94.学生と魔術師

「第三域……!」


 誰かが驚愕の声を零す。

 それも当然、第三域はほとんどの魔術師の限界点。魔術学院を卒業する頃にようやく辿り着けるであろう領域。

 入学したばかりで第三域の魔術を扱えたともなればそれだけで飛び抜けている。

 第一域とは比べ物にならない魔力、第二域とは比べ物にならない規模。

 魔術の勢いに熱風が見学しているルミナ達の所にまで届いた。


 イングロールが火にいや、火炎に飲み込まれる。

 この実技用校舎でなければ命を心配する規模だが立会人であるシャンクティは腕を組んだまま動かない。

 彼女は、彼の異名を知っている。


「これが実技一位さんの切り札かい? いや、筆記一〇三位さんの限界かな?」

「……!」


 業火の中、平然としたイングロールの声が聞こえてくる。

 魔術を唱えた様子は無い。ならば魔道具か、それも違う。

 灯る人型の光は今まさに人を燃やし尽くそうとしている業火の中にあるとは思えないほどに優しく、そして生命力に溢れている。


 揺らめく炎の間から、無傷のイングロールの姿を見てカナタは目を見開く。

 燃えているはずなのに燃えていない。熱で焼かれているはずなのに無傷。

 緑色の光に包まれるイングロールの体はまるで火と一体化したかのように、自然とそこにいれるかのようだった。


「驚いたな。何だそれ」

「ほうら、眼中にねえじゃねえか。ようやく視界の中に入れる気になったかい?」


 ……かつて、森人エルフという古代種がいた。

 古い文献だけにその名を残し、魔術遺跡に描かれる人間とは違う魔術を使う種族の存在は様々な記録から実在したことを裏付けてはいるものの、今は人間の前に姿を現さない。

 潜んでいるのか、滅んでいるのかもわからず、彼等の使っていたとされる魔術を模倣した魔術系統だけが現在の魔術世界に組み込まれているのみ。

 その魔術系統こそが精霊系統。

 森人エルフは精霊と呼ばれる魔力生命体と共に生きる種族であり、精霊に愛され、守られていた。


 そして今から十三年前、シャーメリアン商業連合国にイングロールは生まれ落ちた。

 男爵家に生まれた男児に何故か宿った、かつて精霊と共に生きた古代種の特性。

 あらゆる精霊系統の魔術を術式無しで無効化し、そのまま奪う事の出来る森人エルフの加護。

 彼こそシャーメリアンに生まれた"領域外の事象オーバーファイブ"。

 精霊殺しの異名を持つ天才イングロール・シーヴィルその本領である。


「ほうら! 返すぜ!!」

「!!」

「ははは! どうした一位! 防いだぞ! 奪ったぞ! 負けを認めてその座を譲れやぁ!」


 イングロールにコントロールを奪われた『炎精への祈りフランメベーテン』の業火がそのままカナタを襲う。

 見学の生徒から歓声が上がった。

 カナタが第三域の魔術を唱えるのも驚くべき事態だったが、そのコントロールを掌握できるとなればインパクトはそれ以上。

 外野の印象は実技一位と二位、本当は実力が逆なんじゃないか一瞬だけ思わせた。

 イングロール自身も、今日までにカナタが使う第三域の魔術が精霊系統だと調べ上げてこの場に臨んでいる。そして理想通りの展開に心を躍らせていた。

 しかし、先に結末を言ってしまえば……彼の見せ場はここまでだった。


水球ポーロ

「あん!?」


 業火がカナタを呑み込む直前、カナタが唱えたのは第一域の魔術。

 しかしその巨大さは第一域とは思えない。

 巨大な水球と業火がぶつかり合い、じゅあああ、と音を立てて蒸気が舞う。

 本来なら相殺できるはすもない魔術同士だが、属性の相性差とカナタが使うよりも威力が落ちたことによって二つの魔術はほぼ相殺された。

 同時に、カナタの魔術が自分のコントロールから外れたのをイングロールは悟る。


「ちっ! 見えねえ!」

「"選択セレクト"――『水球みずたま』」


 カナタの声だけが届き、蒸気の中を浮遊する何かの影をイングロールは見た。

 一つ、二つ、三つ四つ五つ――十の球体の影。

 湿った空気の中にぷかぷかと浮かぶその光景は、まるで蒸気に映し出される水玉模様のようだった。


「丸見えだ」

「しまっ――」


 浮かぶ十個の球体から、光を纏って位置がばればれのイングロールに何かが飛ぶ。

 それは水の槍というべき鋭さで、蒸気をかきわけながらイングロールに突き刺さった。

 腕、腹部、足。

 イングロールに痛みが走る。実技用校舎でなければ血に塗れたであろう。


 十本の水の槍の勢いで、蒸気は晴れた。

 カナタの周囲に浮かぶのは十個の水の球。

 その一個一個はイングロールも唱えられる基本の魔術、第一域の『水球ポーロ』によく似ている。


「あ、あれは……」


 一瞬で形勢が逆転した中、ルミナだけはカナタの魔術に既視感を覚えた。

 似ている。デナイアルが使っていた十個の透明な球体を使う魔術に。

 まさかカナタは他の魔術から得た発想で、既存の魔術を改造しているのかと――。


「何だこれ……! 『水球ポーロ』なのか!?」

「まぁ、そんなもんだ」


 カナタが指を動かすと、十の水の球はその攻撃性を露わにする。

 水は形を変えてそのまま敵を刺す槍に。

 そのままカナタも水の槍に合わせて走った。


「くっ――!」


 イングロールは今さっき刺された痛みが頭をよぎって、後ろに下がってしまう。

 前述したように、イングロールは天才である。それは間違いない。

 しかしそれは訓練の上での話。机の上で語る上での話。

 魔術師として、誰かと魔術を本気で交えた経験があるわけではない。

 それでも、他の者が相手ならこんな風にはならなかったであろう。互いが使える魔術を発表して、新入生らしい初々しい戦いを披露できたはずだ。

 しかしイングロールの目の前にいるのは、本気の魔術戦を生き残っている魔術師カナタだ。


 ……競争とは成長に必要なこと。

 カナタが命を賭して競った相手はエイミーのように魔術を多少看破したくらいで得意気になったり、イグロールのように第三域の魔術をしのいだ程度で勝ち誇ることなどしなかった。

 ブリーナは当然のようにカナタの第三域の魔術を防ぎ、他者を見下すデナイアルですらカナタの未知を分析した程度で勝ち誇りはしなかった。

 イングロールのやったことは驚くべき事ではあったが、カナタにとっては一つの魔術が攻略されただけのこと。


「『火花ひのはな』」

「っ――!」


 魔術を唱えようとするイングロールの喉が干上がる。先程までの得意気な顔はもうどこにもない。

 向かってくる水の槍の向こうから走ってくるカナタは手を掲げ、その頭上に現れる巨大な花の形をした炎。

 何を唱えれば攻撃できるのか、何を唱えれば対抗できるのか。

 魔術を唱えることはあっても、魔術師の戦闘をしたことがないイングロールには知識を引っ張って来れる経験がない。


「そこまで。勝負あり」


 カナタが見せた多彩な魔術に、イングロールの戦意が消えたことを確認してシャンクティが模擬戦を止める合図を出す。

 ここからの逆転が無いのは明白。

 シャンクティの合図が聞こえて、カナタは掲げた手を振り下ろすのを止める。

 イングロールは後ろに下がろうとするあまり、その場にこけてしまった。

 自然と、座り込むイングロールに立っているカナタが視線を下ろす形になる。


「はっ……! はっ……! い、いや、まだやれる……まだやれた……」

「そうかもな」

「――――」


 負け惜しみを肯定されて、イングロールはがくりと力を無くす。

 カナタは息を切らしておらず、その瞳には余裕がある。自分が一瞬恐れた向かってくる姿ですらまだ本気でないことくらいはイングロールにもわかった。

 イングロールがカナタの第三域を封じれるからといって、それで勝てるわけではない。

 イングロールにとって第三域は切り札に見えるが、カナタにとっては取れる手段の一つでしかない。魔術はそれこそ数多くあり、既存の魔術に手を加えればさらに無限に広がる。

 彼の敗因はただ一つ、イングロールは学生でカナタはすでに魔術師だった。


「序列通りね……勝者はカナタ・ディーラスコ」


 見学した他の特級クラスの生徒にも圧倒的な差が手に取るようにわかる一戦。

 第三域の魔術に第一域の魔術を好き勝手に改造して使いこなす技術。

 同じ特級クラスではあるが、決してカナタと自分達が同格ではないことを思い知る。

 しばらくの間、この少年を超えるために学院生活を送らねばならないことを彼等は悟った。













 そして、カナタの噂はというと。


「聞いたか……? 噂の実技一位のカナタってやつ……同じクラスの子を丸焼きにしようとしたってよ……」

「わたくしは串刺しにしようとしたって聞きましたわ……」

「丸焼きにして串刺し……!? そ、それって……同級生を、た、た、た、食べるってこと……!?」

「化け物だ……化け物が入ってきちまったんだ……!」


 セルドラやエイダンの言う通り模擬戦を終えた後、確かに噂の内容は変わっていた。

 もう誰もカナタが女たらしなどと噂しておらず、カナタに対しての畏怖の感情と特級クラスに所属する他の面々への憐れみに満ちた内容へと。

 見事、カナタはその実力をもって誰かが流した不名誉な噂を払拭したのだった。その結果が本人にとって良かったのか悪かったのかは、置いておいて。

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