14.選択

「おいダンレスさんよ……まさかそんな詭弁でいちゃもんつける気かい?」


 気だるそうなウヴァルにダンレスは顎肉に指を当てながら芝居がかった声色を続ける。


「詭弁? いいや? ウヴァル団長殿の仰る通り、私が前金として渡したのは傭兵団一人につき金貨二枚のはず……だがどうした事か! この袋には二十枚しかない! 子供達の分が足りないようですな?」

「何を言ってんだ。最初から俺達傭兵の分しかあんたは渡していなかったろうが」

「いやいや……取り決められた報酬は傭兵団一人につき金貨二枚。あなたもそれに同意したはずですぞ? 文字が読めないからと口約束で取り付け、信頼第一だと前金まで払ったというのに……これでは足りませんなあ?」


 平民でも文字を読める者はいるが少数であり、ウヴァルは読めない。

 だからこそウヴァルは口頭で契約を確認し、前金という形で踏み倒されないようにするのだが……今回はそれを逆手にとられてしまう。

 カナタを含め、戦場漁りの子供達はまだ話が見えていなかった。


「それとも、そこの子供達は傭兵団の一員ではないと仰るのかな? であれば、その子供が何者かに害された所で私と契約を切る理由としては不十分になりますなぁ? どうやら、傭兵団の一員ではないようだからの」

「!!」

「となれば、これは一方的な契約放棄という事になる……カレジャス傭兵団は信頼の置ける傭兵団という噂でしたが、まさか傭兵団とは無関係の出来事で契約を破棄してしまうとは傭兵としてはちょっとねぇ……。

他の方々が私のように一方的な契約破棄で迷惑を被らないよう、カレジャス傭兵団は信用できない連中だと広めるしかないなぁ……そう、それこそこの国中に届くように」


 下衆が、とウヴァルは心の中で恨み言を吐き捨てる。

 ダンレスにとってはどちらに転んでもいい。

 このまま戦が続いてカレジャス傭兵団がダンレスの指揮下に入り続ければ、子供達を攫う機会はいくらでも増える。昨日のようにどさくさに傭兵達を狙って、排除すればそれでもいい。このまま脅しに屈してくれればそれはそれで楽に子供達が手に入る。

 村や町から攫うよりも事件として話題にされる事もなく、孤児院を運営して面倒な監査に怯える事もない。安全に手に入る奴隷候補として戦場漁り達は最初から目を付けられていたという事だ。


「前金がやたら高かったのはそういう事かい……俺達が何も言わなければそれでよし、俺が直訴したらこうした話に持っていくつもりだったってわけだ……」

「ふむ、先程からウヴァル団長殿は被害妄想が豊かのようだ……さて、どうするかね? そこの子供達十五人分の前金を返して貰っていないが……足りない分は?」


 にやけた顔でダンレスはウヴァルに向けて手を伸ばす。

 ウヴァルはそんなダンレスを睨みつけるが、後ろの騎士が警戒するだけだった。


(ガキを逃がせるような状況じゃねえし、グリアーレは逃げられるだろうが……グリアーレがガキを置いてにげるわけねえしなあ……)


 何も思いつかず、ウヴァルは渇いた笑みを浮かべる。

 なんてことはない。決して珍しくもない、貴族に搾取される弱者の構図。

 上に立つ人間が必ずしも清廉潔白で立派な人物であるなんて事はない。

 むしろ上級階級を生き残るために、もしくは上り詰めるためにその知恵は回り……悪意に満ちた狡猾さまで備えれば、文字が読めない平民を騙すなど簡単だ。

 今回もどこかでどこかで常に行われている搾取の一つに過ぎない。

 滅茶苦茶でくだらない言葉遊びのような理屈だが、話の筋は通ってしまっている。


「ぐ、グリアーレ副団長……どういう事? 俺達前金なんて貰ってないよ?」


 ウヴァルが立ち尽くす中、事態が飲み込めていないカナタは痛烈な表情を浮かべるグリアーレの服を引っ張る。


「……ああ、つまり騙されたのさ。あの貴族の狙いはお前達だったというわけだ」

「え……」

「前金がやたらと高かったのは子供達の分を出させないためだったわけか……全く、私がいながらなんて情けない」


 グリアーレは沈痛な面持ちをしながらカナタの頬を撫でる。

 頬をつねられた時とは打って変わって優しく、それはまるで別れを惜しむかのよう。


「私達……奴隷になて……売られる、の……?」


 ロアは青褪めながらか細い声で呟く。

 グリアーレはカナタだけでなくロアも安心させるように優しく撫でた。


「いいや、大丈夫。大丈夫だから、な」

「……やだ」


 カナタの脳裏に記憶がフラッシュバックした。

 母親が目の前で、貴族の女の子を庇って死んだ時の記憶が。

 同じだ。嫌な感じがする。母親がいなくなった時と同じだ。


 母と一緒に町に買い物に行っただけだった。

 路地裏から聞こえてきた悲鳴に向かって、手を繋いでいたはずの母は走り出した。

 追いかけて見た光景は女の子から庇ってならず者から刃物を突き立てられた母親の姿。

 その女の子が貴族だとわかったのはそのすぐ後だった。その女の子のお付きであろう騎士が姿を現して、母から女の子を奪うように抱き上げていた。

 女の子は泣きじゃくっていて無事だった。母は血を流して黙ったままだった。


「……やだ」


 奪われる。また理不尽に大切なものが奪われる。

 自分は見ている事しかできない。母親が血を流している姿をただ見ているだけ。

 力がないから。何もできない子供だから。

 また、自分がいていい場所が消えてしまう。


「ダンレス子爵様。どうか、どうかご容赦ください」

「……はぁ?」

「お……頭……」


 数秒、今と記憶を重ねて呆けていたカナタが次に見たのは信じられない光景だった。

 ウヴァルはダンレスに向かって頭を地面に擦り付けるようにひれ伏していた。

 カナタはその背中を見て呆然とし、ダンレスは馬鹿にするようにせせら笑う。


「後生です。俺は馬鹿で間抜けな男です。昔は悪い事もしていた、でもこいつらは何も悪い事してない奴等です。ただ不幸だっただけな奴等です。どうか、貴族の慈悲を」

「慈悲……? はて、前金を返せない奴等にかける慈悲なんてあるとは思えんがねえ?」

「こいつらは何も悪い事はしてねえ。俺が馬鹿で情けない団長だったせいです」

「ふっふっふ! そんなわかりきった事はいいんだよ……!」


 ダンレスは頭を地面につけて乞うウヴァルを見て満足そうに食事を再開し始めた。

 まるでその姿が料理をおいしくしているといわんばかりに残ったパンとスープにがっつく。


「ぷふー……君が馬鹿で間抜けな男なんて事はわかりきっているんだ。私は前金を返して欲しいだけ、返せないのなら残りの十五人分を私に預けるだけでいい。それともカレジャス傭兵団の評判を落とすほうを選ぶのかな?」

「……そうなったら、ガキ共は食っていけません」

「なら孤児院にでも入れればいいんじゃないかなあ? それか野盗にでもすれば? ああ、そうなったら私が領主として討伐しに行ってあげるさ」


 誰もがダンレスがウヴァルと真面目に取り合う気がないのがわかった。

 ダンレスの私兵であろう騎士達の数名もウヴァルが頭を地面に擦り付ける姿を見て同じように笑っている。


「一番楽な道を選びなよウヴァル団長殿。お荷物こどもたちを渡すだけで……君達は何も失う事なく帰れるんだよ? むしろプラスだ。この戦が終わったら私がカレジャス傭兵団は素晴らしい傭兵団だと宣伝してやろうじゃないか」

「それだけはできません」


 ダンレスの誘惑に対して思考する間もなく断るウヴァル。

 降りかかる理不尽に対する怒りを抑えて、ゆっくりと顔を上げた。


「大人がガキを見捨てるなんて事は、一度だって少なくなきゃいけねえんです」


 それはウヴァルにとっての信条だったのか。力強く朝の空気に響く。

 しかしダンレスはその時点でウヴァルに対する興味を完全に失ったかのようだった。


「ま、決まったら言ってよ。金かガキかさ」

「ダンレス子爵様……どうか、どうか!」

「譲歩はしないよ。貴族として舐められるわけにはいかないからねえ」


 食事を続けるダンレスと頭を下げ続けるウヴァル。

 ――なんだこれ、とカナタはその光景を見つめていた。

 自分達を食い物にしようというダンレスが優雅に食事をしていて、自分達を庇おうとしているウヴァルが地面に頭を擦り付けている。


 ――そして、自分はただそれを見つめている。


 あの時と同じだ。あの時もそうだった。

 ただ自分は見ているだけで、正しい事をした人がいなくなる。

 女の子を助けた母にずっといてほしかった。それでも母はきっと間違っていなかった。

 自分は生き残っている。何もしなかったから。

 今もそう……何もせずに待っている。


 そうだ、生きていられればそれでいい。

 目を逸らせばいい。目の前で起きた理不尽から。

 生きていられれば誰かが助けてくれる。

 ずっとそうだった。

 母が死んで村に引き取られた。一年後にはカレジャス傭兵団が引き取ってくれた。

 何もしないで、流されて、不幸だからと誰かがとずっと助けてくれた。

 黙っているだけで生きられた。だからきっと今度も。


 そうだ、生きられる。奴隷になっても。

 そうだ、生きてさえいれば。もしかしたら楽しい事もあるかもしれない。


「…………違う、だろ……」


 そんな頭を巡る思考をカナタは湧きあがる怒りと共に握りつぶす。

 生きられたんじゃない。生かしてもらった・・・・・・・・んだ。

 誰かもわからない子供を、出来るだけ、何とか助けてやろうっていう人達がいてくれたから。


「いいわけ、ないだろ……!」


 助けても何の得もないけれどそれでも。それでもと。

 世には悪意が溢れているけれど、同じように善意も溢れていてくれる。

 そう信じさせてくれる人達がなけなしの思いを向けてくれたから。

 なら――そうやって生かしてもらった自分は今見ているだけでいいのか?


「見てるだけで……いいわけないだろっ……!」


 いいはずがない。それで生きていると胸を張っていいはずがない。

 ――きっと自分の母も、そういう人だったから女の子を助けるために走り出したんだろ!


「か、カナタ……? カナタ!?」

「お、おい!?」


 そう心の中で叫んだ瞬間、カナタは歩き出していた。

 呼び止めるロアの声を背中に、子供達を守るようにして前に立つグリアーレの隣をすり抜けて。

 地面に頭を擦り付けるウヴァルの横すらも無言で横切って、ダンレスのテーブルの前に立った。


「ほほう! 偉い偉い! なんと殊勝な子だ! 自ら私の所に来る子もいるようだぞ?」

「カナタ……! てめえ下が――」


 ウヴァルがカナタの背中に手を伸ばそうとするより早く、カナタはダンレスのテーブルに何かを放り投げる。

 少しの風で揺れて落ちるは戦場で拾った白いハンカチ。

 カナタはそれを、ダンレスの料理に向かって放り投げていた。


「……何の、真似かねっ……?」

「何の真似かって? あんたらのほうが詳しいだろ」


 残ったステーキの上にハンカチが落ち、その場にいた者のほとんどが絶句する。

 傭兵団の仲間達も、ダンレス側の騎士達すらも。

 ハンカチを相手に投げる……それはこの国において決闘の申し込みの意味を持つ。

 昨夜、ロアを攫おうとした男がグリアーレにやったように。


「拾いなよ貴族様。それとも……ふんぞりかえった尻が椅子にはまって立てないのか?」

「ぶ……! ふっはっはっは! ずいぶんと勇気のあるガキじゃあないか。嫌いじゃない……嫌い、じゃないよ? 本当さあ!」


 嫌いじゃないと言いつつもダンレスの額には青筋が浮かんでいる。

 今ダンレスを抑えているのは貴族として最低限の度量を自分の兵達に見せようという見栄のみ。

 その瞳は誰が見てもわかるくらいに怒りに満ちていて、いたぶる相手をウヴァルから目の前のカナタへと完全に変えたようだった。


「決闘の意味がわかっているんだろうねえ? 遊びじゃすまされない……すませてはいけない! 本当にその意味がわかってるのか!? その小さくて役に立たないような頭でぇ!?」


 魔術師としてのダンレスの魔力が顔を出す。

 しかし威圧するような声も魔力も少年を揺るがす事は出来なかった。

 ……少年は初めて選ぶ。

 見るだけでも逃げるだけでも、時間稼ぎをするでもない。

 数多ある道の中からもっとも苦難となる道を。



「わかってるさ――"選択セレクト"」



 守られる子供としてではなく、その意思は一人の人間として。

 ――少年は初めて、理不尽という敵に立ち向かう事を選んだ。

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