58.狩猟大会3
「はぁっ……はぁっ……」
息を荒くして、少年は追い掛ける。
嘲るように逃げていく狐は茂みの中に飛び込んでいとも簡単に少年――ロノスティコを置いていった。
ロノスティコは茂みに飛び込んでみるが、いるはずもなく。
途方に暮れたようなため息をついてその場に座り込んだ。
「お兄様に大口叩いてこれか……ロノスティコ……」
ロノスティコは体を動かす事全般が得意ではない。
今しがた狐を追っていた時だって身体強化のために魔力を全身に張り巡らせていた。
身体強化はあくまで魔力によって肉体を強めるが、当然強化なので元の身体能力にも影響される。
ロノスティコは十歳と子供な上に、セルドラと違って外で走り回るような活発な性格でもない。狐に追い付けなかったのは自分の元の身体能力が低い体とロノスティコ自身もわかっていた。
「まだ子供だから……十歳の子供の運動能力なんてたかが知れているわけで……。動物は大体魔力を保有しているし、そもそも森の中は彼らのテリトリーなんだから……」
仕方ない、と言い掛けてロノスティコは口を閉じた。
自分の情けなさに嫌気が差して膝を腕で抱える。
まるで茂みの中に隠れている獲物みたいに。
「お兄様は八歳の時にはもう……それにカナタさんも二年前から色々できていたなぁ……」
自分の言い訳を潰すかのようにロノスティコは二人の姿を思い浮かべる。
セルドラは魔術は得意ではないが、身体強化は得意だった。恐らくは狩猟の時に使うからに違いない。
カナタは二年前……今のロノスティコと同じ十歳の時に身体強化を使いこなしていた。こちらは戦場漁りという過酷な毎日を送っていたからだろう。
ロノスティコは知的探求心はあるが実戦経験も実践した数も少ない。
セルドラが魔術を遠ざけていたように、ロノスティコは運動を含めた身体強化までを遠ざけていた。
流石は兄弟というべきか、彼等は似た者同士……ロノスティコもそれはわかっていた。
それでも今回、後継者争いの話を持ち出したのはひとえにアンドレイス家の未来を
ロノスティコにとってセルドラは自慢の兄だった。
物心ついた時から何でもできて、何でも吸収して、それは先に生まれたからとかではない何かが自分の兄にはあると思っていた。
ただ一つ、魔術だけを除いては。
ロノスティコが魔術を学び始めて興味を持ち、魔術に没頭し始めて気付いた。
尊敬する兄は、魔術だけを遠ざけている。
自分が最も楽しいと思っているものを兄が遠ざけているとわかった時のロノスティコのショックは大きかった。一番遠ざけてはいけないものだとわかってもいたから。
――このままではアンドレイス家は。
ロノスティコの背中に寒気が走った。
セルドラが意図的に魔術を遠ざけている事に気付いたのは去年の事だった。
当時九歳ながらロノスティコも領主の子。魔術だけは絶対に遠ざけてはいけないと理解できていた。
だからこそロノスティコは意味が分からなかった。
尊敬する兄がそんな当たり前の事をわかってないはずがない。何故セルドラは目を背け始めるのかとロノスティコは必死に考えた。
……もしかしたら、長子が領主になると決まっているからではないだろうか。
そう結論付けたロノスティコはセルドラの競争相手になろうと決意する。
どうせ領主になるからと苦手を放置しているのなら、放置できないような状況にすればいい。
兄が本気になれば苦手でもきっと、きっと。
ロノスティコは誰より兄を信頼していたからこそ今回の件に踏み切った。
兄に必要なのは必死に、やらなければいけなくする状況だと信じて。
今回、狩猟大会に出場したのは兄の苦手だけを指摘して自分が苦手から逃げる事をしたくなかったからでもあった。
「お兄様、せめて……僕を処刑しないでくれるといいけど……」
貴族の後継者争いは争いの火種を残さないため大体は敵対した側を根絶やしにする。
兄がそんな事をするとは思えないが、それでもロノスティコは少し恐かった。
ほんの少し前まで一緒に
カナタも交えて、自分は本を読んでいただけだけど居心地がよかった。
「またあんな風に過ごせるといいな……」
微笑みながらそんな呟きをした後――何かが頬を掠めた。
「……え?」
一瞬の痛み。ロノスティコは頬に触れる。
ぬるり、と痛みと一緒に妙な感触が手に伝わってきた。
指が赤い。なんだろう。血だ。
じゃあ今飛んできたのは短剣かそれとも矢か。
ロノスティコは参加者が茂みに隠れている自分を誰かが獲物と間違えていると思って茂みから飛び出した。
「え、獲物じゃない! 人間だよ!! 僕は人間だ!!」
そうアピールして、もう一度何かが飛んできた。
ロノスティコは咄嗟に伏せる。その銀の髪を矢が掠めた。
「え? え……え?」
ロノスティコはわけもわからず走り出す。
人間だとアピールしたのに何故か放たれた矢。
恐怖が遅れてやってくる。もつれそうになる足を何とか動かす。
――間違えたんじゃない。
「やだ……やだ……!」
狩りの獲物ではなく"人間"を殺そうとしている誰かがいる。
その事実がロノスティコの視界を滲ませた。
「ひっ――や、いやだ……やだああああああ!!」
自分を追ってくる複数の足音が現実を教えてくる。
獲物と間違える、という善良な勘違いをする少年に悪意を向けて。
「ふぬぬ……いくら狩ってもいらいらする……!」
セルドラはベルトに四匹目の獲物を下げて、槍の穂先から血を拭う。
狩猟大会が始まって二時間……ペースは順調だったが、その表情は順調な人間とは思えないほど不服そうなものだった。
原因は勿論狩猟大会、ではなくロノスティコとの一件だろう。
まさか弟に立場を脅かされるとは思ってもみなかった。
「そんなに嫌われていたのか、俺は……? いや、このセルドラが家族に嫌われるなどあるはずがない……」
と、口にしてみるもいつものキレが自分にない事に気付く。
いつもはもう少し自信満々に、胸を張ってそう言えた気がする。
それができないのはロノスティコに指摘され、エイダンにも報告された……苦手分野をそのままにしていたという弱みが自分にあるからだった。
セルドラにとって魔術は唯一、うまくいかない分野だった。
他の事は一度や二度聞いたりやれば要領が掴めるのだが魔術は何故かそうもいかない。
そんな事は初めてで、つい遠ざけてしまった。それをずるずると続けてこんな事になっている。
子供らしさと言えば聞こえはいいが、領主の子としては致命的。それもわかっていた。
ロノスティコの言う通り、自分は今のままでは領主に相応しくない。
……そんな事はわかっている。いやわかってはいなかったからこうなったのか。
「うむ……それはそれとしてむかつくな、ロノスティコのやつめ……!」
それはそれ。これはこれ。ロノスティコの指摘はもっともだが、突っかかられた事に怒りを覚える自分は変わらなかった。
こうなったら正々堂々勝ち取ってやろうじゃないかとセルドラは肩で風を切るように堂々と歩く。
これでこそ自分だ。後は馬に乗れればよかったが……生憎、狩猟大会には持ち込めない。獲物と間違われてしまう。
「ん……?」
セルドラは見覚えのある銀髪が見えて、遠くを見るように目を細める。
全速力で走る小さな影……噂をすればロノスティコだ。
何かを追い掛けているのか、いつになく必死に見える。
「ははーん……? 俺に魔術が苦手だと言った手前、何とか獲物を仕留めようと必死みたいだな……ははは、あいつこういうの苦手な癖に……あ?」
ロノスティコが通ってから少しして、三人の影がロノスティコと同じ方向に走っていくのが見えた。
セルドラにも見覚えのある顔だった。
前夜祭でも少し話した……確かベルナーズ派閥の貴族達だったはず。つまりはアンドレイス家にとってあまりいい存在ではない。
「まさか……ロノスティコを追っているのか?」
貴族としての顔が好都合じゃないか、と覗かせた。
後継者争いなんてどっちかが死ぬに決まっている。そういうものだ。
ロノスティコが勝手に殺されてくれるなら戦わずして自分の勝ちだ、と。
「ははは、流石は俺……運にも恵まれているようだな。まぁ、狩猟大会なんて事故はつきものだしな、事故に見せかけてというやつか。とはいえ大胆な奴等め、その意気やよし! 今日くらいは……見逃してやろう!」
やはり世界は自分を祝福しているという自信を抱きながらセルドラはロノスティコ達が向かう方向から背を向けた。
「今日……くらいは」
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