第八節 第四十七話 砂時計

 クイの帰巣本能に従い、ユミはウラヤへと帰還した。

 先刻ユミが眼を覚ました場所への道のりも、今となっては記憶に刻まれている。

 再びその場所に赴くことも可能だが、そこに何も目的など見出せない。

 クイと過ごした気まずい思い出が、そこにあるだけである。記憶を一時的に意識の外へ出すことは可能だが、今後もふとした時に思い出してしまうだろう。忘れることが出来ないのも、もりすの弱点だと言えそうだ。


 クイの自宅の傍まで足を伸ばすと、案の定と言うべきか、サイの怒声が聞こえてくる。

「どういうことだよヤミさん! クイがユミを森へ連れ出したって言うのか!?」

 いつものサイなら相手の胸倉を掴んでいるところである。

 しかし、さすがにヤミを相手に手は出していないだろうとユミは思った。


「ご、ごめんねサイ。これもスナの為なの……」

「姉さんの?」

 サイは訝し気に聞き返す。

「うん、その……、クイが言うにはユミの力を使えば、スナも助けられたんじゃないかって。今後スナのような悲劇を起こさない様にって」

「ユミが居れば姉さんを助けられたかも、って言う話は分からんでもないよ。テコを似たような状況から助け出すことが出来たんだからな。でも、それとユミを拉致することと何が関係あるんだよ!?」

「それは……」

 クイがユミを連れ出した先で何を語るのか、ヤミは把握していなかった。

 クイからの指示は、ユミのナガレへの出征にクイを同行させることを優しく提案することだった。そしてユミから拒絶されたのなら、その時は茶を飲ませてくれと言われていた。

「ごめんなさい……」

「答えらんないのかよ! 今頃クイがユミを相手にお楽しみかもしんないんだぞ!」

「ちょっと止めてよサイさん。ヤミさん泣いてるよ?」

 ソラにとっても聞くに耐えない暴言だった。思わずサイの肩を掴む。

 サイは首を捻り、ソラに向かって眉を八の字にして見せた。

「このままユミが帰ってこなかったらどうするんだよ?」

「大丈夫だよ。ユミは鳩なんでしょ?」

「あいつはちょっと違うんだよぉ……」

 

 ユミは玄関扉にぴたりと耳を付け、一連の会話を聞いていた。

「どうするクイさん。中に入る?」

「え、いやぁ……」

 クイの額から汗が滲みだす。

「それだけのことしたってことなんだよ?」

「すみません」

「すみませんで済むかサイの前で試してみる?」

 ユミの眼から見ても、クイの足先の震えが伝わってくる。


「ところでハリは?」

「あ……、暫くの間は、眼を覚ます度にお茶を飲ませるようヤミさんに伝えてあります」

「じゃあ今は寝てるんだね?」

「恐らくは」

「良かった」

 ユミは安堵のため息をつく。

「お父さんがぼこぼこにされるところ、子供には見せたくないもん!」

「そ、それは確かに同意なんですが、願わくばぼこぼこにされること自体避けたいですね」

 クイの縋るような眼を見て、ユミは満足げに鼻を鳴らした。

「ま、善処はするよ。クイさんにはちゃんとナガレで役目を果たしてもらわないといけないからね」

 ユミは飛びっきりの笑顔を見せ、扉を大きく開け放った。


 ――――

 

 6年前、ミズと手を繋ぎ歩いたナガレへの道のりを辿る。

 今、ミズの代わりに歩いているのはサイだったが。

 

「あ、歩きにくいよサイ……」

 ユミはサイに背後から抱き締められる形で歩いていた。後頭部にはサイの胸の膨らみを感じる。

「しょうがねぇだろ。こいつがまたユミになんかするかもしんないんだから」

 隣を歩くクイに向かって舌を出して見せる。そしてさらに手で追い払う様な仕草をした。

「す、すみません……。もう少し離れていますね」

 クイは言葉通り、2歩分ほどサイから距離を取った。


シーンイラスト : https://kakuyomu.jp/users/benzenringp/news/16818093088841392113


「一応、姉さんの為だって言葉は信じてやる。ヤミさんが言ってたからな。それに免じて今は殴らないでおいてやるよ。だがもし余計なことしたら――」

「は、はい! 重々承知しております! 煮るなり焼くなり好きにしてください!」

 クイは背筋をぴんと張り、腰を90度に折り曲げる。

「てめぇのそういう態度がかえって嘘くせぇんだよ!」

「う、うう……。ですがこれが私の精一杯の誠意でして……」

 声が震えている。ユミはこの振舞いまで、嘘だと見なすのは気の毒だろうと感じてしまう。

「ねえサイ。確かにクイさんは嘘つきで小心者でハゲワシの初生雛愛者だけど、その辺にしといてあげてくれない?」

「おお、ユミは優しいな。まあいいや。私が手を下すまでも無いかもしれないし」

「どういうこと?」

 ユミは頭上のサイの顔を仰ぎ見る。

「クイってひょろひょろで色も白いしで、女みたいだろ」

「ま、まあ、そう見えなくも……、無いかな?」

 ユミが横目にクイを見ると、何かを察したのか青白い顔を浮かべているようだった。

「ナガレの飢えた男どもには手ごろな慰み者になるんじゃないか?」

「ひえっ……」

 肩をすぼめるクイを見て、ユミは胸のすく思いがした。


 ――――


 辿り着いたナガレの景色は、ユミの記憶に刻まれたものとほぼ合致していた。

 しかしながら、遠目に立ち並ぶ家々は以前よりも朽ちた様に見え、寂れた印象が強くなっていた。

 

「いいか? 私はお前を許したわけじゃないからな。ちゃんと交渉の役目果たして来いよ」

 木々の切れ間に立ったサイは、顎を使って村の方向を指し示す。

「はい。どうか私に任せて頂ければと思います」

 不躾なサイの態度にも関わらずクイが素直に同意すると、右手を自らの懐に差し込んだ。

「あのー、差し出がましいお願いなんですが……」

「何だよ? 言ってみろよ」

「こちらの砂時計、20回ひっくり返しても私が戻らなければ、様子を見に来て頂けないでしょうか? アサさんの自宅におりますので」

 そう言うと懐にあった握りこぶしを取り出し、サイの前で開いて見せた。

「姉さんの鎖付きの砂時計……、とはちょっと違うみたいだな」

「ええ、スナさんが亡くなったと聞いた時にトミサで似た物を買い求めたのですよ。ヤミさんも同様です」

「ほうそうか。お前の評価ちょっとだけ上がったぞ」

「誠に恐縮でございます」

 サイは誇らしげに胸を張り、砂時計を受け取り首にかけた。


「砂時計を20回、つまり60分だな。分かった。それまで何とか耐えてくれ。いやむしろ輩どもを受け入れて楽しんだ方がいいかもしれんぞ」

「全く下品な方ですねぇ……」

「あ? なんか言ったか?」

「い、いえ。なんでもありません!」

 クイは両手を開いて眼の前に掲げ、首とともに右へ左へ動かす。渾身の否定の表現である。

 対するサイはふんと鼻を鳴らす。


「で、では行って参りますね」

「頑張って~」

 遠ざかっていくクイの背中に向かって、ユミは間の抜けた声を投げかけた。

 

 ――――


「20回か。忘れちまいそうだな、何回ひっくり返したか」

「大丈夫だよ。1回1回数えなくても覚えてるから」

「ああ、そういうこともできんのか」

 サイは手元の砂時計をぼんやりと眺めながら、うわ言の様に呟く。

 が、やがて感極まったようにユミを正面からぎゅっと抱き締めた。

「サイ?」

「私心配だったんだ。お前が連れて行かれたと聞いて」

「あ、ごめんね。心配かけて」

「なんでお前が謝るんだよ。悪いのはクイだろうが」

 とくとく、どくどくと、サイの鼓動が強くなっていくのが分かる。


「うん、でもね。クイが言うことも一理あるんだよ。実際あの状況でもなければ、私はクイの言葉に耳を貸さなかっただろうし、その……、サイがあの場に居なかったからクイも冷静に話が出来たの」

 クイと対面している時とは対照的に、何故か彼を擁護するような言葉が零れていた。

「ああそうだろうな。……あの野郎、私を前にびくつきやがって」

 密着したサイから身震いが伝わる。怒りの表れなのだろう。

 

「で、でも……。サイも納得してくれたんだよね。クイの計画について」

「私が納得したのは、アイをナガレに連れ出すと言うことと、クイにはナガレに辿り着ける理由を説明できるということだ。ハリにはその可能性があることをナガレの連中も把握してるんだよな? クイはこれからもユミをナガレへ案内させようと考えてるみたいだが、そんなことさせない。ナガレへ来るのは今日限りだ」

 サイはユミの両肩に手を置き、ぐっと顔を覗き込む。


「あ、あのねサイ。私がナガレに通うことってそんなに悪いことでもないんだよ。だって――」

「バカ」

 理由も聞かずに一蹴されてしまう。

「ナガレに通うことがお前にどんな見返りをもたらすのかは知らん。でもクイはダメだ。あんな奴の言いなりになるな」

「それは……」

 確かにクイに言いなりになると考えるだけで癪には触る。しかしクイにもたらされた恩恵があるのも事実だ。

 

「ねえ、例えばミズとコナさんが鴛鴦文でつながったこと、サイは喜んでくれたよね」

「ああ確かにそうだ。あの時はクイのことすげぇ奴だと思ったよ。でもなぁ……」

 サイは呆れたように首を左右に振る。

「ミズが鳩になれなくなるのを待ち望んでたなんてな。あいつ表面上では人に称えられるようなことやっときながら、裏では腹黒いこと考えてやがる」

「ま、まあ、考えていたというだけでミズに何か仕組んでいた訳でもないし?」

 口に出してしまってから、本当はミズに何かしていたのではないかという疑念が湧いていた。その証拠など、ありはしないのだが。

「サイのお姉さんはクイのことなんか言ってなかったの?」

「姉さんは義兄さんのこと信頼してたからな。クイのことを腹黒いと認識しつつも、表に出さないのが奴の優しさだと考えていたみたいだ」

 ユミもクイ自身から聞いていた件である。

 これから鳩となり人との出会いが増えることに不安を覚えていたユミに対し、クイは人と仲良くする方法について教授した。それは人の良い所を見つけてやることだと。

 その例としてトキがクイの優しさを見出してくれた、と誇らしげに語っていたのだった。

 そして今のユミも、不覚にもクイの良い面を探し出そうとしてしまっている。

 人を善か悪か、一概に評価できるものではないのだ。


 またユミは、敢えて誰かの悪意に触れることの重さも感じていた。

 ケンを悪だとする認識が、未だに肩にのしかかっているのがその一例だ。

 

 一方で、許すことで前に進めるというソラの言葉も耳に残る。

 何かきっかけがあれば、ソラの言葉を体現することが出来るのではないかと考えていた節がある。

 ユミの心に渦巻いているのは、ケンが母を捨て、義父を再起不能にし、キリを殴ったという事実だ。

 それらにも何か事情があったのかもしれないと、今では考えようとしていた。

 これからケンに再会しようというところだ。対話次第ではケンの事情が見えてくるだろう。そんな期待を抱いていることに気が付いた。

 

 そしてその話し合いの場が設けられるかどうか、クイの交渉に委ねられている。

 故に現時点では、クイの行動も無下にできないと感じていた。

 

「あのね、クイはナガレが将来的には究極の自由の場所になるだろうって言ってた。そしたらきっとキリとも何も弊害なく暮らせるんじゃないかって思ったの」

 先ほどは一蹴されてしまった言葉を口に出し、上目遣いにサイを見る。

 件のサイは口をあんぐり開けて、動けなくなってしまっているようだ。

「サイ?」

 ユミの呼びかけにサイはびくっと肩を跳ね上げ、切り替える様にぶるぶると首を振った。

 そしてようやく言葉を紡ぐ。

 

「お前それ本気で言ってんのか?」

 憐みにも似た口調だ。

「え?」

 ユミは首を傾げる。

「私本気だよ? 昨日キリと会って分かった。会うだけじゃ足りないって!」

「そこじゃねぇよ!」

 サイは眼を凝らすように眉間にしわを寄せ、ぐぐっとユミへ顔を近づけた。そしてユミの顎を持ち上げる。

「……お前本当にユミか?」

「にゃ、にゃに?」

「うん。間違いなくユミだな」

 サイは満足げに顎を放してやる。

「何で認証されたの?」

 サイはそれには答えない。


「ナガレで自由に暮らせるわけがねぇだろ!」

 サイは右手で握りこぶしを作り、ユミの頭をこつんと叩く。言葉の勢いに反してとてもやさしいげんこつだった。

「あそこにはやべぇ奴らがいるんだろ? そいつらの眼を搔い潜ってキリとどうやって暮らすってんだ」

「で、でも。あそこの人達も生きるのに必死なんだし、外から食料やら素材やら持ち込んだら喜んでくれると思う。それに文を誰かに届けたいと思ってる人もいるんじゃないかな? そうやって力になってあげればきっと私達のことも無下にできない――」

「うるせぇ! もっと単純に考えろってんだ!」

 サイは自身の側頭部にとんとんと人差し指を当てる。

 

「いいか? 私はバカだが、その分奴らと近い思考ができる! 物事は複雑に考えるほど真理から遠のいていくもんなんだよ」

 ユミは気圧されながらも、確かにこれまでのサイの言葉は単純で理解しやすいものだと思い至る。

「ユミ。お前はソラのことを可愛い可愛いと言うが、お前も十分可愛いんだぞ? 私だって食べてやりたいぐらいだ。ナガレの奴らがほっとくわけねぇだろ!」

「そ、その時はキリがそいつらのことぶっ飛ばしてくれるよ。これは単純な話でしょ?」

 サイは大きくはぁとため息をついた。

「キリの姿は昨日初めて見たが、それが出来るとはとても思えんな。単純の意味をはき違えてんじゃねぇよ……」

 キリを貶されたような気もしたが、ユミとしてもナガレの烏相手にキリを立ち回らせるのは不本意だと思った。


「私がクイの交渉に期待しているのは、アイをナガレに住まわすと了承させることだけだ。クイはその後ナガレを拠点に何かやろうとしてるんだろうが、烏達はどうせ理解できんぞ」

「確かに、そうかも……」

 ユミも納得せざるを得なかった。

 

「でも良かったかも」

「何がだ?」

「あの覚書、もりすって書かれた奴。あれはクイからのものだったし、誰かが私の力を我が物にしようかと考えてるんじゃないかって、思ってたけど杞憂だったね」

 ユミの安堵を伝えるための言葉だったが、サイはぱちぱちと眼を瞬かせる。

「お前覚えてるか? 覚えてるんだろうけど。お前がもりすについて話してくれた時、得体の知れない奴の言いなりになるなって言ったよな?」

「あ……」

 ユミはことの重大さに気づく。

「その得体の知れない奴の正体が、クイだったってだけのことだぞ?」

 ユミはキリに再会するため、クイの手引きに従っていた。その時点においても、クイとはお互いに利用し合う関係だと割り切っていたところがある。

 しかし蓋を開けてみれば、クイの導き出した方法は碌でもないものだったのだ。

 それに気づかず、唆されるまま行動していたと考えるとぞっとする。


「クイは、鳩の偉い人がイイバを支配しようとしているんじゃないかって疑っていたことがある……」

 ユミは身を震わしながら、声を絞り出した。

「ふん。クイ自身にその願望があったってことじゃねぇの?」

「うう……」

 ユミに悔しい気持ちが押し寄せる。

「気にすんなユミ。さっきも言ったように悪いのはクイだ」

「ありがとう、サイ」

 今度はユミからサイの胸元に向かって抱き着いた。サイはその頭を優しく撫でる。

 

「それにしてもむかつくなぁ、義兄さんの奴……」

「え? トキ教官のこと?」

 ユミは意外そうにサイの顔を仰いだ。

「クイの協力者だったんだろ。姉さんの為だって思って従ってたんだろうけど、それをやって義兄さんは満足なのか? ユミには自分の為に行動しろって諭してたくせにさ」

「確かに……、ちょっと、腹立ってきた」

 サイに纏わらせている腕の力が強くなる。


「いいぞ、ユミ。その意気だ。必ず帰って義兄さんをぶっ飛ばしてやろうぜ!」

「うん!」

 ユミは飛びっきりの笑顔を見せた。

 

「ユミ。その笑顔はやめとけ。ぶん殴りたくなる」

「あ……、確かにそうだね」

 ユミは慌てて顔をこねくり回す。


「そう言えば、砂時計全然ひっくり返してないね」

「まあ、今からでもいいんじゃないか? どうせクイの緊迫した時間が長くなるだけだ」

「それもそうだね」

 ユミは穏やかに笑顔を湛えて見せた。

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