72.自分の本質2
「お忙しいのにごめんなさいね」
「いえ、自分は特に何もありませんので」
部屋に招かれて待っていたのはベッドで上半身を起こしている女性だった。
銀色の髪とアイスブルーの瞳でルミナに似ている……いやルミナがこの人に似ているのか。
公爵家の夫人という事もあって、カナタは母であるロザリンドのような力強い人物を想像していたが その雰囲気は今まで出会った貴族とは違ってどこか親しみやすい。
しかし、その容姿は明らかに健康的とは言えない痩せ方をしていた。
「側近候補として現在公爵家に置いていただいているカナタと申します、フロンティーヌ夫人」
「ええ、初めましてカナタ。挨拶が遅くなってごめんなさいね……見ての通り、体調が良くない日々を過ごしているものだから」
フロンティーヌと名乗った女性は手を挙げて使用人を部屋の外に下げさせる。
部屋にはカナタとフロンティーヌの二人だけとなった。
貴族の部屋とは思えない落ち着いた部屋で、どこか素朴さも感じる。
「あの、病気と聞いたのですが……大丈夫ですか?」
「ああ大丈夫よ。私の体調が悪いのは病気じゃなくてずっと毒を飲んでいるからだから」
「え?」
カナタは耳を疑った。
自分が気落ちしているからといって耳まで悪くなったのか。それとも何かを聞き間違えたのか。
「私はね、子供達を極力社交の場に出さないように表向きでは病弱って設定になっているの……でも断れない行事もあるわ。だからそういう場に出席する時のために普段からちゃんと体調を崩すようにしているの。
あなたも同じようなものでしょう? 傭兵団出身の平民ではなく、ダンレスの屋敷にいた子供がディーラスコ家の養子になったという設定で過ごしていると聞いているわ」
カナタは何でそんな事を、と質問を口にしかけるがフロンティーヌに自分もまた同じように設定を使ってこの世界に入ったのだと改めて言われて納得する。
恐らくは、三人を守るため。カナタにはわからない事情があるのだろう。
前夜祭の時に貴族社会がある意味戦場である事を知ったカナタは、なんとなく疑問を口にすることなく受け入れる事ができた。
「私の事よりも……狩猟大会の時のことは聞きました。ありがとう」
「い、いえ! それが役割でしたから!」
フロンティーヌに頭を下げられて、カナタはうろたえる。
お礼を言いたいという話ではあったが、まさかこんな事をされるとは思っても見なかった。
まさか、使用人を下がらせたのはこのためだったのだろうか。
「役割でも義務でも、そうじゃなくても……私の子供達を守ってくれた事には変わりないわ。本当にありがとう、すぐにお礼を言えなくてごめんなさいね……。私の体調のいい日を選ぶしかなくて……」
「いえ、こうして直接お礼を言ってくださるだけ……光栄な事だと思います」
フロンティーヌは顔を上げたかと思うとカナタをじっと見る。
「大丈夫? あなたは私の事を心配してくれたけど……あなたのほうが心配になる顔をしているわよ?」
「……さっき、他の人にもそんな風に言われました」
「私に話せる事はある? それとも、やっぱり初めましてじゃ話しにくいかしら?」
「えっと……」
カナタはさっきの取り乱したコーレナの様子を思い出す。
体調がよくないフロンティーヌの負担にならないよう自分の母親がルミナを庇ったという話はせずに、カナタは自分が自分に失望している事についてを話した。
大切な時に動こうとしなかった自分の事、自分が憧れた人達は自分が身を切るとわかっていても動いていた事、自分はそういう人間ではなかったのだと思い出してしまって自分自身に失望してしまった事を。
「んん……? うーん……?」
話を聞いたフロンティーヌは首を傾げる。さらりと長い銀髪が肩を流れた。
重要な部分を話していないから伝わっていないのだろうか。
「ごめんなさいねカナタ……私とあなたは初めて会ったし、私は夫からあなたの話を聞いただけだから的外れな事を言ってしまうかもしれないわ。それでも、あなたに言葉を掛けていいかしら?」
「はい……?」
律儀にもカナタに確認をとってからフロンティーヌは続ける。
「私は夫からあなたと傭兵団のお話を聞いているわ。悪徳貴族に陥れられそうになった傭兵団を助けるために、十歳の子供が矢面に立ってその貴族を打倒した話……とても凄い子を見つけたんだと思ったわ。
だから、今のあなたの話は全く違う子のようで混乱してしまったの」
フロンティーヌはカナタの頬に手を伸ばす。
真っ白で、細い腕だった。それでもカナタに触れようとしてくれていた。
「あなたは自分が憧れた人達と自分は違うだなんて言っているけれど……そうかしら? 夫から聞いた話に狩猟大会で私の息子を助けてくれたあなたは私にとって素晴らしい人に映っているわ」
フロンティーヌの澄んだ瞳にカナタが映る。
やつれていても、瞳は綺麗なままだった。
「昔のあなたは誰かのために動く事ができなかったのかもしれない……けれど、だからといってそれが自分の本質だと決めつけてしまっているのはどうかしら?
本当にそうなら傭兵団の人達が困っていた時にあなたは何もしなかったんじゃない? 傭兵団の人達が助かる事もなかったし、そうなっていたらディーラスコ家に引き取られる事もなかったし、私の子供達とお友達になる事もなかった……私とこうしてお話する事もきっとなかったと思うわ」
フロンティーヌはにこりと笑う。
力のない、前夜祭の時に見た貴族の笑顔とは違う表情だった。
「きっとあなたは変わったのよ、だからあなたの世界も変わっていったの」
……フロンティーヌの言葉はどこかで聞いた事があった気がした。
傭兵団から引き取られる時にウヴァルが同じような事を話して説得してくれたのを思い出す。
――今よりほんの少しましな世界にするためには、自分が変わらきゃいけない。
いらつきながら酒ばかり飲んでいたウヴァルがした気まぐれな人助け……それがウヴァルにとっての人生の転機だったという話を。
「今までの自分じゃ駄目なんだって動いたから、今あなたはここにいるんじゃないかしら。ならあなたの本質は昔の動けなかった自分じゃなくて、昔のままじゃいけないって思って変わった今のあなたこそがあなたの本質なんだと私は思うわ。
少なくとも、私にとってあなたは私の子供を助けてくれた頼もしい側近候補さんよ。本当に、ありがとう」
フロンティーヌはそう言いながらカナタの両手を握り、もう一度頭を下げた。
貴族としては間違いだが、母親としては正しい行いだと信じるフロンティーヌはカナタに頭を下げる事を躊躇わない。
「本質は……今の、自分」
ウヴァルが涙を流しながら語ってくれたあの時の説得がカナタの脳裏に蘇る。
フロンティーヌの言葉を通じて、あの時ウヴァルが伝えたかった事がやっと……カナタは理解できた気がした。
悪人がほんのすこしましな悪人になるように……臆病だった子供が、ウヴァルの言うようにすげえ男になる事だってあるのかもしれない。
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