95.学院の噂

 特級クラスの実技授業を終えて、カナタの噂は瞬く間に広まった。

 当初流されていた女たらしという方向ではなく、実技一位に相応しい実力の持ち主として。

 この学院に通う生徒はほとんど貴族ではあるが、下級生はまだ十二歳から十四歳とまだ子供と言える年齢の生徒が大半だ。

 そのせいもあって噂をふざけた方向に誇張され、やれ正体は魔物だ、やれ滅んだ国の王族だ、やれ古代種の生き残りだの、カナタについての噂を話題の一つとして好き勝手楽しんでいる節もあるが……それもまた子供同士の娯楽の一つ。

 平民であっても貴族であっても、何かを面白おかしく騒ぎ立てたい気持ちは変わらない。学院では窮屈な社交界の振る舞いからも解放されるのでその反動もあるだろう。

 面白半分に噂を楽しむ下級生達は微笑ましいだけだが、上級生がカナタの噂を耳にしてどう動くかは……まだわからない。


「すっかり有名人ですね、カナタ?」

「言われたい放題ですけどね……ディーラスコ家と公爵家に迷惑がかからなければいいんですが……」

「ふふ、あのような可愛らしい噂なら全然問題ありませんよ」


 好奇の目から逃げるために入学早々、カナタ達は食堂は利用できていなかった。

 昼食の時間はルイが作ったサンドイッチを持って特級クラス用の空き教室か裏の森近くにシートを広げて昼の時間を過ごしている。

 今日は特級クラス用の空き教室だ。生徒達がいなくて静かで、日が少しだけ入ってきて心地がよい。


「今日もおいしいよルイ」

「でしょう!? 当たり前ですよ。カナタ様のは私の愛情が特に入っていますからね!」

「え、同じバスケットに入ってたけど俺がどれ取るかわかったの?」

「…………」

「何で目を逸らすの?」


 カナタとルイのやり取りにくすくすとルミナが笑う。

 最初はカナタとコーレナまで付き合う必要はないとカナタは言ったのだが、カナタがルミナの側近であることはすでに知られている。

 ルミナが一人で質問攻めにあうよりは、とコーレナも四人で集まるのを了承してくれた。


「ふふ、でも本当においしいですよルイ。私達に分までありがとうございます」

「とんでもありませんルミナ様」

「毎日毎日違う具材で……あなたの有能な部分を見ると、少し驚きますね」

「どういう意味ですかコーレナさん? 私はいつだってカナタ様の有能な世話係ですけど? 二年間、カナタ様の世話係を死守した実績があるんですけど?」


 心外なことを言われてルイはコーレナに詰め寄る。

 そんな互いの側仕えの仲睦まじい様子を見ながらカナタとルミナがサンドイッチを食べ終わると、次にルイとコーレナが昼食をとる番だ。

 一緒に食べてもいいのではとカナタは言ったのだが、どれだけ人目が無くても誰かに見られる可能性がある以上、主人と使用人が同じ時間に食べることはできないとルイは頑として譲らなかった。その点はコーレナも賛成で順番に昼食をとる今の状態になっている。


「……おいしいな」

「ありがとうございます。腑に落ちないような顔でなければもっと嬉しかったです」


 サンドイッチであーだこーだしているルイとコーレナを横目に、ルミナは気になっていたことを切り出した。


「それにしても、実技の授業の時のカナタには驚きました。まさかあのような魔術まで覚えてくるなんて……」

「ああ、あれですか? ほら、デナイアルに魔術を忘れさせられたじゃないですか? なので、ただ覚え直すよりはと思って第一域の魔術を色々作り変えてみたんですよ」

「驚きました……デナイアルと似たような魔術になってましたから」


 第一域の術式を改造すること自体はありふれた話である。

 第一域の魔術は魔術師を目指す上で最初に覚える術式であり、教本に載っているのもあって術式の改造がイメージしやすく、簡単な構造ゆえに自由に術式をいじることができるからだ。

 しかしそれを実用レベルまで改造できる者は少ない。

 正確には、やる意味が特にない。とっとと第二域の魔術を覚えたほうが早いと言われているからだ。


「一度見た魔術だったのでイメージしやすかったですから。それに透明な球体を作るってところが『水球ポーロ』と似ていたので同系統に持っていけるかなと……ただ数を増やすのが予想以上に難しかったので、時間かかりました」

「そこが一番単純に見えますが……」

「その単純さが問題というか……『水球ポーロ』って、出す水の球の数が術式の数で決まってるみたいなんですよね。だから出したい数の術式を一気に構築しないといけなくて……」

「つまり十個も……!?」

「はい、それを纏めて一個の魔術にするように重ねて重ねて……それこそサンドイッチみたいに。だから効率悪いんですよあれ」


 ルミナは驚愕でつい声量が上がってしまったが、同時に納得もしていた。

 実技の授業で見せたカナタの魔術の威力は明らかに第一域の威力から逸脱していた。ルミナはそれが不思議だったのだが、十個分の術式の威力と考えれば納得だ。

 単純に第一域の魔術が十倍にもなれば、第二域の攻撃魔術に相当してもおかしくはない。


「えっと……効率が悪いのに使ったのですか?」

「はい! せっかく覚え直したなら試したいじゃないですか!?」

「……っ。そ、そうですか」


 無邪気にそう言うカナタに、不覚にもルミナの胸が弾む。

 模擬戦の時のように余裕をもって大人びた姿を見せたかと思えば、時折こうして年相応の笑顔を浮かべる。

 カナタに恋心を抱く乙女にとっては反則的なギャップだ。

 日差しの温かさとは明らかに違う熱がルミナの頬に昇ってくる。


「でも、デナイアルの魔術のイメージは取り込めたのにデナイアルの魔術は使えないんですよね……」

「そうなのですか?」

「はい、頭の中に魔術滓ラビッシュから読み取った術式の欠片や名前は浮かんではいるんですけど……あの忘れさせる魔術が全く……。他との違いがわからなくて……」

「カナタの力は謎が多いですからね……」

「はい、魔術の名前がわからなくて唱えられないとかは前もあったんですけど……今回は唱えた時に名前を聞いてますし、魔術滓ラビッシュから読み取った術式の欠片もあるのに……」


 そう……カナタはデナイアルの出した魔術滓ラビッシュから術式の欠片を読み取ったものの、それを魔術として構築することができなかった。

 果たしてそれが何故なのか、カナタ本人にもわからない。

 学院長ヘルメスが言っていた似た力を持つというトラウリヒの老魔術師にでも聞けば何かわかるのだろうか。しかし、それが現実的ではないことくらいはカナタにもわかっていた。

 そのせいか、ため息の一つも出てしまう。

 そんなカナタを見て、ルミナはデナイアルのことを思い出す。

 出来れば積極的に思い出したくはない相手だが、カナタのためだ。


「その、少し思ったのは……ですね……」

「はい?」

「参考にはならないかもしれません、的外れなことを言っていたごめんなさい」

「自分でもよくわかっていない力なので、なんでも聞きたいですよ」


 ルミナは躊躇いがちに俯き、しかし少しでもカナタの力になれればと顔を上げる。


「私を閉じ込めた時デナイアルが得意気に言っていたのです。術式とは魔術を使う上での思考そのもの。使い手の認識が魔力を燃料に反映される……と……」

「はい」

「その、カナタと忘れさせる魔術の相性が悪すぎるのではないでしょうか……?」


 ルミナの話への興味でカナタは身を乗り出す。

 突然縮まった物理的な距離にルミナはつい体を引いてしまった。


「え、えっと……カナタは魔術師にとって捨てる物でしかない魔術滓ラビッシュにある術式の欠片でさえ大切にしていますよね……? そんなカナタが、術式を忘れさせる魔術を、その……振るっているところが私はイメージできないんです」

「……!」

「カナタは、たとえどんな相手であっても魔術を忘れさせようだなんて思わないでしょう?」


 おずおずとルミナに言われて、カナタの中ですとんと腑に落ちたような音がした。

 本当に言われてみればの話だったが、自分でも自分がそんな魔術を振るっているところが想像できない。きっとデナイアルのあの魔術は魔術滓ラビッシュも消してしまうだろう。そんな魔術を果たして自分は唱えるか?

 そこで、学院長ヘルメスに呼び出された時にされた話を思い出した。


「第四域からは個々の魔術師の"術式の解釈"によって使い手の思想や信条が混ざってオリジナルになる……なるほど、こういうことか……」


 つまり、第四域以降の魔術はカナタの思想や信条からあまりにかけ離れていた効果の場合……たとえ条件が揃っていても唱えられない可能性が高い。

 第四域以降の魔術は元の使い手が魔術に込めた思想や信条が強く反映されているがゆえに。

 唱えられない可能性が高くなったかもしれないというのに、何かカナタの中で魔術に対する認識が広がったような気がした。


「ありがとうございますルミナ様、とても参考になりました」

「ひゃわぁ!? お、お、お役に立ててよかったです!」


 カナタは勢いからかルミナの手を握って感謝を伝える。

 カナタにとっては普通にお礼を言っただけのつもりだったが、ルミナにとってはあまりに刺激が強い。

 そんなルミナをよそにカナタの中に新たな疑問も生まれた。

 ――なら、ルミナから読み取った失伝魔術は自分の想いと似通っていたのだろうか?

 こんな場所で話題にすることでもないので、カナタはその疑問を頭の片隅へと押し込んだ。


「おやおやぁ、仲良いですねぇ?」

「ルミナ様カナタ様、お待たせしました」

「じゃ、じゃあ戻りましょうか!」


 ルミナはつい二人に見られているのに恥ずかしがり、カナタの手を解く。

 自分から手を解いておきながらがっかりしているルミナの顔をコーレナは見逃さなかった。

 少し前まで男が苦手だったとは思えない主人の変わりっぷりが彼女にとっては微笑ましい。

 ルイが教室の扉を開けて、特級クラスに戻ろうとすると――


「きゃっ!?」

「縄をくれ……縄を……」


 丁度、ぶつぶつと何かを呟く大男が教室の前を歩いていて、ルイは驚いて尻もちをつく。

 二メートルはあるだろうか。制服を着ているということは一応生徒なのだろう。


「ルイ、大丈夫?」

「は、はい……大変申し訳ありませんカナタ様、みっともないお姿を……」


 ルイは驚いて少し肩を震わせながらもすくっと何でもなかったように立ち上がる。

 それでも少し恐かったのか、そっと大男が通り過ぎるのを待ってから廊下を恐る恐る覗いていた。

 

「びっくりしました……」

「察するに、あれが噂の……」

「ですかねぇ……」

「ん? 怪物?」

「噂?」


 ルイとコーレナは訳知り顔で廊下を歩く大男を覗いているが、カナタとルミナには何のことかわからない。


「あれ、学院の怪物・・の噂ご存じありませんか?」



―――――


お読み頂きありがとうございます。

いつの間にか閑話含め100話を超えておりました。ここまで書けたのも読者の皆さんが読んで下さっているおかげです、これからも応援よろしくお願い致します。

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