33.あるはずのない物

 何故エイダンがここに?

 何故エイダンが首を?

 何故エイダンが俺を殺そうと?


 熱にうなされて消耗した体力はそんな思考すらもまともにさせてくれない。

 体調に加えて首を絞められている息苦しさがカナタの視界を狭めさせる。


「捨てられる……捨てられる……! 恐い……。俺が、俺が……!」


 酸素不足で狭まる視界の中、首を絞められている自分より苦しそうな声がカナタの耳に届く。

 エイダンの瞳は今にも泣きそうで、それでいてどこか虚ろに見えた。

 まるで目を開けながら悪夢を見ているかのように。

 その瞳が助けを求めているような気がして、カナタは自分の意識を手繰り寄せる。


「っ!?」


 そして、何故か首を絞めるエイダンの力が弱まった。

 突然訪れた万全の一呼吸。一瞬の余裕が目の前のエイダンの状態をカナタに推測させる。


「『水球ポーロ』っ!!」


 ブリーナに注意されてもなお変わらない巨大な水の球が寝ているカナタの手の平から。

 しかし今はこの巨大さがありがたい。カナタとエイダンの二人を水が包み込む。

 当然、水の中にずっといられるわけもなく、エイダンはその水から逃れるようにカナタの上から飛び退いた。


「ぶふっ!!」


 魔術を解除して、水が球体の形を崩れてカナタの上に落ちてくる。

 起き上がり、顔の水を拭ってエイダンを見据えた。

 頭の中からガンガンと釘を打ち付けられるような痛み。

 体の熱は動きを鈍くし、揺れる視界が体調の最悪さを告げている。


「だから、どうした!!」


 こちらの都合など関係無く理不尽というのは襲ってくる。

 そんな事、ずっと前から知っていたはずだ。

 自分がどんな状態であろうと動かなければいけない時に動くだけ。

 体調が悪かったからと言い訳で死後の世界から蘇られるわけないのだから。


「"選択セレクト"!!」

「俺だけだったのに……。俺だけが、俺だけがディーラスコ家の子だったのに……」

「目を覚ましてください兄上!」

「あいつが来てから、不安なんだ……。領主の家にだって、父上は俺を連れて行ってくれなかった!!」


 やはり、エイダンの様子はおかしい。

 カナタが憎くて殺しに来たにしてはあまりに会話が噛み合わない。

 心の中の不安をただ吐き出して、ついでに体が動いているような歪さを見てカナタはびしょ濡れのまま確信する。


「誰かに、操られてる――!」


 そういった魔術があるのかどうかは知らない。

 だがエイダンは間違いなく正気ではない。

 カナタを殺そうとしているにしては首を絞める力の入れ方も中途半端で習っているはずの魔術を使う気配もない。そして目は虚ろで会話も噛み合っていない。

 いつものエイダンならカナタが何か言えばいじるように何か言葉を返してくるはずだ。


「あああああああああああああああああああ!!」


 まるで被害者であるかのような悲鳴を上げながらエイダンはカナタに向かってくる。

 これだけの大声を出したら外の誰かが気付きそうなものだが、こちらに走ってくる足音などは聞こえない。


「何か細工がされてる……?」

「うぐっ!」


 足に魔力を集中してエイダンの突進を躱す。

 エイダンは濡れたベッドに足を取られて、顔からカナタの枕に突っ込んだ。

 蝋燭のか細い明かりを頼りに、きょろきょろと部屋にいつもと違うものがないかを探してみる。


「俺が長男なんだ! 次期当主なんだ! でも、あいつは、あいつが、あいつが!!」

「兄上……!」


 その口から吐かれたのは呪詛ではなく、不安だった。

 カナタが来て、自分の立場が脅かされると思った。だから気に食わなかった。

 カナタが来て、父と母との時間が少し減った。だから嫌味の一つでも言って誤魔化した。

 弟だなんて思えない。ましてやたった一人、この家で可愛がられていた子供だったエイダンには。


「カナタああああああああああああ!!」

「『火花ティンダー』!」

「ぅあ!?」


 両手を伸ばして向かってくるエイダンに向けて、覚えたばかりの魔術を放つ。

 暗闇に火花が散って、閃光が向かってくるエイダンの視界を塞ぐ。

 エイダンは間違いなく誰かに操られている。だけどどうやって目を覚ませればいい?

 当たり前の事だが、カナタは精神干渉系統の魔術に対する対抗策など知るはずもない。

 何か思い付け。無知でもなんでも今思い付かなければ。

 ぶり返した熱が思考を邪魔する。それでも何とかしなければ。

 幸い、エイダンの動きは単調。考える時間はまだある。体調は最悪だがまだ動ける。

 ……そんな事を考えていたカナタを急かすかのように、部屋の扉が静かに開く音がした。


「っと、失礼しまー……す?」

「!!」

「ぁ?」


 部屋に入ってきたのは水の入った深皿を持ってきたルイだった。

 恐らく、カナタの看病でぬるくなった水を変えるのために外に出ていたのだろう。

 寝ずに看病をすると言っていたその言葉に偽りなく、この夜の間ずっと付きっ切りになるつもりだったようだが……その熱心さが仇となった。


「逃げろルイ!!」

「ぐっ! か、カ、ナタぁあ!!」

「きゃあああああああ!!」


 咄嗟にカナタはルイのほうにエイダンを向かわせないように組み付く。

 カナタへの重苦しい思いを吐いてはいるが、他の人間に向かわないとも限らない。

 であれば、咄嗟に動きを封じるにはこうするしか思いつかなかった。

 だがここからどうする? この体調でエイダンを組み伏せられるのか?

 最悪の体調がエイダンを抑えるカナタの力を入れにくくさせる。


「はっ……! はぁっ……! っぐ!!」

「お前さえ! おまえさえ! いや、違う……! そうじゃないそうじゃない!! 俺は、兄貴なんだ……から……! でも……!」


 エイダンに髪を掴まれて、そのまま殴られる。

 だるさと痛みで思考が纏まらない。

 このままではどうしようもできないとカナタは拳に魔力を集中させて、


「ごめんなさい、兄上」

「ぼぶっ!?」


 手加減無しでその顔目掛けて拳を振るった。

 髪と掴んでいた手が離れ、エイダンの体がぐらりと揺れる。口からは血が。

 その体目掛けて、魔術よりはましだろうとカナタはもう一撃、魔力を集中させた拳を叩きこんだ。


「がはっ!?」

「はっ! はっ! いい加減……目ぇ覚ませ!!」


 カナタ自身がふらふらとはいえ、魔力を集中させた拳はエイダンを殴り飛ばすのに十分な力があった。

 カナタに殴られ、そのまま倒れ込むエイダン。

 それでも、うめき声のようなものを発しながらまだ起き上がろうとしてくる。

 まだ駄目かとカナタはふらつく体を動かそうとすると、


「やあああああああああ!!」

「ぁ……? ああ……」


 逃げていなかったルイは持ってきた深皿を起き上がろうとしたエイダンの頭に振り下ろす。

 皿はエイダンの頭でぱりぃん、と割れて床に散らばり……エイダンはふらふらとしながら壁に寄り掛かるようにして動かなくなった。


「はあ……。はあ……。あ、愛の勝利! ですね! カナタ様!」

「ははは……ありがと、ルイ……」


 安心したのか、カナタは力無く笑いながらエイダンに近付く。

 もう動く気配はない。それどころかエイダンは寝息を立て始めていた。

 この様子から見るに、エイダンにとっては悪夢の中で暴れたくらいの認識になっているのかもしれない。


「ルイ……人を呼んで……。兄上を、治療しないと……」

「はい! すぐに!」


 ぱたぱたと音を立てて部屋の外にルイは人を呼びに行く。

 改めてカナタが部屋を見回すと、部屋はひどい状態だった。

 ベッドの周りは先程の『水球ポーロ』で水浸し。揉みくちゃに組み合った衝撃でテーブルの上に置いてあった花瓶は割れて、こちらも水がしたたっている。

 蝋燭の火が頼りなくそんな部屋の惨状を照らしていた。


「ふう……ふう……」


 部屋を見回して、カナタはエイダンの近くに転がっているとある物を見つける。

 ふらつく体で何とかしゃがんで……カナタはその転がっていたそれを手に取った。


「やっぱり……兄上は魔術で……」


 カナタが拾ったのは黒い魔術滓ラビッシュ

 一日体調が悪かったカナタは今日、訓練場から何も拾ってきていない。

 カナタの使った魔術は火と水。魔術滓ラビッシュが出たとしてもその色は赤と青。

 つまり、ここにあるはずのないこの魔術滓ラビッシュはエイダンに魔術がかけられていた証拠そのものだった。

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