18.行かないで、傍にいてよ

「あの……嫌です……」

「はぁ!?」

「ええ!? あ、ごめんなさい……」


 ラジェストラの提案を理解するとカナタはすぐさま拒否をする。

 その返答につい声を上げてしまったのはウヴァルとロアだった。


「ふむ、断られるとは思わなかったな。嬉しくないのか」

「はい」

「まあ煩わしい作法や規則はあるが、生活は保証されるし、魔術の勉強もできるぞ?」

「嫌です」

「ふむ、困ったな……本人が望まないのであれば流石に連れていけん。それではあの豚と同じになってしまう」

「ちょ、ちょっと待ってください公爵様! お願いがあります!」


 頑なに嫌がるカナタの様子を見て我慢が出来なかったのかウヴァルは慌てて顔を上げる。


「公爵様! どうか俺にこいつを説得させて下さいませんでしょうか!」

「む……出来るのなら願ってもない事だが……」


 ちらっ、とラジェストラはカナタを見る。

 カナタは頭を下げながらもそっぽを向いていて、もはや礼儀も何もあったものではない。そこにあるのはただただ拒絶だけだった。


「本人はよほど嫌と見えるぞ」

「説得します。二人にして頂けませんでしょうか」

「わかった。シャトラン……二人を連れて陣幕の外へ行け」

「了解致しました」


 風の防壁が解除され、シャトランは二人についてくるように促す。

 ウヴァルは気が進まないカナタを引っ張って、シャトランと共に陣幕の外に出た。

 シャトランは気を利かせてくれたのか、もう一度同じ魔法を二人にかけてやる。


「終わったら合図してくれ。私も外に出ている」

「ありがとうございます」


 ウヴァルは頭を下げ、カナタはそっぽを向いたまま。

 シャトランが防壁の外に出るとウヴァルはカナタの両肩を掴んだ。


「なにをいっちょ前に断ってやがる! こんなガキなら喉から手が出るほど欲しい提案を……いやガキじゃなくても貴族の養子だなんて誰もが羨むような提案だぞ!」

「嫌だ」

「いつになく頑固だな……! 魔術滓ラビッシュの時以外そんな感じじゃねえだろお前!」

「やだ!」


 よほど嫌がっているのかカナタはウヴァルの目すら見ない。

 ウヴァルにはわからない。カナタが何故こんなにも頑なに拒絶するのか。


「おいどうしたカナタ……。そりゃ貴族になるってのは堅苦しいかもしれないけどよ……どう考えても今の生活よりいいじゃねえか。まずい飯を食う必要も、足りないって腹鳴らす必要もねえ。水浴びじゃなくて風呂にだって入れる。寝る所なんて寝袋じゃなくて多分ふかふかベッドだぜ!?

なんなら俺が代わりたいくらいだ……貴族様のお高い酒を飲めるんだからよ」

「……」

「おい……何とか言えよ。何でこんないい話を断る……?」


 ウヴァルがカナタが口を開くのを待つと、ようやくカナタはウヴァルと目を合わせた。

 唇をきゅっときつく閉めて、目はぱちぱちと瞬きが多い。

 それでもウヴァルが待ち続けると、カナタはようやく口を開いた。


「お頭……俺の事追い出したくなったの……?」

「違う! どう考えてもそうならねえだろ!?」


 震える声で、カナタは不安そうにそう口にした。

 目尻に溜まる涙は先程ダンレスから受けた傷や鼻血の跡よりも痛々しく映る。


「いやだよ……俺、ずっと傭兵団にいたくて……傭兵団にいたいから頑張ったんだよ……! 傭兵団にいたいから……お頭があんな奴に頭下げてるのが、嫌だから……だから戦ったんだ……!

なのに、何で俺を追い出そうとするの……? 俺みんなの事好きだよ……? 荒っぽいけどみんな優しいし、戦場漁りのみんなだって……全員と仲良いわけ、じゃないけど……それでも一緒に仕事してる仲間だもん……!」


 堰を切ったように言葉と涙が、カナタから溢れていく。

 カナタが何のために戦ったのか。カナタは何を守りたかったのか。

 そして――貴族に勝利という離れ業を行えても、カナタは子供だという事が。

 落ちる涙と震える声から伝わってくる。


「俺が、魔術を使えるから……嫌いになった……? お頭は魔術師嫌いだって、ぐ、ぐ、グリアーレ副団長が言ってた……」

「違う……カナタ、違う」

「だったら……もう使わない……使わ、ないがら……!」

「カナタ、聞け。そんな事ねえ」

「ここにいれるなら使わない! 使わないから!!」


 カナタの両肩を掴むウヴァルの手の力が自然と強くなる。

 今のカナタにダンレスに勝った時のような存在感は無く、そうして抑えていないと崩れて消えてしまいそうだった。

 さとすように優しく名前を呼んでも、何かに怯えているようでカナタの涙は止まらない。


「だから……行かないで…………」


 今までで一番小さな掠れた声で、カナタはそう呟いた。

 ……カナタが魔術滓ラビッシュに惹かれたのは綺麗だったから。

 ごみだと言われても拾い続けた魔力の残りカス。拾っては大気に溶けて悲しい思いをし続けても、戦場で見つけられる綺麗なものはカナタにとってこれしかなかった。

 ――けれど本当はそれだけじゃなかったのかもしれない。

 魔術滓ラビッシュは消えて当たり前のものだったから。諦められた。

 魔術滓ラビッシュは最初からなくなるものだから。消えないでと甘えられた。

 もっとずっと一緒にいれるはずだった両親が自分の目の前からいなくなってしまったのがあまりに辛くて……最初から消えるものにすがれば、消えても絶望しなくてすむから。


「カナタ……」


 カナタの事情を知っているウヴァルは気付く。

 本当は魔術滓ラビッシュなどではなく……女の子を助けに行った母の背中に、


 ――行かないで。


 カナタはずっとそう言いたかったのかもしれないと。


「……カナタ、俺の話を聞いてくれねえか」

「……何」


 すんすん、と涙を拭いながらカナタは拗ねたように俯いている。


「こっちを見ろ」

「……」


 俯いているカナタの頭を掴んで、無理矢理目と目を合わせるようにする。

 カナタは初めて見たかもしれないウヴァルの真剣な眼差しに一瞬、驚くように目を見開いた。

 子供騙しの説得ではカナタは頷かないと悟ってウヴァルもまた自分を曝け出す事を決めた。


「俺にはな、カナタ……いつも夢見る事があるんだ。笑うなよ?」


 ごねる子供をあしらう大人の態度ではカナタを動かす事はできない。

 偶然拾っただけの傭兵団にいたいと言ってくれるカナタに対してウヴァルは男同士……腹を割って話さなければいけないのだと確信した。

 素面しらふでこんな事話す時が来るなんてな、と恥ずかしさを誤魔化すように笑いながら。

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