60.狩猟大会5

「はっ……! はっ……!」


 薄暗い森の中をロノスティコはひたすら駆けた。

 道中で見掛けた獲物は逃げて、後ろから聞こえてくる足音は一向になくならない。

 小さな体で茂みを利用したり、一瞬視界を切ったりと何とか距離を詰められないように走ったおかげでまだ追い付かれないでいるが時間の問題だという事はロノスティコ自身がよくわかっていた。


 魔術を使って異変を伝えればよかったが、狩猟大会は魔術を使ってはならないと真面目な思考と恐怖で考えが縛られている。

 それほどに、今のロノスティコは頭が回っていなかった。

 ――恐い。

 ただその一つの感情に頭の中を支配されてしまっていて。

 頭上についてくる鳥とその鳴き声にすら反応して、ロノスティコは反射的に屈んでしまう。


「やだ……」


 命を狙われるなんて領主一族であれば珍しくもない。

 ラジェストラも幼い頃に経験した事がある、そしてロノスティコも話を聞いた事がある。

 領主になるとはそういう事だと。

 領主というのは生まれながらに恵まれている代わりに生まれながらに敵を作り、恩恵と危険の両方を背負って民を守る者を指すと。

 わかっていたつもりだった。

 けれど、わかっていなかった。

 わかっていたらこんな風に取り乱して、怯えて逃げ出すはずがない。


「たすけて……だすけてえええ!!」


 領主の子としての振る舞い、普段の自分。

 そんな全てをかなぐり捨てるようにロノスティコは叫ぶ。

 狩猟大会の会場にもなる領主一族の広大な敷地。庭とは違う鬱蒼な森の中……疲弊した十歳の少年の声が会場にまで届くはずがない。

 応えてくれる者といえばずっと頭上で鳴いている鳥だけ。

 狩猟大会・・と銘打ってはいるがすでに獲物を狩って運営会場のほうに戻る者も多く、すでにこの森の人気ひとけは少ない。


「ひっ――!」


 自分の横を石礫いしつぶてと水の刃が通り過ぎる。

 何度目かの魔術による攻撃。最初は事故に見せかける気で矢を射ってきていたのだが、途中から魔術による攻撃に切り替えてきていた。

 第一域、第二域の魔術は直線的なものが多く、ロノスティコは魔術の知識だけは豊富だったので逃げ方を工夫しながら何とか逃げ続けている。

 だが、それももう限界が近い。

 魔力はまだ何とか残っているが、問題なのは体力のほうだ。


「ちっ……しぶといですな!」

「私だけ回り込んでみますか?」

「いや、向こうの逃げ方を見るにむやみやたらに逃げているわけではなさそうです……こちらがただはぐれてしまう可能性が高い。数の優位を活かせなくなる。このまま追うのが確実でしょう。体力も限界のようですし、ね」

「なるほど、ラグルゼン殿の仰る通りだ」


 後ろから聞こえてくる声はロノスティコがふらついたのを見て嫌な笑みを浮かべる。

 ラグルゼンの言う通り、ロノスティコはもう限界で恐怖に追われて足を動かしているようなものだ。

 走り続けたのと緊張で喉が渇き、立ち止まってもまともに魔術を唱えられるかすら怪しい。

 立ち止まって立ち向かうべきだったのか?

 それは違う。ロノスティコは知識はあれど実戦経験がないし、使えるのは第一域が限界だ。

 精神的にも実力的にも逃げるしかなく、体力が尽きるまで助けを祈るしか無かった。


「ぜっ……! ぜっ……!」


 肺が破裂して死にそうだ。しかし止まったら殺される。

 倒れるまで走るしかない中、ロノスティコはついこの間、執務室での出来事を思い出していた。

 あの日、自分は兄セルドラに後継者争いだと啖呵を切っていたのに……今はこうして情けなく逃げ回っている。助けてと祈りながら、誰かと願いながら。

 ――自分には甘えがあったんだなぁ。

 苦しい呼吸の中、不思議なほど澄み切った頭でロノスティコは自分を恥じる。

 兄が自分を殺すわけがない、兄だからこれくらい言ってやってもいい、自分が弟だからこのくらい大丈夫。

 そんな風に思っていたから軽々しく後継者争いだなんてけしかけて、負けた所でひどい事にはならないだろうとたかをくくっていたからこそ出来たのだ。


(自分で自分が領主の器だって思えないのは……多分、こういう打算ばっかりで……覚悟がないからなんだなぁ……)


 兄に苦手を克服させるためとか言って、自分が領主になる覚悟もないのに後継者争いだなんて言ってしまったから。

 ああ、これはきっとそんな愚かな自分への報いが来たのかもしれない。

 ロノスティコは最後にそんな事を思って、地面に滑り込んだ。


「はぁっ……。はっ……」

「おっと、やっと限界のようだ」

「流石はアンドレイス家の血筋……なんだかんだ結構頑張っていましたね」


 ロノスティコが逃げられなくなって追ってきた三人の貴族はほくそ笑む。

 走れなくなったロノスティコは必死に土を掴みながら木の後ろへと身を隠した。

 そんな抵抗を見て、追ってきた三人は顔を見合わせて嘲笑う。


「おやおや、まだまだ子供のようですな。大人相手にかくれんぼでもするつもりですか?」

「――っ!」


 一人の貴族がその木に近付く。ロノスティコを引きずり出すために。

 ロノスティコは肩で呼吸しながら、ぎゅっと目を閉じた。


「ほら、お遊びは終わりですよ」


 悪意の手が伸びてくる。

 近い。近い。

 不快にすら感じる気配がロノスティコの顔の近くまで来た瞬間――!


「あ……? え……? あんじゃあああ!?」

「え」


 突然聞こえてきた奇妙な声にロノスティコは目を開ける。

 見えたのは薄暗い森に舞う鮮血。

 目の前で自分の方に手を伸ばしていた貴族が倒れた。


「あ……ああああ!? 腹が……腹がああああ!?」

「なに!?」


 貴族の腹に突き刺さる槍。蓄えた脂肪と投擲する力が多少弱かったおかげか生きている。

 しかし、このまま戦うなどできないだろう。

 ロノスティコを追っていた残り二人は見た。どこからか一直線に飛んでくる槍を。

 ロノスティコは腹に槍の穂先が刺さり、のたうち回っている男を不思議そうに眺めながら、こちらに走ってくる一つの影を見た。

 

「まったく! 世話の焼ける弟でたまらんな!」

「がはっ!?」


 走ってきたその影は勢いのままのたうち回る貴族の顎を蹴り飛ばす。

 痛がりながらも立ち上がろうとしていた男はその一撃で意識を飛ばした。

 そのまま、影はロノスティコを追ってきた二人の貴族とロノスティコの間に入るように立ち塞がる。


「はっはっは! 不届き者共め! 薄暗い森の中……子供を追い回す大人のなんと情けない姿か! その愚行……貴様らの後ろにいる腹黒貴族が許してもこのセルドラ・アンドレイスは許さんぞ!」


 三人に追われていたロノスティコを助けに現れたのは偶然その様子を見かけていた実の兄セルドラ。

 後ろのロノスティコどころか、セルドラの前に立つ男二人も驚きを隠せていない。


「なっ……!? なにを、なにを!?」

「まさか……弟を助けに来たのかこいつ……。そんな、そんな馬鹿な事があるのか!? 魔術がろくに使えない無能が……わざわざ殺されに出てきたと!?」


 ボロクソに言われてセルドラは呆れたように笑う。

 それは魔術だけならロノスティコよりも弱いだろう自分の弱さと愚かさに対してのものだった。

 登場したはいいものの、槍投げによる不意打ち以外にセルドラの手札は無い。

 その不意打ちでさえ予想以上に近いものだったが、それでもこの状況を覆せない。

 誰に言われなくても、セルドラはそんな事わかっている。自分に出来るのはこれが限界なのだと。


「ははは……無能、か。やはり外の連中から見ても俺はそんな評価だろうさ」

「お、にい……ざま……? なんで……?」

「はっ! なんだロノスティコ……ひどい声だな、お父様の執務室で俺に言い放ったあの勇ましさはどこに置いてきた? それとも、外で無能と呼ばれる兄が恥ずかしくて声も出んか?」


 それでもセルドラはこうするべきだと走ってきた。

 後継者争いだとロノスティコに喧嘩を売られている今、領主の子としては見捨てるのが一番得だった。

 政敵となっている弟が勝手に殺されてくれるのだから、都合が良すぎる。

 セルドラの立場は後継者争いを宣言される前の安泰あんたいなものに戻るのだから、ここで助ける事はデメリットにさえなるだろう。

 助けない場合の数多いメリットが思い浮かぶ中、それでもセルドラは――



「その無能がこんな事をしているのは我ながら馬鹿だと思うが……まあ、なんだ……今日くらいは、馬鹿になるのも悪くない」



 ――領主の子ではなく、ロノスティコのである事を選んだ。

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