第四節 第十七話 七班
入村した翌々日、ユミはクイの案内の元でトミサの中心に位置する鳩の学舎へ向かって歩いていた。
「ねえ、クイ……、さん」
「なんでしょうユミさん?」
少しずつユミのクイに対する扱いが良くなってきている。クイもそれには応えようと思っていた。
「雛だっけ? クイさんが教えてくれるの?」
孵卵での別れ際、正式な鳩となるため、雛という課程を修了する必要があると聞いていた。
そしてそれはユミにとっては簡単な物であろうとも。
「いえ、私のご案内はここまでです。ユミさんの課程には、トキという者が担当します」
「トキ……、さん? どんな人?」
「トキさんについてはトキ教官と呼べば良いでしょう。そうですね……、会ってからのお楽しみとしましょうか。熊とよく似た者とだけ伝えておきましょう。……ユミさん? よだれ出てますよ?」
「熊って一昨日食べたよね?」
ユミは歓迎の食事の際、クイの話など聞き流していたはずなのだがちゃんと覚えていたようだ。
「熊は本来恐ろしい物なのですが……。今思うとぞっとしますね。よく孵卵で出くわさなかったものです」
現時点のユミにとって、熊は美味しい食べ物でしかない。やはり無知と言うのは恐ろしい。
「トキ教官って……、怖いの?」
基本的に肝の太いユミだが、怖い物はある。今のところ一番怖いのはアイだが、トキはそれを上回るのだろうか。
「いえいえ、怖いのは見た目だけです。中身はお茶目な男ですよ」
「クイさんはトキ教官をよく知っているの?」
「ええ、彼は私の雛時代の仲間です」
当然だが、クイも雛の課程を修了しているのだ。
「仲間……」
「そうですね。雛は四人一班で行われます。大体同じ時期に孵卵を合格した者が同じ班に割り当てられますね。トキさんと私とは同じ班だったと言うことです」
「じゃあ、私にも仲間が?」
ユミの生まれ故郷であるウラヤにも同世代の少年少女はいる。しかし、その多くはユミとあまり馴染まなかった。主にユミの途方もない言動が原因なのだが。それ故に、ソラとの関係がより密になったと言える。
「そうですね。班員とはちゃんと仲良くした方がいいですよ」
「……うん」
決してユミにそのつもりがない訳ではない。頑張って行動を起こすほどに裏目に出る。
例えば、キリに施したような過剰な接触など。考え無しに起こした行動であるのだが、一般的には受け入れがたい物らしい。
当時はそれすら分からなかったのだが、ミズとの初対面の際に抱き着かれてみると、その気持ちが少しは分かってきた。
「ねえ、仲間と仲良くするためのコツってある?」
クイはさも感心、と言った表情を浮かべる。散々孵卵で自分を引っ張りまわしてきたユミ。それが今では成長しようと思案している。
それは人を導くことが好きなクイにとって感慨深いものがあった。
クイは自身の雛を振り返る。
「私も人付き合いは苦手でした。自分で言うのもなんですがこの性格でしょう? あまり人が寄り付かないのです」
ユミは満足そうにうんうんと頷く。多少成長したかと思ったが、相変わらずのようである。
「……そんな私にトキさんは分け隔てなく接してくれました。お前には腹黒いところはあるが、人を傷つけまいと自分を抑えているのだろう、それはお前なりの優しさだと言って」
ユミは驚いて目を丸くする。その様子から何が言いたいのか見当はつくが、
「人と仲良くするためには、相手の良いところを見つけてあげることです。そしたら、きっと相手も自分の良いところを見つけてくれる」
「トキ教官……、きっと優しい人なんだね」
ユミの言葉にクイは飛びっきりの笑顔を見せる。
「ほら、さっそくユミさんもトキさんの良いところ見つけてあげることが出来ました。その意気です!」
クイも、また1つユミを導くことが出来たと満足げだ。
「ねえ、クイさんの班の人って1人はヤミさん?」
「ええ、よくお分かりですね。雛で培った絆は生涯に渡るものなのです」
クイは遠い眼をする。ヤミとの出会い、それは衝撃的なものだった。特に思い入れもないウラヤから一人旅立ち、出会った彼女のことはこれこそが故郷だと思わせた。
初めの内こそ終始無言で棘のある態度を取っていたクイだったが、そんな姿ですら彼女は褒めてくれる。顔が良いだの、所作に渋さがあるだの。1人では全く気にしていなかった点まで称えてくれた。
そんな彼女に対し、クイは自身の心の底まで見られた時、同じように接してくれるだろうかと疑念を抱く。「自分は基本的に人を見下している」とヤミに向かって言葉を投げると、対する答えは「かっこいい……」だった。
まさに彼女は、相手の良い部分を見出すことを体現したような人物だったのだ。気づけばクイは陥落し、今でもその関係が続いている。
「クイさんとヤミさんとトキ教官……。クイさんの班のもう1人は?」
「……当然、気づきますよね」
クイの顔が曇る。
「スナという者が居ました。彼女はヤミさんとも非常に仲が良かったのですが……」
言い淀んでいる様子の彼に、ユミは不思議そうな顔を向ける。
「先日亡くなりました。森で事故に遭い……」
その言葉にユミは眉をひそめたが、一方のクイは真剣な眼差しを見せる。
「ユミさん。雛はユミさんにとって簡単な物だろうとは述べましたが、やはり森は危険です。そのことをどうか忘れないでください」
「分かった」
ユミも真剣な思いに応える。
「実はユミさんの班にスナさんの妹が居ます。私は妹さんのことまで把握しているわけではないのですが……、どうか仲良くしてあげてください」
雛の仲間は生涯の絆。失った姉の遺志を継ぎ、鳩になった妹。よく知らない相手であっても、クイは絆を感じてしまうのだろう。
「任せて。その子の良いところきっと見つけてあげる」
ユミは既にクイから教わったことを実践しようと言う心構えだ。
やはり、ユミは成長したのだとクイは感じ入るのであった。
――――
2人は鳩の学舎の前に着いた。それはユミが間借りしている長屋の半分ほどの大きさだ。学舎と聞いていた割にはこじんまりとした印象を受ける。そしてその建物の横には物見
トミサの中央に位置する学舎。そこを起点に四方へと太い道が伸びている。その内の1本は、ユミがトミサへ入る際に通った門へと繋がっているのだが、今ではその門が米粒ほどに小さく見える。
「おーい、クイじゃねえか!」
突如、2人の背後から太い男の声が聞こえる。
ユミが振り返ると、無精髭を貯えた大柄の男が笑顔を向けて立っていた。
クイも長身な方であるが、その男はさらに大きい。加えて横幅が広い。挨拶のつもりで掲げられたであろう右手はごつごつとしており、ユミの顔など握り潰されてしまいそうだった。
「おはようございます。トキさん」
振り返ったクイも笑顔を向ける。彼がしばしば見せる飛びっきりの笑顔などではない。ごく自然な柔らかな笑顔に見えた。
「お、お前、
トキはユミを一瞥し、にやにやしながらクイに問うた。
「……ユミさんです。今日からトキさんの受け持つ七班の1人です」
「相変わらずつれねえな、クイ」
一瞬だけしょんぼりとしたトキだったが、すぐに顔を綻ばせる。
「ユミだったな。話は聞いてるよ。雛の担当のトキだ。よろしくな」
トキは掲げていた手をユミの眼の前に持ってくる。ユミもおずおずと手を差し出し、応える。
手が触れ合うとぎゅっと握り締められた。痛くはないが何とも言えない威圧感があり、ユミはぶるぶるっと体を震わせる。
「まあ、そうびびらねぇでくれ。別にとって食ったりしねぇよ。ガハハハハハっ!」
豪快な男だ。ユミはそう思った。そしてさすがにおいしそうだとは思えなかった。
「ユ、ユミです……。よ、よろしくお願いします……」
手を取り見つめ合う二人を見て、クイは飛びっきりの笑顔を見せた。
「私より対応いいじゃないですか!」
――――
別れ際のクイは何やら不服そうだった。「私はこれからヤミさんとともにウラヤへ向かいますので」と告げ、そそくさとユミとトキの元を離れてしまった。
クイの背中を見守っていた2人だったが、やがてトキが口を開く。
「な? あいつにも可愛いところあんだろ?」
対するユミはぎょっとした顔を見せる。
「可愛い……」
ユミにとっての可愛い物と言えば、キリとソラだ。とてもクイがその類だとは思えない。
しかし、人の良いところを見つけて行こうと決意したばかりだ。人に求めるのではなく、自身の意識を変えていく必要があるのかもしれない。少なくともトキはクイに可愛さを見出しているのだから。
「よしユミ、中に入るぞ!」
「は、はい……」
ユミの肩に手を乗せてきたトキに気圧されながらも、決して不快ではないことに気づく。ケンに触られた時はこんなものではなかった。
実際、あの日ナガレでユミを拘束したケンは邪なことを考えていた。対して今のトキはユミを守り、成長させる使命がある。ユミはその温もりを感じ取っていた。父親のいないユミにとって、既にトキへ父性を見出していた。
学舎の玄関扉を開くと、3つに区分された部屋が横並びになっているのが分かった。
トキは下足箱に脱いだ履物を入れ、廊下へ上がると、中央の部屋へと歩いていく。そして部屋の引き戸の前で振り返り、ユミを手招きする。
ユミもトキに倣い、履物を脱ぐとおずおずと引き戸へ近づいた。そして中へと
畳敷きの部屋の中には4つの
少年らと相対する位置に横幅の広い文机が置かれている。トキは少年らと向き合うように机の前へどかっと座った。トキは顎で3つ目の文机を差し、ユミへ席に着くよう促した。
ユミが机の前へ正座するのを見届けたトキは口を開く。
「よし、皆おはよう! もう揃ってるみたいだな。始めちまうか!」
「待てええええええええい!」
部屋の引き戸がガラガラっと開き、怒声が飛ぶ。ユミがそちらへ目を向けると、少女、と呼ぶには
「義兄さん! いや今日から教官か……。わざとやってんだろ!? まだ鐘も鳴ってないのに!」
ごおおおおおおん……。
女が言い終わるのとほぼ同時に、荘厳な音が響き渡る。学舎の傍にあった半鐘の音だろう。
「おう、サイ。ギリギリだな。おはよう」
「お、おはよう」
サイと呼ばれた少女は挨拶を返すと、部屋に足を踏み入れ、振り向きざまに引き戸を乱暴に閉める。
「壊すなよ」
「加減はしてるよ!」
ぶっきらぼうに声を投げたサイ。まだ空席となっていた文机の前に胡坐をかく。ユミの右隣りの位置となる。
「よし、今度こそ始められるな。今日からお前ら七班の担当になるトキだ。みっちりしごいてやるから覚悟しとけよ。ガハハハハハっ!」
少年2人は驚いたように背筋を伸ばし、顔を見合わせる。
クイはトキのことをお茶目な男だと評価していた。恐らくは宣言しているほどのしごきは無いのだろう、とユミは願っていた。
「まずは自己紹介からだな。名前と年齢、出身の村、なんで鳩になろうと思ったか、他に言いたいことがあれば好きに話してくれ」
トキは懐から何かを取り出し、机に置いた。ユミにはそれが何か分からず不思議そうな表情を浮かべる。知っている物で例えるのならば、中身の透けた
「ユミ、これか? こいつは砂時計というものだ。ここに砂が溜まっているだろ? これをひっくり返すとほら、少しずつ砂が落ちていく」
ユミの表情は変わらない。だからどうしたのだと言いたげだ。
「この砂が落ち切るまでの時間はいつでも同じだ。この砂時計の場合、砂が落ちきるのに3分かかる。つまり、20回ひっくり返せば60分、1刻だ」
「へぇ……」
ユミの表情が感心を示すものに変わる。これまでも、刻や分という単位は何となく使っていたのだが、いまいち掴みどころがないと感じていた。それが形の見える物として提示され、ユミの探求心が大いにくすぐられた。
ユミの様子を確認したトキは満足そうに話を続ける。
「1人当たり3分間で自己紹介してくれ。まあ、過ぎてもいい。固いことは言わねえよ」
「それ使いたいだけだろ!」
サイが1人、突込みを入れた。
「よし、サイ。お前からだ。お前がこの中では最年長だからな」
トキが砂時計をひっくり返すと、サイはにやりとして立ち上がる。
「私はサイ」
胸を張り、そこに開いた右手を置く。
「
そう言い放つと、胸に置かれた手を彼女の右上へ、びしっと掲げる。
室内の空気は凍り付いていた。
サイの顔はみるみる内に真っ赤になる。ユミらの反応が思っていたものと違うらしい。
「サイ。気にするな。いつもこんな感じだったじゃないか」
「いつもって言うなーーーーーーー!」
サイはその場で地団駄を踏む。
「さい、ころ?」
ユミには
しかし、サイにはその反応が嬉しかったらしい。その表情が穏やかなものに変わっていく。
「よく聞いてくれた!」
サイは顔の両脇に垂らしていた髪の先を、両手でつまんで持ち上げる。髪は立方体状の何かで束ねられているようだ。
「賽子ってのはこれだ!」
その立方体をよく見ると黒と赤の点が刻まれているのが分かった。サイは賽子と呼ばれたそれを髪からもぎ取ると、ユミの文机の上に転がす。2つのそれは、どちらも赤い点の打たれた面を上に向けて止まる。
「お、ピンゾロ!」
サイは嬉しそうに笑う。
「興味があれば教えてやる。このトミサには楽しみがたくさんだ」
そう言うと彼女は机の上の賽子を拾い上げた。そして賽子へ穿たれた孔に自らの髪を通していく。
しかし髪の量は多く、彼女は手こずる素振りを見せた。
「サイ、後にしてくれ」
トキは呆れたように言う。
「もしかして、それで来るの遅くなったの?」
ユミも容赦なく問うた。
「う、うるせー! べ、別に遅れた訳じゃないからな!」
ユミは相手の良いところを見つけてあげようと決意したばかりだ。次に発した言葉は飽くまでも褒めてやろういう意思に基づくものであった。
「サイって可愛いんだね!」
ユミは飛びっきりの笑顔を向ける。クイがよくそうしていたように。
サイは体を震わせユミをきっと睨む。そして一気にまくし立てた。
「歳は17歳! 生まれはトミサだ! お前のバカ力を人の役に立たせろと親に言われたから孵卵を受けた! そしたらなんか通ってた! 以上だ!」
どかっとその場に腰を下ろす。ちょうど砂時計の中身が落ち切った頃のようだ。
クイによると先日亡くなった鳩の妹が同じ班にいるはずだ。
班員の残り2人が少年であることを考慮すると、サイがその妹なのだと考えるべきだろう。
てっきり悲しみに暮れているものかと思っていたが、意外なほどに気丈な印象を受けた。
彼女を支えてあげるどころか、ユミの方が支えられてしまいそうだ。
「じゃあ、年齢順で……、次はお前だ。ギン」
トキが砂時計をひっくり返し、ユミの左隣に座っていた少年を顎で指す。
指名された少年はゆっくり立ち上がった。
「オレはギン。15歳。サイと同じくトミサの生まれ。鳩になった理由は……、その……、モテそうかなって……」
ギンは短く刈り上げられた頭を恥ずかしそうに掻く。恥ずかしいならば適当な理由を作ればよさそうなものではあるが、正直な少年ということだろう。
「おいおい若いねぇ。私が相手してやろうか?」
サイがにやにやしながら野次を飛ばす。
「え……、やめとく……」
つくづく正直な男のようだ。
「はぁ?」
サイが立ち上がりそうになったので、とっさにユミがそれを制した。
「ギン……、いつか後悔させてやるからなぁ。」
先ほどからサイは無駄口が多いような気がする。もしかしたら空元気というやつなのかもしれない。
「おいギン。他にはないのか? 好きな食べ物とか」
黙ったまま立ち尽くしていたギンを見かねて、トキが口を開く。砂はまだ半分ほどしか落ちていない。
「えっと。スイカは好き。あ、そうだ」
ギンはその場で立ったまま体を大の字に広げる。
赤い上衣に、緑の袴。袴には縦に何本か黒い線が入っている。
「ほらこれ。スイカを意識して選んだんだ。孵卵の合格祝いにって買ってもらった」
ユミには服を選ぶと言う概念がなかった。ウラヤにおいては自ら仕立て上げるのが普通だ。幸いにもマイハで
そんな思案を胸にユミは心躍らせ微笑むのだが、その様子をギンはぼーっと見つめる。
「そうか、ご両親には感謝だな。よしギン、もういいぞ。ありがとな。」
トキの声を聞き、ギンははっと我に返る。そしてその場に座り込み、ユミの方を見ないよう手で頬の辺りを押さえつける。
「次はお前だ」
ギンの様子を怪訝そうに見ていたユミであったが、トキの声を聞き立ち上がる。
「ユ、ユミでしゅ。じゅ、14歳でウラヤからきました! お、お母さんをトミサの医術院に連れて行ってあげたくて鳩になりまひた!」
思っていた以上に緊張していたようだ。言葉遣いにしても、あまり慣れないことをするべきでなかったかもしれない。
しかし、両隣に座っていたサイとギンには十分だったようだ。
「そうかお前ユミだったのかぁ」
「ユミ……」
ユミの検分を行っていた門番の案内で、昨日トミサ内部を歩いていたのだが、ユミを見て似たような反応をする者達がいた。自身の名前は想像以上に広まっていたらしい。
「え、えっと多分、私はみんなとちょっと違うんだろうけど、仲良くしてくだしゃいいいいいいいいいいいい!」
知られていると思うと余計に緊張した。
「……フフフ、ユミ。お前、可愛いな」
先ほどの仕返しだろうか。サイが不敵な笑みを浮かべていた。
そしてユミは理解する。可愛いと言われることが必ずしも嬉しい訳ではないのだと。
たまらなくなったユミは座り込み、文机に顔を突っ伏す。
「おい、ユミ。まだ時間が……、まあいいか。最後、行けるか?」
自己紹介は残り一人。
引き戸から見て最も奥の席についていた少年が、不安げな面持ちで立ち上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます