第九節 第三十五話 代筆

 場の空気は泣き続けるソラの悲哀に支配されていた。それに耐えかねたヤマが口を開く。

「ところでユミ。お前……、アイの本当の鴛と知り合いなのかい? それにキリって……、6年前にもその名前を聞いたねぇ」

「あ……」

 ヤマが長年の秘密を打ち明けてくれたのだ。いい加減ユミも自身のことを話さねばなるまい。


「うん。キリは私の鴛。何言ってるか分かんないと思うけど孵卵で会ったの。お義父さんはトミサの医術院で会った。そう、ケンに……」

 慌てて口を手で抑える。涙を浮かべるソラの前で父親のことを悪く言う必要も無いだろう。

「ケン……。本当にバカな子だねぇ。せっかく助けてやったのに、結局ナガレへ行くはめになるなんて……」

 対するヤマは容赦が無い。ケンを我が子の様に思っていたところがあるのかもしれない。


「それでもソラへの思いは本物だ。碌に顔も合わせていないはずなのに、文にはソラを気遣う言葉が綴られていた」

「ねえ、先生……」

 ギンの胸に突っ伏していたソラが顔を上げ、正座をしてヤマに向き直った。そして改めてギンと手を繋ぎ直す。

「お父さんの文、読んでもいいかな?」

「……まあいいだろう。全ては奴の自業自得だ」

 ヤマは手に持っていた封筒をソラへ差し出した。

 

 封筒の中身についてはユミも気になっていたところではある。

 当時は気づかなかったことだが、他の村から隔絶されたナガレにおいて、ユミらの来訪は千載一遇の機会だったのだ。

 先ほどのソラの出自に関する話を聞く限り、彼にも募る思いのあったことが伺える。


「先生はそれをソラが読んでも傷つくことは無いと判断してるんだね」

「ああ、昔のあの子からは想像もつかない慈愛に満ちている」

 とっさにユミは顔をしかめてしまう。

 ヤマの言う昔のあの子とは、ケンがまだ幼い頃の話だろう。そして慈愛に満ちていると評価されているのは、6年前ソラに文を宛てた時点でのケンだ。

 ユミは未だに当時のケンに対しては強い嫌悪感を抱いていた。

 

 しかし考えてみれば、ユミが知る限りケンに人生を狂わされた者は、今やケンを恨んではいない。

 キリはケンに諭されるようにラシノへ帰り、それはケンがカラに交わしたキリを守るという約束を果たしたことも意味する。

 またヤマもケンに手を煩わされたことになるのだが、ソラと過ごした余生は幸せそうであった。


 嫌悪から信頼に変わっていく過程はギンに向ける感情とも共通するところがある。それには長い時間を要した。

 一方で、ユミがケンと過ごした時間は短い。ユミがまだ見ぬケンの一面もあるはずなのだ。それがソラの手にある文へ記されているのだろう。

 鳩の務めは人の思いを届けることにある。特定の人物に対して偏見を抱いているようでは、その思いも歪んで伝わってしまうかもしれない。

 これも立派な鳩になるためだと自らに言い聞かせ、ソラの手元に開かれた便箋を覗き込む。

 

 

 ――山先生へ

   突然すまない。剣です。今はナガレで暮らしています。

   愛の本当の鴛を殴ったことに対する罰です。全てオレが悪いです。何も言い訳するつもりもありません。

   遅かれ早かれこうなる運命だったのだと思います。ただ1つだけ、先生にお礼を言えないままだったことが心残りでした。あの時は空を助けてくれてありがとう。

   空にはこの文を見せないで欲しい。親が烏だなどと知る必要もないでしょう。

   

   孵卵の受験中だと言う女子が突然ナガレにやって来た。あろうことか愛の息子も連れて来やがった。空の弟ってことになる。妙な因果もあったものです。

   その女子なんだが、よく見たら眼が空にそっくりなんだ。空とはあの日一度会ったきりだが、懐かしくなってしまった。

   文を届けているのは女子の試験監督です。それと一緒に居るのはナガレで生まれた水というガキだ。無事ウラヤに辿り着いたら労ってやって欲しい。

   水はナガレの生まれなのです。まだ帰巣本能には目覚めていないが、必ずナガレの希望を繋ぐ鳩になれると信じている。だから、山先生の返事を水に託してもらえると嬉しいです。

   

   こんな状況で本当に申し訳ないが、空の近況を教えてくれないだろうか。

   願わくば、オレやアイのことなど知らないまま幸せに暮らしていて欲しい。父親らしい言葉の一つでもかけてやりたいが、その資格も無いでしょう。

   そう言えばウラヤに一人、心優しい百舌鳥が居たはずだ。今はもう引退しているのだろうが。あの方が空の母親になってくれないかとさえ思ってしまいます。


   空は今では12歳か。

   さぞ美人になっているんだろうな。水が余計なことしたら叱ってやってくれ。

   空には何もしてやれないが、今後もナガレはオレが烏どもを抑えておくつもりだ。何かの間違いでソラが烏と出くわすことの無い様に。


   先生もお元気で。

   剣より。



 汚い字。

 拭い切れない偏見のためか、初めの内こそそのような印象を受けた。

 文をヤマへ手渡ししたのはユミだったが、ケンが文をしたためている時、まだユミがウラヤに行くと決まっていなかった。

 クイが文を手渡したように綴られているのはそのためだろう。


 ヤマの言うケンの慈愛。不器用な文章ながら感じとることは出来た。それと同時に嫌悪感も多少薄れていく。

 ソラさえ幸せだったら良い。そのためには自身の存在はソラから認知すらされなくても構わない、と言う文面は殊勝な心掛けだと思わせた。


「ねえ先生。ケンへの返事ってなんて書いたの?」

「忘れたよ。歳もくっちまったし、あんたじゃないんだから」

 それも無理はないだろう。とは言えヤマはケンのおかげで、ソラと穏やかな暮らしをすることが出来たとも言えるのだ。

 素直に当時のソラの様子を綴ったのだろうと納得することにした。

 

「お父さん……。私、どうすればいいんだろう」

 ソラは首を傾げ、顎に指を当てる。

「ケンの言う通り幸せになったらいいんじゃないの?」

「うん、それがお父さんへの恩返しなのかもしれない。でもお父さん、お父さんからは私に言葉をかけるのを避けたみたいだけど、私のことを知りたがってる。この文からは6年経ったし、ギンくんにも会えた。今は私が幸せだってこと、伝えてあげてもいいんじゃないかな」

 ソラはじっとユミの眼を見据える。

 ユミにもソラの気持ちは分かる。ケンの所在はナガレだ。行こうと思えば行くことは可能だが、なるべく避けたいことである。

 

「ソラ、ケンは自らソラとの関りを絶とうとしてる。それがソラの幸せになるからって。それでも思いは届けたい?」

「うん。まだありがとうすら伝えられていないし」

 ユミを見つめ返すソラの眼は決意の色に満ちている。


「書いて」

「え?」

 ユミは文机の上に置かれていた薬包紙を手に取り、ソラに突き出した。

「ケンへの文、書いて」

「ちょっ……、ユミ。これは字を書くためのものじゃないよ」

 相変わらず強引なユミの言動に気圧されそうになってしまったが、医師としての良心が働く。

 ソラは立ち上がり、文机の傍らに置かれた引き出しから真っ新な紙を取り出した。


「文を書いたらユミが届けてくれるの?」

「まだ約束はできない。ナガレはおいそれと行けるところじゃないの」

 同意を求める様に、ユミはギンへと首を捻る。

「うん。ナガレの鳩について行けば辿り着けるんだけど、オレも行ったことは無い。それに、ソラさんがケンさんの存在を知っていること自体がおかしいんだ。文を持って行ったところで出門の時に止められちゃう」

「そうなんだ……」

 ソラの声には落胆と困惑を帯びている。文を書けと言われる一方で、届ける確約ができないと言うのだから無理もない。

 

「ねえ先生。鳩の縛めを犯しても門の外ではばれないって噂、どれくらい信用できる?」

 これからユミが辿ろうとする道。経験者に向かって問いかける。

「……堂々と何を聞いてるんだい、全く。まあいい。ソラをウラヤに連れて来た時のことについて聞きたいんだな?」

「うん。当時先生は、無謀にもラシノに立ち入ったのか、ある程度の見込みがあって鳩の縛めを犯したのか聞きたいの」

 ヤマは腕を組み、暫し眼を瞑り瞑想にふける。

 やがて、1つ咳払いをして語り始める。

 

「五分ってとこだな。飽くまで私の所感だが。あわよくばウラヤで余生を過ごそうと思っていたし、ばれたところでどうせ老い先短い命だ。トミサの牢獄にぶち込まれても甘んじて受け入れようと思ってた」

 ヤマの言葉からは確かな覚悟が伝わる。

 ユミもとうに覚悟はできていた。それはキリに会うためにも必要な決意である。

 

「今すぐケンに会いに行くことは出来ない。でも条件が揃えば必ず……。その時はギンも一緒だよ」

「もちろんだ。オレ、ちゃんとお義父さんにも認めてもらいたいし」

 淀みの無い瞳でソラと見つめ合う。やがて耐えきれなくなったソラは噴き出した。

「ぷっ……。もーギンくん、お義父さんなんて気が早いよぉ」

「あ……」

 ギンはあんぐりと口を開く。傍で見ていたヤマは慈愛の表情を浮かべていた。

 固まったままのギンをよそに、ソラは鉛筆を手に取り紙へと文字を綴り始めた。



 ――拝啓 お父さん

   空です。

 

   まずはお礼を言わせてください。

   お母さんを愛してくれてありがとう。

   私は生まれてくることが出来て幸せでした。


   弓は私の大事な友達です。

   そして銀くん。私の鴛です。

   二人とも私の想いに寄り添ってくれます。


   お父さんは私がお父さんの存在を知らないまま過ごすことを願っていたようですね。

   でもごめんなさい。お父さんが私のために大変な思いをしてきたことが分かりました。

   これから会うことが出来なかったとしても、お父さんが居たこと、私は決して忘れません。

   だからどうかこれからも、安らかな気持ちでいてください。


   敬具

   空

    

   追伸

   銀くんのこと、殴ったりしないで下さいよ。



「オレ殴られるの?」

 最後の句点が打たれると同時にギンは眼を丸くする。

「可愛い娘に手を出したんだから多少はね?」

 ソラが悪戯っ子のような表情を浮かべると、ユミはギンをぎろりと睨んだ。

「いやちょっと頭撫でただけですけど!?」

 顔を真っ赤にして首をぶるぶると振る様は、どうにも嘘っぽさがにじみ出ている。

 しかしこれはソラにとって鴛との細やかな戯れということなのだろう。故にギンの言う通り、大した接触もしていないのだろうと察することが出来る。

 焦ると言動から真実味が失われてしまうのが彼の性分なのだ。思えばユミもこんなギンを幾度もからかってきた。その事実は、ギンがマイハに行っていないとの主張が真であることを裏付けている。


「ギンはもうソラの立派な鴛だよ」

「ユミ……」

 ギンをソラに引き合わせて以来、彼への信頼は日ごとに増していったが、決定的な言葉までは告げることが出来ないでいた。

 それでも、ソラの出自、ケンからの文、それに向き合うソラへじっと寄り添うギンの姿がようやく決め手となった。


「でも、まだキリとの決着がついてない」

 文机に広げられたままのキリの鴛鴦文に眼をやる。

「だからごめん。もう少しだけ待って」

「うん、分かってる。俺たちは助け合わないと」

 それがトキ教官の教えなのだ、ともはや口にするまでも無かった。


「キリくんとユミのことで、私がまだお手伝いできることがあるんだよね?」

 ギンとユミが助け合うと言うのなら、その輪にソラが含まれて当然だ。

「うん、ソラにはキリの鴛鴦文に返事を書いてもらいたい。そこに私の言葉も載せて欲しい」

 鴛鴦文に鳩の想いを託す。それはクイの言葉を借りれば灰色領域というところだろう。


「分かった」

 ソラは新たな紙を取り出す。

「キリくんは私の弟なんだよね……」

 暫し小首を傾げた後、鉛筆を走らせ始めた。



 ――拝啓 錐くん

   空です。お姉ちゃんですと言ってもいいのかな。


   無事に文が届いたので、弓と一緒に読みました。

   弓はとっても喜んでいましたよ。

   錐くんのユミが大好きなこと、ちゃんと伝わったみたいです。


   それから私のことも気にかけてくれてありがとう。

   錐くんと会ったのはあの日の一度きりですね。

   私にとってラシノが危険な場所というのはよく分かりました。

   でもそれは錐くんにとっても同じこと。

   お母さんが錐くんを



「ねえユミ」

 書く手を止め、ユミに向かって顔を上げる。

「キリくんのこと私も助けてあげたい。でもやっぱりアイさんは怖い……」

 鉛筆を文机へ置き、空いた手でギンの手を握る。


「当たり前だよソラ。ソラは気にしなくていいの。キリがラシノに近づかないでって言ってるんだから、ここで待ってればいいんだよ」

「でも……」

 ソラの手が震えるのを感じ、ギンはぎゅっと握る手に力をこめる。

「ソラさん。森を渡り歩くのは鳩達の役目。オレ達に任せておいて欲しい。ソラさんにはソラさんの役目があるよ。オレ、ソラさんの優しいところにたくさん触れて来た。だからきっと、この文もキリの支えになるはず」

 役目。助け合いの中で各人が考えなくてはならないことである。

 ソラは医師だ。人々の体だけではなく、心も癒す役割をも担う。

「分かった。キリくんのために今は続きを書く」

 繋いでいたギンの手を解き、再び文机へ向かう。


 

 ――お母さんが錐くんをいじめているという事実を私は受け止めました。

   きっと弓が助けてくれる。

   だからもう少しだけ待っていて欲しいです。

   そしていつか会えたら、これまでできなかった姉弟らしいこともしたいです。

   

 

「姉弟らしいこと……。何だろう?」

 書き出してはみたものの戸惑ってしまう。

 クイとヤミが抱えて来たハリを預かって以来、弟が出来たと思って可愛がっていた。

 おしめを変えたり、重湯を与えたり。

 最近では弟弟子おとうとでしを育てるつもりで読み書きを教え込んだりしている。

 いずれにしてもキリにはふさわしくないことだ。


「キリ、頭撫でられるの好きだったよ。きっとソラが撫でて上げても喜ぶと思う」

 頭を捻るソラを見かねてユミは口を挟む。

「もー、ユミったら……。あーでも、アイさんはキリくんのこと撫でたりしないんだろうからそれもいいかもね」



 ――錐くんが嫌じゃなければ頭を撫でてあげたいです。

   それまでどうかお元気で

   ここから先は弓の言葉を代筆します。



「ユミ、なんて伝えたい?」

「大好き」

 淀みの無い眼で訴える。

「それから……。

 私もキリとの思い出がずっと心にあった。

 キリと約束した立派な鳩になって、素敵な鴦になること。そのために頑張って来た。

 きっとキリが私のこと見たら我慢できなくなっちゃうと思う。

 もちろん私だって我慢しない。だから私が会いに行く時は抱き締めて――」

「速い、速いってユミ……。書ききれないよぉ……」

「ご、ごめん……」

 キリのことを考え、気持ちが昂ってしまったらしい。

「それによく恥ずかしげもなくそんなこと言えるね……」

 

 ユミははっとして近くをきょろきょろと見回した。

 呆気にとられた様子のヤマと、にやにやした表情のギンが視界に入る。

 ユミはギンの顔をきっと睨み、ふうと1つ息を吐いた。

 そしてソラが追い付けるように、少しづつ文の続きを口頭で紡いでいく。

 

 ――――

 

 ソラが文を書き終えたところでユミは問いかける。

「ところでソラ、ケンへの文で気になったんだけど、アイのこと許せるの?」

「あう……」

 痛い所を突かれ、眉をひそめてしまう。

 

「その……。今はまだ難しいけど、許せるようにっていう願いも込めて……」

「ソラさん……」

 ソラと出会ってから、ギンが感じ続けてきた彼女の優しさだ。

「許すことで前に進めることってあると思うんだよね。キリくんのお父さんが、私のお父さんを許したように」

 今度はユミが痛い所を突かれた気分になる。

 カラはケンを許することで、愛するキリとアイの安寧を願うことが出来たのだ。

 ユミ自身もケンを許すことが出来なければ、カラの想いに報いることも叶わない。


 キリ宛ての文を腰のがま口に入れつつ、ケン宛ての文を手に取りソラへ突き出した。。

「ケンへの文をトミサに持ち込むわけにはいかないし、まだ七班の皆からナガレに行くことについて承諾を得ていない」

 ソラは反射的に文を受け取っていた。

「ソラがしばらくここで預かっておいて。またギンと一緒に受け取りに来るから」

 ひとまずはケンを許すための猶予期間を得る。


 ソラがまだ見ぬケンを慕うのは、アイから救われたという事実があるからだ。

 ユミ自身もナガレへ立ち寄った際、ケンに救われた面を否定できない。

 ありがとうと声に出してみようと思ったが、やはり嫌悪感が勝っていた。

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