35.仮初めの平穏の中で

「あれから何も変わらないな……」

「私の可愛さがですか?」

「うん、まあ、ルイは可愛いよ……」

「きゃー、カナタ様ったらー」


 エイダンを利用した夜襲事件から一ヶ月……カナタは変わらず魔術学院入学のためにディーラスコ家での日々を忙しく過ごしていた。

 カナタの体調も元に戻り、夜中に襲撃されるような波乱万丈な出来事もなく平和な毎日だ。

 忙しくとも授業と授業の合間にこうして部屋でルイと冗談を言い合うような時間もあるくらいにはゆったりとしている。まるで一か月前の事件など無かったかのように。


「ルイって元貴族だったよね?」

「はい、といっても両親が馬鹿で借金ばかりだったので、貴族らしい事はほとんど……大きさもここディーラスコ家とは比べるのが失礼なくらい小さいですよ」

「え、貴族ってお金借りるの?」

「むしろ、新規事業や経営のために貴族のほうが借金をする方が多いと思いますよ。借金はお金を返せるという一定の信用があって成り立つものです。平民はそもそもお金を借りる事が出来ない事が多いですね」

「へぇ……ルイは物知りだなぁ……教えてくれてありがとう」

「お役に立てて光栄です」


 今日の分の花束を花瓶に用意し、テーブルに置きながらルイはにこっと笑う。

 しかしカナタが聞きたいのは別の事だった。


「ルイって魔術は使えるの?」

「はい、第一域の魔術なら少しだけ。ですが、ほんとに下手で……これでも子供の頃は少し勉強していたのですが、どうもイメージするのが苦手だったようです。それに魔術学院に入る歳になる前に家が没落しちゃいましたから」

「そっか……」

「どうしたんですか急に……はっ!」


 ルイは何かに気付いたかと思うと泣きそうな表情を浮かべて、ソファに座るカナタの太ももに縋るように抱き着いた。


「ま、まさか一か月前の事件で私を疑っているのですか……!?」

「え? いや、そうじゃなくて……あ、でも遠回しにそうなっちゃうのかな……?」

「あ、あわ、あわわわ……!」


 ルイは目を泳がせたかと思うと涙目になり、鼻水を垂らしながらカナタの太ももに抱き着く力をさらに強める。一体どこからこんな力がと思いたくなるほどに。


「か、かにゃた様……! 私は最初確かに嫌なお姉ちゃん……いえ、嫌な使用人でした! けど今の忠誠は本物です! ましてやカナタ様を陥れようなんて事は一切考えておりません!」

「いや、疑ってないから安心して?」

「今の私はカナタ様がディーラスコ家の当主になればいいのにと思っているくらいカナタ様に全身全霊で仕えると誓っておりまず!」

「それは逆に疑わしくなっちゃうから言うのやめとこうか……? ややこしくなっちゃう……」

「はい! 申し訳ございません!」


 ルイはカナタに差し出されたハンカチで涙と鼻水を拭う。捨てられる前の子犬のように必死にカナタに縋る姿は流石に演技とは思えない。

 何より、最初からルイを疑って質問をしたわけではなかった。

 一か月前、シャトランとロザリンドはディーラスコ家の人間が忠誠を履き違えてカナタを排除しようとしたと結論付けた。状況から考えて、内部の人間がエイダンに魔術をかけたと考えるのが妥当だがその動機はカナタにとっては馴染みが無い。

 ルイに質問したのはただ貴族の常識を色々聞きたいからに過ぎない。


「ちょっと俺が貴族の考え方がわかってないからというか……何か……違う気がするんだよね……」

「ちーん!」


 カナタのハンカチでルイが鼻をかむ音とほぼ同時にノックの音が響く。

 部屋に入るように促すと、入ってきたのはブリーナ先生だった。

 休憩時間はもう終わり。今日は魔術の授業の時間だ。


 一か月前の犯人は内部の者と断定されているが……家庭教師のブリーナや騎士団のキーライなどを含めて疑わしい者を全て拘束するなどという事はしていない。犯人探しに躍起になったのを見て他領に逃げられたとあらば、領主ラジェストラの恥にも繋がってしまう。

 ならばいっそ多くを発表せず、普通に出入りさせてボロを出させる方針を取っていた。


「あらあら、相変わらず仲がよろしいですね……ですが、淑女レディを泣かせるのは感心致しませんよカナタ様」

「え」


 おほほ、と朗らかな笑顔を浮かべながらブリーナはカナタに縋りながら涙目のルイのほうをちらりと見る。

 状況から見れば確かにカナタがルイを泣かしているように見えるが完全に誤解だ。

 ブリーナの誤解を解くためにカナタはルイに助けを求める。


「そうなんですブリーナ様! カナタ様ったらいつもお優しい女たらしで!」

「ええ!?」

「まぁまぁ……女の敵というのは何歳からでも女の敵なのですね……」

「ちがっ……! 違います違います!!」

「いいですかカナタ様、私は作法の担当ではないので口うるさくお小言を言いたくはありませんが、淑女レディには優しく接しなければなりませんよ?」

「違うんですってー!!」


 突然のルイの裏切りに困惑しながらも手をぶんぶんと振って否定するカナタ。

 この二ヶ月、週二日の授業を経て距離は縮まり、最近はこんな風にカナタをからかうのが最近のブリーナのトレンドである。


 ロザリンドの基礎教育もあってカナタは教本に書かれた文字も少しは読むことができるようになっていて、授業もスムーズに進むようになってきた。

 授業時間の半分が過ぎて、小休憩しているとブリーナが少し考えて提案する。


「カナタ様、今日は久しぶりに訓練場のほうに見学に行きましょうか?」

「え、いいんですか?」

「ええ、最近は特に頑張っていましたし……このブリーナ、今日はカナタ様の趣味に再びお付き合い致しましょう」

「はい! ルイ、袋、用意してくれる?」

「かしこまりました」


 無邪気に喜ぶカナタの様子にルイもブリーナも微笑ましくなってしまう。

 それでも作法の勉強は順調なのか、エスコートは忘れない。

 ルイに袋を用意して貰ったカナタはブリーナの手を取って訓練場へと向かった。



 久しぶりに訪れた訓練場では変わらず、騎士団の面々が剣と魔術を撃ち合っている。

 気のせいか、終わるまで訓練場の入り口から覗いていたカナタには訓練により一層気合いが入っているように見えた。

 訓練場に響き渡る怒号に近い詠唱、剣と剣がぶつかり合う金属音。

 訓練場は屋敷の本館から渡り廊下を使う離れた場所にあるが、騎士達の勢いはそのまま声を屋敷中に届けてしまいそうだ。


「お、カナタ。今日は見学しにきてくれたのか?」

「ドルムントさん、お疲れ様です」


 ドルムントは訓練場でカナタが紹介された際、カナタに最初に声を掛けてくれた騎士だ。

 そして第三域の魔術を扱える実力者であるため、一か月前エイダンを操った犯人候補でもある。

 気さくで歳の離れた兄のような雰囲気で、訓練で乱れ切った赤髪も気にしない様子にカナタは少し親近感が湧く。汗を拭う姿すら気持ちがいい青年だ。


「おう、お疲れ。ブリーナ夫人、汗臭い挨拶となり申し訳ありません」

「何を仰ってるんですドルムント。あなた達が頑張っている証拠でしょう」

「そう言って頂けるとありがたいです。なにせ訓練中は女性に会う前の身支度などできないもので」

「勝手に見学に来たのはこちらですもの。気になさらないで結構ですよ」


 年下のカナタには気さくに、目上のブリーナには礼を尽くす。

 まさに騎士らしい正しい態度の使い方だ。


「また魔術滓ラビッシュか?」

「はい、大丈夫ですか?」

「前も言ったけど、あんなもん勝手にとってけとってけ。待ってろよ……団長! カナタが来ております!」


 訓練のきりがいいタイミングを見計らって、ドルムントはシャトランを呼ぶ。


「カナタ! 今は手が離せん! 勝手に取っていくがいい! 見学も自由でよいぞ!」

「はい父上! ありがとうござます!」


 新人の訓練に熱が入っているのか、シャトランは持ち場を離れない。

 勝手に見学に来ているので、毎回ハグして歓迎して欲しいだなんて我が儘も言うつもりはない。

 カナタはブリーナに確認を取ってから、魔術滓ラビッシュの欠片が集められた訓練場の端へと走る。集められた魔術滓ラビッシュは騎士団にとってはただのゴミ山だが、カナタにとっては宝の山だった。


「うはー! 今日も結構あるぞー!」


 茶色の魔術滓ラビッシュを手に取って、その奥底を覗く。

 第一域の『石礫グラベル』という魔術だ。カナタの持つ教本にも載っている。後数ヶ月もすればカナタも自然と勉強するものだろう。

 しかし第一域の魔術だろうと関係無い。カナタはルイに用意して貰った袋に魔術滓ラビッシュを詰め込んでいく。

 いずれ勉強するとしても、これはカナタにとって趣味だ。知らない魔術滓ラビッシュはとりあえず確保したい。

 しかしやがて前に言われた個数制限を思い出したのか、手が止まった。


「そうだった……前に二十個以内にしておけって……むむむ……」


 先程の勢いは無くなり、カナタは魔術滓ラビッシュを慎重に選別し始める。

 あーでもないこーでもない。他人にはわからない判断基準で選んでいく。

 名残惜しそうに選別した魔術滓ラビッシュを袋に入れていると、カナタの頭上から影がかかった。


「……それが、ディーラスコ家の子となった者に相応しい行動かね」

「……?」


 低く、巨大な剣のように重い声。

 カナタが振り返るとそこには何度か見かけた騎士団の副団長キーライが立っていた。

 見下ろす瞳にはまさにゴミを見るような、そんな不快感を宿して。



――――――

いつもお読み頂きありがとうございます。

第二部も後数話で終わりです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る