幕間 -護衛騎士の迷走-

 どこからか戻ってきた彼の左腕は滅茶苦茶だった。

 肩は抉れ、手足の肉は削られて、致命傷だけを避けたボロボロの体。

 彼はルミナ様と全てが終わったことに微笑んでいたけれど、彼の傷を一つ見る度に私の胸の奥では刺すような痛みが走った。

 新人だった時と同じだ。私はルミナ様の危機に間に合わなかった。

 今回も同じだ。彼だけが、ルミナ様の危機に駆け付けて、救ってくれた。

 私が、ああなるべきだったのに。

 私が、守らなければいけなかったのに。

 私が……あの日、ルミナ様を庇うべきだったのに。

 結局ルミナ様を救ったのは今も昔も護衛騎士の私ではなかった。

 ……胸を刺すようなこの痛みは恐らく、罪悪感というものなのだろう。



「というわけだカナタ様! どうか私に背中を流させてくれ!!」

「うおああああああ!?」


 服を脱いで私が湯殿ゆどのに突撃すると、湯浴みをしていたカナタ様が急に奇声を発しながら体を隠した。

 ……一体どうしたというのだろうか?

 私もカナタ様も湯に入るのに当たり前の格好をしているだけだというのに、カナタ様は耳を赤くしながら後ろを向いたままだ。


「ちょっ!? え!? あれ!? 俺、時間間違えました!?」

「何を言っているんですか。今は君が入る時間で間違いありません」

「じゃあコーレナさんが何やってるんだって話になるでしょ!」


 なるほど、時間外の私が入ってきたことに驚いているわけだ。

 私やルミナ様の時は洗ってくれる使用人が一緒に入ることが当たり前だが、カナタ様はどうやらそうではないらしい。


「カナタ様は先日の戦いで腕を固定したままでしょう? ですから、私が代わりに背を流しにきたのです」

「理由喋る前にまず前を隠してください!」

「カナタ様、湯では裸になるものだと知らないのですか……?」

「これ俺が間違ってる!? 俺が間違ってます!?」


 こちらの様子をちらちら窺うカナタ様のあの顔色はまさか。

 もうのぼせてしまっているのか、そう考えている最中、背後からどたどたと誰かがこちらに走ってくる音がした。


「カナタ様の可愛らしくも男らしい勢いの悲鳴にルイ参上! カナタ様、一体どうし……きゃあああ!! コーレナさん何してるんですかあなた!?」


 湯殿ゆどのに駆け付けたのはやはりカナタ様の世話係のルイだった。

 カナタ様の悲鳴にすぐさま駆け付けるのは流石というべきか。万が一の不審者に備えて箒で武装している点も好感が持てる。


「ルイ! コーレナさんを外に出して! お願い!」

「ひゃあ!? カナタ様も何て格好してるんですか!?」

「ここ風呂だよ!」

「あ、そっか。興奮してつい」


 ルイは私を見つつも、顔を赤くしながらカナタのほうに視線をちらちらやっている。

 ……なるほど、のぼせているかもしれないカナタ様が心配なのかもしれない。いつ何時も主人の下に駆け付ける、これが真の忠臣か。

 しかし、誤解は解かなければなるまい。


「落ち着けルイ。私はただカナタ様の背を流したいだけなんだ」

「なにが落ち着けですかこの痴女騎士! そんなの私がやりたいくらいですよ! 私でさえカナタ様と一緒にお風呂入ったことないのに!」

「ルイ?」

「私だってカナタ様のお背中を流すことを口実に色々うぇへへ……じゃなくて! カナタ様がご迷惑しています! 出ますよ! うわっ、力強っ……この筋肉痴女騎士め! おっぱいだけじゃなくてその腹筋もアピールポイントとでも言いたいんですかこらあ!」


 ルイが私を引っ張るも、当然私を動かせるはずもない。装備はなくとも私はルミナ様の護衛騎士、女の使用人一人でどうこうできるやわな鍛え方はしていない。

 だがルイの言葉は一つ、今の私には思い切り突き刺さった。


「め、迷惑……なのか?」

「はい!」

「そ、そう……か……」

「きゃあああ! 何をやっているんですかコーレナ!!」


 結局、騒ぎを使用人から聞いて駆け付けたルミナ様の命令で私は湯殿から退散せざるを得なかった。

 騒がせてしまったことを周囲の使用人や騎士達、ラジェストラ様にも謝罪し終わると私はルミナ様に改めて呼び出されてしまった。





「あなたという人が一体どうしてこんな事をしているのですか……」


 ルミナ様はどうやら今回の騒ぎのために客間の一つを借りて私の釈明を聞いてくださるようだった。当然服は着ている。

 ルミナ様の隣では湯浴みを終えて髪が少し湿っているカナタ様とこちらを威嚇するようにがるがる言っているルイも同席している。

 こんな事は本人に話すべきではないかもしれないが、こうなっては仕方ない。


 私は先日の事件で護衛騎士でありながらルミナ様を救いに参上することすらできなかった自分の情けなさをまず語った。

 そして過去にカナタの母がルミナ様を助けた時のように、今回もまたカナタにその役目を追わせてしまった罪悪感からカナタに礼として何かしたかったことを話した。


「カナタ様のお母様って……そうなんですか……?」

「あ、そっか。ルイは知らなかったね」

「はい……カナタ様と一緒で立派な御方だったんですね」

「はは、ありがとうルイ」


 カナタ様とルイの会話で私はまた間違えてしまったことに気付く。

 自分のことでいっぱいで、事情を知らないものに触れにくい過去を話してしまうとは。

 カナタとルイの関係がいいからよかったものを……情けない騎士だ私は。


「カナタ様は先の戦いで左腕がまだ使えません……なので、体を洗うのは難しいかと思いまして、日常生活の手伝いからせめてもの礼をと……!」

「あ、そういうことだったんですねあれ……」

「行動が飛躍し過ぎです……」

「カナタ様の日常生活はこのルイがお支えするに決まっています! がるる!」

「そう、か……言われてみれば、そうだな……」


 恐らくは、私の行動はありがた迷惑というやつだったのだろう。

 今のカナタ様の不自由は私のせいだ。私が受けるべきだった傷だ。

 ならば、その不自由を少しでも解消しようと思ったのだが……カナタ様には不要らしい。恩を返すというのはこれほど難しいのか。

 カナタ様は謝罪としてお金はいらないと言った。謝罪する必要すらもないとも言った。

 もう、どうやって恩を返せばいいのか私にはわからない。私から彼に渡せるものなどないのだろうか。


「そんな事を言うのなら、一番何かを返さなければいけないのは私です……コーレナは昔の私に振り回されただけなんですから」

「いいえ! いいえ! 仕えた方の命令にただ盲目に従い、町での注意事項を進言しなかった上に一瞬でも目を離してしまった……あれは私の落ち度です!」

「それに、デナイアルの空間はカナタでないと……お父様ですら無理だったのです、あなたが責任を感じる必要はありません」

「いいえ! それでは護衛騎士の意味が! 無理でも何でも私はあなたの下に行かなければならなかったのです!」


 私の罪悪感を晴らそうとしてくれるルミナ様と晴れない私の責の奪い合い。

 こればかりは譲れないと私はルミナ様の言葉に意を唱えた。

 互いに譲らず、どうしたものかとルミナ様が言葉を選んでいる中、


「えっと、そもそも二人に勝手に責任を感じられても困るといいますか……」


 ルイに髪をわしゃわしゃと拭いて貰っているカナタ様は困り顔でそう言った。


「何か俺の母さんがルミナ様を庇ったことと今回の俺の怪我とかを関連付けて責任を感じてしまっているみたいですけど……俺も俺の母さんも誰かの人生の付属品ではないですし、俺の母さんだって俺の母親であることが全てじゃありません。

母さんは一人の人間として人生をまっとうしただけなんで……勝手に責任を感じられても……普通に困ります……」

「こ、こまる……か……そうか……」

「俺がルミナ様を守るために走ったのも俺が選んだことです。俺はコーレナさんの代わりにルミナ様を守ったんじゃなくて、俺が守りたいからそうすることを選んだんですよ」


 あまりに純粋で、残酷にも聞こえる言葉だった。

 罪悪感を抱く私に何も求めず、関係無いとまで彼は言い張る。

 自分が選んで得たものも負ったものも誰にも背負わせようとせず、自分で背負おうとする意思。

 その責任ある言葉に、私はカナタ様の価値観と意思に少し触れた気がした。

 二年の付き合いはあるものの、ここまで芯のある少年だとは思ってもみなかった。

 何て耳が痛い。年上である私の今回の独りよがりは彼の言葉と比べてるとあまりに幼稚なものだ。


「申し訳なかった……私ごときがカナタ様に私の代わりにやってくれたなどと……。これではカナタ様を侮辱しているようなものだな……」

「いえ、そんな風に思わないで欲しいです……自分は側近候補でコーレナさんは護衛騎士なんですから、どちらかが出来ない時はどちらかが頑張ればいいと思います」

「気まで遣ってもらって……どちらが年上かわかったものではないな」


 罪悪感からの小手先の礼や詫びではカナタ様に失礼にあたるに違いない。

 どうやら彼に礼をしたいのであれば、それなりの覚悟が必要なようだ。


「色々と暴走したようで申し訳なかった。今回の騒ぎの詫びになるかはわからないが……どうだカナタ様、そちらにとっては不本意とはいえ肌を見せてしまった仲だ、あなたが叙爵じょしゃくした暁には私を嫁に迎えるというのは? 少し年上ではあるが、容姿は中々のものだと思うぞ」

「え?」

「何言ってるんですかあんた!!」

「絶対ダメです!!!」


 今出せる私の覚悟はルミナ様の大きな声に却下される。

 どうやら、私自身でもカナタ様の礼には相応しくないらしい。

 であればカナタ様の言った通り、カナタ様が何かできない時……私ができる私自身の責を果たすことこそが彼にとっての一番の礼になるということなのかもしれない。

 そう思い始めたら迷走していた自分がやるべきことが少しだけはっきりしたような気がした。

 人は誰かの人生の付属品ではない……確かにそうだ、と当たり前のことに気付かされたのだった。



―――――


お読みいただきありがとうございます。第三部のエピローグ後のお話でした。

次の月曜日から第四部の更新を開始します。応援よろしくお願い致します。

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