57.狩猟大会2

「む……」

「あ」


 カナタがとぼとぼと森の中を歩いていると、一人の男と出くわした。

 よりにもよって、という言葉が頭に浮かぶ。

 騎士団の長である父シャトランに劣らない体格を持つブリーナの息子……パレント家の長子ウォローだった。


「こんにちは、ウォロー殿」

「ふん……」


 その手にはすでにぶらんと生気のない兎がぶら下がっていた。

 この短時間ですでに獲物を一匹しとめたらしい。


「凄いですね、もう一匹仕留めているだなんて」

「当然だ、狩猟大会というのはあらかじめ捕まえておいた獲物を改めて会場で放して行われる……最初は獲物の数も多い上に、慣れてない環境で動きが緩慢かんまんな個体もそこらにいる。序盤のほうが楽なのだよ」

「なるほど、言われてみれば確かに」


 雑談からの流れか、カナタとウォローは並んで歩く事になってしまう。

 間に流れる重苦しい空気は間違いなく気のせいなどではない。

 カナタはウォローが自分をよく思っていない事を理解して遠慮しているし、ウォローのほうもそんなカナタを気遣って歩み寄る理由などないのだから。


「見ろ」

「え?」


 そんな空気のまま成り行きで二人が歩いているとウォローはカナタの方を掴んで立ち止まらせる。

 ウォローが指を差した先には兎を捕食しているヤマネコがいた。

 人が獣を狩るように、獣もまた獣を狩る。それが当たり前だ。


「初心者はああいうのが狙い目だ。基本的に慣れぬ環境で変な行動をとる奴を狙う。

知らぬ場所にいる自分を落ち着かせるように食事をとっている肉食や周囲の環境そのものにすら怯えて震えている小動物がいい。兎なんかが大体そうなる」

「……」

「何をしている。武器を取れ」

「はい」


 カナタは懐から短剣を抜き、魔力で腕を強化する。

 息を殺して狙いを定め、ヤマネコが警戒のためか頭を上げて、肉を貪るためにもう一度下げた瞬間――視線の先にいるヤマネコ目掛けて短剣を投げた。


「ぎにぁああ!!」


 首に短剣が突き刺さったヤマネコは悲鳴を上げて絶命する。

 カナタがまだ成長途中であっても身体強化された腕力で短剣を投げれば、普通の獣はひとたまりもない。

 普通であればこんなうまくは行かないだろうが、慣れない環境という獲物側のハンデとウォローのアドバイスがカナタに初めての狩りを成功させた。


「ちっ、お見事」

「はは、なら舌打ちしないでくださいよ」


 貪られた兎の上に力無く倒れるヤマネコ。

 ウォローに教わりながらヤマネコの喉を切って血抜きをし、内臓も取り出す。

 食用にするわけではないが獲物の腐敗は出来るだけ予防するに越したことはない。


「……ずいぶん血に慣れてるな。この作業が苦手な者も多いんだが」

「ええ、昔からこういうのは大丈夫なんです。自分でやるのは初めてですけど、料理の時に肉は見ていたりしますし」

「道理で処理のほうは大してうまくないわけだ」


 頭上で鳥の鳴き声が一つして、どこかへ飛んで行った。

 カナタは自分が戦場漁りだった頃を思い出す。

 あの惨状を見ていたら慣れていて当然、否……慣れるしかない。

 戦いに慣れているわけではないが、血には慣れた。慣れないと戦利品を漁るなどできないし、そうなれば明日生きるご飯はないのだから嫌でもそうなる。

 そうする事でしか生きられない子供には嫌がるという選択肢すらないのだ。


「ありがとうございますウォロー殿。おかげで手ぶらは避けられました」

「ふん……」

「『水球ポーロ』」


 カナタは唐突に魔術を唱えて、巨大な水の塊が手の上に現れる。

 その水の中に手を突っ込んで、手首まで赤くなった手を洗い始めた。


「ずいぶんでかい水球ポーロだな……というより、魔術は禁止だぞ」

「狩りに魔術を使うのが禁止なだけですから……それも正直緩いというか抜け道がありますし……というより、狩猟大会はそういうのが前提な気がします。確認方法が獲物の状態を見てというのはちょっと曖昧すぎますから」

「なんだ……冴えない顔して案外頭が回るじゃないか」

「ありがとうございます」


 カナタは手を洗い終わるとその水の塊をヤマネコを冷やすように濡らしながら撒いて、ハンカチで手を拭う。


「流石は、母を倒した子供というわけか」

「……その話をするために?」


 恐らくは、ずっと切り出したかった話題をウォローはついに口にする。

 カナタは表情を崩さない。ハンカチで手を拭って、処理の終わったヤマネコを腰のベルトにくくってぶら下げた。

 ウォローはブリーナの子であり、一般的に広められた話ではない二年前に起きた事件の真実も知っている。カナタに会えばその話をしようと思うのは当然なのかもしれない。


「俺はとっくに成人していて、二十二だ。母の手からとっくの昔に離れている。もうじきパレント家の当主にもなる男だ……だから理解している。二年前の事件は母が全面的に悪いとわかっている」

「……」

「だがそれでも恨んだよ。憎んだ。ああわかっている、逆恨みだ。二年前などディーラスコ家に乗り込んで殺してやろうと思っていたくらいだ。逆恨みだとわかっていながらだ」

「母親が処刑される原因になったのだから当然でしょう。ウォロー殿が俺を恨むのは逆恨みなんかじゃない」


 カナタはウォローを見上げて、視線を合わせる。

 その黒い瞳はそらさずにカナタは言い切った。たとえ今襲い掛かられても、逆恨みなどではないと。


「……だがな、母と最後に話した時に"最後に凄い生徒を教えられた"と母は言った」

「っ!」

「数日後には誰にも知られず処刑されるというのに、満足そうに嬉しそうに。後悔などまるでないというかのようにだ」


 ウォローの瞳に敵意は無い。ただ複雑な何かが渦巻いている。

 母の言葉を通して見るカナタはどんな姿をしているのか、誰にもわからない。


「そして君に会って、嫌味を込めて自己紹介をしたら……君は後ろめたい事などないと言うかのように堂々としていて、そして本気で母が亡くなった事を残念がっていた。

俺とて貴族の端くれだ。わかってしまう、君は本気で自分の事を母の生徒だと言っていた」

「当たり前です、誤魔化すような事を言う理由がありません」

「ああ……だから、わからなくなったよ。恨み続けていたはずなのに、君と母の言葉が俺の中に納得のようなものを運んできているような気がする。こんな社会に生きているからか、誤魔化しではない本当の言葉が妙に染みるよ」


 ウォローはそう言って、カナタと別れるように後ろを向いて歩き出す。


「昨日、母も喜んでくれるでしょうと言ったのは……本心だ、カナタ殿」

「はい、わかってます」

「きっと君と母の間にしかわからない会話があったのだろうな……ああ、昨日手を強く握ったくらいは許してくれよ。大人げないとわかっていたが、それでもあれくらいはしてやらないと気が済まなかったんだ。君にとっては凶行に走った危ない女でもあるかもしれないが、俺にとってはずっといい母だったんだよ」

「俺にとってもブリーナ先生はいい先生でしたよ」

「はは……なんだよ……君がもう少し母を恨んでくれたら、俺も君をずっと恨めたのになぁ……この世は複雑だよ、本当に」


 ウォローは小さく笑って、カナタから遠ざかるように歩きながら手を振る。

 こちらを向かずに振られた手にカナタは頭を下げて、頭を上げた時には草木が生い茂る奥の方へとウォローの姿は消えていた。


「……挨拶、か。昨日はどうなるかと思ったけど、会えてよかった」


 カナタはウォローが向かった方向とは反対方向へと歩き出す。

 恐らくはウォローも次にばったりと会いたくはないだろう。

 こんなにもさらけ出した後にまた偶然出会ってしまうのは、なんというかきっと……お互いに気まずいに違いない。

 カナタはほんの少しだけ表情を明るくさせながら、セルドラとロノスティコを探しに駆け出した。

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