第二章 雛
第一節 第十四話 追跡
要約動画はこちらから(https://youtube.com/shorts/bTM_5A3AdRY)
エイプリルフール企画の外伝 https://kakuyomu.jp/works/16818093074618888422
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ウラヤの一角にあるマイハの裏手。ユミは赤子を抱えて立っていた。
「キリ……」
眼前に広がる木々を見て呟く。
この森の向こう側。ナガレを通過し、イチカを抜けた先にあるラシノ。そこにユミの
それは果てしなく遠い道のりだと感じる。一日で行って帰って来られる場所ではない。
明日には母とともにトミサへと発たねばならないのだ。
「あ、あ、あ、ぶー」
腕の中の赤子が声を上げる。まだ言葉にもならない声だ。
「よーし、よしよし。ごめんね、お父さんは遠くにいるの」
ユミは可能な限り優しい声であやす。
「おい、ユミ。またこんなところにいたのか」
背後から男の声がした。
「カサ……さん」
ユミが振り返るとそこには一人の鳩がいた。ユミが孵卵に合格してからと言うもの、カサは何かと気にかけてくれている。
普段はウラヤの巣に駐在しているのだが、今日は非番なのだろうか。
「何度も言っているだろ。ここは子供が来ていいところじゃないと」
こことはどちらを指しているのだろうか。マイハなのか森なのか。どちらも子供には似つかわしくない場所だ。
「カサさんも毎日精がでますのねぇ」
「な、おま……、別に毎日ってわけじゃあ……」
意味深長な言葉にカサがたじろぐ。こことはマイハのことだったらしい。
「お前、いつも変なことばかり覚えてくるよな。言葉遣いはまだおぼつかないみたいだが……」
――
ユミがマイハの存在意義について理解したのはつい先日のことだった。
孵卵からの帰宅後、母親のハコにずっと黙っていたことがある。
その日の就寝前、母親と同じ布団の中で横になりながら覚悟を決めて打ち明ける。
「お母さん、あのね……」
「どうしたのユミ?」
「あのね……、びっくりしない?」
「もう、この子ったら。怒ったりしないから言ってみなさい」
どうせこのままだといずればれるのだとユミは腹を括る。
「私、赤ちゃんがいるの!」
「あかちゃんんんんん!?」
確かにハコが怒ることはなかった。しかし顔を真っ赤にさせ、勢いよく上体を起こした。ユミも釣られて起き上がる。
母親のその反応も元気になった証拠だろうとユミはむしろ安堵を覚えた。
ユミの生還直後ハコはやせ細っていたが、少しずつ食事が喉を通るようになり今では血色も良くなっていた。
「ほんとなの? ユミ……?」
信じられないと言う表情を浮かべ、ユミを見据える。
クイにはキリのことを他言しないよう釘を刺されていた。母親も例外ではないだろうと判断したユミは、とんでもない言い訳を口にする。
「えっと……、クイがずっと一緒に居たから……?」
「なんですってええええええええええええ!?」
ついにハコは立ち上がった。
「あの
わなわなと体を震えさせる。
「ちょっとカサさんのところ行ってくる! ナガレ送りにしてやるんだから!」
「違うの! クイをナガレに送ったところでウラヤに帰ってくるだけだから……」
ユミは慌てて母を抱きとめた。同時に、なんでナガレなんて知っているんだろう、という疑問が浮かぶ。
「じゃなくて……、クイは悪くないの!」
誤解を解くために放った言葉は、新たな誤解を生みだす。
「まさかユミから……」
ハコの顔には絶望が満ちていた。
ユミは首をぶるぶると横に振る。
なんとか誤解を解いたユミはハコから講義を受ける。
「あのね、ユミ。赤ちゃんと言うのは……」
母は顔を赤くさせ、詰まらせながら言葉を紡いでいく。
ユミの顔もみるみるうちに赤くなっていった。そして別れ際、キリが腹を痛そうに前屈みになっていたことも思い出す。
――キリ、そんなこと考えてたんだ……。やっぱり可愛いなぁ。
一方でユミの腹に新しい命など宿っていないことを理解し、安堵のような落胆のような気持ちが押し寄せた。
「それで、マイハっていうのはね……」
ウラヤの経済を支える存在であるマイハ。
そしてウラヤの子供が親のことを気にしないように育てられる
ハコの言葉をするすると飲み込んでいったユミは、ソラの親の所在が不明とされる事情を理解した。
さらには現在、ハリがヤマの元へ預けられている理由にも見当がついた。ナガレに生まれてしまったクイとヤミの子を隠すには、ウラヤはうってつけの場所なのだろう。
「あとユミ」
ハコは語気を強める。
「クイ
「う……」
まだ世間を知らないユミは何となく許されてきたが、これからはそうもいかないのだ。
「ユミはこれから鳩になって羽ばたくんだから、それぐらいちゃんとしないとダメ」
「うん……」
「もう、呼び捨てなんかするから余計誤解しちゃったじゃない。
いい? 目上の人の名前を呼ぶときは『さん』をつけなさい。ましてやクイさんとヤミさんにはお世話になったんでしょう?」
ユミは頷いた後、しばらく考え口を開く。
「クイ……さんはヤミ……さんのこと『ヤミさん』って呼んでたけど、ヤミさんはクイさんのこと『クイ』って呼んでたよ?」
「まあ……、そういうこともあるのかもね」
「クイさんはヤミさんより下ってこと?」
「ユミ……」
ハコはしばらくユミの言動に呆れていた。ユミは基本的には賢いはずなのだが、特殊な例にはどうも弱いらしい。まだまだ学ぶべきことは多そうだ。
――――
「とにかく、森には入るなよ」
「はー……ぃ」
カサの忠告に生返事をしようとしたところで、ユミの視線がカサの背後へと移る。
「ソラ?」
視界の隅に親友が駆け抜けて行くのが見えた。カサもユミの視線の先を見る。
「あ、あいつ……」
カサは明らかに動揺していた。
ウラヤに限った話ではないが、このイイバの地にある村々は森に取り囲まれている。
村の中からどちらの方向にまっすぐ進んだとしても、その先には森しかない。
つまり、ソラは森に向かって走っている。
子供が森へと飛び出す例は極希だ。森に及ぶ脅威である千鳥がそれを寄せ付けない。
17を超えた頃には千鳥にも怯えなくなるのだが、同時に分別のつく歳でもある。迷い、戻ってくることが出来なくなると分かっている森に、わざわざ近づくのは無謀なことだと分かっている。
以上の理由から、13という年齢にも関わらず理知的で慎ましいソラが森に向かうなど考えにくい状況だ。よっぽどのことがあったのかもしれない。
その原因を考えると、母とソラとの間に何かあったのではとしか思えない。
ユミがソラと知り合ってから、母はソラのことも我が子の様に接していた。
孵卵を合格してから今日で90日、トミサへ移住するためハコとソラがともに過ごせる最後の日となる。
鳩でもない母がトミサに入ってしまえば、次にいつ戻ってくることが出来るのか分からない。村の間を渡り歩くために森を通るのは、それだけ
ソラの願いを汲んで今日は2人で畑仕事をしていたはずである。ハリが現在、ユミに託されているのもそのためだ。ユミも今日ぐらいは2人きりにさせてあげようと思っていた。
以前ユミが母を残して孵卵に挑んだ際、母はソラのことを心の底から我が子とは思うことが出来なかったようだ。
そのことをソラも感じ取っていたようだが、今日また母がやらかしたのかもしれない。
「ナミを呼んでくる!」
ナミもウラヤに駐在している鳩の一人だ。カサの生まれがトミサなのに対して、ナミの生まれはウラヤとなる。
鳩は各々が持つ帰巣本能により、生まれた場所を感知することが出来る。たとえそれが森の中からであったとしても。
森に入ろうとする一般人を引き留めることも鳩の仕事の1つだ。しかし、ソラをウラヤに連れて帰ろうというのだから、ウラヤに生まれたナミでなければ役に立たない。
「それじゃ遅い!」
踵を返しウラヤの巣に向かおうとするカサを、ユミは呼び止める。
「持ってて」
ユミは抱えていたハリをカサへ突き出す。そのとっさの動作にカサも手を出し受け取ってしまった。
「お、おう……。ユミ、お前が行こうってのか!?」
「うん! 私はもう鳩なんだから!」
すでにユミは駆け出していた。まだ雛を終えていないとは言え、既にユミは帰巣本能を得たはずだ。少なくともウラヤに帰って来られなくなることはないだろう。
そしてこの緊急事態である。カサ自身が役に立てない以上、ユミに任せてしまうのが最善かもしれない。
「カサはいい子で待ってて! その子もカサの子かもしれないんだし!」
「なっ……」
もちろんユミはそんなはずの無いことを知っているのだが、あながち否定もできないカサはその場に立ち尽くしていた。
「ソラぁ」
まだ遠い背中に向かって呼びかける。森に入られてしまうと厄介だ。ユミの特性上、森もそうでない場所もほぼ同じように歩くことが出来る。とは言え視野は狭くなる。まだ背丈の小さいソラは簡単に木々に埋もれてしまうだろう。
「待ってよぉ」
孵卵を合格したとは言え、ユミの運動能力は相変わらず低いままだった。かけっこをすればソラにも勝てない。
せいぜい少しでも距離が離されないように食らいつくだけだった。その内、ソラも疲れて立ち止まるだろう。
しかし、ソラの足は止まらない。何かに導かれるように一心不乱に走っている。
「ソラ……、お願い……、止まって……」
早くもユミの息が切れてきた。肩を上下に動かす。辛うじてソラの影を確認できるだけまだ希望があった。
――ああ、ダメ……。
ソラが森へと飲み込まれて行く。ユミの歩調はとうに緩んでいた。それでも前に進むことはやめなかった。今のユミはソラに導かれている。
鳩になる前のユミであっても無謀にもソラを追いかけただろうが、今の行動は意味合いが全く異なる。自らの意志を持ち、必ず二人で帰るのだという希望を胸に、ユミも森へと足を踏み入れた。
森に入れば、トミサへ母を連れていけなくなるかもしれないと、クイには
きっと母親だってこのままソラと別れっきりは嫌なはずだ。ちゃんと仲良く別れを告げてもらうべきだろう。
懐かしい空気がユミを包み込む。かつてはキリとともに250日間も歩いた森だ。しかし、物思いに
ソラが立ち止まっていてくれさえすれば希望はある。ユミは歩いた道のりを隈なく覚える能力を持っているのだ。
逃げ惑う兎を捕えることは叶わなかったが、罠を仕掛けた場所に捕らえられた兎の命を頂戴することはできた。
まだ足と声が機能しているのだから、必ず探し出して見せる。
「ソラああああ!」
精一杯に声を上げるが、枝葉に音を遮られてしまう。ユミの耳に流れてくるのはざわざわとした音だけだった。たとえソラに声が届いていたとしても、ソラの返事がユミへ届いていないのかもしれない。
考えてみれば、森の中でソラは正気を保っていられるのだろうか。今すぐにでもユミが手を取ってあげないと泣き喚き出すかもしれない。
いや、それが無いと言うことは案外無事なのかもしれない。便りの無い便りを都合よく受け取って良いのだろうか。
さらに言えばそのまま帰巣本能に目覚め、ウラヤへと帰って来てくれないだろうか。
「ソラああああああ、返事してー!」
「……ミ?」
か細い声の聞こえた気がする。
「ソラ? そこから動かないで! でも声だけは聞かせて!」
「ユミいいいいいいいいいいいいい!」
間違いない、どこかにソラがいる。歩き続けよう。
「ソラー、だいじょうぶー? 怖くないー?」
「うん、だいじょぶー。ごめんねー」
だんだん声が近くなってくる。
「ソラぁああああ!」
「ユミぃいいい!」
ソラの姿が見えた。ユミは木々の間を縫うように駆け出す。
「ソラ!」
「ユミ!」
ソラの眼から涙が溢れ出した。
「私、ユミの声が無いと……。ここは森? なんでこんなところに……」
ユミはその体を強く抱き締める。
「大丈夫。ソラは悪くないよ。きっとお母さんが変なこと言っちゃったんだね……」
一体母は何をやらかしたんだろうか。優しい母だが不器用だ。ソラも多くの患者と接してきたため屈強な胆力が備わっているはずだが、さすがにユミほどの鈍さは持ち合わせていないだろう。ちょっとした母の言動に傷ついてしまったのかもしれない。
「違うの! 私が悪いの!」
ユミがウラヤへ帰還した時もそうだった。長らく家を空けたユミのことを責めるでもなく、ハコを元気づけてあげられなかったと謝ってきた。
「私がハコさんをお母さんって呼べなかったから……」
ソラの涙は一向に止まる気配がない。
確かにユミが孵卵を終えた後、ソラがハコのことをお母さんと呼んだことは一度もなかった。
この涙の意味を考える。ソラはお母さんと呼びたかったし、ハコもお母さんと呼ばれたかったということではないだろうか。
しかし、ユミは思い出す。ミズとともに一時帰宅した際、ソラがハコのことをお母さんと呼びかけていたことを。そしてユミがそれを責めようとした。
それが胸に突っかかり、お母さんと呼べなかったのではないだろうか。つまり、悪いのはユミだ。
「ごめんねええええええええええ、ソラあああああ!」
ユミの眼からも涙があふれ出す。母を独り占めにしようとした結果、一人の友人を失うところだった。
ウラヤに生まれた以上、親を持つ子は親のいない子に優越感を持つようなことはあってはならない。ずっとソラのこと妹のように接してきたのだが、やはりぼろの出る瞬間があったということだ。
「違うってば。ユミも悪くないんだって……」
ソラの涙はすっと引っ込んでしまっていた。ソラの手がユミの頭を撫でる。これではどちらが姉か分からない。
「ソラは……、森が怖くないんだね……」
「え……、怖くないことはないけど……」
恐らくソラは森が不気味な場所ぐらいには捉えているのだろう。しかしユミは森を過剰に恐れるキリと、狂ったように歌い出したミズの姿を見ている。
それと比べるとソラの落ち着きようは異常なほどだ。
「きっと、ソラにも鳩の素質があったんだね……」
「そうなの……、かな……?」
「多分、私が追いかけなくてもウラヤに帰れていたんだろうね」
そう考えると、ユミの中で余計な探求心が芽生えてくる。
「ねえソラ、何も言わないからこのまま森を歩いてみてよ」
「え……」
ソラの顔が引きつる。一方のユミは元気を取り戻し始めていた。
「大丈夫。大事な物のことを思うだけだから。私の、いや、私たちのお母さんのこととか!」
「うーん……」
ソラはいまいち釈然としない様子だった。
実際のところ、ソラの母親はマイハにいる
「ほら、どこかに導かれているような感じはしない?」
言ってはみるものの、ユミはその感覚を理解していない。しかし、今立っている場所からウラヤの場所は分かる。母親の元に帰りたいと思う気持ちがそうさせているのだと認識している。
「それは……、実は感じてるんだけど……」
「じゃあ、行ってみよー!」
ユミはソラの前に手を掲げた。ソラは反射的にその手を取ってしまった。
ソラに手を引かれ歩く道は、ユミが思っていた道とは違うようだった。
初めの内は、きっとユミが知らない近道を歩いているんだろうぐらいに思っていた。しかし、近道どころかどうにも歩きすぎている。
森に迷い込んだソラを見つけるのにそこまで時間がかからなかったことを考慮すると、違和感が芽生え始めていた。
「ねえ、ソラ。時間かかり過ぎじゃない?」
「そんな……、私に言われても……」
ユミの提案から始めたことだ。ソラが導かれるように歩いているとはいえ、本人は歩かされている気分だろう。
最悪、ここまで歩いてきた道を引き返せばウラヤには帰れるのだ。ユミの探求心は、とことんソラに着いていこうと言っていた。
いい加減疲れてきたなと思う頃、木々の切れ間が見えてきた。
「え……、ここ……。ウラヤじゃないよね?」
森を抜けた先の広間へと、足を踏み入れたソラの呟きからは戸惑いを感じられた。
一方のユミはもっと戸惑っていた。そこには見覚えのある景色が広がっていたからだ。
彼女の孵卵で最大の恐怖を覚え、その恐怖から一人の少年によって救い出された場所である。
2人が呆然と立ち尽くしていると、やがて一人の女が近づいてくるのが見えた。
ユミの中で最大の恐怖の方が蘇っていく。
女はユミとソラの姿を交互に見ながらおずおずと口を開いた。
「ソラが……、2人?」
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