37.どんな相手にも真っ直ぐに

「兄上、少しよろしいですか?」

「…………なんだよ」


 訓練場で確信に近いものを掴んだカナタは翌日から行動を開始した。

 この二ヶ月、積極的に会おうともしなかったエイダンの部屋を訪れる。

 エイダンの部屋はカナタの部屋より少し広く、壁には家族の肖像画が誇らしくかけられている。

 貴族だからと過度に高価な調度品を置いたりしないのはディーラスコ家の方針なのか、まだエイダンには早いという事なのか思ったよりも部屋はすっきりしていた。

 エイダンはカナタを部屋に通したはいいものの、カナタが来るなど初めてだったので驚きと警戒で睨んでしまう。


「お前、本当に正気のカナタだろうな? この状況……一ヶ月前の逆だったりしないよな?」

「だったらどうします?」

「今すぐ騎士団を呼ぶ」


 エイダンはテーブルの上のベルに手を伸ばす。

 カナタの部屋にはまだ置かれていないが、誰かを呼ぶための魔道具のようっだ。

 これを鳴らすともう片方が設置されている訓練場や騎士団棟のほうに連絡が行くらしい。


「大丈夫です、あの時の兄上と違ってちゃんと正気なので」

「まだ俺はお前の復讐説も捨てきれないんだが?」

「……だったらどうします?」

「それやめろ! 一々こわいんだよ!」

「兄上が疑い深いんですもん」

「あのな、普通はこれくらい警戒するんだよ……お前も一ヶ月前に襲ってきた奴の部屋に普通来るか!?」


 エイダンは何だかんだ言いながらも自分の作業を中断してソファのほうに座ってきた。

 世話係にお茶を淹れさせて、カナタに最低限のもてなしをしてくれている。

 エイダンの世話係は眼鏡をかけた垂れ目で優しそうな女性だった。


「カナタ様、ルイがいつもお世話になっております。今度またふざけた真似をしたら侍女長や私にお申し付けください。矯正しますので」

「どうしたセーユイ?」

「いいえ、なんでもございません。ごゆっくりどうぞ」


 お茶を出されるついでに、小声で伝えられてカナタは苦笑いを浮かべる。

 どうやら見た目とは裏腹に芯の強そうな女性のようだった。

 今頃、ルイは背筋に寒気が走っているに違いない。心配しなくても今のルイはカナタに十分すぎるほど尽くしてくれているので安心して欲しい。


「それで? 何の用だ?」

「兄上は俺がディーラスコ家に引き取られると聞いて嫌でしたよね?」

「お前……いや、まぁいい……」


 カナタの直球過ぎる質問にエイダンは辟易する。

 話を急いだのは自分だと納得させると同時に、カナタはこういうやつなんだという事がエイダンにもわかってきた。

 真っ直ぐでありながら、向けられる悪意や敵意をしっかりと理解している。その上で真正面からぶつかる人間なのだと。


「ああ、気に食わなかった。正直に言えば死んでほしいと思ったし、いなくなってくれればいいのにと思ったさ。俺がいるのに急に養子だからな。普通は立場を脅かされると考えるだろ……廃嫡はいちゃくされるかもしれない状況だ。父上と母上にそうじゃないと言われてもな」

「普通は、ですか。やっぱり・・・・そうなんですね」


 エイダンの話でカナタの確信が強まっていく。


「あ、だからって一ヶ月前のは俺じゃないぞ? 本当に覚えてねえ」

「はい、わかってますよ」

「……けど、めちゃくちゃ焦ってた覚えだけはある。ディーラスコ家がこいつに乗っ取られるんじゃないかって恐かったのもな。まあ、そんな器用な奴じゃないってわかったから、操られたのも悪くは無かったのかもな」

「兄上……そういう趣味が……」

「時折いらっとくるのはお前の世話係の影響か?」


 それから最近のエイダンがどんな事をしているかを色々と聞いて、カナタはエイダンの部屋を後にした。思えば、これが初めて二人が過ごした兄弟らしい時間だったかもしれない。


「母上、お忙しい所お時間を取らせてしまって申し訳ありません」

「構いませんよ。座りなさい」


 エイダンから話を聞いた二日後、カナタはロザリンドとのお茶の時間を一緒に過ごす事となった。

 作法の授業の後、少し聞きたい事があると伝えただけなのだが、カナタからの改まっての話という事でロザリンドはわざわざ後日に時間を設定してくれたのである。

 貴族の話というのはこういうものらしい。場所はカナタが来た時にもロザリンドと二人きりになったコンサバトリーで、今日は緊張していた初日と違って手入れされた咲いている花や中庭の景色がよく見れる。

 世話係とのその後、授業について、ロザリンドの趣味の話など雑談に花を咲かせてからロザリンドが本題を切り出した。


「それで、話とはなにかしらカナタ?」

「はい、母上はディーラスコ家に俺が来ると聞いて嫌でしたか?」

「……ええ、嫌でした」


 ロザリンドは少し考える素振りを見せて、それでも正直に答えてくれた。

 カナタが取り繕った答えを望んでいない事が伝わったかのように赤裸々に当時の思いを語ってくれる。


「突然、シャトラン様から養子を引き取ると連絡されて眉間に皺が寄りましたとも。どこの馬の骨ともわからない者の母になるなどごめんでしたし、エイダンの立場を脅かすような者をわざわざ自分の手で教育しろというのですから、一体何を考えているのかとラジェストラ様に抗議の手紙をしたためる所でした」


 カナタから見てもロザリンドはそんな様子を微塵も見せていなかったがやはり内心では急な養子の話に不満があったようだった。

 ロザリンドからすれば突然生えてきた子供に自分の子として教育しろというのだから当然といえば当然……それでもこの二ヶ月、カナタに作法の教育を順調に与えているのはロザリンド自身の面倒見の良さゆえか。


やっぱり・・・・、母上のような御方でもそう思いますよね」


 一つ、また一つ、カナタの中で確信が強まっていく。

 魔術滓ラビッシュの時と同じだ。こうした積み重ねでしか自分は世界を知れない事をカナタは知っている。

 自分は既知に長けた賢人でも、神託を得られる聖人でもない。ただ何かを探し求めて歩く事しか出来ない子供なのだ。


「けれど、あなたと会ってそうは思わなくなりました」

「え?」

「覚えていますか? あなたと初めて会った時にここで話をした事を」

「はい、あれが一番最初の貴族らしい出来事でした」


 ロザリンドは作り笑いではない微笑みでカナタを見つめる。


「あの時、あなたがいた傭兵団の話をしてはいけないとわたくしは言いました。平民を養子にするのと貴族の血を引いている者を養子にするのでは話が全く変わっていますから。私達は勿論、あなた自身を守るためにも必要な事です」

「……はい」

「あの時、泣きそうな顔をしながら寂しがるあなたを見て、わたくしはあなたの母となる事を決意したのですよ。形だけではない親になろうと」


 カナタは少し恥ずかしくなって頬が赤くなる。

 自分では顔に出ていないつもりだったが、ロザリンドにはその時の気持ちが普通に見透かされていたようで。

 ロザリンドの人生経験のなせる事か、それとも流石は母親・・という事だろうか。


「あの俯く姿を見て、この子は元いた場所で愛されていたと知りました……ならば今度は私の番です。エイダンと同じくらい、と今言うのは白々しいので言いません。ですが、それでもあなたは私の子です」

「ありがとう、ございます……母上」


 最初に会った時のように抱擁せずともロザリンドの思いがカナタに伝わる。

 少しだけ言葉が詰まった。多分これもばれてるんだろうなとカナタは照れ隠しで紅茶を一気に飲み干した。


 次の週になると今度はブリーナに話を聞こうとカナタは授業を張り切ってこなした。

 毎回用意するのが定番になった花束をテーブルに用意した花瓶に差して、落ち着く香りに包まれながらカナタは教本を開きながら熱心にブリーナの授業を聞いている。


「第三域から本すら無い……? とは……?」

「ほほほ、びっくりしますよね。正確には本の形を成してないのです」

「え、え、ど、どういう事です?」

「第一域は教本が、第二域は一応魔術書としてあるのですが……第三域以降の術式は平面で書き記す事が出来ない場合が多いので教本のように術式が載っていたりしないのですよ。

それに、第三域からは家特有の固有魔術や情報が途絶えた失伝魔術などがあるので誰も本になどしないのです」

「へぇ……!」


 今回は第三域以降の術式に関する内容で、カナタにとって二年以上先に控えた魔術学院に対する興味が湧くような内容だった。

 今でこそ教本を利用して第一域の魔術を学んでいるが、どうやらここから先はこんな風に勉強できるようなものばかりではないらしい。

 少しの実技も終えて、授業時間も後少しという所で今日の内容は終わった。


「本当にカナタ様は覚えがよくて教え甲斐がありますわ」

「ありがとうございます……あの、ブリーナ先生、まだお聞きしたい事があるのですがよろしいですか?」


 その残り時間を利用してカナタはブリーナにも質問する。

 遠慮がちなカナタにブリーナは小さく微笑んだ。


「よろしいですかだなんて……まだ授業時間ですもの。生徒の質問にお答えするのが先生ですよ。何でもお聞きになって下さいな」

「よかった、ありがとうございます」


 カナタは小さく頭を下げて、それからブリーナを真っ直ぐと見据えた。



「兄上に俺を襲わせた犯人、ブリーナ先生ですよね?」



 そんなカナタの突拍子もない問いに、 



「まぁ、素晴らしい……よくおわかりになりましたね?」



 いつもと変わらない朗らかな笑顔を浮かべて、ブリーナは小さな拍手をカナタに送る。

 その姿はまさに、問題を解いた小さな生徒を賞賛するかのようだった。

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