59.狩猟大会4
狩猟大会の運営席はさながら豪奢なお茶会のようだった。
主催であるラジェストラは勿論、領主一族であるルミナに同じ席に座るのは王族であるメリーベル王女とアクィラ王子。
その後ろでは各護衛が物々しい表情で立っていて、おいそれと近付く事すら憚られる。
領主の腹心シャトランにルミナの護衛騎士であるコーレナ、そして王族二人の後ろには宮廷魔術師デナイアル……そして他の騎士達も。
他の貴族達の令嬢達にも同じようにテーブルと椅子は用意されているものの、このテーブルよりはどこも気楽で、誰がどんな成果を上げて帰ってくるかを和気あいあいと語る事ができるだろう。
しかし、それよりも貴族のご令嬢達を賑わせているのは森から帰ってくる貴族達の行き先だった。
「リーエン令嬢、自分の今日の獲物をあなたに捧げます」
「まぁ……!」
「きゃー!!」
一人の青年が令嬢の前で跪き、狩った獲物を捧げると同時に周囲から黄色い声が上がる。
これが狩猟大会が人気である理由の一つである。
参加した男性貴族は獲ってきた獲物を近しい女性に捧げ、思いを伝える。
それは母親であったり姉や妹のような家族、そして恋人に捧げるのも盛り上がるのだが……やはり一番盛り上がるのはまだ恋仲になっていない者達がこのイベントをきっかけに思いが通じ合う瞬間である。
ただの婚約者から本物の恋仲へ。
政略結婚から恋愛結婚へ。
貴族同士の繋がりのためという一面がどうしてもある貴族同士の結婚が、愛のあるものへと変わる情熱的なこのイベントはどの時代も人気だった。
我先にと率先して狩った獲物を女性に捧げたいのか、まだ時間はあると言うのに半数近くの参加者が森から戻ってきてしまっている。
「…………」
「あらルミナったらどうしたの? ご兄弟が心配?」
心ここに在らずといった様子で盛り上がっている会場と森を交互にちらちらと見るルミナにメリーベルが身を乗り出す。
ルミナに出された紅茶は冷めていて、お茶菓子には一切手を付けていない。
一方メリーベルは上品な所作ながらも、遠慮なくお茶菓子に手を伸ばし続けている。
ドレスのサイズなど後で直せばいいじゃない、と言わんばかりだ。
「はい、そのようなものです……」
「それとも……いひひ。あの側近候補が心配なの?」
にやにやと問うメリーベルにルミナはきょとんとする。
「え? いえ、カナタは多分大丈夫ですから……」
「……なんだ、つまらない。ちょっといい感じかと思ったのに」
「はい……?」
「わたくしでもやっぱ身分違いの愛って憧れるもの……ルミナもそうかと思って?」
「え……? え、い、いえ! そんなんじゃありません!」
顔を赤らめて慌てふためくルミナをにやにやと眺めるメリーベル。
そんな視線にルミナは拗ねたようにそっぽを向いた。
「あなたもあの側近候補に獲物を貰ったら……ああ、カナタだーいすき! なんて事になるんじゃなくて? いひひ、ルミナがそんな風になったらわたくし笑っちゃうわ!」
「もう、メリーベル様はいつもそうやって……私と顔を合わせる度に困らせてくるんですから……。そんな事が有り得ない事くらいわかるでしょう……?」
「いひひ! ルミナってば可愛いんだもの!」
「お姉様は……こういう人だから……。ごめんなさいルミナ様……」
「そうよ、アクィラに免じて許してあげて」
「は、はい……」
何故かアクィラが謝り、まるでメリーベルが譲歩したかのような雰囲気。
この二人の力関係が窺える。王族だからというよりは
「それで? 何が心配? 弟?」
「全員心配ではあるのですが……やっぱりロノスティコが一番心配ですね……。あの子はこういうのが得意ではないですから……」
「そうね、そういうタイプじゃないわよねぇ……何かあったのかしら?」
見透かしたかのようなメリーベルの瞳。これは疑問ではなく確認だとルミナは確信する。
メリーベルは後継者争いかどうかはともかく、セルドラとロノスティコの間に確執がある事に気付いているのだろう。
しかし、当事者であるルミナが後継者争いの件についてを肯定するわけにはいかない。
「さあ、ロノスティコも男の子ですから……こういった趣味にも興味を持ったのではないでしょうか? 普段から一緒に庭に出かけたり――」
「あれ、あなたの側近候補じゃない? ほら」
「え?」
メリーベルが指差したほうを見ると、森から出てくる少年がいた。
鳥の鳴き声と共に、腰のベルトに三匹ほどの獲物をぶら下げたカナタの姿。
誰かを探すようにカナタが歩いていると、一人の使用人が駆け寄る。当然ルイだ。
「お疲れ様ですカナタ様」
「お二人はまだ?」
「はい、戻っておられておりません……」
「そっか…じゃあ報告したらもう一度入るよ」
カナタの指示通りルミナの傍にいようとしたものの、どうやら運営席にはいさせて貰えなかったようで、領主一族の天幕のほうから駆け寄ってきたようである。
「よかったわね、無事みたい」
「はい……安心しました」
ルミナが一安心していると、カナタはルイに何かを耳打ちされると真っ直ぐに運営席のほうへと歩いてくる。
護衛の騎士達にボディチェックをされて短剣を没収されると、テーブルの前で一礼した。
「ほう、初めてなのによくやったではないかカナタ」
「ありがとうございます、森の中で他の方にアドバイスをしてもらったのもあって何とかなりました」
「流石は我等一族の将来の側近だ。それくらいできて当然というわけだ」
「いえ、最初はやはりわかりませんでしたから」
カナタはラジェストラの言葉にもう一度頭を下げる。
そしてメリーベルとアクィラにも会釈をしながらルミナの席の前で
「か、カナタ……?」
「ひゃー! ほんとに!?」
まさか、とルミナが頬をほんのり赤らめる横でメリーベルがそれを茶化す。
カナタはそのまま腰のベルトから二つ獲物を下ろしながら顔を上げた。
「ルミナ様、自分の今日の獲物をあなたに捧げます」
「あ、あ、ありがとうございます……」
「ほらぁ! ほらぁ!」
「め、メリーベル様……恥ずかしいです……」
メリーベルだけでなく会場のほうからざわめきが起こる。
前夜祭ですでに何者かと騒がれていたが……ルミナに獲物を捧げてもラジェストラが何も言わない。つまりはその行動を許されているという事。
ただの側近候補に思えないカナタの存在がこれを機に一気に注目を浴びた。
「それでは一度失礼致します」
「は、はい……ありがとうカナタ」
カナタはその場を後にすると、今度はきょろきょろと辺りを確認して別のテーブルへと。
そこには今回招待されている貴族の夫人達と同じテーブルを囲むカナタの母、ロザリンドが座っていた。
前夜祭はシャトランの都合で間に合わなかったようだが、狩猟大会には間に合ったようである。
「ふふ、久しぶりですねカナタ。少し見ない間に凛々しくなったような気がします」
「ありがとうございます母上」
カナタはルミナの時と同じようにロザリンドの前で跪く。
「母上、自分の今日の獲物をあなたに捧げます」
「まぁ……」
ルミナの時の湧き立つような光景とは違って今度は子から母への微笑ましい光景へと変わる。
同じテーブルを囲む夫人達から羨む声が上がる中、ロザリンドは跪いているカナタの頭を優しく撫でた。
「いつからこのように気の利く子に成長したのだか……ありがとう、嬉しいですよカナタ」
「……? 狩猟大会の時は近しい女性にこうすると先程ルイが教えてくれたのですが……みんなやるのではないのですか?」
「ふふ、なるほど……あなたらしいですね。さ、着替えてルミナ様のところへお戻りなさい」
「はい」
ロザリンドにも獲物を捧げるとカナタは血で汚れた服を着替えに天幕のほうへと歩いていく。
そんなカナタの背中を、ルミナはじっと見送った。
そして、メリーベルはそんなルミナをじっと見つめる。
「よかったわねー! よかったわねー!」
「そんなんじゃありません! カナタは真面目だからこういう事をしてくださるんです!」
「いいわねぇ、茶化しがいのあるロマンチック。わたくしもあんな風に獲物を捧げて貰いたいけれど、立場上受け取るわけにもいかないから……。あ、丁度いいのがいたわ! ねえデナイアル、今から森に行ったりしない? ほら、わたくしに獲物を捧げるためにとか?」
メリーベルが後ろを振り向くと、デナイアルは森の方に顔を向けていた。
紫の瞳はじっと見えない何かを見つめているかのようで動かない。
王族の質問を無視するなど今すぐ首が飛んでもおかしくなさそうで周囲は少しひやひやした。
「デナイアル! 聞いてるの!?」
「…………ラジェストラ様」
「む? なんだデナイアル殿?」
「ねえ今のは無視よね? 今のは無視したわよね?」
「まぁまぁ……」
デナイアルはメリーベルの声を無視して何故かラジェストラに声を掛ける。
ルミナがなだめるが、不服なのかさらにお茶菓子を口に詰め始めた。
そんな中、デナイアルは淡々と言う。
「恐らく森で何らかのトラブルが起きています……騎士達を向かわせたほうがいいかと」
「なに?」
人間に獲物と魔力の入り混じる森の中、そこまで正確に判断できるのは流石宮廷魔術師といったところだろうか。
デナイアルの言葉に多少腕に自信のある護衛達は少し困惑している。
人間と獲物が入り混じる森の中、そこまで正確に魔力反応を感じ取れる者は少ない。
「魔力が多すぎる……誰かが魔術を使って攻撃していますね……。獲物相手であればただのルール違反ですみますが……流石に、回数が……。誰かを狙っているとしか思えない頻度で……」
デナイアルが言い終わる前に、森の奥の方から空に向けて火が放たれる。
誰の魔術かはわからないが、狩猟だけならわざわざそんな事をする意味はない。
ラジェストラは音を立てて立ち上がる。参加者の中で誰が一番狙われる可能性が高いかなど言うまでもない。
「シャトラン、森に騎士を半数向かわせろ!!」
「はっ! 全員でなくてよろしいので?」
「ここに来ないとも限らん! 信頼できるものを森に向かわせろ!」
「承知致しました! キーライ!! 指揮を取れぇい!!」
シャトランの指示で運営用の会場を守っていた騎士達は森へと向かっていく。
騒然とした様子に、優雅にお茶をしていたご令嬢達からも流石に黄色い声が消えていた。
「っ! カナタ様お待ちを! もう少し体を休めてから……カナタ様っ!!」
「ルイ! こっちは頼んだよ!!」
「え? カナタ……?」
ルイの大声で天幕のほうを見ると、騎士団と同じく森に駆け出すカナタの姿。
ただならない会場の様子と森から火が上がったのに気付いたようで、帰ってきたばかりだというのに全速力で森の中へと飛び込んでいく。
「カナタ……」
森を見つめて心配そうにルミナはカナタの名前を口にする。
ルミナに獲物を捧げていた側近候補という事で森に飛び込んでいったカナタを見ていたのはルミナだけではなく、他の貴族や令嬢達もカナタの動きに注目している。
そんな会場の雰囲気を見て、ラジェストラだけは満足そうに頷いていた。
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