幕間 -私の主君-

 私はランセア男爵家という小さな家に生まれた。

 領地もなく、金もない、ただ名前だけが残っているだけの名ばかりの貴族。

 両親は名ばかり貴族をいい事にギャンブルを繰り返し、借金を残してそのままどこかへ逃げてしまった。

 当然爵位は剥奪され、家に残った僅かな家具なども没収されて私は貴族の贅沢など全く知らずに平民となった。

 そのままでは生きていけないので仕方なく仕事を探していると、たまたまディーラスコ家の使用人を募集していたので転がり込んだ。

 採用されたのは元貴族で文字が読めたかららしい。

 ………………あ、そう。

 

 私は要領がよかったのかすぐに仕事を覚えた。元々名ばかりの貴族だったのでプライドなんてない。

 誰かにつかえるというのがどういう事かもわかっていなかったし、ただ生きるためだけにこの仕事を選んだから正直ディーラスコ家の方々を尊敬もしていない。

 シャトラン様とはあまりお会いしないし、ロザリンド様は綺麗だけど恐くて近付けない、エイダン様は甘やかされた子供といった感じだ。

 忠誠だなんて、一介の使用人がするには重すぎるとも思っている。

 なにより、私には縁が無い事だろうと思っていた。

 そんな風に数年、使用人としての仕事を続けていると同僚が噂話を持ってきた。


「ルイ、聞いた?」

「ん? 何を?」

「シャトラン様がね、子供を引き取るんですって。なんでもどっかの領地でやらかした貴族の子供らしいわ」


 ………………は? なにそれ?

 私の時はそんな事してくれなかったのに。そう思った。


「へぇ、そうなんだ」

「あなたは興味が無い?」

「別に、私達の仕事が何か変わるわけじゃないでしょ?」

「まぁ、そうかもしれないけれど」


 その場は興味無いふりをしててきとうに返事した。

 この時うまく声を出せていたか自信が無かった。


 最悪な事に私は要領だけはよかったせいか、その子の世話係になってしまった。

 名前はカナタ。エイダン様より一つ年下の男の子らしい。

 長年抱いていなかった不満。意味の無い嫉妬。

 それらが積み重なって、私はどうしようもなくいらついていた。


「洗顔用の水とタオルなんですよね……? 支度するので、ください」

「え……?」


 だから、この子が何も知らないとわかった時に意地の悪さが顔を覗かせた。

 養子に来たカナタは世話係が何をするのかも、朝支度を使用人にさせる事すら知らない子供だった。

 きっと、この時の笑顔は私がした中で一番醜かっただろう。

 貴族様をぞんざいに扱っても、無知を嘲笑ってもこの子は気付く事はなかった。


「ええどうぞカナタ様。せっかく持ってきたのですから、こぼしたりはしないでくださいね」

「うん、ありがとう」


 嫌味混じりの言葉にすらお礼を言ってくる無知があまりにもおかしかった。

 世話係なんて最悪だけど、少しは面白いからいいかと思えた。

 それから朝の支度はやらず、風呂を温かくするのも面倒だったからやめて、着替えも手伝わない。

 毎日毎日、そんな風に嫌がらせまがいのサボりを続けていたがカナタは私がそんな事をしているとすら気付いていないようだった。

 毎日八つ当たりをしても、それにすら気付かないなんて……最高だと思った。


「その使用人を殺せ」


 そんな事が長く続くわけないのに。

 副騎士団長にほとんど引きずられて、私はシャトラン様にそう宣言された。

 ばれた。ばれたばれたばれた。

 ほんのお遊びのつもりだったのに。

 ばれた原因はカナタが領主家に招待され、そこの使用人に色々と世話されたかららしい。

 ……何で、すぐばれるってわからなかったのだろう。


 シャトラン様の怒り、ロザリンド様の無関心、エイダン様の呆れた顔、そして私を処刑するのに何の躊躇いも無いであろう副団長の無表情。

 誰もが私ごときの命なんかどうでもよさそうだった。

 嫌だ。死にたくない。だって、こんな事で。ただ仕事をサボっただけなのに。

 わかってる。私だって元貴族だから。サボったから殺されるんじゃないってわかってる。

 私如きが、貴族を舐めたから殺されるんだ。

 そう気付いた時には涙が止まらなくなって、死にたくないと声を上げる事すらできなかった。


「ルイを許してやってください……とまでは言いませんが、罰を軽くしてあげてもらえないでしょうか」


 そんな救いの声が聞こえてくるまでは。

 あろう事か、私を救ってくれたのは嫌がらせしていたカナタだった。

 カナタはあれこれシャトラン様を説得して、私を解放してくれた。


「さ、行こうルイ」

「か、カナダ、様……!」

「歩ける?」

「は、はい……」


 何故、この子は私を助けたんだろう?

 私に嫌がらせされていたというのがわかったはずなのに。

 恐怖から解放されて、泣きじゃくりながら私はそんな事を考えいた。

 どこまでも私は嫌な女だと思う。すぐにありがとうと感謝する事さえなかった。


「うん、こうして冷やしておけば大丈夫そうだね」

「…………」


 カナタは私を部屋に連れていって、痛めた肩を冷やしてくれた。

 私のために医者など呼んでくれるはずがないので魔術で出した水の球でずっと。

 ……何か水がでかすぎるのは気になるけど、痛みは確かに引いてきた。


「……何故、私を助けたのですか」


 安心したからか私は気付けばこんな質問をしていた。

 カナタはそんな事を聞かれると思っていなかったのかきょとんとしていた。

 養子だからと見下して、扱いを雑にした相手が今こうして助けられた様はどれほど滑稽だろうか。

 助けられてほっとしている自分の浅ましさまで恨めしい。

 自分がどれだけちっぽけな人間かを思い知らされているようで。

 そうだ……私はまた八つ当たりをしようとしていたのだと思う。

 憐れみか、と性懲りもなく嫌味を言いたくて。自分より年下の子供に。



「寂しい、から」

「……は?」



 返ってきた答えは想像もしていないものだった。

 カナタは少し照れくさそうにしていた。


「ルイは嫌だったかも、だけど……ここに来て、なんだかんだルイと俺はずっと顔を合わせてきたでしょ?」


 当たり前だ。世話係なんだから。


「俺は、前にいたとこで好きだった人達と別れて……一人だから。だから、少しの間だけどずっと顔を合わせてたルイがいなくなったら寂しいなって思っただけなんだ。ごめん、もっとかっこいい理由だったらよかったんだけど」


 恵まれていると思っていたはずの子供にはここに来る前に別れがたい誰かがいたらしい。

 寂しい、と弱音を吐く姿はどこまでも普通だった。


「ただ……ルイに、ここにいてほしかったんだ」

「――――」


 初めて……誰かにそう言われた。

 両親でさえ、私を置いて逃げていった。

 この職場も、私を欲しがってなんかいなかった。

 生まれてから誰にもそんな言葉を貰った事なかったから、


「え、え、え!? る、ルイ!? 痛い!?」

「ぁ……」


 私はボロボロとまた泣いてしまった。

 死が迫る恐怖ではなく、喜びから。そして後悔から。

 私は一体何をしていたのか。

 勝手に嫉妬して、勝手に不満を抱いて八つ当たりをして。

 そんな私に、いてほしかった、と言ってくれる子に。



 ――この人のために生きよう。



 私がここにいる理由を、この人から貰った言葉にしたい。

 寂しいと子供らしい弱音を吐きながら、嫌がらせをしていた私なんかを救う器が同居しているカナタ様に私は未来を見た。

 仕えるというのがどういう事なのかわかった気がした。

 誰かに忠誠を誓う人の気持ちが、ほんの少しだけわかった気がした。





「こうして! カナタ様が寂しくないように私はお姉ちゃんになるのを決めたってわけ!」

「一体どういうわけなのよ!?」


 休憩時間、私はあの日死んでいたはずの昔話を同僚にした。

 当時何があってあんなに変わったのかと驚かれていた私の思い出を、当時あんな事があっても私と変わらずに接してくれた子だけに。


「あ、カナタ様の昼食が終わっちゃう! 迎えに行かないと! じゃあまた後でねセーユイ!」

「ちょっと! 何でお姉ちゃんなのよ!? 最大の謎を残して行かないで!」


 眼鏡の似合う同僚の制止を無視して私は足早にカナタ様の下へと向かう。

 それだけは言えないなぁ、と聞こえない振りをして。


 ……あんな子に寂しいだなんて言われたら、うやうやしくただ使用人に徹するなんて出来なかった。

 カナタ様が求めていらっしゃるのはきっと近い距離の誰かだったから。

 だから、私は使用人としてのラインを守りながら、なるべく近い存在になろうと決めた。

 不敬だと処刑されるとしても、主君のために私はお姉ちゃんとして振舞い続けよう。

 同年代のお友達がいっぱい出来て、カナタ様が寂しいなんて言わないようになるまで。


「カナタ様!」

「あ、ルイ。毎回迎えに来てくれなくてもいいんだよ?」

「何を仰るんですか! カナタ様も私に会いたかったでしょう? 何せ朝ぶりの私ですから!」

「え? えっと……うん? そうだね?」

「カナタ様?」


 きっとその時には私のほうが寂しがる事になるんだろうけど……それまで、ね。



――――


お読み頂きありがとうございます。

一区切りの閑話となります。ルイのお話でした。

次回の更新から第三部となります。是非読んでやってください。

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