第九節 第四十八話 慧眼

 実際のところ、クイはサイに畏怖の念を覚えていた。

 前向きに捉えるならば、スナの懐かしい記憶に浸ることが出来たと言える。

 例えばヤミと鴛鴦の契りを結ぶと決まった時、ヤミを泣かしたら許さないとスナにはきつく詰められた。

 もちろんその覚悟は出来ていたが、下手を打てばスナに本気で殺されるのではないかとすら恐怖を覚えたものだった。

 

 サイにとってのユミは、スナにとってのヤミと同然なのだろう。ユミに働いた愚行がサイの逆鱗に触れるのは当然だ。

 幸いにもユミ本人がサイをなだめるように説明してくれたので、クイの負った損害は1回の平手打ちで済んだ。

 

 しかしそれ以上に、「他人のための行動は自身の責任から逃れようとする意識が働いている」という言葉が胸に響いていた。


 誰かのためと、誰かのせい。

 2つの言葉の持つ印象は大きく異なるが、その本質は紙一重だ。

 そしてクイは、かねてから自身が最悪の事態にある時も誰かのせいにしないように心がけてきたはずだった。

 

 故に、トキに孵卵での出来事を明かした時点においては、間違いなく自分のための行動をとろうとしていたのだった。

 ユミの力は自由な世界への鍵となる。そしてその先にある、ハリとヤミとのしがらみない暮らしを見据えていたのだ。

 対するトキも自身の目的のため、ユミに興味を持ったはずだ。失った鴦に対する供養であり、理不尽な縛めに対する復讐と言ったところだろう。

 それ以上に何を望むのか。クイは自らも気づかぬうちに、本来の目的以上の未来図を描いてしまったのだった。

 

 ユミの力を最大限発揮するために障害となるのが鳩の縛めだ。

 たとえ歩いた道のりを覚えられたとして、森を歩き回ることを禁じられているのであれば他の鳩と何ら変わらない。

 奇しくもユミのような者に、を与えられたことを考えると、鳩の縛めは正しく機能していると言えるのかもしれない。彼女の行動力にかかれば、村から1人の少年を誘拐することさえ厭わないのだ。

 幸いにもユミは、トキの教育により理性的で分別のある行動をとれるようにもなった。となれば、鳩の縛めで厳しく行動を制限する必要もない。

 

 では何故、鳩の縛めは存在するのか。

 雛の教科書においては、鳩の縛めはイイバに住む者達の安全を守るためだと教えることになっている。

 しかしクイは、もっと深い事情があるのではないかと考えるようになる。

 鴛鴦文を集約する係を目指したのは、その答えを辿るためでもある。

 鳩としてそれなりの地位を得ることでその内情を知れば、鳩の縛めの本質を知る手掛かりになると思ったのだ。


 結果としてクイは現在の地位に就くことが出来たのだが、そのためには人の心に寄り添う力を示す必要があると考えていた。

 そこでユミの孵卵におけるミズの言動を手がかかりに、少数派の指向に着目したのだった。

 即ち人はもっと自由に愛し愛され、好きに生活すれば良いのだと訴えた。

 その活動の過程でクイは人から感謝される機会が増えた。

 

 行動の起点が自身のためであっても、結果として他者に幸福をもたらすことがある。

 自身のための行動であれば、他者に見返りを求めることも無い。

 一方で誰かに幸福をもたらしたという事実を、自身の誇りとして受け入れても良い。

 そうすれば責任意識を持ち、目的から眼を逸らすことなく行動を続けられる。

 というのがトキの言葉の本質だ。

 

 しかしクイの場合、人から感謝されることに絶大な見返りを見出してしまっていた。

 これまで他者に対して、希薄な付き合いしかしようとしなかったことに対するつけが回って来たと言えよう。

 感謝されることが目的だと、クイ自身が開き直っていればどこかに行動の抑止力が生まれたかもしれない。

 ところが感謝を受ける度に、自由に人を愛することができる世界はイイバの皆が望むものだと考えるようになっていた。

 

 自由が欲しいと口に出さない者は、住む世界が狭い故にその概念すら認知していないからだ。

 一度ひとたびユミのもりすに触れれば、誰もが自由な生き方に魅了されるはずなのだ。

 自分がその考えを広めてやらなくてはならない。自分が動かなくて誰がやるのだと言う使命感すら覚えていた。


 もし鳩の縛めが、身分の高い鳩が私腹を肥やす為にあるのだとすれば、それを追及し現状を変える余地があるのではないかと考えた。

 とは言え、トミサの巣にクイ個人の居室を与えられるようになってからも、その証拠を掴むことは出来なかった。

 皆へ平等に不自由な生活を強いることで人々の安全を守る。結局教科書通りの文言が、鳩の縛めの本質であるということが導き出した答えだった。

 

 やがてクイは、鳩の縛めの改正以外にも何か方法があるのではないかと思案するようになる。

 その結果、ナガレが自由な世界への足掛かりになるのではないか、そのように思い至った。

 

 ナガレはナガレの鳩によって暮らしが成り立っているが、同時に監視も受けている。

 そしてまた、ミズの存在がナガレの未来の希望であり、縛めであった。

 

 もしミズの代わりにユミがナガレの希望になれたのなら、ナガレはトミサとの繋がり、即ち縛めから解き放たれることになる。

 そのためにはミズが帰巣本能に目覚める可能性の失われる必要がある。

 クイが道を踏み外すきっかけを挙げるとすれば、この考えに辿り着いてしまったことだろう。

 ミズに何か手を下した訳では無いが、彼女が孵卵の試験を受ける度に冷や冷やとしながら構えていたものだった。

 

 ユミが最後のミズの試験の落第を告げてきた時は、高揚感がこみ上げたが、同時に自己嫌悪にも陥っていた。

 ミズとコナを繋げてあげることは出来ないか、ユミの提案に快諾することが出来たのも罪滅ぼしの意識が働いていたためだ。

 対するユミはクイの返答に安堵していたようであったし、後にミズも喜んでいたと知ることになる。

 

 即ち、クイに誰かの喜びという成功体験を与えてしまったと言うことだ。ユミのナガレへの出征に同伴しようとの決意にも繋がった。

 しかし一度はユミに断られてしまった。それは百舌鳥もずをナガレへの手土産にしようと言う旨の失言が原因だった。クイ自身、母親が百舌鳥だったのではないかとの指摘にははっとした。

 

 にもかかわらず、クイには歯止めが利かなくなっていた。

 百舌鳥がダメならば代替案を探すまでだ。話を聞いてもらえないならばユミの弱点を突くまでだ。これはイイバにおける最大多数の最大幸福のためなのだ。

 そのような思考が渦巻いていた。

 責任をイイバの民に委ね、本来の目的を見失ってしまっていたと言えるだろう。

 

 さらに言えば、この活動に伴ってウラヤに赴く機会が減り、我が子と過ごす時間が失われていったのだ。

 昨日はハリからクイよりもユミ達と一緒が良いと言われてしまったが、それも当然のことだった。

 

 それでもこうしてナガレに辿り着くことはできた。

 ここで引いてしまってはこれまでの実績が無駄になる。

 クイは飽くまでも、アサとケンに自身の計画をぶつける心積もりだった。


 一方で気がかりなのは、先日のユミの発言だ。

 6年前ケンからヤマへと届けた文には、何かの間違いでソラが烏と出くわすことの無い様に、と書いてあったとのことだ。

 クイの計画はウラヤとナガレとの伝達経路を築くことであるが、下手を打てばケンの逆鱗へ触れることになる。

 そもそもどうやってヤマの文を届けたのかという問題も残る。ユミのもりすを明かそうものなら、それはそれでサイが怖い。

 たまたまミズの調子が良く、ナガレに帰ってくることが出来たと言えば信じてもらえるだろうか。

 

 とは言え合理的に考えれば、ナガレの住民にとってクイの提案は魅力的なもののはずだ。

 クイの来訪は閉鎖的な空間から抜け出す希望になり得るのだ。

 もちろんサイが言っていた通りに、輩どもの慰み者になるつもりなどない。

 しかしその下品な発言から、彼らを味方につけられる可能性があるとも気づいた。


 ソラと烏を引き合わせたくないケンと、外の世界とのつながりが断たれ、娯楽に飢えた烏達との対立、という構図になる。

 ケンの力は恐ろしいが、さすがに数の暴力の前では無闇に手も出せないのではないかと考えた。

 

 また、ユミらにはアサの自宅にいるとは告げたものの、現在アサとケンがどこにいるかは分からない。

 6年前の滞在時に、ナガレでの生活習慣は把握していた。

 実に単純なもので三食の飯時と寝る時以外、烏達は居住区域から離れた場所で仕事をしているようだ。

 現在の刻限は昼を2刻ばかり過ぎた頃である。アサらは自宅を離れているかもしれない。


 よく耳を澄ませてみれば、彼方から威勢の良い声が聞こえてくる。

 眉間の辺りに手をやり、かけていた眼鏡をくいっと持ち上げた。

 そして声のする方へと眼を凝らす。すると3つばかりの小さな人影が見て取れた。

 そこに畑があるのだろうか。影のうちの1つは、鍬を振り上げ振り下ろす動作を繰り返しているように見える。


 クイは固唾を飲んだ。

 やるべきことは2つ。

 烏達を味方につけることと、アサとケンの元へと案内させることだ。

 手段を誤れば、サイの言葉通りになりかねない。


 クイは顔を揉み、表情筋をほぐした。

 そして烏の影の元へと歩を進める。次第にその姿は大きく鮮明になっていく。

 向こうの男達もクイの存在に気が付いたようだ。

 

「何だお前は?」

 怪訝な顔を向けられる。歓迎はされていないようだが、会話ぐらいできそうだと判断した。

「お初にお目にかかります。ウラヤより参りしましたクイと申します」

 クイは飛びっきりの笑顔を見せた。


 ――――

 

 人の顔などほとんど覚えることのないケンであるが、眼の前で語る男のことは記憶にあった。

 しかしその口から発せられる言葉の意味はほとんど理解できない。なんとなく何か取引を持ち掛けようとしているのだと感じ取ることは出来た。

 一方で隣に座るアサは黙って耳を傾けている。


 それはともかく、クイと名乗った男が烏達を伴ってきたことが気がかりだ。

 クイ自身は正座でかしこまった様子であるが、まるでその本心を映し出すかのように背後に侍らせた男達が不穏な空気を醸し出している。

 いつの間にナガレの村中から集めて来たのだろうか。

 あまり広くもないアサの住居であるが、今では総勢10名ほどの人間を収容していることになる。

 

 実質的にナガレを治めるアサに対し、不満を持つ者は少なくない。

 対するケンは態度こそ悪いが、ナガレに迎え入れてくれたアサに対して、恩義と敬意を抱いていた。

 アサが男の要求に応じるのならそれに従うまでだった。

 しかし、烏達を率いてくるぐらいだ。碌な話を持ち込んできたのではないと容易に想像はつく。

 

 いざ取引が破談となれば、一戦交える未来も見えてくる。

 アサの守護のため傍に居ることの多いケンであるが、多勢に無勢というものだ。

 烏を相手に手加減出来るか怪しい物である。

 

「ところでクイさんよ、ヤミさんは元気かい?」

「はい。おかげさまで壮健に過ごしておりますよ」

 終始顔をこわばらせていたクイだったが、アサの気遣う言葉に触れ少し緊張が解けたように見える。

「なら良かった」

 アサは穏やかに微笑んだ。


「あの……、怒ってらっしゃらないのですか? ミズさんの件について」

「一体俺が何を怒るって言うんだ?」

 アサは顎に手を当て小首を傾げる。

「えっと……、我々がウラヤに帰った翌日にミズさんをトミサに預けたと言うことですが、それ以来彼女はナガレにやって来てないですよね? その……、アサさんとミズさんとが過ごす時間を奪ってしまったのではないかと思いまして……」

「なんだそんなことか。ミズがナガレに通うようになるのは、今のナガレの鳩が引退してからだと聞かされている。……この考えは失礼かもしれんが、もうじきその時が来るはずだ。ミズと交わす文にもそんなことが書かれていた。ミズには早く会いたいが、それまではトミサで青春を謳歌してもらいたいもんだ」

「な、なるほど……。私も人の親ですからね。その気持ちは分かりますよ」

 取り繕う様なクイの挙動を、ケンは訝し気に見つめていた。

 

「ミズも今年で17だ。そろそろ好きな男でもできたんじゃねぇかな」

「え、ええ。彼女はもう立派で可憐なお嬢さんです。トミサ中の男が放っておきませんよ」

「ふふ、さすがサラの娘だ。だが、並みの男じゃ許すつもりはないぞ。なあケン、お前も気持ちは分かるだろ?」

 不意にケンへと顔を向けてくる。

「あ、ああ。そうだな。もしも娘に手を出す奴がいたら殴っちまうかもしれん」

 咄嗟の問いかけだったため、つい本音が飛び出した。そして何故か、クイは体をびくっと震わせていた。

 

「それにしてもあん時の赤子を使って訪ねてくるとはなぁクイさんよ。そんなことして大丈夫なのかい?」

「ええ、ばれればただじゃすまないでしょうね。なので私がここに来たことは内密にしていただきたいのですが……」

「それは構わんよ。あんたには世話になったからな」

「ありがとうごさいます」

 クイはぺこりと頭を下げた。

 

「いまその子はどこにいる? さすがにこんなところで1人にする訳に行かんだろ」

「はい。今はナガレと森との境界辺りで休ませています。ユミさんと共に」

「ユミ? ユミくんと言えばあん時の娘だよな?」

「何だと!?」

 飽くまでも穏やかな対応を続けていたアサとは対照的に、ケンは声を荒げて立ち上がる。

「あいつがナガレに来てるってのか?」

 いつの間にかケンの手はクイの胸倉を掴んでいた。どうやら体が勝手に動いていたようだ。


「やめろケン。確かに俺も驚いたがそんな態度じゃクイさんも話ができん」

 ケンの手首の辺りをアサが掴む。

 口をぱくぱくと動かしているクイを一睨みして、ケンは乱暴に手を離した。

 

「で、クイさん。あんたの目的は何だ?」

「は、はい。えー……、私と言うかユミさんのためですね。覚えていますか。ユミさんはキリさんという少年を伴っていましたが、元居たラシノに帰してしまったことを」

「ああ、そういう話だったな」

 アサは当時を振り返るように、頭の斜め上辺りを見つめる。

「ユミさんはキリさんと暮らしたいと思っています」

「ほう、相変わらず一途なもんだな」

「ですがユミさんはウラヤの鳩です。ラシノの一般男性と結ばれることは――」


「おい」

 不意に、ケンの図太い声が部屋に響き渡る。

 アサとクイと、その背後の烏達の視線が一斉に集まった。

 

「なんでウラヤの鳩がラシノに行けた?」

 当然の疑問だった。6年前の当時、アサも同様に疑問を抱いていたはずだ。

 

「え、えっとですね。実はあの時、本当はキリさんの帰巣本能でラシノへ帰したんですよ」

「なるほど、確かにあり得る話か。ガキが森に入ったのだから帰巣本能が目覚めてもおかしくない」

 ケンが深く頷くと、クイはそっと胸を撫でおろした。

 ケンはそれを見逃さなかった。


「つまり、お前らは少なくとも1度嘘をついていることになる」

「へ?」

「あいつはあの時言ってたぞ、ラシノへの帰り方が分かると」

「あ……」

 ケンは眼を白黒させるクイに畳みかける。

「どっちが本当だ?」

「い、一体何のことです?」

「黙れ」

 クイの軽薄な態度にはいい加減焦れていた。

 

「やめろと言うんだケン」

 アサによる制止は本日2度目だ。

 ケンとクイの2人の間には明確な体格差がある。今にもクイを殴り飛ばしてしまうのではないかと、アサは内心肝を冷やしていた。

「うるさい。お前も黙ってろ」

「なっ……」

 普段ならアサに従順なケンである。動揺を見せるアサに構わず、ケンはクイが侍らせている烏達を指差した。

「わざわざこいつらを率いて来るぐらいだ。碌な話を持ってきた訳じゃないだろう」

「いえいえ、そんなとんでもない。これからもナガレの皆様と仲良くしたいと思いまして挨拶回りをさせて頂いただけで――」


 ぼこ。


 音とともに、ケンの拳がその体側に振り下ろされる。床板に穴が開く。

 

「御託はやめてくれ。手加減が出来なくなる」

 拳を床板から引き抜きながら、クイに向かって鋭い眼光を飛ばす。

「正直に話してくれ」

「は、はい……」

 クイは肩を震わせながら、縋るような眼を浮かべた。

「話せばご容赦頂けますか?」

「ああ、手加減はしてやる」

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