53.貴族の戦場

 前夜祭は領主家自慢の庭園で行われる。

 カナタ達が普段交友を深めている森ではなく、城の正門から進んだ所に位置する庭師によって丁寧に整備された庭園だ。

 今回の前夜祭用に庭園全体にタイルと赤絨毯が敷かれ、料理が並べられたテーブルと飾り付けられた椅子がいくつも用意されている。

 魔道具と高価な燭台が夜間でも昼のように明るく照らしており、木々ですら飾り付けられた華やかな装飾は公爵家の圧倒的な財力を見せ付けている。


 屋内でのパーティーならいざ知らず、屋外でこれだけ不便なく華やかな会場が整えられているのは珍しく、招待された貴族達も会場に入る度に感嘆の声を漏らしていた。

 ……しかし、そんな会場の華やかさに慣れてきた貴族達が注目するのは一人の少年だった。


「ルミナ公女の近くにいるあの少年は……?」

「使用人、でしょうか……いえ、それにしては……」

「ルミナ様は男性が苦手なはずでは……」

「男児は接近禁止となっているからな……まさか女……? いや、そんなわけはないか……しかしこう言ってはなんですが、その……少々……」

「……冴えない方だこと」

「こら、言葉を選びなさい」


 貴族達の視線は主催者に座るルミナの傍らにいる、燕尾服を着た見慣れない少年カナタに集まる。

 会場で来客の貴族達と話すラジェストラやセルドラ、そして初めて社交の場に姿を現したロノスティコよりも、カナタのどこか場違いに見える様子がそうさせていた。

 なにより空いていると思われていたルミナの側近の席がすでに空いていないかもしれないと思うと、派閥貴族には多少の焦りもある。


「あ、あの、カナタ……気を悪くされないでくださいね?」

「はい、大丈夫ですよ」

「本当ですか?」

「はい、本当に」

「です……けど……」


 心配そうに、ルミナはカナタを見上げる。

 カナタは側近らしくルミナの近くで背筋を伸ばして微動だにしない。

 そんな側近として当たり前の様子、ルミナには普段とは違う風に映った。


 喋っているというのにカナタの視線はどこか遠くにある。

 初めての公の場という事でカナタが緊張しているのかもしれないと、ルミナは追究しようとはしなかった。

 護衛騎士のコーレナもドレス姿とはいえ同じようにルミナの周辺を警戒しているのだから、カナタがこうして気を張っているのは間違っていない。

 

(これが……貴族の世界、か)


 カナタは貴族が集まる煌びやかな会場を眺めながら、心の中で呟く。

 夜を照らす魔道具と燭台、並べられた食事とグラス。

 煌びやかな女性のドレスと貴金属と一緒に裕福さを強調する男性服。

 戦場で必死に拾っていたあらゆるものよりも高価なものがここにはある。

 一つ一つは自分がどれほど遠くに来てしまったのかを再認識させるかのよう。


 アンドレイス家やディーラスコ家を訪れた時にも、違いを感じる事は多々あった。

 あまりにも違い過ぎてベッドで寂しがっていたのもカナタの記憶には新しい。

 そんな環境の変化に戸惑いを持ちつつもそこに住む人達の人間性が、すぐにその寂しさを払ってくれたし、世界が違い過ぎても同じ人間だと認識させてくれた。

 けれど……ここは違う。


(誰も、本音を出していない)


 一見すると華やかで豪華、外から見れば誰もが羨むような環境。

 だがカナタは初めてだからか、会場で会話しているほとんどの人間に気味の悪さを感じた。

 笑っているのに何を考えているのかわからない。

 笑っているのに楽しそうな人間がほとんどいない。

 笑っているのに、笑っていない。

 その表情の下に全員が何かを隠している。

 当たり前だが戦場とは全く違う。必死に、剥き出しに、隣り合わせの死に怯えていたのに。

 死体ですら、最後の感情を残酷なほど雄弁に語っていたのに。

 ここにいるのは本当に人間なのか、とカナタは子供ながらにそんな事を真剣に思考してしまっていた。


「なんというか、みんな、笑ってるのに……。人形、みたいだ……」


 カナタはつい気味の悪さから自分が感じた違和感を口にしてしまった。

 幸いな事に聞いていたのはルミナとコーレナだけだった。


「……カナタはそう感じるのですね」

「申し訳ありません。失礼な発言でした」

「他の所で言っては駄目ですよ?」

「はい……」


 主催側の側近候補が招待客ゲストを不快にさせるかもしれない発言。

 明確な失態ではあるが、ルミナは注意するだけでコーレナは聞かない振りをしてくれていた。


「わかりますよ……。私も少し、恐いです」


 それどころかルミナはカナタの意見に賛同しながら話を続けた。

 コーレナが少し首をルミナに向けて、周囲を見る。ルミナに挨拶しようと近寄る貴族達がいない事を祈って。


「笑顔の仮面を被って、相手の容姿を観察して、他愛のないお話をする陰で相手から情報を引き出そうと探って、時にわざと情報を漏らして……貴族の集まりとはそういう所なんです。女性だけのお茶会でもそれは変わりません。むしろ同じテーブルに同席している分、苛烈になったりするくらいですから。

こうして貴族達はお互いを牽制したり、地位の低い家の令嬢をいじめたり、事業に失敗した人を心配する振りをして追い詰めたり……逆に成功した家に擦り寄ったり……。趣味が悪い貴族もいる事は否定できませんが、あの笑顔の仮面は真意を知られないための最低限の武器なんです。地位という明確な差もあって、ああしないと見せかけですら対等になれないから貴族は笑顔を浮かべるんですよ」

「……なるほど」

「馴染みのないカナタには奇妙に映ってしまって当然だと思います……ごめんなさい、うまく説明できなくて……」

「いえ、むしろ……納得しました」


 ルミナの説明でカナタの中にあった気味の悪い違和感が急速に消化されていった。

 笑顔は武器、煌びやかな外見は鎧、言葉や情報は魔術や魔力と言う所か。

 そう考えるとこの光景もカナタにとっては見慣れたように感じてくる。

 目の前の光景と重なるように、記憶が戦場の様子を映した。


「ああ、ここはある意味……貴族の戦場なのか」


 そう思えるようになって、カナタの緊張が一気に解けた。

 貴族達は笑顔の仮面の下に必死さや剥き出しの感情を隠して、今ここでは戦いが行われているのだ。

 ほんの少しでも今の地位より上に行くようなきっかけ、甘い蜜を吸えるような関係を構築するためにと戦っている。その手段が会話であるというだけ。

 カナタがそう思えるようになって、会場にいる貴族達が人形から人間に見えてきた。

 今にも吐きそうだった気味の悪さはどこかへ消えていってくれた。


「ありがとうございますルミナ様」

「ふふ、私でもお役に立てましたか?」

「お陰様で何とかやっていけそうです」

「よかった……」


 こっちを向いてお礼を言うカナタにルミナも笑顔を浮かべる。

 会場のあちこちでルミナのほうを見ていた貴族の子供達の数人から呆けたような声が上がった。 

 今日のルミナはミントグリーンのドレスを着ていて、他に比べると地味な装いだが……そんなものは関係無いと言わんばかりに同年代の異性を虜にしていた。


「スターレイ王国第四王女メリーベル・ファレナ・ノーヴァヤ様……並びに第七王子アクィラ・スカルタ・ノーヴァヤ様のご臨場りんじょうです」


 ルミナとカナタが笑顔を向け合っている中、どこかから声が響く。

 会場のあちこちで起きていた会話やざわめきは収まって、会場の入り口のほうに一斉に視線が向いた。

 座っていた貴族達は立ち上がり、ルミナもまたその声で立ち上がる。

 身分の高い者ほど入場は後になる。つまりこれが最後の招待客という事だ。


「あら、とってもお洒落……流石はアンドレイス公爵、センスがいいわぁ」

「姉さん……転んだら危ないよ……」

「その時はアクィラがクッションになって! いしし!」

「えー……そこは側近にさぁ……」


 会場に入ってきたのは気の弱そうなカナタより年下の少年のアクィラ、ルミナと同年代くらいの少女メリーベル、そしてその二人の護衛のように付き従う一人の青年だった。

 共に継承権を放棄している王女と王子だが、それでも王族である事に変わりはない。二人が入場して貴族達の近くを通れば自然とその貴族達の頭が下がる。

 カナタはぎょっと王女メリーベルのほうに目がいった。正確にはその金の髪にだ。

 その髪型はカナタにとって衝撃で、頭の両脇に二つで結んだ髪の束がまるで螺旋のように綺麗に渦巻いている。


「あ、あれ……どうやって……!?」

「カナタ」

「ごめんなさい」


 あまりの衝撃に声が漏れたがコーレナの一声でカナタは口を閉じる。

 それでもメリーベルの金髪縦ロールがよほどだったのかカナタは驚愕を隠せない。

 しばらくメリーベルの髪を見て、目をぱちぱちとさせていた。


「あらごきげんよう公爵! 素敵な会場ですわね!」

「ようこそおいでくださいましたメリーベル様、アクィラ様」

「こんばんは……」

「それにデナイアル殿もようこそ」

「お招き誠に光栄です公爵様」


 メリーベルとアゥィラ、そしてデナイアルと呼ばれる護衛がラジェストラに挨拶すると会場に会話が戻る。

 主催ホストへの挨拶が終わったからだろうか。

 ラジェストラも普段の態度とは全く違っていて、珍しく目上の者への態度で接している。


「フロンティーヌ夫人はどこに? 久しぶりに挨拶したいのだけれど」

「申し訳ございません、体調不良のため前夜祭は欠席となっております。謝罪の言伝を預かっておりますのでご容赦を。本番のパーティーには出席する予定ですので……」

「あら残念……お見舞いの品を持ってこなくてごめんなさいね」

「滅相もございません。妻は欠席こそしておりますが、前夜祭の会場を庭園にするアイデアは妻のものです。メリーベル様とアクィラ様が楽しんで頂ければ最高の見舞いとなるでしょう」

「まあまあ! 素敵だと思ったら流石はフロンティーヌ夫人!」

「素敵な会場です……ありがとうございます……」


 ラジェストラは二人に見た事のない笑顔を向けている。

 カナタはその笑顔が一番奇妙に映った。なるほど、あれは間違いなく仮面だ。でなければラジェストラがあんな気持ちの悪い笑顔を浮かべるわけがないと勝手に納得する。

 そんなばれたら極刑ものの呟きを心の中でしていると、ラジェストラがこちらを向く。一瞬ばれたのかとカナタはひやっとした。


「代わりと言うのもなんですが、紹介したい者がこちらにおります」

「へぇ? あの子?」


 ラジェストラはメリーベルとアクィラ、そして護衛のデナイアルを連れてこちらのほうへと。

 ルミナが二人に向けて一礼すると護衛騎士のコーレラも同じように、続いてカナタも真似をするように頭を下げた。


「ルミナ! おひさ!」

「ご無沙汰しておりますメリーベル様、アクィラ様」

「フロンティーヌ夫人はご病気だと聞いたわ……あなたは大丈夫? わたくしの記憶の中のあなたは夫人にべったりだったから」

「周囲の支えもあってなんとか……」

「相変わらず謙虚ねぇ!」


 メリーベルはルミナの手を握り、笑顔でぶんぶんと振る。

 いい意味で王女らしさを感じない雰囲気でルミナとも交流があるようだった。アクィラのほうもルミナの事を知っているのか挨拶は会釈をするだけだった。


「それで公爵? この子が紹介したい子?」


 ずいっ、とメリーベルはカナタの事を覗き込む。

 大きな金の瞳に嫌でも目がいく揺れる縦ロール。カナタは何とか平常心で一礼する。


「はい、我が腹心の一族ディーラスコ家に養子として迎え入れたカナタです。この歳ながら大人顔負けの魔術の実力を持っているので、我が子三人の誰かの側近に付けようかと考えております」

「まぁ!」

「すごい……」


 ラジェストラの大袈裟な紹介にカナタは抗議の視線を送りそうになる。

 王族二人から感心の目を向けられて、カナタは覚悟を決めて自己紹介をした。


「現在、側近候補としてアンドレイス家で実務を学ばせて頂いているカナタ・ディーラスコと申します。お目にかかれて光栄ですメリーベル様、アクィラ様」


 ここは貴族にとっての戦場。

 ならば、元戦場漁りの自分も順応しなければと笑顔を作って。

 王族二人への挨拶をもって、カナタは元いた世界から本格的に離れたような気がした。

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