15.その魔術は華やかに、拳は鼻に
「失礼致しますラジェ――いえファルディニア様」
「貴様、いい加減慣れろ……」
不貞腐れたように簡素なベッドの上で寝転がるのは昨夜カレジャス傭兵団に作戦について謝罪をしに行っていた新人騎士ファルディニアだった。
その従騎士であるシャトランが兜を脱ぎながらファルディニア部隊のテントに入り、ベッドの脇まで駆け寄る。シャトランはファルディニアよりも年上のようで髭の似合う
「何をやる気を失くしておられるのですか。トラブルです」
「あの豚の私兵ならトラブルの一つや二つ起こすだろうよ……なあシャトラン……。俺は面倒で仕方がないぞ……もう黒でよくないかあれ?」
「そんな事を言っている場合ではありません。先程カレジャス傭兵団がダンレスに直訴して……」
がばっ、とファルディニアはバネのような勢いで起き上がる。
その目は先程の不貞腐れたものとは違って真剣で、それでいてどこか戸惑っているのか複雑だ。
「あの傭兵団か。それで?」
「ダンレス子爵の卑劣な提案に不満を抱いた傭兵団が決闘を仕掛けました」
「なに!?」
テント内がざわつく。ここにダンレスの私兵は一人としていない。
ダンレス領に来る前に急遽ダンレス陣営と合流したファルディニアの部隊であり、隔離されるようにファルディニアの部隊は丸ごと分けられて陣幕の外でテントを設営していた。
もっとも、それで都合がよかったのはダンレスだけではないのだが。
「あの団長か。目が腐っていなかった……だが魔剣士では……!」
「いえそれが昨日の彼ではなく……」
「む? ではあの副団長の女か?」
「いえ……戦場漁りの、子供です」
「……なに?」
聞き間違いかとファルディニアは聞き返す。
しかし返ってくる言葉は同じまま。
「戦場漁りの子供が決闘を仕掛けたのです。どこで教わったのか、決闘の作法も知っており……今頃は……!」
シャトランの話を聞いたファルディニアは跳ぶようにベッドから下りる。
鎧を着て剣を差し、顔付きは凛々しく変わっていた。
「お前ら! 急いで準備しろ!」
「「「了解致しました!!」」」
部下達も雰囲気の変わったファルディニアに続いて用意する。
二分と経たずに準備を終えてテントから出ると、ダンレスの陣幕の中から炎が舞い上がった。
「くっ……! 子供相手になんとおとなげない! 急ぐぞシャトラン!」
「騎馬部隊! 先行!!」
従騎士であるシャトランを先頭にファルディニアの部隊は陣幕へと急ぐ。
味方の陣幕に行くとは思えない臨戦態勢のまま彼等は馬を走らせた。
「大人の恐さを……教えてもらえなかったようだねえ! この子供はぁ!!」
「!!」
ステーキの上に乗ったハンカチを掴むように腕を振り下ろして、ダンレスはその勢いのままテーブルを叩き割る。
決闘の作法は簡単だ。申し込むほうがハンカチを相手に向かって投げつけ、申し込まれたほうがハンカチを手に取ればそれで成立。
テーブルを叩き割りながらもダンレスがハンカチを掴んだ事で決闘は成立し、そして始まっている。
「カナタ!」
「っかやろう……!」
決闘を邪魔してはならない。ましてや仕掛けた側の身内とあらば。
ウヴァルの悔やむ表情もグリアーレの悲痛の叫びも、ましてやカナタが子供であるという事も関係は無い。
申し込むのなら覚悟を、受け入れるほうも覚悟を。
それがこの国における決闘の作法であり伝統。邪魔すれば当然罰も重い。
「ふんっ!!」
「うっ!?」
ダンレスの投げたナイフとフォークを横に跳んでカナタは
その間にダンレスは腰に差してある杖を抜く。
宝石によって装飾されたその杖はダンレスの誇りであり矜持。栄えある魔術学院を卒業した魔術師としての証そのもの。
……カレジャス傭兵団はこの国でも有数の傭兵の集まりだ。傭兵全員が魔剣士という実力者の集団であり、その名前は少数の貴族の耳にも入るくらいには周知となっている。
そんな彼等が、ダンレスの不条理な要求に対して何故抗えなかったのか。
戦闘集団である傭兵達を前にしてダンレスは何故不遜な態度を取り続けられたのか。
それは魔術師と魔剣士の差にこそある。
「子供でその動き……魔剣士見習いのようだけども……魔術師と正面から戦う愚かさは教えて貰えなかったのかな!?」
「そんなに太っていてこの動き……!」
「太っているのではない! ふくよかなのだよ! 魔力も富も! 『
ダンレスの杖が輝き、炎が地面を走る。
カナタを囲むように炎は広がって周囲の視界を熱気で霞ませた。
「あっつ……! こんな炎! 戦場じゃ当然だ!」
「はいやああああ!!」
「う、ぐっ……!?」
周囲を囲む炎を無理矢理抜け出して、待っていたのはダンレスの拳。
肉付きがいい体格の体重が乗った拳は子供のカナタには重く、防いだ腕ごと衝撃が体に伝わる。
ダンレスの体格は決して筋肉によるものではない。
見た通り贅沢によって蓄えられた贅肉であり、普通に動けば鈍重だ。
しかしダンレスは魔術師。魔術を使う土壌としての肉体に自然となっている。
つまり、魔剣士が意識してしなければいけない魔力操作を魔術師は無意識で行う事が可能であり……肉体の頑強さや身体能力の変化にタイムラグが一切ない。
これが正面からの戦闘で魔剣士が魔術師に劣るとされる理由の一つである。
「苦しめ! 『
「ぐ、あっ……!」
吹き飛ばされ、起き上がろうとするカナタに向けてダンレスは火の鞭を叩きつける。
痛みに顔を歪ませ、泥だらけになった所に追い討ちをかけるような遠距離攻撃。
ダンレスの杖から伸びる火の鞭は一回、二回とカナタを背中を打って起き上がろうとするカナタを何度も邪魔する。
単純にして明快。これが、もう一つの理由。
魔剣士には遠距離攻撃の手段がない。対して魔術師は無限に近い手がある。
今ダンレスが使っている魔術は
近距離では魔術師のが速く、遠距離では一方的。
これが、魔剣士が正面からの戦闘で魔術師に勝てないとされる大きな二つの理由。
ダンレスのカレジャス傭兵団への態度も彼等が魔剣士にしか過ぎず、自身が貴族であり魔術師であるからこそのものである。
「ふっふ! ふっほっほ! 生意気な子供はやはり這いつくばるのがお似合いだねぇ!」
「……か……」
「んんー? 今更助けてと言うかな?」
――しかし、ダンレスは一つ勘違いをしている。
「満足か、って言ったんだよ」
その少年は魔剣士見習いなどではなく、異質の経緯ながらも……同じ領域に踏み込んだ魔術師の卵である事を彼は知らなかった。
「――『
「ふ……?」
カナタを叩きつける火の鞭を這うようにして炎がダンレスに向かって襲い掛かる。
突如使えるようになり、わけもわからず寝袋を燃やしてしまったあの夜に唱えた魔術。
カナタは今度こそ自らの意思で、その魔術を唱えた。
「あっづ!? あづあああああああ!? なんで!? なんでえええええ!?」
火の鞭を伝って、カナタの魔術はダンレスの手元まで難なく届く。
炎は火の鞭を呑み込んでさらに大きくなり、ダンレスの手元を杖ごと焼く。
ダンレスは誇りの、矜持の証だったはずの杖を手放して地面に転がった。
今目の前で起きた有り得ない出来事に頭を混乱させながら。
相手はただの魔剣士見習い。少し魔力を操れるだけの取るに足らないガキ。
こんな決闘は子供をいたぶるための理由付け。怒りはしたがただのお遊び。
そのはずだった。そのはずだったのに――!
「火属性を使ってても、やっぱり熱いもんなんだな」
「ふあ……?」
カナタは距離を詰め、地面に転がるダンレスを見下ろす。
ダンレスはいまだ思考が追い付いていない。
「まずは一発だ豚貴族!!」
「ほぶっ!?」
地面に転がるダンレスの目の前には強く握られたカナタの拳。
困惑するダンレスの顔に、カナタは迷わずその拳を叩きこんだ。
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