100.拾えるものは拾う。それが彼の生き方

「治癒魔術は相手の怪我を術式になぞらえる……そうか、怪我の無い場所そのものが完成された術式ってことになるから……術者から魔術滓ラビッシュが出るわけないんだ……。怪我のほうを術式になぞらえるなら魔力も怪我人の中に全部流れ込んじゃうもんなぁ。

なるほど……普通の魔術と思ったよりも全然違うや、魔力だけ自前で術式は相手の肉体依存の外付けだなんて常識から外れてる……」


 と、一番常識から外れている少年が何か言っている。

 カナタは今日クラスメイトから聞き出した話を纏めたメモ帳を見ながらある場所へ向かおうとしていた。

 聖女エイミーからは治癒魔術の仕組みを。

 古代種の体質を持つイングロールからは精霊系統の魔術を支配下に置く感覚を。

 そのどちらもがカナタでも不可能なもので、二人はしきりにこんな事知ってどうするんだと確認してきていた。


 カナタとて、どちらも出来るようになれると思っているわけではない。

 出来るようになるに越したことはないし、今でも実は何かのきっかけで感覚を先に知っておけば出来たりしないかなとかほんの少し思ってはいるが……本題はそこではない。


「イングロールのほうがちょっとわかりにくいんだよな……相手の怪我とか肉体じゃなくて、相手が使う魔術を構成している術式を魔力で乗っ取って干渉する……。他人のスープを自分のテーブルに置く感覚って言ってたけどわかりにくいな……。

それに精霊系統にだけ反応する理屈はなんなんだろう……? 精霊の魔力反応を術式で再現したりしてるのかな……相手の術式を利用できるなんて凄い体質だ……」


 どの口が言ってるんだと誰かがいれば言ってそうである。

 ここは実技用校舎の廊下……外は日が傾いていて今は人っ子一人いない。

 残念ながら誰もツッコミを入れられる人間はいなそうだった。


「いくら考えてもどちらも使えないだろうけど……どっちも欲しい感覚だからありがたい」


 今日一日頼み込んで、カナタが欲しかったのは発想のカードだった。

 カナタは同年代の中では一番戦闘に慣れているだろう……事実、実技一位をとっているのはそういった点が評価されており、第三域の魔術を扱える腕があるからだ。

 しかし第三域を扱える腕に対して圧倒的に知識が足りていない。

 筆記の順位が一〇三位というお世辞にもいい順位でないことからも明白だ。

 基本的な知識はあるものの、魔術が作られた背景、歴史、美学、構成、思想などなど……魔術のイメージのとっかかりに利用できるような知識があまりに乏しいのだ。

 魔術師として魔術を扱う気構えは整っているのに、基盤が無い・・・・・

 カナタにあるのは、どれだけ周りにゴミだと言われても魔術滓ラビッシュを宝だと思い続けた意思の強さだけ。

 無論、それが今のカナタを作り上げてはいるのだが……これからはそれだけではいけない、とカナタは今日動いたのだった。


「おやカナタ、こんな時間にどこに行くのかね?」

「トップ、こんばんは」


 メモを見ながらあーでもないこーでもないと思案していると、のしのしと老人とは思えない尊大さで歩く学院長ヘルメスが通りがかる。

 丁度良かった、とカナタは立ち止まる。


「学院長に聞きたいことがあって今そちらに行こうとしていたんです……」

「そちらにって……学院長室がどこかわかっているのか?」

「最初に呼び出されたあの部屋が学院長室かなって……あの部屋、実技用校舎ですよね?」

「そりゃそうじゃが……あそこは普段見えんぞ?」

「え?」

「あそこは漏らしてはいけない機密などを話すために用意されている部屋じゃからな。普段は生徒には見えない空間に隠しておるよ」


 最悪、実技用校舎を駆けずり回ればいずれ着くだろう来ていたカナタは自分の浅はかさに肩を落とす。

 そう、ここは魔術学院……よく考えればそのような仕掛けがされている部屋の一つや二つあると思い付きそうなものだ。

 クラスメイトから聞いた話に集中していたからか、そんな発想にすら至らなかった。


「トップ」

「なんじゃ?」

「今日クラスメイトにも言われたんですけど……俺って馬鹿なんですかね?」

「ど、どうかの……?」


 真剣にそんな馬鹿みたいな問いを投げかけるカナタにヘルメスは苦笑いで返すしかない。


「そんなことより、儂に用があったんじゃないのか? 少しだけなら立ち話をしてやろう。光栄に思うんじゃぞ? この宮廷魔術師第二位……いや、実質一位のこの儂と話せるんじゃからの!」

「ありがとうございます……それじゃあ学院を徘徊している大きな男の人について聞きたいんですけど」


 カナタが怪物と噂されている大男を話題に出すと、ヘルメスの陽気さが吹いて消えたような気がした。丁度、窓の外で傾いている夕陽のように。


「ふむ……シャンクティから少し聞いておるよ。何故、彼について調べるのかね? 彼は君と無関係の人間じゃろ?」

「はい、初対面だと思います」

「では、何故?」


 問いと共に、ここだけ夜になったかのような寒気がカナタが襲う。

 窓から差し込む橙色の光に微かにあるはずの温もりがこの場所だけ途絶えたかのような。


「最初は初対面な気がしなくて気になっていただけですけど……今は、もしかしたら助けられるかもって思ってて、それには自分の魔術を成功させなきゃいけないんですけど……」

「助ける?」

「はい、なので詳しいことを学院長に聞きに行こうと思ったんです」

「彼の事情をかね?」

「いえ、彼の状態・・をです」


 ヘルメスはどう判断したらいいものかとカナタを見つめる。

 ヘルメスにとって噂の大男は怪物でもなんでもない。彼はああなる前ただの勤勉な生徒だった。だからこそヘルメスは彼の学籍を残してこの学院で保護し続けている。

 ……いつか、あの状態を治せるような魔道具や魔術師が現れるまで。

 ヘルメスとしては今年入学した聖女に期待していたのだが、先日呼び出した時には難しいかもしれないと後ろ向きな答えを貰っていた。

 聖女でも難しいものを、この正体不明の少年がやれるのか?


「君なら治せるのか?」

「わかりません」


 当たり前だ。治せるのなら苦労はない。


「精神干渉の分野に興味があるのかね?」

「いえ、どっちかというと……今はないですね」


 予想通り。人の精神をどうこうしたい性格には見えない。

 ならば、この少年が関わる理由は一体なんだ?


「何故――助けようとする?」


 ヘルメスはその疑問をそのままカナタにぶつけた。


「俺が助けて欲しかった時、助けてもらったことがあるからですけど……?」


 ヘルメスが驚く中、何を当たり前のことを聞くんだろう、とカナタは首を傾げた。

 最初の二つを聞く意味はわかったが、一番最後の質問をする意味がカナタにはわからなかった。


「ばっはっはっはっは! 本気で言っておるの! ばっはっはっは!」

「……?」

「いやいや、すまない。どうせ無理ならこういう賭けもありじゃよなあ」


 何故今笑われているのかもカナタにはわからなかった。

 一頻り笑い終わって息を整えると、ヘルメスは口を開く。


「……あの子には、トラウリヒの違法魔道具の術式が体に刻まれてしまっておる。それこそ"失伝刻印者ファトゥムホルダー"のようにの」

「ルミナ様達と同じように……?」

「そうじゃ、"失伝刻印者ファトゥムホルダー"から術式を取り出すと本人が死んでしまう……それと同じような状態にあの子はなってしまっておる。その刻まれた術式に精神を乱され続けながら」


 ヘルメスはカナタの肩をぽんぽんと軽く叩いて廊下の向こうへと歩いていく。

 そう言いながらヘルメスはそのまま歩いて行ってしまった。

 追い掛けてくるなとその背中に書いてあるかのように、近寄りがたい雰囲気を醸し出しながら。


「今日は無理だの出来ないだの……よく言われる日だなぁ」


 ぽつんと取り残されたカナタはぼやく。

 ここは新しいカナタの戦場。拾えるものはなんでも拾う。

 それこそ、助けを求める誰かもまた。


「そんな話聞かされたら、余計に見捨てられないじゃないか」


 遠回しにヘルメスに焚きつけられたような気がして、カナタは釈然としない気持ちになりながらも寮へと戻った。

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