74.ようこそ望まぬ場所へ

 それはルミナにとって初めての体験だった。

 貴族の嗜みであるダンスは公爵家に仕える女性の家庭教師に教わっていた。

 公爵家専属というのもあって踊り方には常に余裕があり、音楽を聴いて流れるようなステップとリードでルミナもまたお手本のような踊り方を学んだ。

 家族以外の男性とまともに触れられなかったのもあって披露する機会は無かったが、それでも教養としてルミナはダンスを優雅で静かなものとして認識していた。


 だが、いざ公の場で行う事となった初めてのダンスはあまりに優雅とは言い難い。


「ふ、ぐ……!」


 奏でられる美しい音楽に似合わない必死の表情のパートナー。

 音楽に身を任せるのではなく、音楽に振り回されているというのがわかりやすい。

 そんなルミナのパートナー……カナタは決してふざけているわけではなく、その目は真剣そのものだ。


「か、カナタ……落ち着いて、大丈夫ですから」

「は、はい……!」


 家庭教師と踊った時には感じられない手を握る男の子の力強さ、優雅とは程遠い荒々しいステップにぎこちないリード。

 優雅とはかけ離れているが、その全てがルミナにとって新鮮そのもので、音楽についていける程度には踊れているカナタの努力をその身で感じているかのようだった。

 魔術以外は得意ではない不器用な男の子が、自分のために必死に踊ってくれている……その姿にルミナの心は不覚にも少し跳ねていた。


「私が指示しますから、もっと力を抜いて……カナタ」

「わ、わかりました……!」


 普段の頼もしさなど欠片もなく、額に冷や汗をだらだらとかきながらも音楽に食らいつくカナタの姿にルミナはつい笑みが零れた。

 もう少し見ていたかったが、このままではいつ他の参加者とぶつかるかもわからない。今、周りを見る余裕はカナタにはないだろう。


「左に。次はそのまま回って右に」

「はい……!」

「そうです。難しいステップは一度忘れて、音楽に合わせて……」


 果たしてどちらがリードなのやら。

 ルミナの指示でルミナをリードするというわけのわからない状態のままカナタは先程よりも自分の動きに余裕ができていくのを感じた。

 ルミナが事前に動き方を教えてくれるからか、耳と足に全神経を注いでようやく踊れていたダンスを楽しむ余裕が出てくる。


「お上手です、カナタ」

「こ、これはルミナ様が上手なのでは」

「何を言っているんですか、ちゃんとついてこれているんですからカナタの練習の成果ですよ」


 そうやって踊り続けて、カナタはようやく踊りながらルミナと目が合う事ができた。

 銀色の髪は鈴の音を鳴らすように揺れて、その瞳はカナタを見つめる。

 その視線に吸い込まれて、カナタの視線もルミナへと。

 カナタの黒い瞳にルミナの銀の瞳が映り込んで、まるで美しい月夜が浮かんだようだった。


「――――っ」


 息を呑み、無意識にステップを踏めるようになった所で音楽が終わっていく。

 終わりに合わせてカナタとルミナの手が離れて、互いに離れ難いと思いながらもお辞儀をして二人のダンスは終わりを告げた。


「ちゃんと踊り切れましたね、カナタ」

「ルミナ様のおかげです……自分はとにかく必死で……。見苦しかったでしょう」

「そんな事ありません」


 中央から掃けるために、カナタは再びルミナの手を取ってエスコートする。

 あまりに強張りながら踊ったからか、足ががくがくとしているのは気のせいではない。


「私、今日のダンスが一番楽しかったです……男の子と踊るなんて、初めてでしたから」

「そ、それは光栄です……次はもっとうまくなっておきますね……。何とか見れる程度には……」

「え……」


 何故か名残惜しそうな表情を浮かべるルミナ。

 カナタはそんな表情をされると思っておらず、目を丸くした。


「え……って……」

「そうですね、カナタは頑張り屋さんですから……でも、今のを見られなくなると思うと少し寂しいですね……。とっても可愛かったのに……」

「ひどすぎて馬鹿にしてる……とかじゃないですよね?」

「ふふ、してませんよ。本当に」


 その歩みは弾むように。言葉は何に包むこともなく。

 そんなルミナの気分を表すように次の一曲は始まって、ルミナはエスコートされながら小さく鼻歌を歌っていた。


「ルミナ様、素晴らしい踊りでした」

「ルミナ様、次は私と……!」

「わ、わ……!」

「申し訳ありません、ルミナ様が驚いているので順番にお話を……」


 踊るルミナに魅了されたのか静観していた貴族達が集まり始める。

 少しの雑談をしてやんわりと断りながら、ルミナはしばらく囲まれる事となった。




「いいなぁ、ルミナ様……カナタ様と踊れて……」

「カナタってばとっても可愛かったんですよ……ずっと頑張ってくれていて……」


 若い男性貴族達の囲いから解放されたルミナは疲労もあって女性用の休憩室へと。

 鏡の前に椅子を置いて座り、世話係に乱れてしまった髪を梳いてもらい、化粧を直している。

 女性用の休憩室にカナタは入れないので外で待っている。代わりに、一曲踊っただけで疲れてしまったルイがカナタの代わりに付いてきていた。

 赤いドレスはルイに似合っているが、当のルイはもう勘弁という感じだ。


「私もカナタ様と踊りたかったです、あんな恐い人じゃなくて!」

「ルイさんのパートナーは確かキーライさんでしたね、お上手でしたよ?」

「上手でしたけど全く楽しくなかったんですよぅ……ずっと恐い顔してるし、力は強いし、ドレスは褒めてくれないしでもう……仕事です感が強くて強くて……!」


 ルイがため息をついているとコーレナがわざとらしい咳払いをする。


「ルイ、ルミナ様と話すにしても無礼だぞ」

「あ……! 申し訳ありません! ついカナタ様と話す感じで……」


 ルイが突然立ち上がって背筋を伸ばす様子にルミナはくすくすと笑う。


「構いませんよ。ここは女性用の安息の場所ですもの、堅苦しくし過ぎていては気も休まらないでしょう。男性の方々が聞いていない時くらい少しは砕けてしまってもいいではないですか」

「ルミナ様……この女は愉快ですが、愉快すぎます。非礼を許せば際限なく絡んできますよ。明日には調子に乗って肩を組んでくるかもしれません」

「コーレナさんの中の私ってそんなイメージなの……? 言っておきますけど、カナタ様以外にそんな事しません!」

「いやカナタ様にもするな! お前の主人だろうが!」

「い、痛いところを……! 流石は護衛騎士様……!」

「まるで私が特別冴えているみたいな言い方やめろ! 常識だ!」


 少々騒がしいルイとコーレナのやり取りもルミナは楽しそうに聞いている。

 にこにこと浮かべる笑顔は他の貴族に見せる仮面ではなく、素のもの。

 滅多に同席できない母親もいて、一緒に踊るパートナーもいて、周りもパーティーの熱にあてらているからか心地よい騒がしさがある。


「ルミナ様、終わりました」

「はい、ありがとうございます」


 世話係に髪を直してもらい、化粧もし終わる。

 立ち上がって、早く会場に戻りたいと思っている自分に驚いた。

 日頃から淑女らしく振舞えと言われているが……今日くらいはとコーレナのほうを向く。


「ね、ねえコーレナ……カナタにもう一度踊りたいと自分からお誘いするのは、その、はしたないでしょうか……?」

「そんな事はありませんよ。カナタは今日あなたのパートナーなんですから」

「そうですよ、カナタ様は絶対断りませんもん。ちょっと心配になるくらいちょろくて優しい御方ですから!」

「お前……主人なんだよな……?」


 くすくすとルミナは口に手を当てて笑う。

 部屋に入ってこれないカナタの代わりにコーレナがルミなをエスコートするために手を差し伸べる。

 ルミナが年相応の笑顔を見せているのが、コーレナにとっても嬉しかった。

 ルイが先回って休憩室の扉を開ける。普段愉快な様子であっても、こういう所はしっかりしているのがカナタの世話係を続けていられる由縁だろうか。


「ふふ、ねえコーレナ……とても楽しいわ」

「ええ、舞踏会はまだ続きますから。ダンスが気に入られたのなら、フロンティーヌ様の体調が戻った際にはフロンティーヌ様もダンスに誘ってみてはどうでしょう?」

「お母様と……!」


 そんな事ができたら、どれだけ楽しくなってしまうのだろうかとルミナはコーレナの提案に目を輝かせる。嬉しさのあまり自分の母を振り回してしまうのではと心配になってしまうほどに。


「そうなったら、私がリードしたいですね……。ああ、でも……お母様にリードされるのも捨て難い……!」

「ふふ、どちらもやっていただくというのはどうでしょう?」

「まぁ……!」


 そんな未来に夢を膨らませるルミナ。

 フロンティーヌの体調を考えれば今日は無理だろうが、いつかそうなればと思い浮かべながら休憩室から出て――


「この際です、ルミナ様が踊りたい方を集めて身内だけのパーティーを開くというのも一興かと」

「素敵……そんな我が儘が許されるのなら、コーレナとも踊りたいし……それにカナタともまた何度でも――」



 ――そのまま、ルミナの姿は消えた。

 踊りたい、その一言を言い終わる前に。



「え」

「え……?」

「は――?」


 世話係とルイ、そして手を握っていたコーレナの前からルミナの姿が完全に消える。

 全員が、ルミナの姿を見ていたにもかかわらず、どうやっていなくなったのかもわからぬまま。

 まるで幻でも見せられたかのように、三人の思考が一瞬止まる。


「消……えた……?」


 目の前で起きた事実を思考が受け止めきれていない。

 ルイの一言でコーレナは自分の手を見つめる。

 確かに自分はルミナの手を握っていた。自分の手から力づくで引き離された感覚は一切なく、いつの間にかルミナの手の感触がなくなっていた。

 まるで現実とは違うどこかへ飛ばされてしまったかのように。


「どう、いう……?」

「そ、そんな……! そんな馬鹿な……! そんな……そんな馬鹿な!!」


 涙混じりのコーレナの叫びが廊下に響く。

 廊下を警戒していたカナタがその叫びで走ってくる。

 今の今まで笑っていた女の子は、もう彼等と同じ場所にいない。












「え……?」


 頭上に広がる知らない夜空。身震いするような涼しい風。

 遠くを見れば地平線の先まで果ての無い草原が広がっている。夜なのに、遠くを見渡せるほど明るい。

 小宮殿の休憩室にいたはずのルミナの視界は一瞬で別の景色に。

 隣にいたコーレナも、ルイも、今日の世話係もいない。


「み、なさん……?」


 あまりの変化に戸惑い、ルミナから笑顔が消える。

 先程までの楽しい会話はどこにもなく、風が吹く音と草が揺れる音しかない。

 自分だけが、あの場所から切り離されたかのように。

 そんなルミナの耳に草を踏みしめて歩く音が聞こえてくる。


「気に入りましたか? ここは私の術式の中……他人を招待するのは片手で数えられるほどしかありません」

「誰……!?」


 寒気がするような声にルミナが振り向くと、こちらに歩いてくる影があった。

 神秘的な紫の髪と瞳をしていて、どこかこの場所と噛み合うような容姿……銀のロングイヤリングを揺らしてその男はルミナの前に姿を現す。


「デナイアル……殿……?」

「ようこそ私の公女様ヒロイン。今日は本当に素晴らしい日です……ようやく私の人生を結末へと進められる……」

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