97.特級クラスの扱い
「失礼します、シャンクティ先生」
「……お前か」
カナタが尋ねたのは実技担当のシャンクティ・バルドレートだった。
一体何をしていたのかその手には鞭が握られていた。
彼女の研究室は色々な動物の毛皮が壁に並べられていて、カナタがイメージしていた本や書類ばかりの部屋とはかけ離れていた。
シャンクティは面倒そうに入ってきたカナタに視線をやる。
エイミーといいシャンクティといい、学院に来て女性から好意的な目を向けられた覚えがない。
「私を脅しにきたか? 本性をばらされたくなかったら対価でも?」
「しませんよ……どんなイメージ持たれてるんですか俺」
「女たらしの魔術師殺し」
「悪い印象の二段重ねだ……」
確かに外から見るとそうなってしまうのだが、女たらしは冤罪である。
カナタには恋愛経験などないし、女性をたぶらかしたことも勿論ない。
「冗談だよ。けど、これでも私は生徒の前ではお淑やかさを前面に出しているの。同僚以外にはあんな言葉使わないから、黙っておきなさい」
「わかりました」
「それで? 何の用?」
シャンクティはそう言って、鞭で目の前の毛皮を叩き始めた。
……お淑やかさを前面に出しているようには見えない。
「特級クラスって、名前の割に他のクラスよりやることがない気がするんですけど……何か理由があるんですか?」
毛皮に放たれる鞭の衝撃音の中、カナタの疑問はちゃんと聞こえていたようで……シャンクティは振るう鞭を一度止めた。
「へぇ、ガキにしてはちゃんとそういうとこに気付くのか。目ざといな」
「その、自分この学院に入るために母に毎日毎日付き合ってもらって詰め込みで魔術の勉強をしたんですけど……入った後はむしろ授業が免除になったりでやること少ないなって思って……」
カナタは十歳で引き取られるまで文字すら読む事が出来なかったため、圧倒的に基礎教育が足りていなかった。さらには魔術学院入学のために試験用の勉強もしなくてはいけなかったのでこの二年半ひたすら詰め込むように勉強するしかなかった。
しかし学院に入ってからもうすぐ二週間ほど経とうとしている今……カナタはかなりゆったりとした時間を過ごせている。それもこれも特級クラスでは免除となる授業が多いからであった。
一級や二級の生徒は授業外では噂話などで楽しんでいるものの、いざ授業となれば午前も午後もそれなりに忙しそうにしている。
「毎日詰め込んで筆記一〇三位……なの?」
「そこは、その、元の頭が頭でして……」
「宮廷魔術師はぶっ殺せるのに筆記は楽勝じゃないとか、意味わかんない子だわ」
カナタに憐れみの視線を一度向けながら、シャンクティは改めてカナタの歪さを再認識する。
実技授業での模擬戦を間近で見たシャンクティからすると、どうやらカナタに勝つならテストを用意したほうがいくぶん楽そうだ。
「本来は聞く事もなくっていうのが理想なんだけど……まぁ、こうして素直に質問しに来るところが案外子供らしいというか、貴族らしくないところが気に入ったわ。
先生らしく生徒の質問に答えると、特級クラスはそれだけ厳しいってことよ」
「厳しい……?」
むしろ緩いと感じているカナタにとってはよくわからなかった。
ロザリンドに毎日詰め込まれた日々に比べたら学院での毎日には全く厳しさを感じない。
「人間ってのは誰かにあれやれこれやれとか、答えが明確な課題を出されたほうが楽で……それが普通だ。その普通が悪いわけじゃない。そうしたほうが力を発揮できる人間は多いし、成果を出せるのならそれも才能の一つだわ。
一級や二級のガキ共ならそうやって魔術師の道を目指して実力をちゃんとつけた後に自分をどう扱うか探ってもいいけど……お前らは特級クラス、特別扱いされるに足る人間である必要があるわ」
シャンクティは鞭を一振り。
ぴしゃっ、と毛皮に鞭が叩きつけられる音が響いた。
「特級クラスっていうのはすでに何らかの一芸がある連中か、他より一歩先を行けるほど自分で自分のモチベーションを目標やら憧れで保てる人間かのどっちか。
貴族としての
「だから、特別扱いですか?」
「そう、でも特別扱いってのはただ優遇されるだけじゃない。特別に扱われるってことは、特別な扱いを受けてない人間よりもわかりやすい結果を出したり責務を果たさなければいけない。
あなた達に基礎授業が免除されているのは、在学中に魔術世界に貢献するような成果を出させるための研究や調査の時間を確保させてあげてるってだけの話」
その話を聞いて、カナタは去年ロノスティコがセルドラに仕掛けた後継者争いのことを思い出していた。
公爵家の未来のためにと魔術が不得手だったセルドラを焚きつけようとして起こしたことだが……あれもまた公爵家の子という特別な立場だったからこその危惧だったのだろう。
あれもまた特別な立場ゆえにその責任を兄弟として果たそうとした結果の一つだ。
「だから授業が免除されてる時間は他の生徒がいない図書館で調べものをしてもいいし、こうして実技用校舎を利用しても何か実験してもいいってことですか」
「そういうこと。自分の魔術を研究する気もない、自分の一芸について調べようともしない、一年でただ授業を受けてるだけ……そんなのは来年から特級クラスにいる意味もないわね」
ようやく、シャンクティが厳しいと言っている意味がカナタにもわかった。
特級クラスに課せられている課題は一級や二級と違ってただ授業を受けていい成績を残すだけでなく、特級クラスにいる人間に足ることを証明し続けろということだ。
わざわざ説明はされず、しかし聞けばこうして教えて貰えるのは特級クラスの扱われ方が生徒と半人前の魔術師の間だからだろう。
確かに厳しい。自分で歩こうとしない者は魔術の世界では特別に値しないのだ。
鍛錬や反復など、日々の積み重ねこそが才能と呼ばれるがゆえに。
「特別扱いされる人間であるというのなら、この状況を利用してしっかり成果を出してごらんなさい。資料が豊富にあって、魔術を好き勝手できる環境があって、教師という質問をぶつけられる相手が歩いてすぐ見つかるこの魔術学院でね。大丈夫、あなた達にはまだ時間がいっぱいあるんだから」
最後の言葉はシャンクティなりのエールだった。
シャンクティはわざとらしい咳払いをすると、照れ隠しのように鞭で毛皮を打つ回数が多くなる。
あまりに単純な話だが、カナタはシャンクティのその様子を見てすでに信頼できる大人として見ていた。
「それじゃあ早速もう一つ質問したいことがあるんですが……」
「ええ、いいわよ。何?」
カナタとしてはさっきからシャンクティが何をやっているのかも気になっていたのだが、今日はそれを聞きに来たわけではない。
必要なのは学院について精通している人の正確な情報だ。噂とは違う。
「学院を徘徊してる大男について聞きたいんですが、何かご存じですか?」
「……それあなたの魔術に関係ある?」
「ギリギリ……あります?」
「大いにあってよそこは」
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