40.足りなかったピース

 ブリーナは決して油断してなどいない。

 自分の方が格上だと明言してはいるものの、相手は"領域外の事象オーバーファイブ"の可能性がある異質な子供。

 なにより、いくら下等魔術師とはいえ曲がりなりにも第三域に達しているダンレスをも降している経歴は一ヶ月前に操ったエイダンのうわ言から聞き出している。


 カナタがダンレスをどうやって倒したかは当然わからない。

 ブリーナの使える精神干渉魔術は他者の持つ全ての情報を引き出せる都合のいい魔術ではなく、他者の劣等感や嫌悪感などを増幅させて思考や行動を単純化させる事で命令を利かせやすくするものでしかないからだ。

 相手は未知。だからこそ油断はしていない。

 油断していたのなら、使用人全員を掌握するなどというカナタの足枷を用意する備えもしなかった。


「ふふ、うふふ……!」


 それでも、心が躍るのが止まらない。

 久しぶりに感じる魔術師としての高揚、結婚生活では得られなかった探究の欲。

 枯れたと思っていた自分の感情に火が灯って、地位や倫理も投げ捨てるつもりでいた。

 ――あの子供のうみそを手に入れて、好きな風にいじくれたなら。

 魔術滓ラビッシュから術式を獲得するのは異質なのか、それとも無駄に遠回りな技術なのか。

 それを解明するだけでも自分は魔術の歴史に名を刻めるに違いない。水のベッドを作る魔道具など子供の玩具にしか思えないほど偉大な名を。

 凡人だった自分が、凡才でしかなかった自分が――非凡の名として刻まれる。

 その未来を想像して、ブリーナは笑顔が止まらない。魔力も、止まらない。


「お優しくて涙が出ますわねカナタ様! 私以外の淑女レディにはお優しい!」

「『炎精への祈りフランメベーテン』!!」

「『魔性人魚の盾渦マエルシレーヌ』!!」


 カナタからは豪炎が、ブリーナからは濁流が放たれる。

 第三域の攻撃魔術と同じく第三域の防御魔術がただの廊下でぶつかり合う。

 衝突した魔術同士は消火と蒸発を繰り返し、互いを飲み込むその威力にみしみしと屋敷を包む固定術式が軋んだ音を立てた。


 廊下は蒸気で包まれて、壁や床は燃えて濡れる。衝撃に巻き込まれた使用人が二人ほど倒れていた。

 その蒸気の中をカナタは姿勢を低くしながら突っ込む。

 子供の体格ならではの突貫。大人の視線では蒸気の先の影が消えたように見える。

 蒸気の中にはカナタに襲い掛かろうとうろつく使用人達の影もあって余計に気が付きにくい。


「があああ!!」

「野蛮です事!」


 ブリーナの足を払うようにカナタは飛び掛かるが、その攻撃すら予見していたようにブリーナはカナタを蹴り上げる。

 いかに初老の女性の蹴りとはいえ、身体強化によって威力は十分。カナタの頬に突き刺さるつま先の威力は下手な鈍器よりも鋭く、そして重い。

 蹴り上げられたカナタは怯まず、廊下を転がって体勢を立て直す。


「ぶっ! 『水球ポーロ』!」

「ごぼっぁ……」


 口の中の血を吐き出して、まだ立っている使用人に水の球をぶつける。

 すでにさっきの衝撃で意識がなくなりかけていたのか呆気なくその場に倒れた。

 カナタは廊下に落ちる魔術滓ラビッシュを拾って、ブリーナから離れるように下がる。

 背は向けない。だが離れなければ。自分の狙いに気付かせないように。


「まだか……まだか……!」

「また逃げるのですか?」


 飛んでくるのは先程と同じ氷の針。

 さっき廊下を凍らせた魔術はまだ生きているのか、とカナタは舌打ちする。

 溶けたと思っていたしもは水からも再び生まれて、カナタを狙う。


 廊下の水たまりから生えてくる氷の針を躱しながら、カナタは階段の踊り場まで。

 踊り場でしゃがみ込んでいる使用人もついでに『水球ポーロ』をぶつけて、転がる魔術滓ラビッシュを拾った。


「これも駄目か……! 形はもうわかる……後は……」

「何をお探しですの? それとも、ご趣味がそんなにお大事ですか?」

「っ……! 『炎精への祈りフランメベーテン』!!」


 ブリーナは廊下に逃げ込み、飛んでくる豪炎をやり過ごす。


「……飽きましたわね」


 カナタが同じ魔術を同じ使い方しかしないのを見て気だるげに呟いた。

 先程までは第一域の魔術も交えてきたというのに、だんだんと第三域の魔術一辺倒の戦い方になってきた。

 こんなのものかとブリーナは多少の落胆を見せるが、考えてみれば仕方がない。

 カナタの使える魔術でブリーナの有効打になりそうなのは『炎精への祈りフランメベーテン』のみ。

 確かに高等な魔術ではあるが、だからといって攻略できない魔術でもない。

 他は自分が教えた第一域の魔術を数個だけ。

 カナタは異質ではあるが魔術師としては未熟も未熟なのだ。


「まぁ……戦闘能力に期待したわけではありませんしね……。子供ならこんなものですか……」


 ブリーナは階段を飛び降りて、その先にある玄関の広間へと。

 カナタを襲う使用人はもういない。

 ブリーナは無傷のまま、カナタは手足と頬、そして口から血を流している。

 どちらが優位かなど誰が見てもわかる。カナタは廊下から抜け出すだけでも満身創痍だ。


「広い場所なら勝てると思いましたか? むしろ、水属性が得意な私が優位だと思いますが」

「『炎精への祈りフランメベーテン』!!」

「……一つ覚えですわね」


 カナタを中心に炎が舞う。

 精霊系統ゆえに自由自在。燃やすも燃やさぬも自由。

 しかしその自在さゆえに魔力消費は膨大だ。すでに相当の回数を使っている。

 子供の体力でどこまで耐え切れるやらとブリーナはふわりと向かってくる炎をあっさりかわした。

 廊下と違って、これだけ広ければ魔術で対抗する必要もない。

 すでに限界が近いのか炎の速度も遅くなっているのにブリーナは気付いていた。


「はっ……! はっ……!」


 広がる炎の隙間から、肩で呼吸をするカナタが見える。

 所詮は子供か、とブリーナはカナタ本人への興味を失くした。

 元より用があるのはカナタの頭蓋の中だけだ。

 後は精神干渉でカナタの抵抗を完全になくして、脳髄を安全に回収できればブリーナはそれでよかった。


「『凍える乙女の椅子フィアーメイデン』」


 ブリーナが足を強く踏み付けると、その部分から氷が床を走る。

 床を走る氷は炎を目くらましにカナタの足下まで這ってそのままカナタの足元から徐々にカナタに纏わりついた。


「しまっ――!」

「言ったでしょう? 第三域が使える事と、第三域の魔術師と認められている事は同等ではないと」


 わかってはいた事だが、カナタから見たブリーナは格上。

 ダンレスのように自分の使える魔術をただ放つだけでなく、状況や相手に魔術に対して効果的に運用してくる本物の魔術師。

 威力だけならばカナタも負けていなかったが、他の搦め手を使われては敵う道理はない。


「う、くっ……!」

「どうぞ溶かしてみてくださいませ。あなたにそれだけの体力が残っているのなら、ね」


 足下から纏わりついた氷はあっという間にカナタの胸元まで凍り付いてカナタを拘束する。

 カナタは咄嗟に自分を守るように手を自分の胸元に置いたが、その腕ごと凍ってしまっていた。

 カナタを拘束したのは第二域の拘束魔術。第三域の『炎精への祈りフランメベーテン』を使えば溶かせるだろう。

 しかし、魔力も体力も少なくなってきた今その後の未来は……。


「こちらとしても、あまり暴れないで欲しいのですよ。私はあなたの脳髄を綺麗な形で保存して持って帰りたいのです。ああ、安心してください。このブリーナ、固定術式には絶対の自信がございます。あなたの脳髄は最善の注意を払って運ぶ事を誓いますとも」

「俺が死んだ後の事を誓われてもね……」

「死んだ後とはいえそんざいに扱われるのは不満でしょう? あなたの敗因は二つ」


 ブリーナはゆっくりと歩き出す。敗因をわざわざ教えるのは先生だった名残か。

 それとも、勝者の余裕からか。


「一つは同じ魔術ばかり使い過ぎた事。あなたのイメージできる魔術の限界がすぐにわかりました。それではどんなに強い魔術が使えてもすぐに対処されてしまいます。魔術師は様々な魔術を駆使しなければいけませんよ。

もう一つは、一人で戦いに赴いてしまった事……日々成長する自分を見て勘違いしてしまいましたか? そういった油断は魔術師の敵です」

「やけに優しいですね。殺す前にこれからの事をアドバイスしてくれるなんて」

「ふふ、元あなたの先生ですから――『虚ならざる魔腕ラモールセジール』」


 変わらぬ笑顔を浮かべながらブリーナは上機嫌で魔術を唱える。

 ブリーナの背中からは黒い霧のようなものが生えてきた。

 かすむような実体が、徐々に明確な腕の形へと固まっていく。


「予定より早まってしまいましたが……ふふ、これでようやく私は目的を達せられますね」


 ブリーナが唱えたのはエイダンとこの屋敷の使用人全員を掌握した精神干渉魔術。

 物体を透過するその腕が相手の精神に触れ、劣等感や嫌悪感などを増幅させる。

 魔力が多い者や普段から対抗魔術を持つ者には効きにくいが、勿論カナタはどちらにも当てはまらない。

 ここまでの戦いで魔力は減り、対抗魔術など知る由もない。

 勝負はついた。背中に生える黒い腕がカナタの頭に入り込めば抵抗もなくなる。ここに来る前に見掛けた無防備な使用人達と同じ状態になるというわけだ。


「さあカナタ様……身も心もこのブリーナにおゆだね下さい。

苦痛などありません。黙って、眠っている間に全てが終わっていますよ」


 ブリーナは精神干渉の魔術あくまのうでをカナタへ向けて伸ばす。

 他の使用人のように劣等感や嫌悪感を増幅させる必要すら無い。

 少し意識をいじってしまえばそれだけでしばらくは人形のようになる。

 その間に首と体を綺麗に離し、固定術式をかけたらこの屋敷を去ればいいだけだ。



「油断は魔術師の敵、か。その通りみたいですね」



 しかし勝利を確信したブリーナが見るカナタの表情に絶望など無い。

 この状況にもかかわらずカナタは不敵な笑みを浮かべていて、ブリーナは一瞬呆気にとられた。


「その名前が聞きたかったんだ……ありがとう、先生・・

「――――」


 じゃらりとカナタの手の中から石がぶつかるような音が鳴る。

 そこには使用人を解放して、カナタが拾い続けた複数の黒の魔術滓ラビッシュ

 ブリーナはようやく気付く。

 カナタの……カナタの狙いは――!



「――『虚ならざる魔腕うつろならざるかいな』」



 欠けていた名を手に入れて、頭に浮び上がった瞬間カナタの中の魔力が弾ける。

 手の中の魔術滓ラビッシュは導かれるようにカナタの中へと溶けて一つに。

 魔術の痕跡をなぞり、既存の術式を書き換え、ここに魔術は新生する。


 覚悟はできているか、興味本位で子犬に餌を与えていたつもりの愚か者。

 子供だと侮るなかれ。目の前の少年は魔術師を一人喰らった猛犬だ。

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