19.戦場漁りのカナタ

「お前らみたいなガキからすれば糞つまんねえだろうおっさんの昔話だがな……俺は昔も今も糞だった。家を飛び出して腕っぷしだけを理由に傭兵やり始めてよ。

うまくいかねえ時はいらついた勢いで八つ当たりするなんて日常で、酒飲んで酒屋の看板ぶっ壊すなんてしょっちゅうよ。そんで金もなくなるからまたいらつく。そんでまた誰かに迷惑かけて、日銭稼いでまた同じ事して……。

こうやってお前の前で偉そうな顔する資格なんかありゃしねえ、馬鹿みたいな人間だ」


 ウヴァルの話を聞きながらカナタは涙を拭う。

 今のウヴァルからはいつもする酒の匂いもしない。額についている土汚れに気付いて、カナタは真剣に耳を傾けた。


「でもよ……そんな糞みたいな奴でも気まぐれはあるもんでな。たまたま実入りのよかった戦場帰りに足を怪我したガキを見つけたんだ。お前よりチビだった。

普段だったらぜってえ無視してたね。無視無視。泣くしかできねえやかましい糞ガキなんざ、集まってくる野犬か魔物に食われて終わりだからな。戦場で手に入れた武器やら布やら売って、一杯やるほうが優先よ」

「……無視しなかったの?」

「そうなんだよ……なんでかなぁ……気まぐれで助けちまった。そいつの住む町までおぶってやった。勿論怪我の治療なんてしてねえぞ? そのまま担いでそいつの家だっていうパン屋まで運んでやった。

そんで……なんでこんな事したかな、って思いながら酒屋を探しに出て行こうとしたらな……死ぬほど感謝されたんだ。人生で一番、感謝されたんだ。ガキの母親はぺこぺこ頭を下げて、ガキのほうは俺の服を逃がさないよう握ってよ。

でも俺は糞だったから早く酒が飲みたくて、振り払って行こうとしたら……はは、死ぬほどパンを持たされたんだ。初めてだったよ、酒より多くパンを食って酒を飲まなかった日は」


 ウヴァルは懐かしむように視線をどこかに向けた。

 カナタも同じ方向に目をやるが、ただの平原と川しか見えない。

 けれどウヴァルの瞳にはきっとその町とパン屋が映っているのだろう。


「そんで頭悪いなりにしばらく飯に困らねえんじゃねえか、って思ってな。二週間くらいだったか……しばらくその町にいたんだ。パン屋に行けばそいつらは毎日パンをくれてよ。怪我の様子を見に来てくれるなんて勘違いしてた。そんで金も無くなって、パンも飽きたから町を出ていった」

「……何も言わなかったの?」

「ああ、あの時の俺は本当に糞だったからな」


 当時の自分を思い出しながらウヴァルは自嘲する。

 ウヴァルの語る昔の自分はカナタには想像もつかない。

 この二年、毎日酒臭くても暴力を振るわれた事は無いし、いらついて手を出されるなんて事もなかった。カナタから見たウヴァルはむしろヒートアップをする傭兵達を止める側だった。


「数年経って、その町に寄る機会があった。俺はそんなんあった事すら忘れれてな……パン屋の奴等の事を思い出したのも町に着いてからだった。

どうなってるかなとパン屋を覗きに行ったら、そのガキはでっけえ兄ちゃんに成長してパン屋になってた。店に入った瞬間、俺に気付いたそいつらはまたパンを死ぬほどくれたよ。そいつらに数年前に助けた事をまた感謝されて、よく覚えてんなとか思いながら前と同じ宿に泊まったんだ。

そんで……ベッドの上で貰ったパンを食べながら思ったよ」


 ウヴァルはそこで言葉を止めた。

 カナタの両肩を掴む両手は、ほんの少し震えていた。


「ああ、俺の人生……無意味なんかじゃなかったんだなぁって……」


 喉に詰まった言葉を絞り出すようにウヴァルの声は小さかった。

 カナタがさらけ出した事に応えるようにウヴァルも今の在り方の根幹を曝け出す。

 いらついて八つ当たりをする。酒に溺れて何かを壊す。

 若い頃のウヴァルにとってそれは自分の人生に意味があるのかという不安を紛らわすための叫びだったのかもしれない。たとえそれが悪い方向であっても、自分の一日に何か意味が欲しかったのかもしれない。


「あの日ほど泣いた日はなくてな。パンの味なんてわからないほど泣いて、それでも全部食って……その日飲みに行った酒が人生で一番うまかった。いらつく事なんかなんもねえ。馬鹿みたいに飲んでから宿に帰ってぐっすり寝たよ。

そうなって、ようやく気付いた。こうやって自分が見る世界をほんの少しだけよくしていくんだって。何かを壊しても、誰かにいらついて八つ当たりしても……世界はましになんかなりゃしないんだ」

「それはそうだよ……」

「笑えるだろ? お前みたいなガキでもわかる事に気付くのに俺は二十年ちょっともかかったんだ……。

誰かを助けるってのは他人のためなんかじゃない。他でもない自分のためなんだ」

「……だから、お頭は俺達みたいな戦場漁りを、拾うようになったの……?」


 カナタの問いにウヴァルは頷く。

 傭兵が戦場に落ちている物を自分の稼ぎとして懐に入れるのは珍しくない。

 しかし、わざわざ子供を養ってまでするのは割に合わないのは明白だ。

 カレジャス傭兵団がそんな事をしているのはあくまで、ウヴァルの心変わりによるもの。


「俺にはお前ら十五人を何とか食わせる程度しかできねえ。戦場なんて狭い世界で日銭稼いで、町に戻っても暴力振るって酒飲んで……それしかやってこなかった男だから。

でもお前は違う。お前はお前がやりたい事でチャンスを掴んだ。掃き溜めみたいな場所で俺達にゴミだなんだと馬鹿にされても、自分が好きだからってだけで世界を広げるチャンスを掴んだんだ……!」


 カナタの両肩を掴むウヴァルの手に力がこもる。

 言葉の熱がその両手からも通してカナタの心に届けと。


「頼むカナタ。こんなチャンスはない。俺達じゃお前に狭い世界しか見せらんねえ。

お前はきっとこれからも誰かを助けていく。お前は誰かのために怒れる男だから。でも俺達と一緒じゃあ俺達と同じ場所の奴しか助けられない。

だからカナタ……もっとでけえ男になれ。俺達じゃ届かない奴を助けていって、いつかお前がすげえ男になったなら……お前の活躍が俺達の耳に届いた時、きっとその時飲む酒が一番うまくなる。

俺達はあんなすげえ奴を世話してやってたんだぜ、って……馬鹿みたいに笑って、馬鹿みたいに泣きながら、誇らしい気持ちできっと店中の酒を飲み干すんだ」

「お頭……」

「そうすやりゃ、一人の悪人がましな悪人になるような事もあるかもしんねえ」

「はは、それでも悪人なんだ?」

「たりめえよ。そんな都合よく善人になれたら牢獄なんかいらねえだろ? でも……それでも世界はましになる。ほんの少しずつ、ちょっとずつ……ましになっていくんだよ」


 それはまるでカナタが魔術滓ラビッシュを集めて今の力に至ったかのよう。

 目に見えないような物事はそうやって少しずつ、ちょっとずつ……いつの間にか変わっていくのかもしれないとカナタは思う。


「頼むカナタ。俺の飲む酒をうまくしてくれ。俺の人生、悪くなかったなって思えるように……お前の事を自慢させてくれ」


 カナタは目尻に残った涙をぐしぐしと力強く拭う。

 血と泥に汚れたその顔は決して綺麗ではなく。それでも黒い瞳には決意が宿っていて……惹き付けられるように輝いていた。


「孫がうんざりするくらい自慢させてあげるよ、お頭。あの魔術師は俺が育てたんだってね」

「ばーか。まずは子供に自慢させろよ……糞ガキ」


 会話が終わり、ウヴァルが外のシャトランに目を向けると囲っていた風が止む。

 ウヴァルは掴んでいたカナタの両肩を話して立ち上がった。


「終わったかね?」


 シャトランの問いにウヴァルは頷く。

 カナタは無言のままだったが、シャトランもカナタが説得に応じた事は理解したのか二人を連れて陣幕の中へと戻っていった。


「ラジェストラ様、どうやら説得できたようです」

「おお! やるではないか!」


 陣幕の中に戻ると、ラジェストラ一行とカレジャス傭兵団だけは楽な姿勢が許されていて、ダンレス陣営の騎士や魔術師達は跪いたままだった。

 元はダンレスが座っていた椅子にふんぞり返って座るラジェストラは嬉しそうに体を起こす。


「ウヴァル団長、よくやってくれた。褒美に――」

「褒美は結構です。褒美欲しさにやった事じゃないんでね」

「これは……俺が浅慮だったな。許せ」


 ラジェストラの言葉にウヴァルは一礼して、カナタの背中を押す。

 カナタはラジェストラの前までゆっくり歩いて行った。

 ロアやグリアーレの心配そうに見つめる視線を受けながら。

 シャトランが再び風の防壁を展開して、ラジェストラは改めて問う。


「結論は出たか? そなたの口から聞かせてくれ、カナタ」


 ラジェストラにそう促されて、少し俯きながらカナタは口を開く。


「……俺は作法も何も知らない子供です」

「承知の上だとも」

「偉い人の考えもわかりません」

「ああ、わかっている」

「頑張って、そういうのを覚えようと思います」

「我々が叩き込もう」


 するとカナタは顔を上げて、


「それでも――生き方は変えない」


 ラジェストラに向かって宣言する。

 宣言は力強く、存在感の増したカナタにラジェストラは目を見張る。

 その瞳に宿る意思に、子供扱いした自分を恥じるくらいに。

 ラジェストラがカナタを利用するために養子にするように、自分達もカナタに利用されるのだと理解した。


「そこの豚貴族のような事をするのなら、俺はあなたにも牙を剥く」

「どういう意味かわかって言っているか? カナタ?」

「はい」


 ラジェストラを前にして、カナタは物怖じせずにそう言い切る。

 今すぐ首が飛んでもおかしくない貴族に対しての反逆の可能性を示唆する宣言。

 養子になると決意しても、過度に媚びようとしないカナタをラジェストラはますます気に入った。


「くっくっく……! それでいい。それがいい。肩書きに恐怖せず、人を見よ。

貴族社会に浸かっても、悪しき行いに立ち向かった今日の行いを思い出せ。貴様が変わる事をこのラジェストラ・アンドレイスは望まない」

「それでもよければ……これから、よろしくお願いします」

「ますます気に入ったぞ。歓迎しようカナタ、ようこそ貴族社会われわれのせかいへ」


 同じ目線で話せなくなる前に、カナタはカレジャス傭兵団達のほうに向き直る。


「ロア、またね」

「カナタぁ……行っちゃうの……?」

「うん、グリアーレ副団長、ありがとう……俺に色々教えてくれて」

「気にするな……大人が子供を助けるのは当たり前だ」

「へへ、お頭も……話してくれてありがとう」

「……誰かに言ったらぶっ殺しに行くぞ」

「あはは、いまさら照れないでよ」


 涙をこらえるように一息で別れを済ませていく。

 たった二年いただけの場所。それでもカナタにとっては家のようだった。

 世話を焼かれて、そりが合わない時もあって、それでも帰ってくる場所。

 改めて、自分でこの場所を守れた事を誇らしく思いながらカナタは笑顔を浮かべる。


「みんなもまた会おうね。みんなは色々言ってたけど……俺はここが大好きだった。拾ってくれて、邪魔者扱いしないでくれて、本当にありがとう」


 貴族の養子となるカナタを誰も羨むわけでなく、ずるいと批難するでなく。

 カレジャス傭兵団はカナタと短い別れをすませて、連れて行かれるカナタの背中を声援で送り出した。


 互いの距離は遥か遠くに。また会えるのはいつの日か。

 その時には立場も変わり、人も変わる。それでもまた会えたなら、同じように笑顔がいいなと願いながら……少年は見知らぬ彼方へと歩き出した。



―――――――


ここまでお読み頂きありがとうございます。

ここで第一部「戦場漁りのカナタ」編終了となります。

一区切りの幕間後、第二部「猛犬の養子」編を開始します。

レビュー、応援など是非よろしくお願いします。

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