101.悪なき者
「その……失礼かもしれませんが、何故カナタ様はあの噂に固執するのでしょうか……?」
コーレナは最近のカナタの動きに少し困惑していた。
三日前、急にクラスメイトから自分の使えない異能や魔術についての話を聞いたかと思えば、大男の徘徊ルートをルイに調べてもらったり、精神干渉系の魔術について調べたり……かと思えば今日は一日授業が終わったら閉じこもるかのように寮へ帰ってそれっきりだ。
クラスメイト達も三日前全員を巻き込んでうるさかった人間が急に静かになったのでちらちらと確認していたくらいである。
「何故……と言われましても、私にはわかりませんよ?」
「そう、ですか……いえ失礼致しました……」
「私の予想でいいならですが……私の時と同じ理由ではないでしょうか?」
自室のベッドに座りながら本を読んでいたルミナは本を閉じた。
ルミナが語る予想に、それはないだろう、とコーレナはつい声が大きくなる。
「ま、まさかそんな……何の関係もない大男とルミナ様のような特別親しい御方とでは違いもあるでしょう」
「特別?」
ルミナはコーレナの意見に疑問を抱く。
「きっとコーレナは勘違いしているですね」
「なにを、でしょう?」
「まるで私がカナタにとって特別のような言い方をしていたから。私は、カナタにとって特別でもなんでもないですよ」
あまりにも、それはあまりにも謙遜が過ぎるのではないだろうか。
コーレナはルミナの自己評価の低さに何と答えていいものか一瞬わからなくなってしまった。
忘れるはずもない。カナタは確かにルミナを助けるために飛び出した。
先に何があるかもわからない、彼以外見えない術式の先、宮廷魔術師という死が待っている場所にたった一人で。
彼にとってルミナが特別でないというのならあの行動は一体何なのか。
普通ならとても飛び込めない。命を懸けた理由がわからない。
それこそ
しかし否定するにはコーレナに眼差しを向けるルミナの視線はあまりにも真剣だ。
その瞳は自分の言った言葉で傷付いたのか少々潤んでいる。就寝前でよかった。涙が溜まっているのは眠いからと誤魔化せるだろう。
「ふふ、それくらいは……自分でもわかっているんです……。カナタにとって私は側近として仕える相手、どれだけよくても友人が関の山でしょう」
「そんなことはありません。ルミナ様だからこそ、彼は去年命を懸けたのではないですか」
ルミナは小さく首を振る。
「カナタは、
コーレナは真剣な表情でそう語るルミナに声が出なかった。
その内に燃えるような恋心を抱いていながら、今の状態では報われることがないと自分で断言してしまっているようなその言葉に驚愕して。
「ふふ、恋に浮かれていてもそれくらいはわかりますよ。それにカナタも自分のためだって言ってましたから。私達はカナタの過去をほとんど知りませんけど……カナタにはきっと、何よりも大切な生き方があるんだと思います」
ルミナは去年デナイアルに立ち塞がるカナタの背中を思い出して頬を染める。
宮廷魔術師相手に一歩も退こうとしない、同年代の男の子。どんな大人の背中よりも大きくて頼もしい、ルミナにとっての救世主。
ただルミナのためだけに、と囁かれたら女としてどれだけ嬉しいか……想像するだけで悶えそうになる。
けれど、そうでないことくらいは恋で茹だった思考でも理解できる。
カナタを最後の最後まで奮い立たせていたのはきっと彼という人間としての芯。
死んでも譲れないカナタの生き方こそが、あの頼もしい背中を作り上げていた。
「でもその生き方を選ぶ前に、カナタにも取りこぼしてしまったものがあって……カナタはそんな過去の自分にしっかり向き合うために、私やあの人を助けに行くって選択をしているんじゃないでしょうか」
ルミナは慈しむような目をしながらそう言って、落とした視線の先には床ではなく記憶の中のカナタの姿があるに違いない。
そんな風にカナタの様子を理解するルミナはまるで成長した
「それが本当だとすれば……どんな風に過ごしていたのでしょうか……」
「わからないけれど……でも、彼が出会ってきた人達はきっと素敵な人達だったのではないでしょうか」
「子供にしては少し、真面目過ぎる気もしますが」
「ふふ、そこがかっこいいんじゃないですか」
まるで惚気るかのようにそう言って、ルミナは再び読みかけの本を開いた。
ルミナが昔に比べて明るくなったのは間違いなくカナタのおかげだろうとコーレナは困ったように小さく笑った。
♦
イーサンは将来有望な生徒だった。
研究者としてよりも実践的な魔術師であることを望み、十四歳の頃にはトラウリヒ神国に半年の留学を申請して経験を積むことを望んだ。
その選択が、彼の人生の岐路であったといえよう。
トラウリヒ神国――それはデルフィ教の教えが広まる耳に聞こえし神の国。
しかし、彼が訪れた場所に神などいなかった。
凄惨な戦場と赤い液体から漂う鉄の匂い。へばりついた肉片と転がる肉塊。
戦士の死体だと言えたのなら、どれだけよかっただろう。それすらもわからない。
「縄をくれ……縄を……」
そしてイーサンが違法魔道具によって使い潰された兵士や傭兵達だった。
数年に一度、魔物の進行が激しくなる時期がある。
足りない兵力を補うため、違法魔道具によって術式を刻みむことで戦士達を戦場の恐怖から逃げ出さないようにするのだという……そして戦いを終えて、精神が摩耗して使い物にならなくなった者が入れられる牢屋の様子にイーサンは絶句した。
ただただ暴れる者が多く、中には部屋の隅で剣を構えようとする者もいて、ベッドの下で震える者も数人いた。寝れないのは全員が目の下に濃い
戦場の凄惨さを見たからこそ、戦場を生き抜いて、国を守った人々がまるで厄介者のように牢屋にいる姿を見るのがイーサンはその光景が苦しかった。そして、あちこちに傷がある牢の中を見て、そうするしかないと思ってしまう自分もいたことに気付いたのが最も辛かった。
「縄をくれ……縄を……! 縄が欲しいんだ……!」
留学を終えてスターレイ王国に戻ったイーサンは、その光景を何とかしようと研究を始めて……二年後、トラウリヒ神国から流れてきた違法魔道具の現物を手に入れることに成功した。
イーサンはこれで研究が捗ると喜んだ。今も牢の中にいるであろう彼等を救えるかもしれないと一層のやる気がみなぎった。
術式を解析すれば彼等の中に刻まれてしまった術式を
……そんな彼の希望は二ヶ月で打ち砕かれる。
調べていた途中、彼にもその魔道具の術式が刻まれてしまった。
やはり神はいなかった、彼は精神を汚染される寸前にそう思った。
「縄だ……縄さえ、縄さえあれば……!」
それ以来、イーサンは学院を徘徊するようになった。
その視界に映る人々は全て牢の中にいた兵士達に見えている。
彼にとってこの学院はあの時見た牢屋の中だった……自分が同じように術式を刻まれたから、自分がいる場所は牢屋なのだと思い続けている。
彼は今日も徘徊する。術式を刻まれ、精神を汚染された兵士達が誤解されないように。
彼は今日も徘徊する。牢の中で暴れようとする人を抑え込むために。
彼は今日も徘徊する。牢の中にいた兵士達を守るために。
「縄さえあれば……! きっと、救える……救われる……!」
――彼は今日も徘徊する。
もう誰か終わらせてくれ。そんな願いたくなかったことを願って。
「わかるよ、その気持ち」
イーサンの目の前に、誰がが立ち塞がった。廊下の燭台が灯る。
夜の学院の廊下――月明かりしかないはずの、彼にとっては巨大な牢屋の中。
自分の前に立った少年、カナタの姿はイーサンにとっては暴れようとする兵士にしか見えない。
「暴れちゃ駄目だ……! 暴れたら、誤解されてしまう……!」
「……噂ってのはやっぱりあてにならないね。あなたは怪物なんかじゃない」
「苦しい……辛い……。わかる……だが、駄目なんだ……! 大人しくしないと、周りが君達を見る目はずっと辛いもののままだ……」
「俺もちょっと前まで女たらしって言われてたんだ。女の子にちゅーもしたことないのにさ」
一歩、また一歩カナタは噂の大男――イーサンに近付く。
「ふー……! ふー……!」
カナタが近付く様子はイーサンにとって止めるべき相手に見えている。
耐えるように歯を食いしばる姿は、限界まで我慢しようとしているからか。
「近付くな……! それ以上、近付いたら……私は君を止めなきゃいけなくなる……!」
「どうりで見覚えがあるはずだ……戦場にいる人達と、同じ顔だ」
目の前まで歩いて、カナタはイーサンの顔を凝視する。
見覚えがあると感じていた理由、それはイーサンが戦場にいる人達と同じ顔をしていたからだった
目の内の光が濁っていて、影が落ちて、自分の中の何かが欠けてしまったような。
今すぐ殺されたのならその事実に安堵してしまいそうなほど脆い……そんなあまりにも辛い表情だった。
「ごめんね、俺はあなたを殺してあげられない」
「離れろ……。離れるんだ……!」
「でも、助けられるように頑張るよ。戦場漁りの時はさ……死にかけの人達の殺してって願いにすら謝って離れることしかできなかったけれど」
「は、なれろ……!」
「今はもう大人しくしているだけの子供じゃないから……ああでも」
カナタとイーサンの身長差は遠くから見ると倍くらい違く見える。
イーサンは手を顔で覆い、顔を覆った指の隙間から目の前にいるカナタを睨んだ。
「俺が謝ってたらあなたが悪者みたいになっちゃいますね。やる気は示しておこう。
かかってこいデカブツ、魔術学院なら魔術学院らしく縄より魔術を求めろよ」
「離れろと言っているだろうがああああアアあァアああ!!」
イーサンの槌のような手がカナタ目掛けて振り下ろされる。
カナタはイーサンを助けるために、イーサンは暴れる兵士に見えるカナタを止めるために。
夜の校舎で始まる自分勝手な救出劇。そのどちらもが悪ではない。
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