75.見えない手掛かり

「第四域魔術『描かれる世界の片隅ティーテルヴェラット』……。私がここに誰かを招待するのは珍しいのですよ」


 草原をゆっくりと歩きながら、デナイアルはルミナに近付く。

 突然の出来事に対する混乱。今までいた場所とは違う困惑。そして近付かれる恐怖。

 何か、何を言わなければ。近付いてくるこの男の目的が何にせよ、ルミナにとって望ましくない悪意を抱いているのは間違いないのだから。


「わ、私をこんな所に連れてきて……いかに宮廷魔術師とあれど、魔術であるなら、すぐに、お父様が気付いて、気付いてしまいますよ……!」


 震える声で精一杯、ルミナは必死にデナイアルが躊躇うように言葉を選ぶ。

 真っ先に切るべき最大の手札は父が振るう公爵家の力……普段ルミナは権力を盾に何かする事がないので慣れていない。

 それがなくとも、デナイアルはそんな権力を一笑に付した。


「何故大半の魔術師が第三域の壁を超えられないかはご存じですか……? あなたの父上、ラジェストラ様ほど才能に溢れた人でさえ第三域が限界な理由は?」

「一体、何を……講義でも、するおつもりですか?」

「いいえ? あなたがここにいても私が問題ない理由です」


 デナイアルの足が止まり、両手を大きく広げる。

 まるで周囲の風景を自慢するかのように。夜空と殺風景な草原、そして冷たい風しか吹かないこの世界を。


「魔術師は魔術を学ぶ過程において自分が研究する技術と認識し、術式をただの設計図として捉えてしまう風潮がある……そうして研究しなくては第三域まで届かない者が大半だからです。

しかし、それこそが最大の壁……第四域からは、また頭を作り替える必要がある。魔術の術式に対する認識をね」

「にん、しき……?」

「術式とは魔術を使う上での思考そのもの。使い手の認識が魔力を燃料に反映される仮想領域――私はその現実を理解し、自身の術式を"現実の余白"と定義しました」


 得意気に喋り続けるデナイアルの話を耳に入れながら、出口を探す。

 ここが作られた空間という事実を受け入れたとしても、作られた場所ならば必ず出口があるはずだと。

 しかしルミナが周囲をどれだけ探してもそんなものは見つからない。

 あるのはどこまでも続く草原、どこまでも続く夜。

 ルミナがここに来た時に入ったはずの入り口ですらもこの世界のどこにもなかった。



「魔術とは使い手が唱えて初めて現れる現実。確かに存在するが唱えなければ見えぬ存在。

ああ、ほら……本のページ全てが文字で埋まっているわけではないでしょう。文が区切られたり、文を一旦終わらせたり、それこそ読みやすくするためにと、本のページには必ず余白が存在する。

余白には当然、何も書かれていませんが、本のページを構成している大切な要素です。僕は術式をその余白のようなものだと定義して構築し直した。見えないけれど確かに存在するものとして。

だから、目に見える魔術もじしか認識していないものには、私の術式よはくは決して認識できない。そしてここは、術式の中そのものなのです」

「術式の、中……?」

「ふふ、難しい事ではありません。ようは、本の中にいるようなものです。ページの余白に書かれてしまった落書きのように……私が構築した術式にあなたという存在を連れてきたのですよ」


 ルミナとて魔術の勉強は怠っていない。

 勤勉な性格とラジェストラ譲りの才能もあって第二域の魔術も習得していて、実戦経験こそないものの同年代ではむしろ優秀以上に魔術を会得している。

 ――だが、デナイアルの話はあまりに次元が違い過ぎて理解する事ができなかった。

 デナイアルが魔術の術式をどう解釈したかはわかったが、本気でそう捉えられるかは話が別だ。

 海は生命の母だと言われて、本気で海を母だと慕えるだろうか。抱き締めたいからと海に飛び込む事が出来るだろうか。

 これはそんな、荒唐無稽な話だ。

 魔術について深く思考し、頭の先まで浸かり、狂気にも似た開花をさせた本物の魔術師を前にしているのだと改めて認識して、ルミナは恐怖で涙を滲ませる。


「だから、あなたの父上や騎士団の誰もが私を疑っていても、私の魔術を観測する事はできなかったでしょう……? 当然です、文字通り、存在する領域が違うのですから。

もっとも、この世界に連れ込むには一定の条件がありますがね……」


 しかし、だからこそ理解できなかった。

 つい、恐怖から聞いてしまう。


「何が、目的なんですか……?」

「もちろん公爵家の"失伝刻印者ファトゥムホルダー"を手に入れるためですが……それだけではありません。私はね、私自身の人生をもっと劇的にしたいのです」

「え……?」


 デナイアルは薄い笑みを浮かべながら懐に手を入れる。

 ローブの中から出てきたのはルミナも見たことのあるものだった。


「この空間に入る時、かけられた魔術は解除されてしまいますが……このように魔術としてまだ機能していない魔道具などは持ち込めるのですよ」

「魔術、契約書……?」


 それは貴族が契約を結ぶ際に度々使うもの。

 書かれた契約を反故ほごにすれば命にかかわる厄災が契約者を襲う。

















「本当なんです……突然消えて……」

「確かに手を繋いで……何故、どうやって……! 何の魔力も、感じなかった……!」

「お二人の話は本当です! どう消えたかもわからない内に……!」


 ルミナについていたコーレナ、ルイ、そして世話係の三人が険しい表情で睨むラジェストラや駆け付けたシャトラン達、そしてカナタやエイダンに証言する。

 しかし、その証言の内容はまるで下手な言い訳のようだ。人が突然消えるなど言われて納得するはずがない。

 だが、こんな証言で言い逃れできるはずがない事くらいはわかっているはずだ。

 であれば、三人全員の証言は本当だと仮定するしかないが……。


「まさか、転移魔術では……?」

「有り得ん。転移魔術は第五域……唯一の使い手はシャーメリアン商業連合国の魔術師というのも判明している。術式が我が国に流出しているのならば大騒ぎになっているはずだ」

「では一体……!」

「それがわかれば苦労はせん!!」


 ラジェストラは声を荒げて、休憩室と廊下の間にある扉を乱暴に開ける。

 扉を開けた所で当然、休憩室と廊下が繋がるだけ。ルミナがいる場所に繋がるはずもない。

 縋るように廊下から休憩室に、休憩室から廊下にと繰り返して見てもやはり何も変わらなかった。


「どうやってだ……! そこまで第三域と第四域ではそれほど別次元という事なのか……!?」


 ラジェストラは苛立ちをぶつけるように扉を思い切り開く。


「ん……?」


 カナタはその勢いで何かが廊下を転がるのを見て、視線で追う。


「会場にいるデナイアルも行方をくらましていると報告されています……ルミナ様かデナイアル……どちらも消えているという事はやはりあの男の仕業でしょう」

「ああ……しかし、どういうつもりだ……二人同時に消えるなどまるで――」


 そこまで言って、ラジェストラの表情が青褪める。

 何かに気付いたのか、ラジェストラはわなわなと肩を震わせ、怒りのあまり自分の歯を磨り潰すように歯を鳴らした。


「あの外道がっ!! そういう事か……!!」

「ラジェストラ様……?」

「なんとしてでもルミナとデナイアルを探せ! 小宮殿……いやアンドレイス家の領地全てをだ!! 今会場にいる客は外に出させるな! 王族もだ!!」

「はっ! 聞いたな! 一刻も早くルミナ様を見つけ出すのだ! 全てだ! 全てを探せ!! 魔術も解禁する!!」


 シャトランの命令で騎士団が小宮殿の捜索に走り出し、エイダンも会場の方へと走る。

 この場に残ったのはカナタとラジェストラ、そして目の前でルミナが消えたのを見たコーレナとルイ、世話係の五人だけだった。

 コーレナは崩れ落ち、世話係も顔を伏せて、ラジェストラの握る拳からは血が出ている。

 カナタは陰鬱な空気の中、先程ラジェストラが扉を開いた勢いで転がったもののほうへと小走りで歩き、転がったものを拾い上げる。


「透明な魔術滓ラビッシュ……?」


 落ちていたのは水のように透明な魔術滓ラビッシュだった。

 それは今までの魔術滓ラビッシュよりも遥かに見えにくく、奥底に術式の欠片がなければ見逃してしまいそう。属性が何なのかもわからない。

 カナタは大切に握り締めるとラジェストラのところまで持っていてそれを見せる。


「ラジェストラ様」

「……なんだ」

「この魔術滓ラビッシュがさっきこの扉の近くから転がっていったんです。何か手掛かりになるかもしれません」


 そう言って、カナタは手を広げて透明の魔術滓ラビッシュを見せる。

 何の魔術かはわからないが、魔術滓ラビッシュがあるという事は間違いなくここで何らかの術式が起動したという事だろう。


「こんな時に……ふざけているのか……!?」

「え?」

「おやめください!」


 手掛かりを見つけたはずが、ラジェストラはその手を振り上げる。

 それを見ていたルイは咄嗟に、カナタとラジェストラの間に庇うように割って入った。

 ラジェストラは振り上げた手を震えさせながら静かに下ろす。


「すまぬ……だがおふざけに付き合っている暇はない……。それだけ余裕がないのだ、わかれ……お前もルミナを、あの子を探してくれ……ルミナと、仲が良かっただろう……!」


 ラジェストラは声を震わせながらその場から立ち去る。

 ルイはほっとした表情でカナタのほうに向き直った。


「大丈夫ですかカナタ様」

「うん、ありがとうルイ……ねぇ、これ見える?」


 カナタはルイに向けて透明な魔術滓ラビッシュを見せる。

 ルイはカナタの手の平を凝視するように見るが……何も見えないのか困惑した様子でカナタの顔を恐る恐る見た。


「えと、なぞかけですか……? 手の平に見えるものは優しさ……みたいな……?」

「俺以外には……見えてない……?」


 カナタはルミナが消えたという休憩室と廊下の狭間を見つめる。

 廊下から見えるのは当然、休憩室の部屋の中だけ。

 それでもカナタは魔術滓ラビッシュを覗き込むようにその場所を見続ける。

 ――あの日出来なかった、自分が駆け出すべき先がここにある気がして。

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