32.朦朧とした意識の中で

「体が……重い……」


 結論から言うと、カナタは熱を出して倒れた。

 当たり前と言えば当たり前だ。不慣れな環境に放り込まれ、何とか順応しようと勉強を詰め込んでいた上に領主の城に訪れたり、ルイの罰を軽くするためにボランティアに行っていたりと最近はあまりにも忙しい日々だった。

 さらに言えば、『水球ポーロ』の魔術の練習で度々びちょびょになっていたので精神的にも体力的にも疲労がたまっていたのだろう。


「あわわ……! カナタ様……! 私は一体どうすれば……そ、そうだ、野菜! 野菜をお尻に刺すといいと聞いた事があります!」

「何その恐ろしい話……やめてね……」


 あわてふためきながらも看病してくれるルイへのツッコミにも力が無い。

 額に置かれる濡れタオルも最初はひんやりとして気持ちいいがすぐにぬるくなってしまう。


「はぁっ……。はぁっ……」

「カナタ様……お辛そう……」

「ごめんね、ルイ……迷惑かけて……」

「そんな事はありません! このルイ……カナタ様の世話係として寝ずの看病をさせて頂きますとも!」

「いや、そこは寝て……ね……」


 こちらを覗き込むルイの心配そうな表情すらぼやけていて、自分の息遣いだけがひどく大きく感じた。

 目を閉じると、嘘みたいに早く眠る事が出来た。


「カナタ、大丈夫か」


 その声に目を開ける。いつの間にか、シャトランが部屋にいた。

 入ってきた事にも気付かなかったが、いつの間にかルイが静かになって壁際に控えている所を見ると今さっき入ってきたのかもしれない。


「父上……ごめんなさい……」

「何を謝る。私のミスだ。まだここに来て一月と少しのカナタに休日返上をさせるべきではなかったな……他の罰にするべきだった」

「いえ……そんな事ありません……」

「もう喋らなくていい。しっかりと治せ」

「はい……」


 ごつごつとした感触が頭に触れる。頭を撫でてくれたようだ。

 本当の父親に撫でられた記憶はなかったので少し嬉しかった。


「医者は何と?」

「疲労から来た熱だそうですので、しばらく安静にしていればよくなるそうです」

「そうか、看病を任せる。人手が足りなければ侍女長を頼れ。厨房にもカナタの食事について話を通しておく」

「かしこまりました」


 シャトランとルイの会話が遠くから聞こえてくる。

 数日前ルイに対してあれだけ憤っていたシャトランもルイの変化を認めたのか、改めて釘を刺すような言葉を残す事はなかった。

 よかった、と安心しながらカナタは目を閉じた。

 ふわふわと浮くような体、きりきりと締め付けられるような頭。

 もう、タオルがぬるい。冷たくない。体が汗で気持ち悪い。

 こんな時に頭の中には容赦なく言葉が浮かび上がってくる。


 "選択セレクト"

 "『炎精への祈りフランメ・ベーテン』"

 "『水■ポーロ』"


 高熱でうなされている今の状態を危機と感じて無意識に魔術の名を思い浮かべているのか、それとも頭が学んだ事を整理した結果浮かぶ幻覚なのか。これ以外にも次々と頭に浮かんでくる。人の名前や昔の記憶も。


「……辛そうですね」


 綺麗な声で、目をゆっくりと開けた。

 目を開けるとそこにはカナタを覗き込むロザリンドがいた。


「起こしてしまいましたかカナタ」

「いえ……丁度起きた所です……」

「こんな時くらいは気遣わなくていいですよ」


 ロザリンドは寝ているカナタの頭やお腹を撫でる。

 ゆっくり、ゆっくりと。まるでカナタを寝かしつけるようだった。


「母上……俺、汗をかいてるから……。母上の服が……」

「いいから、あなたは目を閉じていなさい」


 いつもより優しい声だ、とカナタは目をゆっくり閉じる。


「あなたの生みの親のようにはいかないかもしれませんが……子にとって母の手はどんな薬よりも良薬となりましょう。母に甘えて眠りにつきなさいカナタ」


 そう言って、ロザリンドは歌い始めた。

 カナタは全く知らない歌だったが、それはきっと子守歌。

 ゆっくりとした曲調に包み込むようなロザリンドの声。

 撫でられながらなのもあって、その歌声はカナタを微睡みの中へと放り込む。



「今はゆっくりと体を元に戻す事に専念しなさい。あなたには時間がないかもしれないけれど、こんな時に急ぐほど時間がないわけではないのですから」

「はい……ありがとうございます……」


 あまりに気持ちよくて、カナタの頭は言葉よりも記憶が再生される。

 遠い昔、母親に看病された事があったっけ。もうほとんど覚えていないけど撫でてくれた母の手が嬉しかったのは何故か覚えている。

 傭兵団にいた時も一度だけ体を壊した。グリアーレが無愛想ながらもずっとついていてくれた事。本人は看病していたわけではないと否定していた。



「ありがとう……お母、さん……」



 カナタは自分が何を口走ったのかもわかっていなかった。

 その言葉は目の前のロザリンドに向けてか、それとも記憶の中の誰かか、はたまた全員にか。

 壁際に控えていたルイが少し涙ぐんでいたのが目に入って、大丈夫かな、と少しだけ心配しながらカナタは沈むように眠りについた。

 眠る前に出たその呼び方がカナタにとっての精一杯の甘えだった。


 …………。


 ………………。


 ……………………。


 次に目を開けたのは暗くなってからだった。

 部屋の中で蝋燭の火が揺れる。部屋に一つある影も揺れる。

 影は看病してくれるルイのものだろう。静かに歩く音が聞こえてくる。

 ベッドが少し軋む音がした。こちらの様子を窺ってくれているのかもしれない。

 体はだるいままだったが、人の気配にカナタは安心したように目を閉じたままだった。


「ルイ……?」


 眠る前、ルイが心配そうにしていたので安心させるように名前を呼ぶ。

 まだ熱は下がり切っていないが、倒れた時より大分ましになっていた……だから。


「うっ……!?」


 カナタは両手で首を絞められるまで、その人影に害意があると気付かなかった。

 突然首を押さえつけられて、額から濡れタオルがずり落ちる。

 夢から醒めたかのように目を開けて、カナタは自分の体に乗るその人影の正体を見た。

 暗くてよく見えない。思ったよりも小柄な体格。

 そして一瞬だけ蝋燭の火が揺れて、カナタの目にその顔が飛び込んできた。


「あ、に……うえ……!?」

「……っつ!!」


 熱にうなされて見てしまう悪夢よりもたちが悪い現実が目の前に。

 ベッドの自分に馬乗りになって首を絞める誰か……それはカナタの義兄にあたるディーラスコ家長男のエイダンだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る