86.幸せのために

「フロンティーヌ夫人、今日は調子がよさそうですね」

「ええ、あなたのところのカナタくんのおかげでもう体調不良でいる必要もなくなりそうだもの……はー、健康っていいものね」


 平和となったアンドレイス家で、今日は女性だけのお茶会が開かれる。

 小宮殿は修復中なので城のドローイングルームで身内だけの席……お茶会と言うよりはティータイムと言うべきだろうか。

 参加者はロザリンドとフロンティーヌ、そして二人を招待したルミナの三人。お付きの者もフロンティーヌの専属使用人とルミナの護衛騎士コーレナが壁際に待機しているだけと本当にこじんまりとした席である。


「カナタのおかげというのは、どういう意味ですかお母様……?」

「うふふ、あなたのお友達に初めて出会ったから、それで元気が出てきたってことよ」

「そう、なんですか……?」


 自分の母フロンティーヌのどこかはぐらかしたような話にルミナは首を傾げる。

 ルミナを社交界に極力出さないためにフロンティーヌが毒を飲んでわざと体調を崩し続けていたことは、ラジェストラやカナタ含めて一部の人間しか知らない。

 そんなことはこれから幸せになっていく子供達も知らなくてよいことなのだ。

 大人が子供を守るために動くのは当然のことなのだから。


「こうして娘とお茶をするなんてどれくらいぶりかしらね……」

「私も嬉しいです、お母様」


 フロンティーヌはカナタという抑止力によってそんな事をしなくてもよくなったことに喜びを感じていると同時に、母として子を守る必要が無くなったことを少し寂しくも感じていた。

 フロンティーヌから慈しむような視線を向けられて、ルミナは少し照れてしまう。


「それでルミナ様、こういった席を設けてのご相談とは一体なんでしょうか?」

「そうそう、聞きたいわ」


 今日二人を招待したのはルミナ。

 デナイアルが起こした事件から一ヶ月ほど経っており、季節も秋から冬になりかけている。

 アンドレイス家も落ち着きを取り戻す中、相談と称して今回のお茶会に招待された二人としては気合いの一つや二つ入るというもの。

 事件の恐怖や精神的な不安、何にでも寄り添う気構えでいた。


「あ、の……その、お母様もロザリンド夫人もお父様やシャトラン様と夫婦仲がとても良好ですよね……?」


 俯きがちにそんな質問をするルミナに、ロザリンドとフロンティーヌは顔を見合わせる。

 ロザリンドは驚愕に目を見開き、フロンティーヌは相談の内容が想像ついて口元を緩ませて。


「どうでしょう、鼻を殴ったばかりなので今はいいとは言えないかもしれません」

「え?」

「まぁ、悪くはないと思いますよ」

「お母様も、ですよね?」

「こんな事を実の娘に言うのは照れちゃうけれど……そうねぇ、悪くはないわね。けれど、どうして?」


 ルミナの相談内容は想像ついているが、あえて聞くフロンティーヌ。

 ルミナはカップの持ち手をもじもじとさせて、頬を染めていた。


「その、男の人に……好きになってもらうには、どうしたらよいでしょうか……。お二人のような淑女レディを目指そうとは思っているのですが、それだけではなく……」

「まぁまぁまぁ! まぁー!」

「まさか恋愛相談とは……予想しておりませんでしたね」


 フロンティーヌは娘からの恋愛相談に喜びの声を上げ、ロザリンドは真剣な様子でティーカップを置く。

 壁際に立っているコーレナも興味があるのか、涼しげな顔をしているが聞き耳を立てている。

 もちろん、ルミナの想い人は言うまでもないだろう。


「まずは今のままでは結ばれるのが許されないという所ですね、ディーラスコ家はエイダンが継ぐのでカナタは爵位を受けることができません。公爵家はセルドラ様かロノスティコ様が継ぐでしょうから婿入りもできませんし、ルミナ様に嫁入りするにはカナタに貴族としての基盤がなければなりません」

「大丈夫よー、カナタくんは宮廷魔術師を倒してしまったのですからいずれ爵位くらい軽く貰えるわ」

「しかし子爵や男爵程度では公爵家の子女との釣り合いが……」

「大丈夫大丈夫、カナタくんならぱっぱと功績立ててすぐ伯爵ぐらいに陞爵しょうしゃくしちゃうんじゃないかしら?」

「まだ相手が誰か言っておりません! 合ってますけれど!」


 顔を真っ赤にしているルミナをよそにカナタについてを語る二人。

 決してからかっているわけではないが、初々しい恋の相談ということでロザリンドもフロンティーヌもそれなりにテンションが上がっているようである。


「母であるわたくしが言うのもなんですが、カナタは基本的なエスコートや知識はまだまだなものの、それなりに紳士に育てましたから……地道に関係を深めていくのが近道かと。宮廷魔術師を制した噂で縁談の話もいくつか来るでしょうが、わたくしが根回しして断るようにしておきましょう」

「ロザリンド夫人……!」

「安心してください、今のシャトラン様はわたくしに頭が上がりません。このような頼みの一つや二つ聞いてくれるはずですよ」


 カナタの義母ははという味方を得て、ルミナはぱあっと表情が明るくなる。ロザリンドの笑顔はあまりに頼もしい。

 一方、ロザリンドもただ親切でルミナの手助けをしようとしているわけではない。

 デナイアルを倒したなどという話が広がれば、カナタを婿入りさせようとする家が各地からこぞって現れるだろう。

 ロザリンドとしてもカナタを下手な家に婿入りさせたくない。断るにしても、家を継げないカナタへの縁談を理由なしにいつまでも断り続ければ、いずれどこかで軋轢あつれきを生んでしまう。

 しかし公爵家の子女の願いとあらば断り続ける理由としては十分だ。なにより今回のパーティーでカナタがルミナのエスコートをしている姿は多くの人物に見られているので違和感もない。ロザリンドにとっても好都合な話なのである。


「それにしても、ルミナがこんなに積極的に相談するなんて……少し、変わった?」

「……そう、かもしれません」


 フロンティーヌに言われて、ルミナは自分の変化を自覚する。

 そもそも男性に触れられるのが苦手だった自分がこんな風に相談するなんて、少し前までは思ってもみなかった。


「図々しいのはわかっています……けれど何もせずにカナタを諦めたくないと強く思ったんです。

カナタは、言ってくれました。救われたのなら幸せになれ、と……私はカナタに嫌われても仕方ないくらいなのに、カナタは本気で私を心配して、幸せになれと言ってくれて……そして命懸けで救ってくれました。あんな人、きっともう現れません」


 時間が経っても、この体と心が彼の言葉と温もりを覚えている。

 自分を守ってくれる背中の頼もしさも、血塗れになりながら戦う勇敢さも、自分を見つめる優しい眼差しも、握られた手の大きさも、痛いくらいに抱き締められた時の力強さも全部全部焼き付いていて、



「こんなの、好きにならないはず……ありませんよね?」



 全く知らない空間に閉じ込められたなんてトラウマになるような事件を、カナタは初恋の思い出へと変えてくれた。

 本当の意味で自分の全てを救ってくれた男の子に、ルミナは胸を高鳴らせる。

 カナタのことを考えて潤む瞳とうるさいくらいに聞こえる鼓動、そして止まらぬ熱がルミナの想いを物語っていた。


「あらあら、ラジェストラ様になんて説明しようかしら」

「そもそもカナタにエスコートさせて男避けにしようとしていたのですから、こういった形になっても文句は言えないでしょう」

「それもそうね! そもそもラジェストラ様がきっかけだもの。文句を言うほうがおかしいわよねぇ! それに、カナタくんなら私も大歓迎! とってもいい子だったもの!」

「あの子、どんな子が好みなのか……わたくしでも全く想像がつきませんね」

「そうなんです! なのでその点もお二人に相談したくて……」


 ルミナの恋の話に花を咲かせて弾ませる中、ドローイングルームがノックされた。

 ルミナ達はカナタの好みという謎に考察を巡らせていて気付かないが、護衛騎士のコーレナが代わりに対応する。

 ノックしたのはアンドレイス家の使用人の一人で伝言を伝えに来たようだった。 

 コーレナは伝言を聞いて、すぐさまルミナの近くまで寄って跪く。


「とはいえ、カナタくんの気持ちもあるからやっぱり惚れさせるのが一番よね……ああ、いいわねこういうの! 政略結婚にはないどきどきがあるわ、娘の恋なのに私ったら年甲斐もなくはしゃいじゃってごめんねルミナ」

「いえ頼もしいですお母様! ロザリンド夫人も!」

「ルミナ様、そのカナタ様からのお誘いのようですよ」

「!!」


 話の合間に入ってきたコーレナが発したカナタという声にルミナは勢いよく振りむく。

 噂をすれば、どころではない。ルミナは別にカナタが見ているわけでもないのに何故か背筋をピンと伸ばした。


「どうやら、近々町に出かけようというお誘いのようです、今しがた伝言を預かりました。返事はいかがなさいましょう? すぐにお決まりでしたら今来た使用人に返事の伝言を持たせますが」

「そ、それは俗に言う……! お、お茶会が終わり次第、す、すぐに用意を!」

「ルミナ様、近々です近々。今日ではないと思います」

「ルミナったらいい感じにお花畑になって……若いっていいわねぇ」

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