第十一節 第二十四話 家族

 テコに手を引かれて森を歩く。さすがに鴛鴦繋おしつなぎは許さなかったが、テコもそれを望むことはなかった。

「ねえ、ユミ。勢いで飛び出しちゃったけど、ほんとに大丈夫なの?」

「うん、大丈夫。ちゃんと周りを見て歩いているから」

 月明かりに照らされたテコの顔からは不思議そうな色が仄かに浮かんでいる。

 つまずかないように、テコは最低限足元を見ながら歩いてはいるが、ユミとは対照的に周りのことなどはほとんど眼に入っていない。

 周りを見ずとも、生まれ故郷であるモバラに向かって歩くことはできるのだ。


「モバラまでは1刻もかからないぐらいなんだよね? 今サイ達が寝てる場所との往復の時間を考えても、テコのお母さん達とお話するぐらいの時間はあると思うよ」

「往復って……。そんなことが出来るの?」

 テコの疑問は当然だ。トキに叱られた悲しみのあまり、抜け出してしまおうというユミの甘い言葉に誘われてしまったが、歩いている内に冷静さを取り戻したようだ。

「ユミは、一体どこで生まれたの?」

 鳩の持つ帰巣本能は、生まれた場所へ導かれる力である。サイ達が眠る場所へ戻ることが出来ると言うのであれば、ユミは何とも得体のしれない場所で生まれたことになる。

「ウラヤだよ。絶対にラシノなんかじゃないからね!」

「ラシノ?」

「ううん。なんでもない。テコはモバラへ帰ることにだけ集中して」

「……うん」

 解せぬ。そんな様子のテコだったが、彼に出来るのはユミが言う通り足を動かすことだけだった。

 

 うっかりラシノという地名を出してしまった。モバラの鳩であるテコが今後も足を踏み入れる余地のない場所だ。

 孵卵の際、クイやケンからラシノの生まれなんじゃないかと、詰め寄られた名残りとも言える失言だ。

 とは言え、ラシノの生まれでありたくない理由は、ユミがアイの娘でありキリの姉であるという仮説を拒絶したいからだ。しかしながらソラのことを思えば、ウラヤに住むことがそれを否定するものではないのだと分かってしまった。

 アイの娘でさえ無ければラシノの生まれの方が良かったかもしれない、という考えすら浮かんでくる。鳩になることも無く、ラシノの村から出ないままキリと生涯を遂げることが出来るのなら、それ以上に望むことなどない。

 現状、キリに会うことも許されていない。では。

 

 もりす記憶。懐に忍び込んでいた覚書に綴られていたユミの能力の名前である。

 覚書を読んだ後も、繰り返し文面の意味を考えていた。


 ――森巣記憶

   森を意のままに歩ける力

   トミサの門の外では使うも自由――

 

 2行目については文字通りの意味だろう。鳩になるまで、鳩は森を自由に歩けるものとばかり思っていたが、実際のところそうではなかった。もりす記憶を有するユミだからこそ成せる業なのだ。

 気になるのは3行目だ。これも文字通りの意味と言えばそれまでだが、そもそももりす記憶を使う場面はトミサの外の森でしかない。

 座学の試験で満点を取得した時にも、ユミの優れた記憶力を発揮したのには違いない。しかし、文面の意図はそうでないはずだ。満点などその気になれば誰にでも成し得ることなのだ。

 覚書の本質的な意図としては、もりす記憶を以て森を自由に歩き回っても、トミサへということだろう。ユミはそのように結論付けていた。

 

 トミサを介さずに村を渡り歩くことは禁止されている。

 鳩の縛めに定められたことではあるが、禁止されるまでも無く1人でそれを実行出来る者などいない。実行させないため、トミサの門を出る際に検分が行われる。

 トミサとトミサの鳩、あるいはトミサとそれ以外の村の鳩の組み合わせであれば検分を通過することが出来る。この渡りについては例外のようではあるが。

 トミサの村でない鳩同士の組み合わせでは出門が許されていないため、原理上トミサを介さずに村を渡り歩くことは不可能なのだ。

 この検分の仕組みにおける大きな欠点は、ユミの持つもりす記憶の存在を考慮していないことにある。これも鳩らが鳩の常識に囚われてしまっているがための制度だろう。

 ユミは孵卵の時点でラシノやナガレなどに辿り着いており、鳩の縛めを犯したことになる。しかし現時点ではそれを咎められていない。クイがユミの試験についてうまく報告したということなのだろう。

 咎められていないと言えば、トミサへの出発の前日、ソラとともにラシノに辿り着いてしまったことも同様だ。


 以上の事実を踏まえれば、トミサの外で縛めを犯した者を取り締まるのは難しいことが見えてくる。あの覚書が意図するところを事実が裏付けているのだ。

 当然、門の外であれば縛めに反してもばれることはない、と言い切れる訳が無い。

 しかしそれ以上に、ユミがキリの元へ向かうことを躊躇っているのは、むしろキリと交わした約束の効力が大きい。

 キリが大人になったら迎えに行く。それまでには立派な鳩になり、素敵な鴦になる。そういう約束だ。


 それでは立派な鳩とは何だろうか。ユミなりに考えた。

 前提として、鳩の縛めを順守することは立派な鳩の条件であるはずだ。たとえユミにとって不本意な縛めであったとしても。

 クイの提案に従えば将来キリが書くであろう鴛鴦文を読むことは叶うかもしれない。法を順守すると言う点においては際どいところであるが。

 とは言え、キリとの再会までが保障されている訳では無い。

 ウラヤからラシノへ、村を渡り歩くという禁忌を犯さない限り、キリとの約束は果たせないのだ。

 

 ならばせめて、縛めを犯すのに足る尤もらしい条件を自ら定めておこうとユミは考える様になった。

 これまでにも複数回にわたりラシノへ辿り着いたことが露呈しなかったのは、それを黙っていたからだと言える。

 一方で、正式な鳩でもないのにソラの後を追い森へ足を踏み入れたところまでは、ユミのお目付け役のカサも把握している。それが咎められていないのは、ソラを助けるという大義名分があったからだ。

 即ち、正当な理由さえあれば縛めを犯すことも止むを得ない、と判断されることもあるのだ。

 

 縛めを犯すのに尤もらしい条件。その答えに辿り着く鍵はトキの言葉にあった。

 

 ――俺達は助け合える。皆が手を取り合い、無事トミサへと帰ってくる。これを成し遂げられるようになることが渡りの目的だ。

 

 自分の為だけではない。誰かの為になるのなら、もりす記憶を発揮すれば良いのだとユミは思い至る。

 

 七班の全員が揃ってトミサへ帰り着くには、テコの心を癒すことが何よりも重要なのだ。

 こうしてテコの手を取っているのは、そんなユミの決意によるものであった。


 ――――


 茅葺屋根の小さな一軒家の傍ら、そこに佇む1人の少女に向かってテコは声を上げる。

「ねーちゃぁあああん!」

「テコ!?」

 声の聞こえた方へ少女が振り向くと、弟が駆け寄ってくるのが眼に入り思わず眉をひそめてしまう。目の前の状況を理解するよりも早く、テコがその胸へと飛び込んでくる。

「ただいま!」

「お、お帰り……」

 月明かりの下、動揺しつつも両腕でテコを受け入れる。

 ユミもテコの後をゆっくりと追いかけて来ていたのだが、2人の邪魔になるのではないかと、暫し離れて見守ることにする。


「どうしたの? テコ。もう研修は終わったの?」

「まだ……」

 その言葉はテコの求めている物ではなかった。少女にテコを責めるつもりはなかったのだろうが、胸に押し付けている顔からは涙が溢れ、肩が震えているのを感じる。

「抜け出して来ちゃった……」

「抜け出した? そんなことして大丈夫なの?」

「分かんない。でも……、ねーちゃんたちに会いたくなって……」

 声はくぐもっていた。それは口を胸元に押し当てているせいか、テコの落ち込みのせいか。テコの姉は優しくその頭を撫でる。


 しばらく2人の密着は続いていたが、テコの震えが収まったのを確認すると少女は口を開く。

「お家入る?」

「うん。あ……、ちょっと待って」

 テコは体へ押し付けていた顔を離し、その場で首をきょろきょろと動かす。

 やがてユミの姿を見つけるとにこっと笑い、とてとてと走り寄ってくる。


「ユミもおいでよ!」

 一瞬面食らってしまったが、ユミはすぐに落ち着きゆっくりと口を開く。

「いいの?」

「もちろん! ユミだって家族なんだから!」

「私……、サイの代わりにはなれないよ?」

 サイとトキは七班の面々に対し、幾度となく家族という言葉を使っていた。一方のユミは彼女たちのことを、友人あるいは恩師だと捉えていた。

 ソラ以外に友人のいなかったユミにとっては大きな進歩ではあるが、未だに友人という名の距離を縮めることが出来ていない。

 一方のソラは、友人には違いないが妹のような存在だと思っていた。

 キリを相手に考えても、正式に鴛鴦おしの契り結んでいない以上、友人でしかないのだが初めて夜を共にした時から家族だと考えていた。

 家族か否かについて、要はユミの考える心の距離の問題なのだ。


「もー、サイは鴦……にしたいけど、ユミはおれのねーちゃんなの!」

 ユミははっとする。ソラは妹、キリは鴛、というように家族の立場も様々だ。

「さっきまでユミのことをねーちゃんと思ったことは無かったけど、ねーちゃんに会わせてくれたからユミだってねーちゃんだよ!」

「あ、ありがとう……」

 テコはそう言うがやはりユミにとっては、まだテコのことを心から家族だと思えない。

 ユミはテコをモバラまで同伴することを成し遂げたが、ユミはまだテコから恩を感じていない。それが2人の間に佇む心の障壁の正体だ。

 

 一抹の罪悪感すら感じながら、テコが差し出した手を取ると、彼の姉の元へと誘われていく。


「えっとー……」

 テコの姉は、弟が引き連れてきた少女を見て困惑の表情を浮かべる。

「私はユミ。テコの……友達? その……、トミサで一緒に研修を受けてるの」

 トミサでの日常生活を重ね、少しずつ自己紹介にも慣れてきたユミだったが、テコとの関係性については言及を躊躇ってしまった。

「ユミはおれのねーちゃんだよ!」

 一方のテコは躊躇いがない。

「そう、テコがそういうならそうなんだろうね。私はコナ。テコの姉だよ。テコがお世話になってるみたいだね」

 コナは笑顔を向ける。改めて顔を見るとずいぶんと大人びている印象だ。小柄な体格のため少女だと思っていたが、サイと同じぐらいの年齢ではあるのかもしれない。

「えっと、コナさん。急に押しかけてきちゃってごめんなさい。こんな遅い時間に……」

「あー、いいのいいの。少し夜風に当たりたい気分だったから」

「ねーちゃん、また鴛鴦文でなやんでたの? あんまりなやんでたらいきおくれるよ」

 からかう様なテコの口調に対し、コナは顔を曇らせる。しかしすぐに、それをごまかすようなふくれっ面を見せた。

「こらテコ、トミサで何を覚えてきたの? せっかく獲れたネギ、焼いてあげようと思ったのにそんなんじゃあげないよ!」

「えー」

 声色こそ不満げだがどこか楽しそうなテコを見て、ユミは嬉しくなる。縛めを犯してまでテコを連れてきた甲斐があるというものだ。


「いい子だからおいで。ユミも一緒にどうぞ」

 コナはテコの手を取り、ユミに一瞥をくれる。そのまま2人は茅葺屋根へと吸い込まれていく。その引き戸を開けたままにしてくれたので、ユミも恐る恐るその住居へと足を踏み入れた。

 

 部屋の中には、所せましと布団が敷き詰められていた。その上には5つの人影が川の字に並んでおり、コナはその内、端の影の肩を揺らす。

「お母さん、起きて。テコが帰って来たよ」

「……てこ?」

 寝ぼけ眼でその人影が上体を起こす。

「かーちゃん!」

 テコは駆け出し無遠慮に抱き着く。

「おぉ、テコ! よく帰って来たねぇ」

「うん。おれ、頑張った……」

 そこまで言ったものの、言葉が続かなかった。大変な思いをしたのは確かだったが、まだ何かを成し遂げた訳でもない。

「そう、よく頑張ったね。コナ、お茶を入れてあげなさい」

「はーい」

 そういうとコナは部屋の奥にある囲炉裏へ向かい、灰掻きで温もりの残る炭を掘り起こす。そしてその上に茶釜を吊るした。

「ネギも出しちゃっていいよね?」

「もちろん。テコは久しく食べてないだろう。ああ、座ってなさい。私が持ってくるから」

 テコの母親は、まだ抱き着いたままの彼の頭を軽く叩き、囲炉裏の傍へ行くよう促した。そして彼女は立ち上がり、部屋の外へと出て行く。

 

 テコはコナのすぐ隣へ座り込む。トミサの食堂で朝食を食らうサイに対しても同様の動きを見せていたなとユミは思った。

 テコは自己紹介の時にも兄と姉がたくさんいると発言していた。今彼らは眠っているようだったが、テコは年上の者から可愛がられる生活に慣れていたのだろう。

「ほら、ユミも座って」

 ユミはどうしようかと立ち尽くしていたところ、コナが開いた空間を指し示してきた。そこへおずおずと近づき腰を下ろす。

「あんまりゆっくりはできないんだけどね」

「それはそうなんだろうね。こんな夜中に抜け出してきたって言うぐらいだもん。まあ、せっかくだからネギぐらい味わっていってよ」

 やがてテコの母親が戻ってくる。両手にはネギを抱えている。ユミらに対面する位置へ座ると、ネギを刻み、串を刺し、囲炉裏の火の傍へ立てていく。

 

「あなたはテコのお友達? テコを連れて来てくれてありがとね」

「ええ、ですが……」

 眼の前にいるテコの姉と母。両者ともテコが帰ってきたことを嬉しそうにしている。ならば何故、テコを1人トミサへと送ることが出来たのだろう。

 そんな疑問が浮かんだが、口に出すことはできなかった。

「ですが、またすぐにテコは連れて帰ります。問題ないですよね?」

「それはそうよね。そういう約束だもの……。この子には苦労かけるわ……」

 テコの母親は膨らみのある腹を撫で、複雑な表情を浮かべる。本当は一緒に暮らしていたかった、そんな葛藤も見受けられた。


「あー、これだ! この匂い!」

 串に刺されたネギへ焦げ目がつき始めるとテコははしゃぐ。

 ユミも呼応するように食欲が湧いてくる。

「はい、ユミ!」

「あ、ありがとう」

 差し出された串を受け取る。

「いただきまふ」

 テコは言い終わる前にネギをかぶりつく。熱そうに顔をしかめながらも、確実に食らいつく。そして幸せそうな顔になる。

 

「いただきます」

 ユミがコナとテコの母親を一瞥すると、静かに微笑みかけてくれた。それが食べて良い合図だと受け取り、ゆっくりと口元へネギを近づける。

「あ、おいしい」

「でしょ! モバラの自慢なんだ!」

 自然と漏れたユミの声を聞き、テコは誇らしげにはしゃぐ。

 追われるようにモバラを出たはずだったのだが、村に対する思い入れは失われていないようだ。

 それを感じ取った女性陣は顔を見合わせ笑い合う。


 ――――


「ねえ、ユミ。鳩だったら分かるよね。鴛鴦文って女から女に送ることはできないの?」

 突然コナが問いかけてくる。正座した彼女の膝の上にはテコが顔を突っ伏し、寝息を立てていた。

「え……、どうなんだろう。考えたこと無かった……」

 村を隔てた者同士が鴛鴦の契りを結ぶために交わされる文。男と女で交わすのが通常だ。

 

 ユミがキリに惹かれたのは男だったためなのか、今となってもよく分からないが、子の成し方を母から聞いた時はキリが男で良かったと感じたものだった。

 

 とは言え、女が女に惹かれる例をユミは既に目の当たりにしていた。

 例えばアイ、彼女から向けられた執着は母子の関係とは違う何かを感じさせた。

 そしてミズ、生い立ちが特殊だったため男に対する嫌悪感が強いのかもしれないが、ユミやソラに向けられる好意は狂気すら孕んでいた。

 

 そうはいうものの、アイはキリの父親と鴛鴦の契りを結んだはずだ。

 一方のミズは将来どうするのだろうか。順当に行けば彼女はナガレの鳩となるのだが、彼女がナガレの男と結ばれることを望むとは思えない。

 いや、居住地は関係ない。男に対する嫌悪が鴛鴦の契りを結ぶことを妨げるはずだ。

 

「さっき、コナさんは鴛鴦文で悩んでるって……。そういうこと?」

「うん……。テコにははぐらかしてるんだけどね」

 コナは膝の上の頭を一撫ですると、母親に眼を向ける。

「あんたの好きにしたらいいさ」

「ありがとう、お母さん」

 鴛鴦文が男と女とでしか交わせないものだとしたら、ここにも鳩の縛めにより制限を受けた者がいる。

 またユミの中で、クイの言葉が重くのしかかって来た。


 ――――


 「ねーちゃん、かーちゃんまたね! とーちゃん達にも元気でねって!」

 テコが手を上げ、2人に別れを告げる。立っているのは森のすぐ傍だ。まっすぐ歩けばトキ達が眠る森の隙間がある。

「うん、今日はありがとうテコ。ごめんね、きっと辛くなって帰って来たんだろうね……」

「大丈夫! ちょっと教官は怖いけど……、あれもおれの為だったんだなって。ユミもいるし、それに鴦だって……」

「おし?」

 コナの詰め寄るような口調に、テコはしまったという顔になる。

「そう、推し! 野菜と獣肉を香辛料と一緒に煮込んだ奴。とっても美味しい料理がトミサにはあるんだ。今度帰って来る時には材料持って帰って来るよ!」

 あながち嘘とも言えないごまかしの言葉。すらすらとこのような言葉を紡げるのは、一体誰の影響なのだろうとユミは頭を捻る。


「だから、鳩になって良かった! おれをトミサへ送り出してくれてありがとう!」

 テコは強いな。ユミは感心する。ここに来るまではとても悲しそうにしていた。それが今ではとても元気そうに見えた。

 

「あの、ネギごちそうさまでした。……鳩の縛めに従えば、私はもうここに来ることはできません」

 ユミが軽く礼をすると、コナは露骨に残念そうな顔を見せた。

「そうなの? 結構ユミのこと可愛いと思ってたんだけどな……」

「え? あー……。ともかく私がここに来たこと、内緒にしといてもらいたいなーって」

「分かった。ユミのことは大事な思い出にするね!」

「あはははは……」

 ギンに対する不快感と違うのは明らかだったが、覚えた感情の正体が分からず笑ってごまかすことしかできなかった。


「じゃあ、テコ。行くよ」

 テコの手を取り、森へと足を踏み入れる。コナの顔を振り返ろうとは思わなかった。


 ――――


「ありがとう、ユミ。おれ、もう少し頑張れそう。渡りが終われば、またねーちゃん達に会えるんだって」

「そうだね。テコの場合、渡りが終わったらトミサとモバラの往復の試験だから……、サイを家族に会わせてあげられるね!」

「うん!」

 我ながら無責任なことを言っているなとユミは思う。確かなのは「ねーちゃん」と呼ばれたのが嬉しかったということだ。

 サイは初対面の時点でテコのことを家族だと言った。それは恐らく姉弟を意味していたのだろうが、テコが温かい気持ちになれるのなら、それ以上の関係になることを応援してあげても良いのではないだろうか。


 歩き始めてすぐは、なんということの無い言葉を交わし合っていた2人だったが、徐々に口数は減っていく。

 碌に寝ていなかったこともあり、疲労は限界に近い。

 トキ達が目覚める前に戻ることが出来れば事なきを得るだろう、と思っていたがそれは甘い考えであった。

 姉としてテコを導いてやらねばならない、その一心でユミは手を引き続けた。

 

 あと15分程でトキらの寝床へ着こうという頃、テコの手を引いていた方の肩ががくんと落ちる。

 肩の先を見やれば、テコの体が正面に向かって倒れていた。

「テコ!? 大丈夫?」

 ユミは慌てて繋いでいた手を離し、その体を起こそうと奮闘する。テコも両手をついて起き上がろうとするが、上体を起こすのがやっとのようで、尻もちをつき膝を抱える。

「ごめん。たてない。ねーちゃん、おんぶして……」

「おんぶぅ!?」

 涙を浮かべながら上目づかいで見てくるテコだったが、未だ力には自信の無いユミだった。

 

 テコが立てるようになるまでにどれくらいの時間を要するだろう。

 いや、考える時間も勿体ない。元来ユミは後先のことを考えずに突っ走る人間なのだ。特に、の為には。

 テコはまだ何も与えてくれていない、などということはない。「ねーちゃん」と呼んでくれた。それだけで十分ではないか。


「テコはここから動かないでいい子で待ってて! ギンを呼んで来る!」

 ユミは立ち上がり、駆け出して行く。

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