81.唯一の可能性

「私には、理解が出来ない。あなたが立ち塞がる理由も意味も、価値も」


 魔力から生まれ落ちる黒い球体。そして透明な球体。

 デナイアルの周囲に、カナタが燃やし尽くしたはずの球体が十個再び現れる。

 背後の闇に浮かぶ女性の仮面のまぶたが開いた。

 そこに眼球は無く空っぽで、黒い眼孔がただあるだけ。

 その空っぽの眼孔に、デナイアルの周囲に浮かぶ球体が二つ……はまった。

 透明な球体も黒い球体も赤黒く染まって、ぎょろり、と動き出す。

 デナイアルの目玉から、涙のように魔術滓ラビッシュが落ちた。


「だから全て無にしよう」


 目玉となった二つとデナイアルの周囲を浮遊する八個の球体が輝く。

 球体の中から、何かに覗かれているような寒気が走った。


(来る――!)


 カナタは駆け出し、合わせて十の球体から魔力が放たれる。

 それはあまりに単純な、しかし極めて速い速度の光線。

 四方八方から放たれるその光線はカナタを追う。

 何度も、何度も、デナイアルの魔力を喰らって放たれる光線はまるで無限に続く雨のようだった。


「ぐっ……!」


 やがて一つの光線がカナタの右手をかする。

 当たった場所は皮膚を鋭利な刃物で削がれたような傷となった。

 しかし、それよりも致命的なことにカナタは気付く。


「なんだ、何か忘れ……!」


 自分の中から何かが喪失する感覚。溶けるように消えていく。

 カナタの中から、覚えたはずの魔術の術式が消える・・・

 何の魔術を使えなくなったのかはわからないが――自らの知識に一つ穴が空いたことだけは理解できた。


「私の術式への解釈は"現実の余白"……第四域に至った私の根底。あなたの術式も全て、余白に変えよう」


 カナタは初めてデナイアルの魔術に恐怖を覚えた。

 悲鳴を上げ始める肉体にカナタはさらに鞭を打つ。直撃はもちろん、かする事すら許されない。

 当たる度に使える魔術の術式が喪失するなど冗談じゃない。このままではデナイアルに届く魔術が無くなってしまう。

 唯一の救いはデナイアルにとっても扱いにくいのか、魔術滓ラビッシュが零れていること。

 魔力の消費も並ではないはず。だが――!


「『炎精への祈りえんせいへのいのり』!!」


 カナタから放たれる燃え上がる炎が向かってくる光線を焼き尽く――せない。

 相殺できるのは放たれる十の内、たったの二本だけ。

 カナタの魔術は光線に触れた途端、まるで鎮火させられたように勢いを失っていった。


(その前に、削り殺される――!)


 これが第四域とそれより下の魔術との差なのか。それともデナイアルの切り札が強すぎるのか。

 カナタは向かってくる光線が十本から八本となった事で生まれた隙間を滑り込んで躱す。

 使い手を潰したいが、そもそも光線を放ってくる球体はデナイアルの周囲を守るように浮いているので近付けない。


「ぐっ……! 『虚ろならざる魔腕うつろならざるかいな』!!」


 光線がカナタの肩を無情にも抉る。

 血と一緒に零れ落ちる魔術の知識。初めて使った魔術の術式が、カナタの中から消えていた。

 さっき自分がどうやった炎の魔術を使ったのか今はもう思い出せない。

 時間が経つごとに手札を失っていく。奪われていく。

 命よりも先に、力が。自分の意思を押し通すための力が無に消えていく。

 背中から生えた黒い腕で残りの光線を何とか弾く。カナタが使える一番の手札ですらただの時間稼ぎにしかならない。


「恐ろしいでしょう。苦しいでしょう。誰かのために命を捨てる……誰かのために盾になる……そんな綺麗事で世界は動かない」

「動かすんだよ! 自分達で!」

「あなただって、自分のためだと言ったでしょう? 所詮、人はそう動く。上っ面の偽善に正しさを掲げて」

「ああ、そうだ! 誰かを助けるのだって自分のためだ!」


 休みなく放たれる十本の光線を弾き、躱しながらカナタは叫ぶ。


「自分が辛い時に思うだろ! 寂しくて辛いって! 誰かに助けて欲しいって! 誰かに、手を差し伸べて欲しいって!!」


 カナタはウヴァルとグリアーレが差し伸べてくれた日のことを思い出す。

 村にある小屋に置かれていた厄介者だった自分に、手を差し伸べてくれた二人のことを。


「俺はそうして貰ったんだ! みんなに!!」


 戦場漁りになってからずっと自分を心配してくれたロアのことを思い出す。

 カレジャス傭兵団は、カナタをずっと一人にしなかった。


「ここの人達は受け入れてくれたんだ!!」


 ディーラスコ家に引き取られた時のことを思い出す。

 出会ってすぐに抱き締めてくれたロザリンドを。

 嫌々ながら弟として受け入れてくれたエイダンを。

 本気で叱ってくれたシャトランを。

 ずっと自分についてきてくれるルイを


「ここのみんなと一緒の日々が楽しかった!!」


 いつだって自信に満ちたセルドラの声を。

 本を読みながらちらちらと周囲を気にするロノスティコの視線を。

 一緒になって面白がるルミナの笑顔を。

 貴族の養子になった後も、カナタは決して一人になどならなかった。


「俺は寂しいのだけは嫌だ! もう一人になりたくない! "失伝刻印者ファトゥムホルダー"!? 俺がオーバーなんちゃら!? そんなの知るか!

俺はもう周りの人がいなくなるのは嫌だ! 理不尽に奪われたくない! だから俺はあの日ハンカチを投げたんだ!!」


 今度は駄々をこねる子供のようにカナタは叫ぶ。

 周りの人が、自分を生かしてくれたから今の自分がある。

 だからあの日、カナタは理不尽に立ち向かった。

 見ているだけで、世界は決して変わらない。


「それがあなたが立ちはだかる理由? 一人は寂しい、そんな矮小な願いで?」

「大きさなんて関係ない! それが俺の、今の俺の生き方なんだ!!」


 カナタの中で響く。

 "昔のままじゃいけないって思って変わった今のあなたこそがあなたの本質なんだと私は思うわ"

 ルミナの母フロンティーヌに言われた言葉が。


「あの背中が眩しくて!!」


 カナタの中で輝く。

 恐怖を振り払って走っていく母親の大きな背中が。


「あの言葉に応えたくて!!」


 カナタの中で繰り返される。

"俺の人生、悪くなかったなって思えるように……お前の事を自慢させてくれ"

 カナタを導いてくれたウヴァルの声が。



「俺はこの道を、選んだんだから!!」



 周りの人たちを助けて、寂しくないように自分のいる世界を守って。

 彼方遠くにいる人達にどうか自分の名前が届くように。

 カナタは自分の中から術式を失いながら、変わらぬ目でデナイアルに立ちはだかり続ける。


「ふふふ、どれだけ力強く、聞こえのいい信条も! 全て消してしまえば意味がない! 綺麗事のまま散りなさい……残念ですよ、将来有望な後輩をこの手で消さねばならないとはね!」

「うっ……ぐぅ!」


 黒い腕が破壊されて、赤黒い光線がカナタの左足を焼く。

 デナイアルの言う通り、切り抜けられなければ意味はない。

 今度消えたのは何の魔術か。時間をかければかけるほどカナタのとれる手は少なくなっていく。


(切り札を使うか……! いや、今使ってもただの時間稼ぎにしかならない!)


 デナイアルの攻撃を凌いではいるがそれだけでは好転しない。

 何か考えろ次の手を。

 何でもいいから可能性を漁れ。

 この男を超える方法を――! そうやって生きてきたんだろ!


「カナタ……カナタっ!!」


 ルミナの祈るような声でカナタは気付く。

 デナイアルの光線はこれほどの猛攻にもかかわらず、ルミナを一切狙っていない。

 ルミナを狙えば、それだけでカナタに避けるという選択肢も無くなるというのに。


(そうか……ルミナ様に当てて失伝魔術の術式を消したくないのか。ルミナ様は――)


  デナイアルがルミナを狙う手段をとらない理由を考えて、カナタは勢いよくルミナのほうに視線を向ける。

 思い出すのは前夜祭の前、図書室でロノスティコと過ごしていた時のこと。


"失伝刻印者ファトゥムホルダーというのは……先祖返り? のようなものでしょうか……? 稀にそんな失伝魔術の術式の一部や術式まるごとを持って生まれる人達の事をそう呼びます"


 自分とルミナを合わせて、ようやく生まれる逆転の可能性を一つだけカナタは見つける。

 これは机上の空論。|魔術滓ラビッシュで出来たからという理由で飛躍している、策とも言えないただの賭け。

 それでも絶望的なこの状況を唯一ひっくり返せるかもしれない方法がある。

 そう、失伝刻印者ファトゥムホルダーとは――術式の欠片・・・・・を持って生まれた人間である。

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