87.エピローグ -どうしたらの先をいつか貴方に-

「いやぁ、いい天気だ! 出掛け日和だな!」

「そうですね……」

「まさかお二人も付き合っていただけるとは思ってませんでした」

「気にするな、俺もロノスティコも暇になったからな! はっはっは!」


 車輪の音を立てて、公爵家から馬車が出る。

 馬車に乗っているのはカナタ含めて五人だった。

 護衛騎士として同乗しているコーレナ、気分転換の外出に上機嫌なセルドラ、とりあえず一緒に行動できることを嬉しいと思っているロノスティコ、そして複雑な思いで馬車の窓に力無く寄り掛かっているルミナだ。


「ですよね……二人でなんて期待したほうが悪いですわよね……」

「ルミナ様、お気を確かに……カナタ様が見ていることに変わりはないですよ」


 コーレナに小声で囁かれて、ルミナはぴくっと反応してすぐさま背筋を伸ばす。

 よく思われたい心情の表れだろうか、そのタイミングで丁度カナタと目が合った。


「ルミナ様も来ていただいてありがとうございます」

「もちろんです、カナタからのお誘いなんて嬉しいですわ」


 カナタに声を掛けられて、ルミナはすぐに笑顔に変わる。

 そこでようやく気付く。浮かれていて気にしていなかったが、今日は何をするに出掛けるのだろうか。


「おお、そういえばカナタ……今日はどこに行くんだ?」

「僕も聞いてないですね……」

「実は私もなんですが……」


 タイミングよくルミナの疑問と同じことをセルドラが問う。

 今回町へ出掛けるのに誘ったのはカナタのはずだが目的地も目的も聞いていない。


「教会の合同墓地です。身元不明の遺体はそこで弔われるらしくて、母さんに今までのことを報告がてら墓参りに行こうかと……ラジェストラ様からセルドラ様達を連れて行けば司祭の人に話を通しやすいだろうと教えて貰ったので伝言を頼んだんです。聞いていませんか?」


 まるでこの前の買い物のような気軽さでさらっと言ってくるカナタに、聞いていたルミナ達は一瞬声が出なくなる。

 三人だけでなく、同乗しているコーレラすらも完全に初耳な話で驚いた顔をしていた。


「そ、それを先に言えこの馬鹿! 御者! 目的地変更だ! 先に酒を買いに行くぞ! 手ぶらで墓に祈れるか!」

「お兄様、僕達はまだ……あ、コーレナさんに買わせればいいか……」

「お花! お花と花瓶も買いに行きませんと!」

「な、なんかすいません……」


 公爵家には毎年、共同墓地に祈りに行く催しがある。

 その際は静かに厳かな雰囲気で祈りに行くのだが……突然告げられたせいで馬車の中は墓参りとは思えないほど慌ただしい。

 どこか落ち着けないまま貴族街で供え物を買い終わると、カナタ達はそのまま教会へと馬車を走らせた。



 シェンヴェイラの町の教会は庶民街から少し離れた場所に敷地を構えている。

 トラウリヒ神国から広まったデルフィ教と呼ばれる宗教であり、スターレイ王国でもこうして認知されている。

 立派ながらもどこか素朴な建築様式の教会に到着すると、早速セルドラが司祭に話を通したかと思うとカナタ達はすぐに裏手の墓地へと案内された。

 庭のような場所に庶民街で亡くなった人の名前が彫られた墓石が並んでおり、そんな墓石をいくつも通り過ぎた奥に一際大きい墓石があった。

 特定の名前の代わりにデルフィ教の聖句せいくが刻まれており、この町で見つかった身元不明の遺体のために用意されている共同墓地である。


「本来、決まった催し以外で教会に寄るのは避けている。宗教と支配階級の関係は難しい……信じて救われる宗教という存在を、民衆に裏を匂わせてしまっては本当の意味を果たせない」


 四人が墓石の前に立つと、セルドラは買ってきた酒を墓石にかける。

 続いてロノスティコが花瓶を置いて、カナタとルミナは花束を差した。


「だが今回は特別だ。ここに眠る不特定多数の魂ではなく、ルミナの恩人に向けて祈ろう。ルミナの恩人であるのなら我等兄弟にとっても恩人だ。

ルミナを庇い、公爵家を救ってくれたカナタを生んでくれた偉大な女性に敬意と共に祈りを捧げよう」

「はい……」


 セルドラは目を閉じて、胸に片手を当てる。

 続いてルミナとロノスティコも同じようにして目を閉じた。

 カナタが後ろを見るとついてきたコーレナも同じようにしていて、カナタもそれを真似て同じようにした。

 心の中で、カナタは母と別れてから今までの出来事を報告する。

 カレジャス傭兵団との出会い、出来事。ラジェストラと出会い、ディーラスコ家に引き取られたこと、その毎日。アンドレイス家で起きた今回の事件に至るまで……こことは違う場所に行ってしまった母親に向けて。


「…………」


 一番最初に祈り始めたにもかかわらずカナタの祈りは誰よりも長く、セルドラとロノスティコが目を開けて、次にコーレナが、少ししてルミナが目を開けてもずっと続いている。

 ルミナはそんなカナタの横顔をずっと見つめていた。


「……さて、俺は司祭に色々話を聞いてくることにしよう。ロノスティコも来い」

「え? 僕も……あ、ああ! そういうことですね、わかりました」

「そうだ、空気が読める弟でなにより……じゃあルミナ。カナタのそれが終わったら連れて来い。教会で待ってるぞ」

「はいお兄様」


 セルドラとロノスティコは心なしか少し早足でその場を去る。

 残されたのはカナタとルミナ、そして背後に立つ護衛騎士のコーレナ……コーレナは葛藤の末、自分もこの場を少しだけ離れることにした。


「ルミナ様、私は少し墓地の見回りをしてきます」

「コーレナも……?」

「カナタがいれば大丈夫でしょう。視界に入るくらいの距離です、遠くには行きません」


 コーレナは共同墓地に向けて一度頭を下げると少し離れた場所まで歩いて行った。

 話し声が聞こえないくらいで、しかし互いの姿は見えるような距離。

 ルミナは小さく見えるコーレナのほうに小さくてを振ると、視線をカナタへと戻す。


「…………」

「…………」


 祈るカナタ。見つめるルミナ。

 時間がただ過ぎていく。

 母親と別れた時からの人生を全てを思い出しているかのような長い間、カナタは目を閉じていた。

 その表情が穏やかであることがルミナにとっては嬉しかった。

 自分が目を閉じていた時も、こんな風に祈れていただろうか。


「ふう…………あれ」

「おかえりなさい、カナタ」


 カナタが目を開けるといるのは隣のルミナだけ。

 きょろきょろと周囲を見ると、遠くにコーレナだけが見えている。


「セルドラ様とロノスティコ様は?」

「司祭さんとお話してくると教会のほうへ行きましたよ」

「そうですか、待たせてしまったみたいですね」


 カナタは申し訳なさそうに笑うもすぐには動かず、墓石を見つめ続けていた。

 二人の間に少しだけ無言の時間が流れて、カナタをじっと見つめていたルミナは何か話そうと話題を探した。


「あ……その、カナタ……あの時の戦いで忘れたという魔術は、どうだったのですか……?」

「ああ、その事ですか。戦いの後に拾った魔術滓ラビッシュで色々取り戻せはしたんですが……覚えた第一域の魔術も半分くらい忘れてたり、自分で書き換えた魔術も全部忘れてたりで元には戻りませんでした」

「そう、なんですか……」


 カナタはデナイアルの切り札である第四域によって自分が使える魔術の半分以上を失ってしまった。

 魔術滓ラビッシュを使っていくつかは取り戻せたものの、完全には元には戻っていない。

 術式がカナタ用に洗練され始めていた『炎精への祈りえんせいへのいのり』と『虚ろならざる魔腕うつろならざるかいな』も、今はもう唱えられない。

 魔術師にとって自分の魔術が使えなくなることがどれほど辛いか想像して、ルミナはその顔に影を落とす。


「魔術学院に入る前には戻せるようになりたいんですけど、後半年なのでどこまで戻るか……まぁ、頑張ります」

「ごめんなさい、私のために……カナタがこの二年間、やってきた魔術の勉強が無意味に……」

「いえ、それは違いますよ」


 そんな状態になったというのにカナタは心の底から笑ってみせた。

 魔術を忘れた事に対しての辛さや後悔ななど彼の中には欠片もない。


「俺が色んな魔術を忘れたとしても、今までやってきたことがなかった事になるわけじゃありません。

ダンレスから傭兵団のみんなを守ったことも、ブリーナ先生に魔術の基本を教えて貰ったことも、倒したことも、狩猟大会でセルドラ様達を助けたことも、そしてルミナ様を救えたことも……全部俺がやってきたことで、俺の中に確かに残っています」


 たとえ自分があの時唱えた魔術を今は忘れてしまったとしても、今までやってきた経験と記憶はカナタの中に確かにある。

 いつものように戦場から拾ってきた魔術滓ラビッシュを眺めていた夜、突然手に入れてしまった魔術から始まった今日までの日々が……なかったことになるわけじゃない。

 心からそう思える今の自分が、カナタにとっては誇らしかった。

 

「また一から取り戻さなきゃいけなくなったけれど……でも、俺が今までやったことは無意味なんかじゃない。今日こうやって、母さんに全部報告できたんですから」

「――っ」

 

 そんな風に言えるカナタが、ルミナにはあまりに眩しく見えた。

 これは自分がカナタに惹かれているからなのか。いいや、それだけではない。

 それは時折見ることのできる、星よりも眩しい人の輝き。

 ルミナはそんなカナタの笑顔に見入って、より一層……恋慕の想いが燃え上がる。

 締め付けられるように胸が苦しくて、泣きそうになるほど愛おしい。

 一秒前よりも今、惹かれ続けていることを自覚して……気付けば声が出てしまう。



「どうすれば――」



 ――あなたとずっと、一緒にいられますか?



「どうすれば……なんです?」

「あ、え、えっと……」


 溢れかけた想いと問い掛けは何とか途中で止められたようで。

 ルミナは誤魔化すようにして続きを考えた。


「か、カナタのように強くなれますか?」

「まだまだです。それに、ルミナ様ならなれますよ。あの時、俺の手を迷わずとって……助けてくれたでしょう?」


 そんな問いにすら真剣に答えてくれることが愛おしかった。

 ルミナはカナタに手を握られたことを思い出す。

 あの時の熱が、不安も悲しみも溶かすような温もりが蘇って、ルミナの頬を徐々に染めていった。


「ルミナ様、顔が……ま、まさか冷えて風邪を……!?」

「ち、違います……夕焼けです……!」

「まだ昼ですけど……」

「私のところだけ夕焼けなんです!」

「そんな現象あるんですか!?」


 ――今は自分にとってあなたが特別なだけだけど、いつかあなたにとって自分が特別になったらいいな。

 風が冷えてきた冬に差し掛かる前のなんでもない日、まだ明るい空にぼんやりと浮かぶ薄い月にルミナは願う。


「また来るよ、母さん」

「また来ます、カナタのお母様」


 笑顔で墓石を後にして、カナタとルミナは並んで歩く。

 過去に感謝を置いて、子供達は未来へと。

 人がいなくなった墓石に寂しげな翳りはなく、供えられた花が風で舞う。

 今を生きる子供達へ目一杯の祝福を送るかのように。



―――――


いつもお読み頂きありがとうございます。

これにて第三部後「彼方への讃歌」完結及び幼少編終了となります。

自分への戒めとして第三部後が終わるまでコメントやレビューを見ないようにしていましたが、ようやく解禁できます。

よろしければこれを機に応援、レビューなど是非お願いします。ここまでの感想とかも歓迎です。むしろここまでの感想が一番知りたいです。


少し幕間を更新し、一週間ほどお休みを頂いた後に第四部の更新を開始します。第四部からは魔術学院編となりますので、皆様これからも応援よろしくお願い致します。

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