38.最後の授業時間

「ああ、今日……カナタ様の世話係が部屋にいないのはそういう事でしたか」


 最近、魔術の授業になるとずっと後ろからカナタに声援を送っていた世話係のルイが今日はいない。

 本来ならいないのが普通だからとブリーナも気にしていなかったが、カナタがブリーナを犯人だと確信を持っていたからこそ今日は席を外すようにと事前に言っていたに違いない。


「……最初は騎士団のキーライ副団長かなと思いました。この屋敷の中で俺にはっきりと敵意を向けてくる人で俺の事もよく思っていない。

でも、よく考えてみれば……あれは当たり前・・・・の事でした」


 騎士団の副団長キーライはディーラスコ家の親類。

 まだ貴族らしい振る舞いが出来ていないカナタに警告するのは普通の事で、そもそもの心情として外から突然来た養子を歓迎しないのは当たり前だ。

 兄となるエイダンもそうだった。カナタから見れば清廉にしか見えないロザリンドですらも。

 だからあの敵意は至極真っ当なもので、キーライが特別悪人である証ではない。


「それに、キーライ副団長が犯人だとしたら、少しおかしかったので」

「おかしいとは?」

「俺が操られた兄上に襲われた日……キーライ副団長は俺の体調不良なのを知らなかったはずです。だからタイミング良く襲わせるなんて出来るはずがない」

「まぁ……ですが養子とはいえ、ディーラスコ家の子供が病気となれば使用人達が噂くらいはするのでは?」

「確かにそれだけなら確信は持てませんでした。でも……この部屋に音を漏らさない魔術がかけられた説明がつかない」

「!!」


 カナタがエイダンに襲われた時、途中で入ってきたルイは部屋に入ってくるまで中でカナタとエイダンが争っている事がわかっていなかった。

 カナタが声を荒げ、エイダンも絶叫していたにもかかわらず。あの時の二人の声は廊下に響き渡るのに十分なほどの声量だったはずだというのに。


「俺、あの日部屋に誰か来るたびに目を覚ましてたからわかるんです。お見舞いに来たのは父上と母上だけだった。だから、キーライ副団長はこの部屋に魔術をかけられない。

この部屋に防音の魔術をかけられるのはお見舞いにきた父上と、俺が倒れた時に授業中で、ルイに医者を呼びに行かせて都合よく一人になれた……あなただけですブリーナ先生」


 カナタがそう言い切ってブリーナは再び小さく拍手を送った。

 今度は小さな生徒に送るものではなく、カナタが犯人に至るまでに並べた根拠に対する本物の感心を。


「いつから疑っておりました? 私自身、カナタ様の信頼を獲得していたと自負していたのですが」

「疑っていたというよりは、自分の違和感を確認していっただけです。

父上や母上は内部の誰かがディーラスコ家への忠誠を履き違えて起きた可能性が高いと言っていました。でもそれならディーラスコ家の跡継ぎである兄上を操るのはおかしいです。

けど二人にとって兄上は実の子で、大切な跡継ぎだから……兄上が操られたというのがあまりに大きな出来事だったから、事件の理由に壮大な思いや目的があるはずだって思ってしまったのではないでしょうか」


 カナタの推測を肯定するようにブリーナはうんうんと頷く。

 その姿は生徒の正答を聞く先生そのもの。授業時間はまだ残っている。

 今日の授業時間は後、十分。


「ダンレスは、村同士のささいな争いを理由にして……大義名分なんて全くないまま隣の領地に戦争を仕掛けたそうです」

「……?」


 話が突然飛んだ事にブリーナは首を傾げる。

 カナタは続けた。


「俺はその戦争を見てきました。大勢の倒れてる人達に血の跡、聞こえてくる悲鳴……土臭くて、焦げ臭くて、錆臭い……嫌な臭いしかしない戦場でした。あそこで何人も何十人も死んでいったと思います」


 戦場漁りとして見てきた戦場の記憶が脳裏に思い浮かぶ。

 自分にとっては当たり前の日々で、そう生きるしかなかったけれど。

 倒れた人達の持ち物を漁って生きてきた自分にこんな事を言う資格は、もしかしたらないのかもしれない。

 それでも、あの戦場は一人の気まぐれで作られていいような場所ではなかった。

 あそこで倒れていった命はきっと一人の気まぐれで消えていっていいわけなかったはずだ。


「起きた出来事がどれだけ大きくても、それを引き起こした人に壮大な目的があるとは限らない」


 事件の大きさと、発端の大きさは比例しない。

 歴史に刻まれる事件の裏に、必ずしも巨大な陰謀や思想が隠れているとは限らない。

 二年以上もの間、戦場漁りとして戦場を渡ってきたカナタは経験でそれを知っている。


「遠回しにブリーナ先生の目的を大きくないと言ってごめんなさい。でも……ブリーナ先生はディーラスコ家をどうこうしたいわけではないですよね? それだけは、わかるから」


 そこでカナタは言葉を止めた。

 自分が出した答はここまでで、今度はそちらの番だと言いたげに。

 真っ直ぐで正直な生徒カナタに答えを教えるために、今度は先生ブリーナが口を開く。


「ええ、カナタ様の仰る通り……この家の事など全く関係ありません」

「じゃあ何故兄上に俺を襲わせたんですか?」

「決まっているではありませんか。私の目的はあなたですよカナタ様」

「え、俺?」


 傍から見れば、先生と生徒がソファで座りながら仲睦まじく話しているように見える。

 そのじつ、行われているのは一ヶ月前の事件の自白だ。

 ここまで来てもブリーナはカナタに対する態度を崩さない。犯人とわかった今見ても、ブリーナは知り合った時の優しそうな印象のまま。

 カナタに暴かれても自然体のままでいられるその精神性は貴族だからか魔術師だからか。


「ええ、私は凡才ではありますが魔術学院に家庭教師と今までの人生で一握りの天才達も数多の凡才達も見てきました……ですが、あなたはそのどちらかかどうかもわからない!

魔術滓ラビッシュに時折、術式の欠片が刻まれている事は周知の事実……ですが、そんな欠片から術式を読み取るなんて聞いた事がありません。ましてや第三域の魔術が一番最初の魔術だなんてあり得ない! シャトラン様から聞いた時、魔術師としての熱が私の中に戻ってくるのを感じたのです」


 ブリーナの瞳はカナタを視界に収めて爛々らんらんと輝いている。

 授業の間では決して見せなかった姿。これがブリーナの素なのかと。

 それとも、若い頃の情熱がこうさせているのか。

 残りの授業時間は……後五分。


「欠片に刻まれた術式以外の補填方法は一体? 使い手の空想と修正力が生み出す情報処理? それとも自らの記録による仮想構築? 精神への影響は? 使い手の術式基盤は一体どう記録されているのか? 気付けばあなたへの興味で一杯で気付けばこう思うようになりました!」


 ブリーナの口から出てくる言葉は激流のように止まらない。

 カナタはその意味を半分も理解できていない。恐らくは魔術学院に入学すれば学ぶのかもしれない。


「ああ、あなたの脳髄に好き放題、未完成の術式を書き込んでみたい……!」


 最悪な事に、その目的だけはしっかりと意味を理解できてしまった。

 カナタの頭蓋を開く妄想をするブリーナは恍惚の表情を浮かべている。

 代わり映えの無い人生の中、突然現れた異質カナタへの執着が彼女にそうさせていた。


「ですがあなたはまだ子供。あなたを育ててみたい心もあり、魔術師として今すぐ摘み取って実験してみたい心のどちらもありました。将来の楽しみと今の楽しみどちらかを選べるはずがありません。

ですから両方とも少しずつやる事にしたのです。あなたに基礎を教える先生としての顔と研究欲を満たしたい魔術師としての顔……どちらも捨てずに徐々に追い詰めてみようと」

「それで、兄上に俺を襲わせたと?」

「ええ、私のプレゼントは気に入ってくれました? 精神干渉系統の魔術は対象に術式を植え付ける特性上、魔術滓ラビッシュが残ってしまうのです。

部屋に闇属性の魔術滓ラビッシュが残っていたのでは?」

「……」


 カナタはあの日握り締めていた魔術滓ラビッシュを思い出す。

 熱でうなされる中、カナタは犯人の手掛かりになるかもとずっと離さず、寝込んでいる間ずっと見ていた黒の魔術滓ラビッシュ

 魔術滓ラビッシュを集めるのが趣味でどんな魔術滓ラビッシュを貰っても喜べると思っていたが、カナタの中には嬉しいと思う心は微塵も湧いてこない。


「こんなにも早く露見してしまって残念です。もっと育ってからと決めていましたのに」

「早くわかってよかったです。兄上に襲われるよりも恐ろしい事をされそうだったので」

「最後に一つ私からよろしいですか? 何故二人のタイミングでこのお話を? 私が犯人だと気付いていたのなら恐ろしい気持ちはなかったのですか?」

「何を思っていたかはともかく、ブリーナ先生は今日まで俺に魔術を教えてくれました。その恩を義理立てただけです」

「なるほど、あなたはどこまでも真っ直ぐな子なのですね。若いというのはなんと素晴らしい事でしょう」


 こうして、二人の答え合わせは終わった。

 互いにやるべき事は一つだけ。


「それでは、今までありがとうございましたブリーナ先生」

「いえいえ、あなたのような素直な生徒を教えるのは私も楽しかったです。こちらこそありがとうございましたカナタ様」


 二人は互いに礼をして、授業の時間は終わった。

 先生と生徒であった最後の時間が。


「好き勝手言えるのもここまでだ糞魔術師。牢屋に化けの皮はいらないだろ?」

「あらあら、淑女レディには優しく接しなければいけないとお教えしましたのに……まだまだ教える事が多くありそうですね実験台カナタ様?」


 カナタの口調は荒々しく、ブリーナはそのまま、しかし確実に。

 同じソファに座り、手を伸ばせば触れ合える距離で互いが互いに牙を剥く。

 先生と生徒ではなく敵として。

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