスメイトに教えて貰ったことを思い出しながら、二つの魔術を頭の中に用意する。

 切り札・・・はある。三日をかけて準備はしてきた。

 目指すは模擬戦の時に使った修練場。あの場所は模擬戦を行うためか校舎よりも頑丈だ。

 これ以上暴れられてもいいように……そしてこちらが暴れてもいいように、カナタは走った。

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