82.彼方への讃歌

「一か八か……そんなの、最初からそうだったよな」


 この選択が果たして正しいのか迷っている暇はない。

 けれど、これしか可能性が見当たらない。

 カナタはそう呟いて懐から抜いた何かをデナイアルに投げつけた。


「今更、短剣など……」


 デナイアルに向けて投げられたのは一本の短剣。

 無論、デナイアルに辿り着く前に一本の光線が弾く。

 カナタはすぐさま振り返ってルミナのほうへと走りながらもう一度、懐に手を入れた


「え? え?」

「何度やっても同じですよ。それとも、ルミナ様の陰にでも隠れる気ですか?」


 デナイアルは背後の女性の仮面と周囲の球体を待機させる。

 何を出それようとも迎撃の準備は万全。先にカナタの手札が尽きるのは明白。

 しかし、カナタが懐から出したのは短剣ではなく一本の巻物だった。


「ルミナ様! こっちに!!」

「スクロール!?」


 カナタは町でセルドラ達に買ってもらったスクロールに魔力を込める。

 前日に一日かけて術式を刻んだスクロールから出てくるのは先程カナタの背中から生えていた黒い腕。

 カナタとルミナの盾になるように黒い腕はスクロールから生えて二人を隠す。

 この魔術はデナイアルの魔術に勝てはしないが、時間稼ぎは出来ると確かめたばかり――!


(スクロールは魔力を籠める事で魔術を起動させる……! スクロール自体が魔術ではないのを逆手に……!)


 デナイアルの空間に入る際、事前にかけられている魔術は全て弾かれる。

 しかし、スクロールは術式が刻まれているだけであって厳密には魔術ではない。

 空間内で起動すればその魔術は成立する。デナイアルが魔術契約書を持ち込んで書かせようとしたように。

 黒い腕の背後に隠れたカナタはルミナの手を取って引き寄せた。


「きゃっ!」

「ルミナ様、時間が無いので簡単に俺がする事を言います。これからあなたの失伝魔術を俺が読み取って使います」

「え――?」


 ルミナは失伝魔術がどんなものなのかについて一切をラジェストラから教えて貰っていない。

 自分が"失伝刻印者ファトゥムホルダー"だということを知っていても、それ以上の詮索は許されず、ルミナ自身も知ることを避けていた。リスクもデメリットも知らず、自分で唱えたこともない。

 当然カナタが知っているはずもなく、カナタが賭けに出ているということはすぐにわかった。

 いくらカナタが魔術滓ラビッシュから術式を読み取れるからといって、その発想は飛躍し過ぎなのではないか……ルミナは一瞬そう思ったが、



「信じて、ルミナ様」

「――はい」


 

 カナタの瞳を見て、問うよりも先に頷いていた。

 それは先程デナイアルに言われたのと同じ言葉。

 同じ言葉のはずなのに、何故彼の言葉はここまで温かいのか。

 ああ、わかっている。

 誰かのためとうそぶきながら自分のための言葉を吐く宮廷魔術師と、自分のためと言いながら誰かのために動く目の前の少年。

 同じ言葉でも天地ほど違うのは言うまでもない。

 カナタの言葉を聞いて迷いなく、不安もなく、ルミナはカナタの手を握る。

 この後どうなるとしても後悔しないように、カナタを信じることを選んだ。

 手の熱が互いの存在を伝えあって、先程ぎこちなく踊った時の一曲が無音の空間に流れてきたような気がした。


「このような時間稼ぎで――!!」


 デナイアルの周囲の球体から十の光線が放たれる。

 それは記録ごと敵を削り取り、他者の覚えた術式を消滅させる魔術師殺しの無の光線だが――今はそれが足枷となってしまう。

 ルミナに直撃させてはいけないとデナイアルは無意識に威力を抑えてしまった。

 スクロールから生える黒い腕はその攻撃的な見た目を捨てて防御にてっし、カナタとルミナを抱擁するように守り続ける。

 その数瞬の間にカナタとルミナは手を握り合ったまま互いを見つめていて――



「……」

「……」



 ――最期を共に過ごすような穏やかさで時の狭間を一瞬で駆けた。



「"開け魔のきざはし、我が瞳にそらへの鍵あり"」


 ルミナはカナタの手を強く握りながら歌を紡ぐ。

 銀色の瞳に魔力が灯り、カナタへと伝わる。


「"神はおらず、時は遠く、人は地に"」


 ルミナの手と瞳から受け取って、カナタが続ける。

 その瞬間、ルミナの手を握っていないほうの腕から血が噴き出した。

 先程腕に受けた傷がまるで悪化したように魔力と一緒に赤い液体が飛び散る。

 だが、もう後戻りなどできない。しない。


「"我等は闇を歩む者、されど地に伏す者ではなく"」


 カナタからルミナへ。


「"闇を見つめず星を仰ぎ、共に歩む隣人に触れよ"」


 ルミナからカナタへ。

 魔力と意思の籠った二人の声はデナイアルにも届く。


「まさか……いや、出来るはずがない……! あんな子供に、いくら"失伝刻印者ファトゥムホルダー"だったとしても!!」


 十の光線がついにカナタのスクロールから生えた黒い腕を破壊して、スクロールを燃やし尽くす。

 これでカナタの切り札は消えた。後はカナタが見つけた可能性のみ。

 その可能性すら排除しようとデナイアルは狙いを定める。

 黒い腕に隠れて詠唱していた二人の姿は盾が消えて恐怖に怯えていることだろう……そう思ったデナイアルが見た二人の姿は。


「な、ぜ……」


 自分という魔術師を前にして安心しきった表情で互いを見つめ合っていた。

 この場において圧倒的な強者であるデナイアルのほうに視線を向けることなく、その声に一切の恐怖もない。

 ルミナはカナタを信じて、カナタはルミナの信頼に応えるように潜んでいる何かを探り続けていた。


「"進め子らよ。万世不変の光が如く、人と共に在ろう"」

「"昇れ子らよ。運命などそこにはなく、願いを灯す未来の果てまで"」


 デナイアルの放つ一本の光線がカナタへ。

 カナタは詠唱と共にぐちゃぐちゃになった腕を盾にする。

 削がれる皮膚と肉。自分の中から消えていく術式。

 けれど、手繰り寄せたそのだけは決して消えることはない。



「「"共に在りし皓皓こうこうたる星よ、歩みを止めぬ我等に今"」」



 それはただ魔術を作り上げる術式ではなく、後世へと繋げる歌。

 過去から今へ。

 今から未来へ。

 人々の幸福を未来永劫願い続ける――彼方への讃歌。



「「【人よ謳え、月虹の麓へディア・ラトレイア】」」



 初めて発するはずのその名は高らかにどこまでも。

 次の瞬間、魔力は停止して空間は断裂する。

 空間全体が軋んで、偽りの夜空の向こう側から幾千という光が降り注いだ。

 そこに使い手の答えはなく、聞こえるのは遠い未知からの調べ。

 降り注ぐ光はデナイアルの空間を一つ一つ破壊していく。


「なにが――!」

「ルミナっ!!」

「カナタっ!!」


 ルミナとカナタは魔力が空っぽになった互いを庇うように抱き締め合う。

 対して、デナイアルはただ降り注ぐ光を見上げる事しかできない。

 せめてカナタだけでもと光線を放とうとするも、周囲の球体は動く事すらなかった。

 それどころか目の前で砕け散って、デナイアルはあっさりと消えていった魔術を自分の中に見つめる。


「私の、魔術……私の誇り――」


 言葉が終わる前に、降り注ぐ光はデナイアルの空間全体へと。

 背後にあった仮面の女性が砕け散る。偽りの夜空は崩壊して、草原は荒野へと。

 降り注ぐは魔術師の解釈にて辿り着く第四域を超える魔術が顕現する。

 使い手すらも理解できぬ第五域。人の手を・・・・離れた・・・超常。

 ここに唱えられた魔術はそらを閉ざし、偽る不遜ふそんを許さない。


 降り注ぐ光によって崩壊する伽藍洞がらんどう

 張り巡らされた術式は砕け散って、吸い込まれるように元の場所へと。

 少女を閉じ込めていた第四域。術式よはくの中に作られた異空間。

 次元を超えるとすら思われたその領域は、第五域の光に照らされて見えぬ姿を現実へと晒した。

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