第三節 第二十九話 外堀

 ミズを住居まで送り届けたユミとサイは、その足でトミサにある鳩の巣へ向かった。

 心苦しいがミズの試験結果を報告せねばならない。

 孵卵はトミサの外で行われたことだ。そしていつぞやの覚書からは門の外で起こったことは露呈しない、こともあると教示された。

 いっそミズの合格を捏造してやろうかという邪心が頭によぎったが、それをして困るのはミズだ。

 証拠が明らかな物については不正がばれてしまうのだ。


 ユミが報告を躊躇うのには大きな理由があった。

 ミズの不合格には一般的な孵卵とは異なる特別な意味を持つのだ。

 ミズはナガレに赴くことのできる潜在能力を持つ唯一の人間だった。ミズの落第はナガレの鳩の後継者が失われてしまったことを意味する。

 今後ナガレに帰巣本能の目覚める者が居ないとなれば、新たに生まれたからすをどう扱うか議論されることになる。

 

 現行の烏の運命は、出生地と性別、そして帰巣本能の有無によって異なる。

 その境遇は大きく分けて2通り。森を抜けた先の流刑地へ送られるか、トミサの牢獄に放り込まれるか。

 

 そして流刑地へ送られるのは、トミサに生まれた鳩か、あるいは帰巣本能すら持たない者である。また流刑地は2つあり、男ならナガレ、女ならカトリの地が割り当てられている。

 他方、トミサでない村に生まれた鳩は牢獄に放り込まれることとなる。


 議論の対象は、本来ナガレに送られるはずだった者だ。

 ナガレの地への到達手段が失われれば彼らは牢獄へ入ることになるだろう、と言うのが鳩の間での通説だ。

 一方で、烏など森へ置き去りにしてしまえば良いという意見も耳にしたことがある。

 

 また高齢ではあるが現役のナガレの鳩を使えば、ナガレに新たな女を送り込み後継者を生み出すことも可能ではあるはずだ。

 しかしわざわざナガレに赴き、子を産みたいと思う女などいるはずも無かった。

 

 ユミは自身の報告により、意見の対立を本格化させてしまうのではないかと懸念していた。

 ユミもサイも、正式な鳩になってから5年だ。もはや新人とも言える年数ではないが、あまりにも荷が重い情報を抱えていることになる。


 意を決して巣に駐在する試験統括へと孵卵の結果を届けたのだが、その反応は実にあっさりとしたものだった。

 統括はミズの心中を気遣う様な素振りはしたものの、ユミが懸念していたことを思慮する言動は見せなかった。

 拍子抜けした様子のユミを見かねて、統括は自身の見解を語り始める。

 

「ナガレとは烏のための恩情の地という位置づけだ。烏が牢獄に居ようが森へ置き去りにされようが、また新たに後継者が生まれようが、烏で無い者にとっては関係のないことだ。トミサの平和は維持されるだろう。お前が気に病むことではない」


 烏とは言え、人である。

 統括の言葉に冷たさを感じる一方で、肩が軽くなったのも事実だった。

 そのことがまた自己嫌悪の元となり、ユミはミズの事情を知る男の元を訪ねてみようと思い立つ。

 

 飽くまでも楽観的な態度のサイには別れを告げ、ユミは巣の一室の戸を叩いた。

 

 ――――

 

「そうですか。ミズさん、ダメでしたか……」

 

 仕事場の戸を叩く音が聞こえたので開いてみれば、そこには落胆した様子のユミが立ち尽くしていた。

 就業時間も終わりという頃ではあったが、ただ事ではないと感じたクイは彼女を部屋に招き入れてやったのだった。


 書斎という言葉の似合うクイの仕事場だ。

 クイは大きな机にあてがわれた椅子へと腰を下ろした。その背面には書棚がそびえ立っている。

 棚の下の段には書物の類が陣取っているが、中段より上には封筒の束が立ち並んでいるように見える。

 棚には封筒を区分するための仕切り板が一定の間隔で立てられており、その板にはアサヒ、アビコ、イスミといった名札が張り付けられているようだ。それらの名称はイイバに点在する村々を意味しているのだと、今のユミには判別することが出来た。


「ミズさんの父親のアサさんには、正直あまり良い印象を持ってはいません。一歩間違えばヤミさんを失うところだった……」

 クイの顔から嫌悪感が露わになる。一時は自身の鴦が囚われの身になったのだから無理もない反応だ。

 そしてその一連の出来事におけるユミの責任は大きい。つい顔を背けたくなるが、クイの気が収まるまでじっと我慢する。


「にも関わらずヤミさんは本当に優しい。アサさんのおかげで無事にハリを出産することが出来たのだと本気で思っている」

 その出産自体はユミの貢献によるものだと言っても過言ではない。

 それでもユミはその偉業を誰かにひけらかそうという気にはならなかった。

 

 当然、ハリの出生について安易に語って良い物ではないという前提はある。

 しかしそれ以上に、あの場にいた者達の協力があったからこそ迎えることの出来た命なのだと、時折感慨深くなる。

 当時は特に意識もしていなかったが、鳩の務めを果たしていく度に人との支え合いを実感する機会に直面した。

 赤子を取り上げたという出来事もその1つに過ぎない。ユミの功績はキリにさえ知っていてもらえれば十分だと感じていた。


「5年前、ユミさんにも言いましたよね。人と仲良くするには相手の良い所を見つけて上げることだと。やはりヤミさんはそれを体現したような人だったのです。私にはもったいない……」

 ユミは思わずうんうんと頷いてしまいそうになる。しかしこれは失礼な行為であることにもいい加減気づいていた。

 自身の邪心を振り払うためか、クイの言葉を否定するためか、ユミは首をぶるぶると振った。

「そんなことないよ! クイさんにだっていいところがある。じゃないとこの職務に就けてない!」

 ユミの殊勝な態度に、クイは眼を丸くした。

 

「私嬉しかった。クイさんがキリの鴛鴦文を渡してくれるって言ってくれたのが。鴛鴦文おしふみを集約する役目、それに就くためには、人の心に寄り添えるようにならなくちゃいけないってクイさん言ってた。そんなクイさんに向かって腹黒いって言っちゃった気もするけど、常に私のこと考えてくれてたんだって……」

「ふふふ、別にあなたのためじゃないですよ」

 ユミに対して、クイはどうしても素直になれない。むしろその心情がいつものクイらしいとも言えるのだが。

 そして実際、クイにはもっと大きな目的があった。

「うん、分かってる。自由な世界を作りたいとも言ってた。多分私はその足がかりってことなんだよね」

「ええ、その通りです」

 クイは飛びっきりの笑顔を見せた。

「それでもいい! 目的が他にあったとしても、その過程で私が嬉しくなれるのなら、私はそれを受け止める!」

 見せていたクイの笑顔が引きつってくる。

「ユミさん……。本気でそんなことを?」

「うん! でもその代わり、私だってクイさんを利用する。利用するなんて言い方は聞こえ悪いけど、その方がクイさんも気兼ねしないんじゃないかな?」

 クイは絶句した。

 

 お互いに支えあって生きていく。それを心に留めていたのはユミだけではなかった。

 しかしながらクイは、その主張の一部を受け入れられないでいたところがある。

 鳩として務めを果たす過程で、どうしても反りの合わない者と出会うことがあった。

 そんな相手とであっても、協力しなければ職務を全うできない。例えばクイの場合、トミサへ帰ることが出来なくなってしまう。

 飛びっきりの笑顔を相手に湛えて見せても、嫌悪感を拭い切ることはできなかった。そして礼を述べるのさえ癪に障ると思った時には、相手に尽くしてもらったのではなく、利用してやったと考えるようになった。

 その考えは円滑な意思疎通を図るのに大いに役立った。その結果として、いけ好かない協力関係者との仕事であっても、恩恵を受ける者がいるのも事実だ。


「……トキさんの指導の賜物の様ですね。いい加減あなたのことを認めて上げなければならない」

 吐き出すように呟いた。

「え? なんてクイさん? 私のことをどうしようって?」

 ユミにも当然聞こえていたのだが、普段聞くことのできないクイの言葉に嬉しくなってしまう。

「そういうところは相変わらずユミさんらしいですね。安心しました」

「ふん! もういいもん!」

 嫌味の無い顔で嫌味を述べるクイに毒づきながら、ユミからも自然と笑顔が零れた。


「……ねえ、クイさん。ミズのこと元気づけてあげられないかな。アサはともかくとして」

 ようやく本題に入る。

 ユミとサイの前で気丈に振舞っていたミズだが、やはり空元気だったのだろうと思わざるを得ない。

 自棄になった様子を見るといたたまれない気分にもなってしまう。


「しばらくユミさんが寄り添って上げればいいんじゃないですか?」

「うん。そうしてあげたいんだけどね。ミズって本気にしちゃうところがあるから……」

 ミズと鴛鴦繋おしつなぎで帰り歩いた道。ユミの心がミズに無いことは伝わっているはずなのに、トミサの門の前で手を放そうとすると惜しんだ様子を見せた。

 女子おなごたちに対して見境の無い態度をとるミズに問題があるのは間違いないが、やはり女が女を好きになるのは希なことであると言わざるを得ない。数を撃てば、本気で好きになってくれる女子おなごともいずれ巡り合えるのではないか、そんな思いがミズを焚きつけているのかもしれない。

 そんなミズに期待させるのも酷なことなのだろう。ソラの様にきっぱりと拒否するのが彼女のためなのだ。


「ねえ、テコがコナさんの鴛鴦文おしふみ持ってきたんでしょ?」

「コナさん……。ええ、テコさんのお姉さんですね。つい先ほど持って来られましたよ」

「それ、ミズに渡しちゃダメかな?」

 その問いかけをするも伏し目がちになってしまう。思い切った提案をしたものだと自ら感じたからだ。

 

 住む村の異なる者同士が巡り合うために交わされる鴛鴦文。

 対面することが出来ない一般の村人達に代わり、鳩が文通の相手を選んでやると言うのが決まりだ。

 ユミも既に何通か担当し、新たな鴛鴦が生まれる瞬間に立ち会って来たものだった。

 雛の講義で鴛鴦文の話を聞いた時、幸せになる瞬間を見届けたいとサイは言っていたが、その気持ちも理解できるようになっていた。

 叶うことならミズの幸せにも関与してみたいところではあるが、それには大きな問題があるのだ。


「結論から言いましょう。是非そうするべきだと思います」

 

 ユミは意外な言葉に拍子抜けし、クイに向かって呆けた顔を上げる。

「できるの? そんなことが……」

「なぜ私がこの役職に就くことが出来たか、ご存じではないのですか?」

「え?」

 クイは不敵な笑みを浮かべていた。それはいつものような飛びっきりの笑顔とも異なるようだ。


「先ほどもご指摘頂いたように、この職には人の心に寄り添える能力が必要です。そしてその糸口はミズさんにありました」

「ミズに?」

 クイの言わんとすることがまだ読めない。

「ええ、ユミさんの孵卵でナガレに踏み入ってしまった時、ミズさんはユミさんへと抱き着いた」

「うん。さっきもミズとその話をしてた」

 恥ずかしい思い出を蒸し返され、言葉に棘を含んだ言い方になってしまう。

 

「ミズさんの見た目のせいもありますが、ユミさんへの態度を見て私は彼女が女子じょしであることを見抜けなかった」

「ミズのことが女の子だって分からなかったのは私も同じだけど、抱き着いてきたことは関係なくない? 私、小さい頃からソラとはいっぱい抱き合ってきたよ」

 言ってしまってからユミは顔を赤くする。何故この男に乙女の思い出を語らなくてはならないのだろうと。


「そういうこともあるでしょうね。しかしあの時、あなたに抱き着くミズさんの顔には優越感があった。キリさんに向けての。そしてユミさんも少し嬉しそうだった」

「なっ! そ、そんなことないよ。確かにミズは男の子の中では可愛い方だと思ったし、年下だったけど……」

 図星を突かれ、余計なことまで口走ってしまう。実際のところ、嬉しそうに見えたと言うのなら嫉妬に燃えるキリが可愛いと思ったことが要因のはずだ。そしてそれもやはり、あの場にいた者の多くがミズを男だと思っていたことに起因する。


「これが偏見というものだったんでしょうね。女を好きになるのは男だけだと言う」

「うん……。それはそうかも。私はキリを好きになったし、キリも私を好きになってくれた。ソラのことはもちろん好きだけど……、やっぱり違う。認めたくはないけど、ソラがギンのことを好きだって言うなら応援する。キリがもし他の女の子を好きになったって言うなら……、絶対許さない」

 ユミの切れ眼がさらに鋭くなる。

 

 その眼光に一瞬ひるんでしまったが、クイは眼を逸らさず話を続ける。

「私は思ったのです。ミズさんの他にも似たような指向を持つ者がいるのではないか。女が女を好きになり、男が男を好きになることもあるのではないかと。そして鳩達に協力を募りました。何か悩みを抱えている者がいれば教えて欲しいと」

 クイの口が滑らかになっていくのを感じる。ずっと話したかったことなのだろう。

 

「しかし、すぐに悩みを打ち明けてくれる人はいませんでした。今思えば無神経なことをしてしまったと思います。少数派となる指向を吹聴するのは躊躇われることなのでしょう」

 少数派の指向と聞きユミにも思い当たることがあった。

 鳩になって以来、姉のような存在としてクイの息子であるハリの成長を見届けてきた。そんな彼へと頬ずりしたくなる衝動に駆られることが度々あったのだが、それは良くないことだと耐え忍び、誰にも打ち明けることはなかったのだ。

 

「それでもコナさんは打ち明けてくれたのです。男を好きになれない質の様であると。このことは今でもテコさんは知らないはずです。他の鳩を経由して聞いたのです。これは個々人にとって繊細な部分です。血の繋がった家族よりも話しやすい相手もいるのでしょうね」

 クイはふうっと息をつく。重要なことは話し終えたと言う合図のようだ。

 ユミもすっかり感心してしまった。クイのことを腹黒い男だとは思っていたが、だからこそ人のことがよく見えるのだろう。

 大切なのはその能力をどう使うか。コナが前へ踏み出すことが出来たのだから、クイの功績を称えてやっても良いのではないだろうか。


「私の活動について、鳩の間では知る人ぞ知るものとなりました。その結果与えられたのがこの居室です」

 クイは立ち上がり、両腕を広げ部屋を示して見せる。


「女から女へ鴛鴦文おしふみを渡すこと。私が良いと言えば良いのです」

 クイは書棚へと振り返り、指を差しながらモバラの名札に示された領域を探す。やがて一通の封筒を引き出すとユミの前へと掲げる。

 

 間髪入れずユミはそれを受け取ろうとしたが、封筒はクイの元へと引き戻されてしまう。

「え? なんで?」

「ユミさん、分かりませんか? あなたは致命的な失態を犯していることに」

「え、えと……、そんな。まだハリに頬ずりなんてしてないよ? あ……」

 クイの眼が点になり、2人の間に沈黙が訪れる。

「……本当の初生雛愛者しょせいびなあいしゃはあなただったようですね。まあ、手を出していないなら良しとしましょうか。そのことではありません。何故コナさんのことを知っているのですか?」

「あ……、そっか。私が知ってたらおかしいのか。テコでさえ、コナさんが女の子を好きなこと知らないんだもんね……」

 クイの鋭い視線に、ユミは呆然としてしまう。


「森巣記憶」

 クイがぽつりと呟く。

「森巣……記憶? なんでクイさんがそれを?」


「トキさんから聞きましたよ。ユミさん。雛の渡りでやらかしてくれたそうじゃないですか。テコさんとともにモバラへ逢引きですって?」

「ご、ごめんなさい……」

 クイからもりすのことは他言しない様に釘を刺されていたのだ。テコを家族に引き合わせた結果、七班にはユミの能力を露呈させてしまった。

 その事実をクイに隠していたのだが、既にトキから伝わってしまっていたようだ。当然トキのことなど責めるわけにはいかない。


「いいですよ。むしろ結果としては良かったと思います。ユミさんの力は無闇にひけらかして良い物ではありませんが、他でもないトキさんです。これからも力になってくれるはずです。ユミさんがキリさんに会うための必要な工程だったかもしれません」

「ありがとう……。そう言ってくれて」

 安堵覚えつつも、ユミは不貞腐れた様子だ。

 

「こうやって外堀を埋めることは大事です。ふふ、トミサを囲う外堀なんかも、埋め尽くしてしまえば簡単に出られちゃうかもしれませんね」

「別に面白くないよ」

「ユミさんらしくて何よりです」

 クイは飛びっきりの笑顔を見せた。

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