第十節 第三十六話 失言

 トミサの巣にあるクイの居室。イイバ各地の村から託された鴛鴦文は1度そこに集約される。

 ユミも例に漏れず、ソラから受け取ったキリへの文を提出するためにやって来た。


「ソラさんへの配達、ご苦労様でした」

 ユミに突き出された封筒を受け取りながら、クイはうやうやしい態度で頭を下げた。

「まだソラとキリのやり取りは続けるよ。だからその文はちゃんと届けさせてね」

 

 鴛鴦文をクイへと手渡す際、書き手の意思を伝えることになっている。

 鴛鴦文のやり取りを続けるか、打ち切るか、あるいは文通先の相手と鴛鴦の契りを結ぶ決意をするか。以上の3通りの選択肢がある。

 目的はともかくとして、ソラとキリとのやり取りは現時点でキリからの往路が行われたのみである。

 1通目から打ち切りを告げられる例は極めてまれだ。

 

「はい、いいでしょう。ラシノの鳩にお渡ししておきます」

 本来の目的とは異なることは把握しているが、クイは自然な流れで文通の継続を受け入れた。

「ラシノの鳩……」

 キリが住む村の鳩とユミとも全く接点がない訳では無い。とは言え、未だに七班以外の人物にはユミの秘密は明かされていない。

 ラシノの鳩を介してキリの様子など探りを入れようとすれば、ユミの異質さについてぼろが出てしまう懸念があるのだ。


「そういえば、サイもギンもラシノに行ったことないって言ってたな」

「それは仕方のないことでしょう。イイバの地にはこれだけの村があるのです」

 クイは後方に配置された書棚へと振り返る。鴛鴦文の立ち並んだそこには、イイバにある村々の名を表す名札が掲示されている。

「む……、まあそうか」

 

 ユミは5年前、サイかギンかを経由してキリと繋がることは出来ないかとクイに問うたことがある。

 その時はユミの秘密を他者と共有することになるため、推奨できないと回答を得た。

 しかし、雛を終えた時点でユミのもりすとキリとの関係は七班の全員が知るところとなった。従ってサイかギンかがラシノへ行き、キリと接触すること自体に問題は生じないのだが、そのきっかけが無い。

 ラシノの鳩から七班へ、ラシノへの同伴を依頼されるのなら良い。一方で、トミサの鳩から特定の村へ行きたいと他の班の者へ頼み込むと、あらぬ勘繰りを入れられることがある。

 分かりやすい例がウラヤだ。クイがそうであったように、ユミは男の鳩からウラヤに連れて行けと迫られることがしばしばあった。目的はマイハに行くことなのだろうとすぐに分かる。その度に辟易とした思いが押し寄せたものだった。

 従ってサイとギンは他の硬派な鳩と同様、受動的に依頼通りの業務をこなすに留めていたのであった。


「ねえクイさん」

「何でしょう?」

 ユミとクイとが出会ってから幾度と繰り返されたこのやり取りである。

 かつては名前を呼ばれる度にこめかみの辺りが引きつったものだが、さすがに今となってはクイも穏やかな顔を向けることが出来ていた。

「キリ、私のこと大好きだって」

 ウラヤに届けたキリの文の内容について、どこまでクイに明かすべきか。この居室に入るまで思惑していた。

 いっそ黙ったままでいようかとも思ったが、数少ないユミの理解者を前にして口に出さずにはいられなかった。


「それは良かったですねぇ」

 クイは笑顔を作る。例によって飛びっきりの笑顔だが。

「……そんなことが文に書かれていたんですか」

「うん」

 クイは額に手を当てる。

「いや全く……、私がこの係に就任して良かった」

 クイの言わんとすることは、ユミにもよく分かる。

「キリも賭けだったみたい。私に届くと信じて」

 私とキリとは飽くまでも真剣だ。そのような思いを眼に宿し、クイをじっと見つめる。

「まあ良いでしょう。過ぎたことに対してどうこう言っても仕方ないですし、結果としてことがうまく運んだようですね。あなた方は似た者同士だ」

 皮肉めいた口調だが、ユミはぱあっと眼を輝かせる。

「うん。キリとは気が合うんだから!」

「やれやれ……」

 クイは呆れたように肩を落とす。


「となると、なおさらユミさんはキリさんへ会いに行かざるを得なくなりましたね。何か計画でも?」

「うん。まずはトキ教官を含めて七班の皆を招集する。それで七班の縛めを解く。キリと会いに行くことについて皆から了承を得ないと。そういう約束だから」

 七班の縛めについてはクイもトキから聞き及んでいたことだ。身勝手な行動の多いユミへの縛めでもあり、七班の絆を深める証とも言える。

「トキさんはうまい仕組みを考えたものですね。おかげで私が無駄に手を焼かずに済みました」

 

 クイの言葉には依然として棘は残るが、それも仕方のないことだと受け入れユミは話を続ける。

「近い内に七班の縛めを解いておく」

「なるほど。トキさん達を招集するんですね」

「うん。で、さっきクイさんに預けた文、その返事がキリから来たら、ソラへ届けるためにまたウラヤへ行くことになる」

「ええ、そうなるでしょうね」

 キリもまた、ソラとのやり取りの継続を望むのは当然のことだろう。

「その時に行こうと思う。ウラヤからラシノへと」

「ふむ。……ん?」

 納得したように見えたのも束の間、クイは小首を傾げ眉をひそめる。

 

「どうしたのクイさん?」

「ラシノへ行くためには1度ナガレを通らなくてはならないはずですよね?」

「あ……」

 秘密を守ることの難しさを思い知る。よく今日まで、他の者へと露呈しなかったものだと肝が冷える。

 トミサへの出発の前日、ユミはソラとともにラシノへ立ち寄ったことによりその最短経路を覚えていた。

 クイにはその事実を明かしていない。そしてこれはソラにとって繊細な部分である。

 クイとは協力関係にあり、秘め事はなるべく避けたいところであるが、ソラの出生の秘密にまで言及するべきではないだろう。

 

「大丈夫ですか? あの時はアサさんが助けてくれましたが、次はどうでしょう? あの場所は危険じゃないですか?」

「あ……」

 ここまでのユミの発言は、まだウラヤからラシノへの道のりを覚えたことを確定させるものではなかった。

 まだ隠し通せる余地があると悟り、慌てて取り繕って見せる。

「そ、そうだよね。私達、あの時はアサを騙したことになるんだよね。ミズが帰巣本能を得たって。そのミズがもう鳩になれないとなったらアサも怒ってるよね……。それにあのケンの、ケンの……」

「どうしたんですユミさん? 歯切れが悪いですね。いつもならケンさんのことをバカだの、不潔だのおっしゃるくせに」


 ケンに対する悪口を躊躇う理由。ソラの優しさに触れたからに他ならない。

 許すことで前に進めるというソラの言葉が、ずっと脳裏に渦巻いている。


「ケンはね……、私の……」

 脳裏にソラの顔が浮かび上がり、思わず核心を突く言葉を口に出しそうになったが、ぶるぶると首を振って押し黙る。

 

「クイさんはケンのことどこまで知ってるの?」

「ユミさんの孵卵で見た以上のことは知りませんよ。ナガレにいるのは、キリさんの父親を傷つけたらからなのだろうと思っていますが」

「キリのお父さんには会ったよ」

「何ですって?」

 クイは眼を皿のようにする。

「医術院で会った。今まで会わなかったのが不思議なぐらい」

「ほう、そうでしたか。確かに筋は通りますね。てっきり亡くなられたのかと思っていましたが、医術院なら最悪の事態も避けられるということなのでしょう」


 カラの痛ましい姿を思い出しながら、ユミは言葉を紡いでいく。

「お義父さん、ケンには酷い目にあわされたのにケンのことを恨んでないって。それに6年前、キリがラシノに帰る決意をしたのもケンに唆されたせいだけど、キリは私の為にも帰るんだって言ってた。キリもケンのことを許そうとしてたってことだよね」

 あくまでも客観的に、事実を捉えようとする。

「だから、今ケンを恨んでるのは私だけってことになる。その理由もキリとお義父さんのことがあったから。だから……、私がケンを恨む理由なんてもうないはずなの」

 そう言ってはみたものの、相変わらずありがとうと口に出せない。それがユミの本心なのだ。その理由にも気づきつつある。


「恨む理由はない、ですか。そうは言っても一度嫌いになった者を好きになるのは難しいものです」

「うん。クイさんは身を以て経験してることなんだと思う。嫌いな人でも協力を募らなきゃいけないことはあるんだって」

「ええ、そうですねぇ」

 クイは感慨深そうに唸る。

「だから、ナガレに行ったら今度はケンのことも当てにする。」

「ほう、それ自体は殊勝な心掛けと言っても良いかもしれません。ですが向こうはどうでしょう? 先ほどユミさんも指摘された通り、怒っているかもしれませんよ?」

 クイの問いかけに焦る。いずれはソラがケンに宛てた文を届けるつもりではいたが、今日の時点ではナガレに行くことまで考えていなかった。

 

 思えばナガレの鳩に頼らず、ナガレに辿り着くこと自体が不可解な話である。

 6年前、ヤマからの文を受け取ったケンは、ユミらがウラヤからナガレに戻ってきたことを信じたはずだ。実際にその通りなのだが。

 しかしこれは、ミズが帰巣本能に目覚めていないことと矛盾する。ナガレではあの日の出来事をどのように処理されているのだろうか。

 ユミはアサを騙したとは言ったが、アサが騙されて当然の状況だったと言える。


「どうでしょう? 私がナガレに着いて行ってもいいのですよ?」

 ユミが黙り込んでいたのを見かねたのか、クイから救いの手が差し伸べられる。

「え? ……どういうこと?」

「私が初めてケンさんと会った時、彼は言いました。赤子をナガレで生ませて差し出せと。要はナガレの鳩が欲しいと言うことです」

 やはりケンは鬼畜だ。ユミは再認識すると、自然と顔へ不快感が現れてくる。


「今現在の私がナガレに行けば、現地の方はどう思うでしょうか?」

「あ、そうか。ハリの力でナガレに辿り着いたと考えるのか」

 ハリの成長を見届けて来た月日が、彼の生い立ちについて失念させていた。

「でもハリはまだ年齢が……。いや可能性はある……」

 孵卵の受験資格は10歳から16歳の少年少女に与えられる。

 17歳になれば帰巣本能に目覚める可能性がなくなるため年齢の上限が設定されているが、下限については受験者の安全を考慮してのものだ。

 原理上は生まれたばかりの赤子でも帰巣本能に目覚められるのだ。他でもないソラがそれを証明している。


「もちろん、ハリを売るようなことはしませんよ。それでもナガレの男達にとっては我々が救世主だと思うのではないでしょうか。ユミさんに騙されたことを怒っている場合じゃありません」

「確かに。でもそうなると……」

「ええ、彼らに手土産が必要でしょう」

 手土産。即ちナガレの烏達に何か利益をもたらす必要があると言うことだ。

 ソラがケンに宛てた文はそれに該当すると言える。しかし、クイはまだ知る由もないことだ。

 またクイが禄でもないことを考えているのではなかろうかと、ユミに緊張が走る。

「ナガレに何か与えようと言うの?」

「ええ、そうですね。ですがそれは決して悪いことだと思っていません。私は自由な世界を作りたいと言いましたよね? ナガレはその足がかりになるのではないかと思っています」

「どういうこと?」

「ミズさんがナガレの鳩になれないとなった今、現行の鳩が引退すればもう誰も彼の地に行くことは出来ません。ユミさんを除いてね」

「……だから?」

 ユミの額から汗が滲みだす。

「ナガレはいずれ究極の自由の地となるはずです。そこで私は、ナガレとウラヤとの伝達経路を確立させたいと考えています」

「そんなことが出来るとでも?」

「ええ、ウラヤはおあつらえ向きにもマイハが――」

「それはダメ!!」

 最大限の声量で拒絶を示した。

 

「なんてこと言うの!? 百舌鳥の方達をナガレに売ろうってこと? クイさんのお母さんだって百舌鳥だったんじゃないの?」

 ユミは激しい剣幕を見せる。

「す、すみません忘れてください……」

 対するクイは完全に圧倒されていた。


「知ってるでしょ? 私のもりすのこと」

「もりす?」

「見たこと聞いたこと、私は全部覚えてる! だから忘れることなんて出来ないよ! クイの言葉だって」

「ああ……」

 クイはぽかんと口を開けたまま、ゆっくりと頷いた。何か腑に落ちた点があったようだ。

 

「それにケンの思いはどうなるの?」

「ケン……、さん?」

「何かの間違いでソラが烏と出くわすことが無い様に、って書いてあったんだよ? あの文に」

「あの文? もしかして6年前にケンさんが我々に託した文のことですか? 何故そこにソラさんのことが?」

 ユミははっと息を飲んだ。

 激昂のあまり失言が飛び出したことにも愕然としたが、それがケンを支持する内容であったことにも困惑を覚えていた。

 

「クイのさっきの発言は忘れて上げる。だから私がさっき言ったことも無し! いいね!?」

「はい! 猛省しております!」

 クイは腰を90度に折り曲げ、深々と謝罪の意を表した。


「クイを連れて行く訳にはいかない! 私達だけで何とかしてみせるから!」

「すみません。出過ぎたことを言いました。ユミさんの行動については全てトキさんに一任するべきでしたね」

 あまりにもクイらしくない、物分かりの良い態度だ。

 

「ふう……。鳩の縛めの意義。改めて分かったかも」

 何事も具体例が示されることで、理解が深まるものである。

 

「それでも一度はナガレに行くことになる。それでミズのこと、アサにも伝えてあげるつもり」

 むしろこれがナガレに行く主な目的だ。さらにもう1つ、ソラの文をケンに届ける目的があるのだが、これについては口に出すわけにはいかない。

「そう言えばミズさん、喜んでいたようですね。コナさんの文を受け取って」

 クイの口調は既に冷静なものであった。

「うん。本当に良かったと思う。乾いた粉を水で潤すんだとかはしゃいでた。その言葉の意味はよく分からなかったけど」

 ユミが直接ミズへ文を届けた訳では無い。しかし先日、件の雑貨屋に立ち寄った折にはミズの嬉しそうな様子も伺うことが出来たのだった。

「そうですか、ユミさんがおっしゃるのなら間違いないですね。このまましばらく文通を続けてもらいましょうか」

 感慨深げに唸る。鴛鴦文を集約する係に就任するため必要とされる人の心に寄り添う力。クイなりに考えて起こした行動が実を結んだと言うことだろう。

 先ほどの百舌鳥をナガレに売ろうと言う旨の発言も、飽くまでもより多くの者の幸福を追求した結果なのかもしれない。しかしその一方で犠牲となる者が現れるのならば、周囲の者が抑止力として機能しなくてはならないのだ。

 

「それにコナさんがテコのお姉さんだって伝えたら邪悪な顔も浮かべてたな……」

「ほう」

「ミズってやっぱり可愛い子が好きなんだよね。ソラとか……、私とか……」

 口に出してしまったのが恥ずかしくなり、顔を下に向ける。

 

「鴛鴦文の欠点って、相手の顔が見えないことだよね……」

「それはそう言わざるを得ないでしょう。似顔絵を描いて送ることも出来ますが、会ってみたら違った、なんていう例も少なくないようですね」

 クイは苦笑を浮かべるが、実際のところ大した問題にならないのがほとんどだ。

「鴛と鴦の初顔合わせ、私も何度か立ち会ってきたけど、思ってた顔と違っても笑い飛ばしてる人が多いよね」

「ええ、鴛鴦文で言葉を重ねた関係ですから。容姿よりも大事なものがあるのでしょう」

 

 一方でアイとケンのような例もある。アイは言葉を重ねたカラよりも、一眼見たケンに惹かれてしまったのだろう。

 ケンも同様だ。ナガレ送りにされるはずの不義密通に興じたぐらいなのだから、そのアイとの出会いは衝撃的なものだったのだと伺うことが出来る。

 

 結果、アイはソラへと許されざる凶行に及ぶところであった。ヤマの話によると、ソラの眼を小刀でえぐろうとしていたのだ。

 目的はソラを傷つけるためではなく、その眼を我が物にすることだったのだろう。

 そしてそれは、ソラとケンの眼が酷似していることに起因するのだと、ユミはようやく気付くことが出来た。


「今度ミズをたしなめとくね。ちゃんとコナさんとは言葉でつながるんだよって」

 アイとケンはどのような言葉を交わしたのだろうか。それを怠ったがために歪みを生んでしまったのではないかとユミは考える。

 ミズがアイと同じ道を歩むとは考えにくいが、コナとは正しく心を通わせて欲しいものである。

 

「それがいいですね。……思えば私は、ヤミさんと対面で結ばれることが出来た訳ですが、彼女に惹かれたのは言葉によるものでした」

 思い出に浸るクイを見て、ユミも自身を振り返る。

「私もキリを好きになったきっかけは、可愛いと思ったからだった。でもちゃんと言葉も重ねたよ。だからこそ孵卵の最後にお別れすることも出来たし、また会いたいと思うことが出来た。ヤミさん言ってたよね。会いたい人にはまた会えるって」

 クイは飛びっきりの笑顔を見せた。

「それ先に言ったの私ですよ?」

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