41.猛犬の養子

 この一ヶ月間、カナタはただ無意味に過ごしていたわけではなかった。

 自分が貴族の養子となったのは魔術滓ラビッシュに刻まれた術式の欠片から魔術を習得する事が出来るという特異さゆえ。

 ならば、エイダンから出たであろう黒い魔術滓ラビッシュの術式を解読するのが自分の出来る事なのだと毎日毎日部屋に戻ると奮闘していたのだが……。


「名前がわからない……!」


 熱が治った後も最初に覚えた『炎精への祈りフランメベーテン』の時とは違い、カナタの頭に魔術の名前が浮かび上がる事は無かった。

 そう、カナタの魔術滓ラビッシュから読み取った術式から魔術を習得する方法はカナタ自身もまだよくわかっていない部分が大きい。

 今回の一件はそれをカナタ自身が思い知らされる一件だった。

 黒の魔術滓ラビッシュの中に見た術式はわかる。だが名前が思い浮かばない。名前を唱えなければ術式の欠片を記録していようが魔術は使えないのだ。


「なんでだ……最初は出したいと思ってないのに出た癖に……」


 テーブルで頭を抱えながら悩むカナタ。

 前と何が違うのかがわからない。魔術滓ラビッシュが少ないのだろうか?


だって事は何故かわかるのに名前がわからないから腕で何するのか全くわからない……精神を操るのに腕って何するんだ……?」


 名前はわからないのだが、高熱の中でも握り締めていた術式の欠片から腕を作る魔術なのはわかっていた。何故わかったのかはカナタ自身もわかっていない。

 うんうんと悩んでいると、ふと思い出した。


「待てよ? そういえば『水球ポーロ』の時も……名前を教本で見たからわかっただけで魔術滓ラビッシュを見ても名前はわからなかったな……」


 少し前、訓練場で拾った魔術滓ラビッシュから『水球ポーロ』を覚えた時の事を思い出す。

 あの時も魔術滓ラビッシュから術式の欠片を読み取ったが、最初の時のように名前が頭に思い浮かぶ事はなかった。


「もしかして……術式には魔術の名前がわかる部分があるって事……? 最初はそれを読み取ったから唱えられた……?」


 思い出してみれば、『炎精への祈りフランメベーテン』の時は魔術の内容が少しでもわかるような事は無かった。魔術の名前だけが浮かんでそれをつい唱えてしまっただけだ。


 カナタは今までの事を思い出しながら、自分の力についてわかった事を整理する。

 その一、術式の欠片から魔術の全てを理解する事は出来ない。ただし数によって補える。

 その二、魔術滓ラビッシュに書かれている術式の欠片は魔術を構成するどの部分かはランダムなので、都合よく名前の部分を手に入れて使えるわけではない。だが魔術の内容を多少知れる。

 その三、唱える事で術式を恐らく無茶な方法で補填してるので不安定になりがち。

 『炎精への祈りフランメベーテン』で燃やすつもりのない寝袋を燃やしたり、『水球ポーロ』がやけに巨大になってコントロールが効かなかったりと……初めて使った時はどれもろくにコントロールできないのはこのせいだろう。


 やはり自分の方法は不安定というか何というか。

 わかってはいたが、万能からは程遠い事をカナタは嘆く。

 ……なお魔術滓ラビッシュから魔術の情報を得られるのがどれほどの価値があるのかカナタはまだ知らない。


「これほんとに養子にするほど凄いのか……? 結局名前わかんなきゃ唱える事もできないんじゃただの教本もどきじゃないのか……?」


 ベッドにダイブしながら、カナタはため息をつく。

 少し天井を見つめて……がばっ、と勢いよく起き上がった。


「待てよ……?」


 名前がわからないだけ。それは逆を言えば名前がわかれば習得できる可能性が高いという事。


「何を難しく考えてるんだ俺、今回は簡単じゃないか。

名前なんて教えて貰えばいいんだ、他人を操ろうっていう悪趣味な犯人様に……狙いは俺なんだから」


 操られたエイダンに襲われて、狙いが自分だという事がわかっている事に改めてカナタは安堵する。

 どうせ狙いが自分なら周りを心配する必要もほとんどない。

 自分で犯人を解明するか、次の襲撃が来るか……どちらにせよそれまでに、自分は魔術のイメージを固めておけばいい。

 唱えた時に失敗しないよう、黒の魔術滓ラビッシュから得た魔術の情報を改変して、付け足してみて、より自分らしく。

 これが術式の改造ってやつなんじゃ? とカナタのテンションは寝る前なのに上がっていた。










「同じ、魔術を……!」


 カナタの背中からはブリーナと同じように黒い腕。

 ブリーナの表情には歓喜が満ちた。

 実際に魔術滓ラビッシュから得た術式を基に魔術を習得するカナタの姿を初めて見て、笑みが零れる。

 必ず魔術滓ラビッシュが出る精神干渉魔術を使った甲斐があった。

 ある意味、これがブリーナにとってカナタを使った初めての実験と言えるかもしれない。


「なるほど、同じ魔術ばかり使っていたのはもう手が無いと私に誤認させるため……私から魔術を引き出す為というわけですか」


 しかし今更、この精神干渉魔術を習得されたからといって勝利は揺るがない。

 自分が使える精神干渉魔術に対する耐性などブリーナには当たり前にある。

 何故、この魔術の魔術滓ラビッシュがカナタに手に入るように動いたか……それは習得されてもブリーナにとって全く問題の無い魔術だったから。


「素晴らしい……カナタ様が実例をわざわざ見せてくれたのなら後は私が研究するだけではないですか……!」

「ちげえよ」

「はい?」


 黒い腕を背中から生やしてもカナタは氷に拘束されたまま。窮地には変わりない。

 だがカナタは慌てる様子を見せることなく、ブリーナに唾を吐く。


「同じ魔術じゃないって言ったんだ」

「!?」


 突如、カナタの背中から生えた黒い腕がブリーナに向かって伸びる。

 ブリーナは動じる事はなかった。理由は単純。自分と同じ魔術なら・・・・・・効かないから。

 この魔術は相手の精神に触れる腕。物理的な接触はできない。耐性のある者にとってはそれこそただの影に過ぎない。

 だがブリーナはこの選択を次の瞬間、後悔する事となる。


「なっ――!? ば、馬鹿な!?」


 黒い腕はブリーナの予想に反して、その体を鷲掴みにする。

 流石のブリーナもこれには動揺を隠せない。この魔術は精神干渉魔術……本来ならこのような魔術では断じてないのだから。


「これでお互いに捕まったわけだ」

「!!」

「どっちが先に倒れるかな?」


 カナタの魔力が加速する。

 ブリーナの体を掴む黒い腕はさらに巨大に。まるで巨人の手の如く。

 その力はカナタの怒りに応じて強まっているかのように。


淑女レディに優しく、だったか……悪いけど、あんたを淑女レディ扱いはできないな!!」

「こ、の――!?」

 

 ブリーナを掴んだまま黒い腕が動く。その勢いに、呻き声に近い声がブリーナから漏れた。

 だが次の言葉を紡ぐ前に、ブリーナの体は屋敷の床に思い切り叩きつけられる。

 力任せの暴力が発する鈍い轟音。身体強化をしてもなお全身に響く衝撃にブリーナは苦痛で顔を歪めた。

 何故? 何故!? 何故!?

 全身に走る痛みの中、何故この魔術で自分が攻撃されているのかを魔術師らしく思考する。


(まさか――術式の精神干渉の部分を物理干渉に書き換えて・・・・・――!?)


 ブリーナの思考を超えるかのような速度で黒い腕は容赦なく動く。

 掴んだまま逃がさない。掴んだまま離さない。カナタの怒りがそのままに。

 今度は壁にその体が叩きつけられる。美しい屋敷の壁は衝撃でひび割れ、歪む。

 終わりではない。そのまま壁を削るかのように黒い腕は動く。

 削る。削る削る削る――!

 ブリーナの張った固定術式ごと屋敷を破壊するかのように壁をブリーナで削っていく!


「が、はっ……! ごほっ……ごぶっ……」


 ……精神干渉系統の魔術は第三域以降にしか存在しない。

 他者の精神に干渉するというのは難易度が高く、術式の情報量が膨大になるためである。

 平面で表現できる第一域や第一域に重ねる程度の難易度である第二域では術域を成立すらできないのだ。

 術式の半分以上を構成するのは精神干渉に関するもので特化されている。並の魔術師では習得は困難なほど複雑な術式になる事が多い。

 つまり、その精神干渉にあたる部分を物理干渉に書き換えたという事は……第三域の中でも物理攻撃に特化した魔術に変化したという事――!


「この……こんな、こんな……滅茶苦茶な、事が……!」


 全身に走る痛みが、次に来るであろう痛みを予想して恐怖させる。

 持ち上げられたブリーナは頭から血を流し、黒い腕から逃れられない。

 使用人達全員を、エイダンを掌握した自分の自慢の精神干渉魔術が、自分の背中にも生えている黒い腕が……あまりに頼りない偽物にしか見えなかった。

 こちらの魔術こそが本物のはずなのに。


「滅茶苦茶にしたのは誰だ?」

「っ――!」


 カナタの声にブリーナは声にならない悲鳴を上げる。

 ……もう先程まであったブリーナの優位は微塵もない。

 ブリーナは自分でも気付かず、この少年を侮ってしまっていた。

 研究する為にと教え導き、餌を与えて、少年をやってはいけない方法で追い詰めた。

 普段見せる笑顔の奥に、牙がある事など見ようともせずに。


「兄上を巻き込まなければ」


 少年は許さない。聖人ではなく、ただ善性を持った人間ゆえに。


「使用人の人達を巻き込まなければ」


 少年は許さない。弱者に対する理不尽を。


「俺だけを狙っていれば、許せただろうに」


 それこそが彼が彼である証。

 短くも積み重ねてきた一人の少年の生き方。

 貴族と魔術の世界に入り込んだ猛犬は牙を剥く。

 未だカナタを知らぬ貴族達への宣戦布告と共に。


「……最後に、質問しても?」


 カナタの瞳の中に自分に対する怒りを見て、ブリーナは敗北を悟る。

 自分の魔術では自分を掴むこの黒い腕は破れない。何かを唱えようとしても叩きつけられて終わるだろう。

 だから最後に、ブリーナはどうしてもわからなかった事を質問する事にした。


「何故……私と二人きりになった時に、わざわざ犯人は私だとお伝えしたのです?

シャトラン様に話せば、それだけであなたはそんなボロボロにならなかったでしょうに」


 そう、どれだけ考えてもカナタにとってあまりに危険でメリットがない。

 他者を巻き込みたくない性格だとしても限度がある。

 格上の魔術師を、たった一人で追及するなどあまりにも馬鹿げている行為だ。

 今ボロボロなのはどちらだと言いたげにカナタはブリーナと目を合わせて、次の瞬間そんな事もわからないのかと悲しそうに眉を下げた。


「俺が、あなたの生徒だったから」

「……え?」

「あなたに教えて貰っておいて、疑ってるからとただ告げ口するのは……不義理だと思ったから。この二ヶ月、あなたは、そうは思ってなかったかもしれないけど……俺にとって、あなたは確かに先生だったから。俺は貴方に魔術を教えて、教えて貰ったんだよ……あなたに。

あなたは俺を狙っていた。だから、俺が……俺一人が向き合わなきゃって思ったんだ」


 たどたどしい口調で、カナタは必死に言葉を紡ぐ。

 それは危険な追究に臨むにはあまりに馬鹿馬鹿しくて、単純な理由。

 ブリーナにとって都合のいい状況になった要因は、ブリーナが無視していたカナタという少年の思いだった。

 泣きそうな声で真っ直ぐな少年は最後にその思いを零す。


「犯人が、先生じゃなければよかった」

「……ああ」


 互いにボロボロで血塗れで、あまりにどうしようもなく対立してしまった。

 けれどこの二ヶ月間、確かにカナタにとってブリーナは先生だった。

 ブリーナはそんなカナタを呆れるように笑った。全身を叩きつけられた激痛などないかのような朗らかな笑顔で。

 カナタは怒りと悲しみが混じり合った瞳をブリーナへと向ける。

 その怒りにはきっと裏切られたという気持ちもこもっていた。


「ありがとうカナタ様。最後に、素敵な生徒・・に出会えました」

「さようなら、ブリーナ先生」


 別れを済ませて、カナタの黒い腕は容赦なくブリーナを床に叩きつける。

 ごしゃあ、と音を立てて床が割れる。屋敷の固定術式はとっくに崩壊していて屋敷中にその音は響き渡った。

 すでに限界だったブリーナはその衝撃に耐えらえるはずもなく、そのまま意識を失った。


 それは他者にとっては狂気の魔術師の暴走。事実そうだった。

 けれどカナタにおってはあまりに早過ぎる卒業試験として刻まれる。


「はぁ……はぁ……」


 ブリーナが意識を失って、カナタを拘束していた氷が溶けていく。

 同時に多くの人達が走ってくる音と、甲冑がぶつかり合う金属音がこちらに向かってきているのをカナタは聞いた。


「カナタ! こ、これは……一体!」

「父、上……」


 広間から届いた轟音を聞きつけて、シャトランと騎士団が訓練場から駆け付ける。

 壁や床が破壊されて優雅さの欠片もなくなった広間には血塗れで立つカナタと倒れるブリーナ。

 シャトランも騎士団も一体何が起こったのかわからない。

 カナタは霞む視界の中、倒れるブリーナを指差す。


「兄上や、使用人の人達を……操っていた犯人です……。まだ、生きて……」

「カナタ!!」

「カナタ様!!」


 伝えきる前にカナタの意識が暗転する。

 あまりに多くの血と魔力を失って、カナタはその場に倒れてしまう。

 心配そうに名前を呼ぶシャトランや騎士達の声を聞きながら。



――――――

いつもお読み頂きありがとうございます。

決着です。次で第二部のエピローグとなります。

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