終章

終章 第五十三話 帰巣

「へえ、ここがユミとキリの愛の巣かぁ……」

「ちょっとサイさん! じゃましちゃダメだよぉ……」

 

 眼の前の洞穴へずかずかと押し入ろうとするサイを、ソラは慌てて引き止めた。

 背後を振り返って見れば、ユミが恨めし気に睨んでいる。

 ユミの左手は、しっかりとキリの手と繋がれている。キリは心なしか気まずそうだった。


「ご、ごめんね、ユミ。それにキリくん。すぐにどこか行くから……。ほらサイさん!」

 ソラはサイの腰の辺りを叩き、洞穴から遠ざけるように誘導する。

「えー、いいじゃねぇかソラぁ……。私達も愛の巣で楽しもうぜ!」

「ちょっ! なんてこと言うの!? サイさんにはテコくんが……。それに私だってぇ……」

 ユミにはサイが冗談で言っていることは分かっていた。しかしソラは本気で受け取ったのか顔を真っ赤にさせている。

 そんなソラをなだめるようにサイが彼女の頭の上に手を置き優しく撫でた。

 そして洞穴に背を向け、顔をにやつかせながら歩いてくる。

 ユミとのすれ違いざまに「ごゆっくり」と耳打ちしてきたので、その脇腹に肘を入れてやった。


 サイとソラと引き替えに、ユミとキリは洞穴へと歩を進める。

 

 ラシノで父の覚悟を見届けた後、キリの自宅でユミらは一晩過ごした。

 6年前には怖い思いもしたその家であったが、既に恐怖の根源たるあるじも居ない。

 眠りの妨げになるものと言えば、サイの大いびきぐらいだった。


 そしてその翌朝、かつてユミとキリが過ごした洞穴――イチカ――へと赴いた。

 アイが居なくなったとは言え、今後キリとともに暮らすことが保証される訳ではない。

 それでもユミには、どうしても帰りたい場所があったのだ。

 

「ねえキリ、ここで一緒に暮らすこともできるんだよ?」

 幼い頃にそれができたのだからと、孵卵での幸せな日々に思いを馳せる。

「ユミ、それは……」

 キリも叶うことならそうしたい。

 キリは父親が居なくなって以来、ずっと母の狂気と隣り合わせの生活だった。

 ユミと共にいること以外、幸せの形など知る由もなかったのだ。

 一方でユミは、他にも様々な場面で幸せを感じてきたはずだ。

 

「ユミには他にもやることがあるんだよね、本当は」

「うん、でも……。キリが私と居たいと言ってくれるなら――」

「それじゃ母さんと一緒だ」

 アイは一人の男に執着した結果、森という危険な存在すら認知できなくなってしまった。

 それは本人にとって幸せな結末といえるかもしれない。

 しかし少なくともキリは、母が幸せを手にしたのだと考えることはできなかった。

 このままキリがイチカで暮らす道を選んだのなら、誰にも理解されない生き方になるはずだ。

 その誰かにはユミさえも含まれている。


 高い学習能力を持つ彼女である。

 トミサで過ごした時間は、ユミを飛躍的に成長させたはずだ。

 人としての常識も培ってきたに違いない。

 もう当時のように、向こう見ずな生活など耐えらないのではないだろうか。

 成長と引き換えに、ユミから失われた物もあるのだ。

 キリは鴛として、今後もユミの幸せを応援したい。

 

 そしてキリも、他の幸せの形を知らなくてはならないのだ。

 よわい17にして、ようやくその機会を得た。

 

「ごめんユミ。だから……、もうちょっとしたらラシノに帰して」

 キリは首を捻り、歩いた道筋を振り返ってみる。大きな岩陰から、2つの頭がひょっこりと飛び出しているのが見えた。

「あそこの……、姉さんとサイさんも一緒に」

 キリが指差すと、慌てたようながさっという音とともに、2つの頭は隠れてしまった。


「うん、分かってる。ありがとうキリ。私は前を向いていかないと……」

 クイの思い描いた自由な世界。それ自体には賛同したいところがある。

 ユミとキリとがしがらみなく幸せに暮らす未来があるかもしれないのだ。

 

 問題があったとすればクイの選んだ手段だ。

 自由な世界の足掛かりにナガレを使おうなど、あまりにも短絡的だ。

 クイの野望が達成できたとして、多くの者に迷惑をかけることなど眼に見えている。

 自由な世界の実現は、あまりにも困難な目標だ。

 時間と労力をかけ、多くの者の賛同を得た上で行動すべき計画だったのだ。

 

「キリ、これからもラシノには来てもいいかな?」

「もちろんだよ。でも……、気を付けてね?」

 鳩の縛めの目的がどうであれ、現時点でユミにできるのは違反行為を露呈させないようにすることだけだ。

 アイの狂気が去った今、キリの安全のためという理由も成立しない。

 鳩の縛めが今よりも人々の行動を制限しないものに改正できるのか、ユミにはまだ分からない。

 幸いにもキリは、ユミに時間を与えてくれたと言えるだろう。

 

「うん。だから……、あんまり頻繁には来れないかもしれない」

 トミサに帰ったら改めてクイと話をしなければ、決意を込めての返事だった。

 

 やがて2人は洞穴の入り口付近に足を踏み入れた。

 そして手を繋いだまま洞穴の外側へと振り返る。

 高く昇る陽が、眼の前を明るく照らしていた。

 2人がこれから進むべき道を、示しているかのように。

 

 ふと足元へと眼を落す。

 そこに転がしていたはずの火おこし道具――弓錐――はもう無い。

 それでもここまで辿り着いた。


 ――帰る場所を灯せと 回した弓錐


 離れた時間があったとしても、2人の帰る場所はここなのだ。

 

「ユミ」

「キリ」

 2人は微笑みあう。


「ただいま」


シーンイラスト :

https://kakuyomu.jp/users/benzenringp/news/16818093091203628076


――――

鳩の縛め 完


最終話までのご読了ありがとうございました。

12/31にあとがき、設定資料集等を更新して完結といたします。

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