第二節 第二十八話 残念会

 トミサにある茶店の孔雀屋。

 その番傘の下の縁台へと、乙女3人が横並びに腰掛けていた。左からサイ、ユミ、ミズの順となる。

 その身長と呼応するように、彼女らの手元には大、中、小の大きさの鉢が納まっていた。

 言葉にするのは憚られるが、これはミズのための残念会なのだ。


 しばらく黙々とあんみつを食べ進める3者だったが、やがてミズがぽつりと漏らす。

「ボク、やっぱり女の子が好き」

「うん。そうなんだろうとは思ってた」

 これまで明言されることはなかったが、彼女の態度を見れば明らかだ。


「これっておかしなことなのかな?」

「おかしくはないよ。珍しいだけで」

 ユミはミズ以外にも女子おなごが好きであろう女とは出会ったことがある。

 それ故にミズの問いには自然と答えることが出来た。


「ボク、お父さんから男は危ない物だって教えられてきたから……。ユミを初めて見た時、可愛いって思った」

「抱き着かれた時はびっくりしちゃったよ。私もミズのことは男の子だって思ってたから。隣にキリが居たのに……」

 ユミは苦い顔をする。

「ごめんね。ソラにも怒られちゃった」

「ソラが怒ったの!?」

 ユミにも信じられない状況だ。あのソラでさえ、ミズの行動を不快に思ったと言うことだろうか。

「ソラは優しかったけどね。教えてくれたの。女の子に好かれたかったらいきなり抱き着いちゃダメだって……」

「あの時のミズ。ソラに預けてる間に大人しくなってたから拍子抜けしたけど、そんなことがあったんだね」

 一体ソラはミズに何を吹き込んだのだろうとその時は戦慄さえ覚えたものだった。しかし、事の真相はソラらしい諭し方だったようだ。

 ソラは歳を重ねるごとにその美貌が露わになっていった。故に、怪我の治療のため訪れた鳩達に言い寄られることもあったようだが、きっぱりと拒否を示していた。余計な希望を与えない、それが彼女の優しさだったのだ。


「はあ~あ。どっかの可愛い女の子がボクに鴛鴦文を寄越してくれないかなぁー」

「ミズ……」

 ミズは孵卵に落第し、今後帰巣本能に目覚めることも無いと知った。

 少しは元気を取り戻したように見えたが、自棄になるのも無理はない。


「なあ、ユミ」

 食べる手を止め、サイが声をかけてくる。

「何? サイ」

「ミズってどっちだ?」

「え? 何が?」

「だからその……。男なの? 女なの?」

「知らなかったの!?」

 

 サイもミズが働く雑貨屋、伽藍鳥がらんちょうには何度か立ち寄ったことがあるはずだ。

 しかし細かいことを気にしないサイの気質からすれば、ミズの性別など些末な問題であったのかもしれない。

 

 確かにミズは常に髪を短めに揃えていたし、17となった今においても胸の膨らみがまるでない。

 本人もそれを良いことに、トミサの女子おなご達を度々引っかけていた。

 その現場を目撃した時にはまるでギンの様だとも思ったが、彼と違い女子との逢引きはほぼほぼうまくいっていたようだ。


「ねえサイ。トミサに入って来る時、ミズも私達と同じ様に女の人に検分してもらってたよね?」

「まあ、そうなんだけど……。男のくせに女に体触らせる変態なのかと思ってた」

「サイ……」

 とは言え検分を受けるミズの表情を思い返せば、サイの指摘もあながち的外れとも言えない。


「トミサの女の子もね、とってもいい子達なんだ。でも……。ボクが本当は女の子だって知ったら疎遠になっちゃう。ボク、女の子には女の子として好きになってもらいたいんだ……」

「それは……、難しい問題だね……」

 ミズの繊細な悩みを前に、ユミはそう呟くことしかできなかった。

「お父さん、こんな気持ちも応援してくれるかな……」

 その言葉になんとなく気まずさを覚えてしまい、ごまかすように鉢からあんみつをすくい上げる。

 幾度となく食べてきたはずのあんみつだが、今は味気なく感じてしまう。

 

 

「サイぃいいいい!」

 突如、淀んだ空気を裂くように男の声が響き渡った。

「お、テコ!」

 声の主の顔を見てサイが声を弾ませる。

 店の前の通りを歩き、迫ってくるテコは満面の笑みを浮かべ、右手を高く振って見せた。

 

 テコのすぐ後ろから短髪の男が続いてやってくる。

 その男の右のこめかみ辺りには、ユミのてのひらほどの綿の布があてがわれていた。その布はうっすらと赤く滲んでいる。

「ギン!? それどうしたの?」

 ただ事ではない、と察したユミは眼を丸くして問いかける。

 かつては彼に嫌悪を抱いていたユミだったが、今では心理的な障壁も失われていた。

「ああ、テコに投げられた……」

「投げられた!?」

 その言葉に信じられなくなり、首を捻りテコの顔を凝視する。

 

「サイ、おれやったよ! ついにギンを倒したよ!」

 テコはしたり顔を浮かべていた。サイを眼の前にしてとても楽しそうだ。

「ほんとか! やったなテコ!」

 縁台から立ち上がり、テコの頭を撫でてやる。

 

 17歳になったばかりのテコだが、今でも背丈はサイよりも頭1つ分小さい。

 実際には彼も平均的な男ぐらいには背が伸びた。しかし、サイに甘える態度も相俟って子供らしさが目立ってしまう。

 

 その姿をほほえましく思いながら、ユミは自身の鴛との関係を思い描く。

 

 別れ際にはキリの方がユミよりも背丈は低かった。

 しかしあの時既に、精神面においてはキリの方が数歩先を行っていた。

 それに追いつこうという決意があったからこそ、今日まで鳩としての務めを果たすことが出来たのだ。

 一方で、今頃は男のキリの方がユミの背を越していると考えるのが現実的だろう。

 サイとテコとは対照的な情景を夢想する。

 次に対面する際にはユミの頭を撫でてはくれないだろうか。そのような願望が湧いてきた。

 

「なあテコ。一体どうやってギンを投げ飛ばしたんだ?」

「へへへ……」

 首をかしげるサイと邪悪な笑みを浮かべるテコ。

「サイ、言ってたよね。大人の勝負の世界では手段を選んでられないって」

 テコは不躾にもサイの髪を束ねている賽子さいころへと手を伸ばす。

 サイもどこか嬉しそうに彼の手の上へと自身の手を重ねた。

「おう、そうだぞ。お前には成し遂げないといけないことがあるからな。ギンぐらいぶっ飛ばしてくれないと困る」


「ギン、なんか散々な言われ様だね」

 ユミがギンに同情の眼を向ける。

「まあ、オレにも落ち度はあったかも……」

 ユミに投げられた視線によって、一層惨めな気持ちが膨れ上がる。

 

「ねー、お兄さん。なぁにがあったのぉ?」

 先ほどまでの落ち込んだ様子はどこへ行ったのやら。いかにしてギンを辱めたものか、ミズは画策し始めたようだ。

「お前には関係ないだろ!」

 出会って以来、ギンはミズに対する苦手意識を拭えない。


「ギンてさー……、よくユミと一緒にウラヤに行くじゃない?」

「や、やめて……」

 語り始めたテコを制そうとギンが手を伸ばしたが、立ち上がったミズに行く手を阻まれてしまう。


「さっきまで森の中をギンと歩いたんだけど、言ってみたんだよね。おれもウラヤのマイハに行ってみたいなって!」

 テコの言葉にサイは一瞬だけ顔を曇らせたが、すぐに意図を理解し不敵な笑みを浮かべた。

「それで、ギンは何て?」

「顔真っ赤にしてさー……、『行ったことないからな!』って。……あやしいよねぇ」

 

 落ち着きがなくなっていくギンの挙動に不信感を覚え、ユミは淡々と語り始める。

「ギン。別にね、マイハに行くこと自体は恥ずかしいことでもないと思うの。鳩になってみて分かったことだけど、これは心身共に負担が大きい仕事だなって。百舌鳥さん達に癒してもらいたくなる気持ちも分かる。負担を抱えたまま悪いことして、烙印を与えられるよりかはよっぽど良いよ。実際、百舌鳥さん達の仕事でウラヤの経済は支えられている。それで子宝に恵まれることもあるから、人手も増える。郭公かっこうに姿を変えた鳩達には感謝してもしきれない」

「ユミさん?」

 ユミは鉢からあんこのかかった白玉を掬いとった。

「以上を踏まえてだけど……、ソラに言っとくね。ギンがウラヤにお金落としてくれたよって」

 語り終えるとギンの方には目もくれず匙を口に含む。先ほどまで味気なく感じていたあんみつだが、舞い戻って来た甘味に舌鼓を打った。

「違うんだー!」

 ギンはぶるぶると首を震わせる。明らかに動揺している様だ。


「そうそう、あんな感じ。挙動不審になったギンの懐に潜り込んで、どりゃあ!」


シーンイラスト

https://kakuyomu.jp/users/benzenringp/news/16818093080703389377


 支点はテコの腰辺り、テコが掴んだサイの腕を力点として、その力はサイの全身へと作用する。

 

 ぐるん。サイの視界が回る。


 テコの原理によって、サイが投げられた。

 テコにとって半か丁かの大勝負。もう引き返すことは出来ない。

 

 一本。

 

 サイが気づいた頃にはその背を地につけていた。

 投げられた衝撃により痛みを伴うはずなのだが、その痛みさえもサイはしばらく信じられないでいた。


「テコ……?」

「や、やった……。ついに……、サイを倒した……」

 呆然と見上げてくるサイの眼をじっと見つめ、テコが呟く。

 興奮が抑えらないのだろう、声と肩が震えている。

 

 ようやく状況を理解したサイはニヤッと笑い、背を地に着けたままテコに取られた腕をぐっと引き寄せる。

「わっ!」

 テコの体は引きつけられ、寝そべったサイの上へと倒れ込む。

「よくやった」

 テコにだけ聞こえる様に耳元へそっと囁くと、サイの左腕もテコの背に回される。

「ふふ。まだ単純な力じゃ私の方が上だな」

「うん、わかってる。だからずっと機会を探してんだ。サイの意表を突くような」

「それでいいさ」

 サイとテコの顔が近い。2人は顔を赤く染め微笑み合う。

 

「ねえ、サイ。覚えてる? あの日言ったこと。サイを倒したら鴛にしくれるって」

「ああ、もちろんだ。お前は今日から私の鴛だ。年齢的にももう大丈夫だろ?」

 

 ユミとギンはその光景を見て呆気に取られていた。

 ユミはギンに対して怒りが湧いていたはずなのだが、それが何故だったか分からなくなっている。

阿呆鴛鴦あほうどり!」

 声を上げたのはミズだ。

「あほうどり?」

 聞き馴染みの無い言葉に、ユミは思わず復唱してしまう。


「クイが言ってたよ! 抱き合うユミとキリを見て阿呆鴛鴦だって!」

 ユミは思う。またヤミにクイのお仕置きをしといてもらわなくてはと。

 尤も阿呆鴛鴦という言葉を使い始めたのはヤミだったのだが、その場にいる誰もが知る由もないことだった。


 ミズの揶揄にも構わず、くだん阿呆鴛鴦あほうどりは話を続ける。

「おれ、ずっとサイのこと好きだった。家族だって言われて抱き締めてくれた時から……」

「ああ、私もだ。あの時はテコのことは弟ぐらいのつもりだったけど、もっと惹かれてたんだろうな……。家族の為に1人トミサへやって来たお前が頼もしく見えた。その……、初生雛愛者しょせいびなあいしゃとか思われたくなくてさ」

 

 傍で聞いているとむず痒くなるような会話であるが、ユミは違う観点から羞恥心が芽生え出す。

 キリと出会った当初、彼は11歳でユミは13歳だった。

 到底鴛鴦おしの契りなど結べるはずもない年齢だ。

 鳩の縛めに定められるまでも無く、自分達の間に子ができるはずも無いと思い至るべきだった。

 ケンにそのことを嗤われた時には怒りを覚えたが、今なら彼の反応は尤もだったと思えてしまう。

 ユミ自身、サイのことをバカだと思っていた節がある。しかし彼女は、5年前から大人としての線引きが出来ていたのだろうと引け目を感じてしまった。


「なんだ、オレ。テコの踏み台にされたってことか……」

 ギンが面白くなさそうに呟く。

「そうみたいだね。でも、これとマイハのことは関係ないからね?」

「だから違うんだってぇえええ!」

 再び顔を赤らめ始める。


「やっぱりお兄さん面白いな!」

「う、うるさい!」

 ギンは眼の前で通せんぼしていたミズの体を押しのける。

 そして鼻息を荒げ、未だ密着したままの阿呆鴛鴦の元へと赴いた。

 

「テコ! 行くぞ! まだ仕事の途中なんだから!」

 うつ伏せの状態のテコの体を引き起こそうとする。

「やだ! 離れたくない!」

「ギン、諦めてくれ。テコは私のもんだ」

 サイが勝ち誇ったような眼をギンへ向ける。

「そういうことだから。ギンは先に巣に戻ってて!」

「先に戻れってお前……。お姉さんから大事な文を受け取っただろうが。テコが居なくてどうするよ?」

「あ……」

 呆れた様子のギンと我に返るテコ。

「ごめんねサイ。おれ行かないと。ねーちゃんの想い、ちゃんと届けないと……」

「ねーちゃん? コナのことか?」

 抱き締めるサイの腕が緩んだのを感じると、テコは体を起こした。


「そう、コナねーちゃん。鴛鴦文おしふみも書かないし村の男達のことも興味ないみたいだしで、行き遅れないか心配だったんだけどやっと書いたんだよ。鴛鴦文」

 話を聞きながら、サイもゆっくりと立ち上がる。

「そうか。まあ、そこんとは人それぞれだからな。個人的には無理に鴛鴦の契りを結ぶ必要も無いと思ってるけど、コナが鴛鴦文を書いたって言うんなら、なんか思うところがあったんだろな」

 

 ユミには思い当たることがあった。

 5年前の渡りにて七班の寝床から抜け出したユミは、テコとともにモバラの村へ赴いた。そこで出会ったのが1人夜風にあたるコナだった。

 当然そこに長居する訳にはいかず、早々に別れることになった。

 しかしもう会うことはないだろうと告げたユミに、コナは心から残念そうな顔を浮かべていた。

 そしてこれは、鳩の縛めによって行動が制限されてしまった1例なのだとユミは感じたのだった。

 

「サイ、1人で帰れる?」

「私をなんだと思ってるんだよ! いいから行って来い」

 別れを惜しむテコの尻を叩くサイだが、その声は甘い。

「うん。またね、サイ。それにユミも。ほらギン! ぼうっとしてないで行くよ!」

「はいはい……」

 ギンはもううんざりという表情だが、素直に従うのが賢明だと判断したようだ。

 テコはギンを伴いその場を立ち去っていく。

 どこか誇らしげな様子のテコをユミは小さく手を振り見送ってやった。

 

「さて、私らも本来ミズを送り届けてやらなきゃいけないんだよな……」

「そうだね。さっさと食べて行こっか」

 一連の出来事もあって、縁台に取り残されてしまった3つの鉢。

 乙女達はそそくさと席に戻り、あんみつを掻きこんでいった。


 ――――

 

 トミサにある雑貨屋の伽藍鳥。そこがミズの住まいでもある。

 店先には大人の女性が立っていたが、遠目に見てもそわそわとした様子が伝わってくる。

「お母さんただいま!」

 ミズはその女性に向かって駆け出し、胸へと飛び込んだ。

「ミズ! お帰りなさい。無事でよかった……」

 ミズの母親は驚いて見せたがすぐ安堵の表情に変わり、縋り寄る体を優しく抱き留めた。


「サラさん。ご心配おかけしました。ミズの孵卵なのですが、残念ながら……」

 残念とまで口にしながら、次の言葉に躊躇ってしまう。

 ナガレに暮らすアサはサラの鴛でもある。今後ミズの手でサラの言葉がアサに届けられることはないのだ。

 その事実はあまりにも酷だと感じてしまう。


 ――罪を翔けぬ翼に 焦がされた烏


 ミズの歌う詩の中でずっと気になっている一節だ。

 この詩を作ったのは眼の前にいるサラのはずだ。

 そして烙印を刻まれたアサの手を、罪を翔けぬ翼と称しているのだ。

 罪を犯さずして、ナガレに送られた自身の鴛を慰める詩なのだろう。ユミはそのように解釈していた。

 

 実際、烏の鴦であるサラが咎められることも無くトミサで暮らしている。

 そしてミズというナガレに住む者達にとっての希望。

 サラの認識はともかく、アサがナガレに送られる経緯は他の烏とは何か違うはずだ。

 

「ごめんね、お母さん……」

 ミズは気丈に振舞っているようにも見えたが、やはり我慢していたのだろう。嗚咽とともに涙が溢れ出していた。

「いいのよミズ。無事帰って来てくれたんだから。ユミさんとサイさんだったわね? ミズのことをありがとう」

 サラは飽くまでも柔らかな笑顔を向けてくる。


「サラさん。もしアサさんに伝えたいことがあればいつでもおっしゃってください」

「ありがとう。そうね……、この子のことは私が幸せにする。アサも元気で……。今はこれぐらいしか思いつかないわ……」

「はい。その想い、きっとアサさんに伝わると思います」

「ええ……、そう信じます」

 

 いずれユミはアサへ直接伝えに行こうと思案する。

 とは言え、ユミの持つもりすのことまでは話すことが出来ない。

 

 ――便りの無い便りに 私は書き綴る

 

 それでもこのように歌うサラなのだ。

 きっとこのトミサからアサの無事を願い続けることだろう。

 これも鴛と鴦の1つのあり方なのではないだろうかと、ユミは感傷に浸っていた。

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