71.自分の本質

「カナタ様、よく眠れましたか?」

「うん……」


 気遣ってくれているルイの表情がカナタには痛かった。

 部屋でいつものように朝支度をしているというのに、ルイの表情は笑顔であってもいつもの明るさがなかった。

 口数はいつも通りだが、どこか無理をしている感じがある。


 五人で買い物に行ってからもう三日が経つ。パーティーもすぐそこだ。

 あの日の買い物はカナタが嘔吐した事ですぐに帰る事になってしまった。

 調子に乗ってセルドラが連れ回したからでは、とロノスティコがぼそっと言った事でまた火種になりそうだったくらいで帰り道は問題は無かった。

 結局カナタは城に帰ってから医者に診てもらって、疲れが出たのだろうと判断されてそのまま眠らされた。

 吐いた理由が、自分の本質がどうしようもない人間だと知ってしまったから、なんて言えるはずもない。


「いってくるね、ルイ」

「はい……いってらっしゃいませ……」


 ルイに顔を拭いて貰って、着替えを終えるとカナタは今日も側近候補として部屋を出た。

 やる事は変わらない……セルドラとルミナ、そしてロノスティコの三人を護衛騎士と同じように守りながら、側近は少し雑務をこなす。もっぱらパーティーに向けての準備だった。

 城の中は警備の騎士達が巡回してものものしいまま。

 たまに挨拶をしに来る貴族の相手などもして午前中はすぐに終わった。


「カナタ様、少し顔を貸してほしい」

「……? はい……」


 これからアンドレイス家は昼食という時間、カナタはコーレナに連れ出された。

 普段は側近や護衛騎士で食堂の周囲を固めるのだが、コーレナはどうやら同僚に代わりを頼んでいたようだ。

 コーレナはルミナの専属護衛騎士。ルミナと一時も離れた所を見たことのないカナタは珍しい事もあるな、と思いながらコーレナについていく。


「本当に、どうしたんだ。この三日そこまで憔悴して……あなたも心配だが、あなたを心配しているルミナ様も痛々しくて見ていられない。自分で気付かないのか、ずっと表情が笑顔で固まっているぞ」

「え……」


 食堂から少し離れた廊下に連れて行かれて、コーレナは心配そうにカナタに視線を合わせるようにしゃがむ。


「前夜祭であなたが不思議そうに見ていた貴族と同じ顔をしていると言っているんだ……今までそんな顔を一回もした事なかったではないか……!」

「そう……ですか?」

「カナタ様、今日まで……あなたの周りがどんな顔をしていたか覚えているか?」


 コーレナに言われて、カナタの思考が固まった。

 確かに、この三日周りの人達がどんな顔をしていたのか全く思い出せなかった。


「あなたは、周囲を気遣ってくれる人だ。買い物に行って体調を悪そうにした時も本気でルミナ様の心配をしてくださっていたくらいに……そんなあなたがこの三日、何もかも空っぽのようにこなしているだけ。これでもそれなりの付き合いだ、気付かないわけないだろう……!」

「コーレナさん……ごめんなさい……」

「謝罪が欲しいんじゃない、心配なのだ。ルミナ様達に話しにくい事なら私に話を聞かせてくれ……この三日あなたの様子を見ていても自分だけで抱え込んでどうにかなると思えない。

他の人に話して欲しくないのならルミナ様達にも話さない。騎士としてこの剣にも誓おう」

「……ありがとうございます……そうですね、ルミナ様に話さないと約束して貰えますか……?」

「ああ、約束する」

「…………」


 カナタは少し躊躇って、自分がこうなったであろうきっかけを話した。

 話していくたびに、コーレナの表情が真っ青になっていく。

 カナタが話し終えた時には、普段のコーレナには似つかわしくない泣きそうな表情にまでなっていた。

 すると、コーレナは力が抜けたように膝を突いてそのままカナタに向かって頭を下げる。


「ごめん、なさい……! ごめんなさい……! 違う……ルミナ様は悪くない……! 悪いのは私だ! あの時いたのは、新人の時の私なんだ……!」

「ああ、やっぱりあの騎士さんはコーレナさんだったんですね……」


 カナタが初めて会った時、コーレナをどこかで見た覚えがあった感覚に陥った理由はそういう事だったのかとカナタは妙に納得する。

 こんなに近しいヒントがあったはずなのに、気付かなかった。

 自分はどれだけあの時の記憶に蓋をしたかったのだろう。情けなくなってカナタはうなだれた。


「ごめん、ごめん、なさい……! 私がしっかり見ていれば、ちゃんとルミナ様に言い聞かせて……頼む、ルミナ様を恨まないでくれ……! あの人は、本当にカナタ様と一緒にいるのが楽しそうで……!」

「ああ、そこは別に気にしていないので」

「全ての責は私にある! 金や名誉で解決できるとは思えないが、私の名で出来る事なら何でも差し出す……何でも……! 悪いのは私だ……!」

「いやコーレナさんも別に悪くないですから。二人が悪いわけじゃないですよ」

「気を遣う必要はない! 私をどれだけののしってもなじってもいい……! いるだけで辛いのなら私は護衛騎士を辞そう……! それくらいしか私にはできない……何とか……!」

「あの、気を遣っているとかじゃなくて本当に思ってないので顔を上げてください。自分がそこで落ち込んでいるわけじゃないので……それにコーレナさんがやめたらルミナ様が不安がりますよ」


 コーレナが顔を上げると、確かにこちらを見つめるカナタの瞳に恨みや憎悪は一切なかった。この三日間、ずっとしていた笑顔の仮面はとれている。


「人はいつ死ぬかわからないものですから。母さんはそれがあの時だっただけです……それに、悪いのはスラムにいた元傭兵の誰かだと思います。ルミナ様はむしろ被害者で、母さんは立派な人だったからそのルミナ様を守ったというだけの話ですよこれは」

「本気で、言っているのか……?」

「本気です。いつだって悪意のある人がいつだって悪いんだって……日常も、戦争も。理不尽に襲い掛かってくるから」


 それは傭兵時代に培った価値観なのか、カナタの目は本気だった。

 コーレナの中の罪悪感が薄れることはなかったが、目の前のカナタの姿に少し尊敬を覚える。

 果たして、自分はこう言えるだろうか。

 誰かを失って辛い時、ぶつける先を探したいだろう。どうしようもない感情を投げつけたいだろう。

 カナタはけっしてコーレナにぶつけようとはしなかった。母は立派だったと誇るだけ。


「ただ当時を思い出して……何もしなかった自分の姿を思い出しちゃったんですよ……。行かないでとも言わないで、母の最期に駆け寄る事もしないで……ただ言われた通りに、大人しくしていただけの自分を」

「……?」

「母さんは他人のルミナ様のために走り出せた立派な人だったのに……自分は……母親のために走り出す事すら、できなかったんだって……」


 誰かのために駆け出す母親。理不尽な貴族に頭を下げるウヴァル。

 カナタが憧れたのはそんな二人だった。

 けれど、自分が二人のような誰かのために身を切れる人間ではなかったのだと……思い出した過去が自分の本質を暴いてしまって、カナタは自分自身に失望する。



「言えなかったから、あの時一人になっちゃったんだなあ……。知りたくなかったな、こんな人間だっただなんて……」



 ずっと寂しかったのは自分のせい。

 あの日駆け出していれば、母の最期の言葉を胸に生きられたかもしれない。

 あの日駆け出していれば、一緒に死ねたかもしれない。

 少なくとも、一人にはならなかったのだとカナタはもうどうにもならない自分の選択を後悔する。

 泣きそうだったけれど、涙は出なかった。


「おや……こんな所でどうされましたお二人共……?」

「わは! 人気ひとけの少ない廊下に男子と女騎士! 怪しい……! まさかのロマンチック展開? かしら?」

「!!」

「デナイアル様……それにメリーベル王女殿下……」


 カナタの独白に水を差すような声だった。

 歩いてきたのはメリーベル王女とその護衛、宮廷魔術師デナイアル。

 カンタとコーレナはメリーベルに向かって一礼して、背筋を伸ばす。

 メリーベルとデナイアルの後ろにはアンドレイス家の騎士達の姿。最後尾にはシャトランもいた。

 まるで二人を見張っているかのような布陣だが、当の二人は全く気にしていないかのようにカナタに話し掛ける。


「聞いてくださいよカナタくん、あなたのお父上と来たらこの数日、狩猟大会の事件についての調査と称して私を毎日連れ回すのです……。王城でも休みはなく、我が儘王女殿下にも引き回された挙句ここでも仕事とは……私は世界一不幸な宮廷魔術師かもしれません……」

「申し訳ございませんデナイアル殿。なにせ、公爵家で起きた事件の真相を突き止めるためにも優秀な魔術師の協力はいくらあっても足りませんからな」

「ああ、優秀であるというのも考え物ですね……本の主人公達も能力があるがゆえに試練を与えられてしまう……。けれど大丈夫、今は不幸であってもきっと最後には私にとっの幸福が訪れると信じていますから……」


 シャトランは謝罪しながらも鋭い目でデナイアルを注視する。

 デナイアルはにこりとシャトランに笑い返した。

 そんなデナイアルの長いローブをメリーベルはぐいぐいと引っ張る。


「ねえ、わたくしに引き回されるなんて光栄な事なんですけど? 何嫌な事みたいに言っているのよ? 幸福でしょ? 不幸なんかじゃないわよね?」

「ハイコウフクデストモ」

「偉いわ、デナイアル。そうやって従順にしていなさいな」


 メリーベルはデナイアルを大人しくさせるとカナタに駆け寄る。

 そして背筋を伸ばして微動だにしないのをいいことに、カナタの耳元まで顔を近付ける。


「ごめんなさいね、こういう立場なせいか耳がいいの。少し聞こえてしまったわ、あなたのお母さんルミナを助けて死んじゃったの?」

「!!」

「可哀想ね、本当に可哀想……そんな子と一緒にいるなんて辛いでしょう? ああ、あなたって本当に、可哀想な男の子なのね」


 カナタは王族に向けるべきではない目付きでメリーベルを見つめる。

 メリーベルはくすくすと、そんな反応すらもたのしそうに笑っていた。


「公爵家なんて捨ててわたくしの所に来ない? 待遇は保証するわよ?」

「お誘いありがとうございます。側近をクビになったら考えさせてください」

「ああ、そうなったらほんとうに楽しいわね!」


 メリーベルが廊下を進み始めると、それに騎士達も続く。

 デナイアルだけはカナタの前に立ち止まったかと思うと、


「それでは失礼しますカナタくん……パーティーが楽しみですね」


 そう言い残してメリーベルの横へと歩いて行った。

 二人と騎士達と先に行かせて、シャトランは二人の下に残って自分を落ち着かせる等に髭を撫でた。


「すまんなカナタ……それにルミナ様の護衛騎士のコーレナ殿。何か込み入った話をしていたようだが邪魔をした」

「いえ、問題ありません!」

「大変ですね父上」

「ああ、ラジェストラ様の命で見張っているのだが……尻尾を出すわけもない。何かしないようにと見張るので精一杯だ。明後日のパーティーまで何もしないでくれるといいんだがな」


 シャトランは思い出したように手を叩く。


「ああ、そうだカナタ……午後は特に予定が無かっただろう」

「はい、ダンスのステップの最終確認をしようかと思ってますが……」

「悪いがこちらを優先してくれ。フロンティーヌ様から伝言を預かっている。今日の午後、どのタイミングでもいいからカナタと会いたいとの事だ。世話係のほうにも正式な要請が来ているだろう」

「フロンティーヌ様……セルドラ様やルミナ様の母親の?」

「ああ、狩猟大会の時のお礼が言いたいのだそうだ」


 お礼なんて必要ありません、と言い掛けてカナタはルミナ達と町で買い物をした時の事を思い出す。

 セルドラ曰く、下の者が礼を断るのはむしろ失礼にあたり、恥をかかせる事になると学んだばかりだ。


「わかりました、お伺いします」

「ああ……」


 シャトランはおもむろに、カナタの頭を撫でる。


「父上……?」

「すまないな、お前が辛そうにしているのは何とかわかるのだが……今の父はなにもできん。許せカナタ」

「……そんな事は、ありません」

「すまん……すまんな」


 それだけ言ってシャトランは先に言ったメリーベルとデナイアルを追い掛けるように廊下の先へと歩いていった。

 シャトランの顔は先程見たコーレナと同じで、その表情には罪悪感が浮かんでいた。

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