16.カナタの魔術

「あ、か……はにゃ、が……」


 鉄の匂いが鼻を抜け、痛みで目尻に涙が貯まる。

 いや鼻の事なんてどうでもいい。

 今あのガキは何を? ダンレスの頭の中が混乱で埋め尽くされる。

 魔術だ。いや魔術師は自分だ。

 では今されたのは? 遅れて感じるこの手の痛みは一体?

 何故自分の杖があんな所に落ちている?


「わだし、は……ラクトラル魔術学院を、卒業した……!」


 ダンレスは鼻を抑えながら燃える杖に手を伸ばす。

 自分の人生の栄華。魔術師と認められた証。選ばれた者だけが掴める特別。

 あれが自分の手元にないなどあってはならない。

 混乱からの逃避とフラッシュバックした過去の記憶が一瞬だけ、今が決闘中だという事を忘れさせてしまう。


「二発目だぁ!!」

「ぶふ、っあ!?」


 カナタはその顔面に、今度はつまさきで蹴りを入れる。

 魔力で強化されたカナタの力は子供を超えて、ダンレスの顔面にめり込む。

 噴き出す鼻血が地面に散って、ダンレスはさらに杖から遠くなった。


 カナタを動かしているのはグリアーレに教わった魔力操作。

 殴る時は拳に、蹴る時は足に。魔力を集中させて子供であるカナタでも十分な威力を引き出していた。

 十歳のカナタが油断と不意を突かれたとはいえダンレスを圧倒している。

 そんな光景にカナタが惨たらしく殺されると思っていたウヴァルは唖然とするしかない。


「おい……カナタのやつ……。どうやって……魔術を……?」


 ウヴァルはグリアーレを横目に見る。

 一人であんな魔力操作ができつわけがない。こんな風に子供にお節介をするのは傭兵団の中でも一人だけ。


「がんばれ……カナタ……カナタ……!」

「カナタ……凄い、凄い凄い……!」


 グリアーレはロアと互いを支えるように抱き締め合っていて、祈るように決闘から目を離さない

 グリアーレは心配が勝っているのか顔面蒼白でただただ応援し続けていた。


「いけえええ! ガキぃ!!」

「殴れ殴れ! はっはっは! はっはー!」

「カナタいけー!!」

「きんたま! きんたま狙え!!」


 グリアーレとロアだけでなく傭兵団全員がカナタを応援している。

 さっきまで声も出せずに見守るしかなかったはずの無謀な決闘が子供の虐殺ショーになどならないとわかって、その声援は腹の奥からカナタに向けられる。

 傭兵達も戦場漁りの子供達も一緒になってカナタの背中を声で押す。


「勝て……! 勝っちまえ……!」


 その熱量に釣られて、ウヴァルの口からも応援の言葉が零れる。

 カナタに届いたかどうかはわかならい。それでも確かに、本音だった。



「このガキゃああああああ!!」


 思考が戻ったダンレスが頭を冷やすように叫ぶ。

 折れた鼻を無理矢理戻しながら、涙目でカナタを見据えた。

 自分は子供相手に何という醜態を晒しているのか。ダンレスに仕える騎士どころか魔術師までもがもはや葬式のように無言のまま。

 子供だからと油断していた。あんな薄汚れた子供が魔術を唱えるという予想すらしていなかった事態に不意を突かれた。

 相手が傭兵の誰かであったのならダンレスはこんな油断はしていなかっただろう。いたぶろうなどと考えもしなかっただろう。

 

 ……だがこの慢心を誰が笑えようか。

 先程カナタが使った魔術は第三域だいさんいき

 たかが傭兵団に養われている孤児がまさか、自分と同レベルの魔術を使えるなどと――!


「奇しくも私の得意魔術! だが所詮はガキ! 魔力量で押し潰してやるわあああ!!」


  動揺がなくなったわけではない。冷静になった先から目の前の子供は一体何なのかという疑問が沸き上がってくる。

 だが今はどうでもいいとダンレスは投げ捨てた。

 目の前の相手が何なのかを暴くよりも、自分を虚仮こけにした不届き者を罰するという一心で魔力が渦巻いた。


「『炎精への祈りフランメベーテン』っ!」

「『炎精への祈りフランメベーテン』!!」


 同時に放たれる第三域の火属性魔術。

 二人の間にあった空気は一気に燃え上がり、互いの右手から放たれた業火はぶつかり合った。

 唱えたのはカナタが先、放ったのはダンレスが先。

 徐々に、徐々にカナタが押されていく。


「うっ、ぐ……!」

「ふ……はは……。ふっはっはっは!! 貴様はもういらん! 奴隷として生かす事すら許さぬ! このまま燃え死ねえい!!」


 同じ魔術で押されているのは魔力の差か。はたまた年季の差か。

 魔術を通して伝わる差がダンレスに勝利を確信させる。

 そして何より、カナタの魔術は拾った魔術滓ラビッシュを写し取っただけの不完全。やはり本当の意味で魔術師が唱える魔術と同じ領域に立てないのかと。

 頭の中にしつこいくらい浮かび続ける魔術の名が、カナタに現実を突きつけるかのようだった。


「不完、全……」


 その気付きが、カナタにひらめきを与える。

 不完全であれば……そう、書き換え・・・・てしまえばいい。

 押し負けながらも耐える拮抗が時間の猶予を作る。頭の中の文字がそのアイデアを補佐する。

 そもそも何故頭の中に魔術の名が浮かび続けているのか。その答えがようやくカナタはわかったような気がした。


「拾うだけじゃなくて……自分のものにしろって……事だったんだ……」


 書き換わる。書き換わる。

 業火がぶつかり合って、カナタの頭の中で何が行われているのかダンレスは気付かない。

 魔術滓ラビッシュを拾い続けて手に入れた選択肢が、カナタを導く。


「名、前も……術式も……俺の、言葉に……!」


 殴られてもいないのに鼻血が垂れる。

 視界はばちばちと魔力が弾けて、現実が書き換わる。

 拾った魔術滓ラビッシュを眺めた思い出が、カナタの思考を手助けして。

 さて……何故カナタに突然魔術が宿ったのか。それは本人にもわからない。

 だが答えは簡単――魔術滓ラビッシュは本当に大気に溶けていたのか?


 誰も求めていない魔術の残りかす。魔術師にとっては未熟な証拠と言われるゴミ。

 そう……誰も魔術滓ラビッシュを大切に握り締める事などしなかった。

 本気で消えないでなどと誰も思った事がなかった。

 行かないで、と祈った事などなかったから。

 空っぽだった器が得たのは不完全な術式の欠片。魔術の痕跡をなぞる才。



「フランメ……いや、『炎精への祈りえんせいへのいのり』」



 さあ恐れろ魔術師共。ここにいるは魔術の天敵。

 残りかすから魔術という情報を食らう貪欲な獣にして簒奪者さんだつしゃ

 魔の歴史を踏み台にして、少年は新しい扉を開く――!



「ふっはっは! ふっはっは……は?」



 勿論、最初に異変を感じたのはダンレスだった。

 魔術から伝わる異変。こちらに傾いていたはずの勝利の天秤が突然カナタのほうへと傾いていく。

 威力が違う。魔力の質も。術式の精度も何もかもが変化した。

 この数秒で一体何が。同じ魔術かこれは。

 勝利を確信していた油断がダンレスの混乱を加速させる。


「なぜ……なぜ私の魔術のほうが、こんなガキに押されて――!?」

「いけ……。いけ……! いっけえええええええ!!」


 このままでは押し負ける。魔術から伝わる実感が恐怖へと。

 ぶつかり合う魔術の向こう側にいるガキは一体なんなんだ、とダンレスは首筋に死を感じ取った。


「な、なな、何を見ているぅ!! 援護しろぉおおお!!」


 決闘の作法、貴族の流儀などどこへやら。

 恐怖に負けたダンレスは周囲で決闘を見守っていた騎士や魔術師達に呼び掛ける。

 戸惑いながらも領主からの命令に騎士は剣を抜き、魔術師は杖を構えようとするが――


「させると思うか?」

「っ!?」


 その首筋にグリアーレの剣が突き付けられる。こうなってしまっては魔術師も魔剣士も関係無い。

 ダンレスの横暴な命令を予想していたのか、グリアーレだけでなく他の傭兵達もカナタとダンレスの決闘が邪魔されないように騎士達の前に立ちはだかった。

 一人だけ兜が違うリーダーであろう騎士をウヴァルが組み伏せて、


「水差すなんて野暮だろ騎士様方。特等席だぜ、しっかり見届けな」


 もう誰も、二人の邪魔をする事などできなかった。


「わたしの、魔術が……飲み込まれるぅ!? あんなガキの魔術に!?」


 ぽろぽろ、と炎の中から赤い小石……魔術滓ラビッシュが零れてく。

 それは魔術師が動揺によって魔術を上手く構築できなくなったという事。

 魔術を支えるダンレスの精神は目前に迫る恐怖によってもはやぐらついて、あぶれた魔力は魔術滓ラビッシュとなって落ちていく。

 カナタはダンレスのその様子に決定的な勝機を見る。

 残っている魔力を全て術式に叩きこみ――


「死なない程度に、燃え尽きろ! お前が選んだ理不尽ごと!!」

「う、あ……! ば、かな……! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な!!」


 放出される炎は魔力を燃料にしてさらに加速する。

 最初は同じ魔術だったはずのダンレスの魔術を呑み込んで、うねる火炎は龍のように。

 その火炎は獲物を食らうように燃え上がりダンレスへと突き進んで、


「こんな……! ぎ……っ……! うぎゃああああああああああ!!」


 カナタの魔術は完膚なきまでにダンレスの魔術を打ち破る。

 火炎はダンレスをも飲み込んで、立ち昇る火柱の中から聞こえる悲鳴がこの決闘の勝者を示していた。


「はっ……! はっ……! 丸焼き……なんて上等なもんじゃない、か……」

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