第十三節 第十三話 選択

 烏達が目覚める前に、森とナガレとの境界で一行は対峙する。

「世話になったな、クイさん」

「いえいえ、こちらこそ。不便な生活でしょうに、すっかりお邪魔してしまいましたね」

 ハリの誕生から7日間経過していた。

 ナガレで過ごすこの日々を、クイはしおらしい態度でいることを心がけていた。

 ミズが帰巣本能に目覚めていないことがばれるのではないかと、内心冷や冷やしていたからだ。

 ヤミの体は、何とか森を歩けそうなぐらいまで回復していた。

 秘密が露呈する前に、いい加減ナガレを発ちたいところである。

 

 一方のユミは、この空白の時間も仕切りに森へ出たがっていた。その方が気もまぎれるのだろう。

 森へ赴くたびにミズを連れ出してくれていたので、ユミの能力について勘づかれることも無かったのだが。


 ミズの帰巣本能の発現については、改めてナガレの烏に委ねれば良いだろう。

 クイらがいなくなってからその事実に気づいたとて、文句を垂れにウラヤまで追いかけてくることなどできないのだ。

 

「実は明日、トミサからの使いが来るんだ」

 アサがクイへ切り出す。

「ああ、そうなんですね。ちょうど我々が去った後で良かったです」

「全くだ。あんたらのことは話さないようにするよ」

「……ありがとうございます」

 クイは心から安堵する。アサの言葉は信用して良いはずだ。

 ただでさえユミの孵卵のことをどう報告したものかと考えあぐねていた。ハリの生まれたことが知れたら面倒臭いの騒ぎではない。


「それで、ミズを使いに預けてしまおうと思ってるんだ」

「え……」

 さすがに想定外だった。クイは腹黒いが鬼畜ではない。相手が烏と言えど、自らの行いがナガレの未来を潰したと考えると後味が悪い。

「……いいのですか? ミズさんとしばらく会えなくなりますが……」

 しばらくどころではない。もう2度と会えなくなるかもしれないのだ。

「ああ。きっかけさえあれば、ミズを早いところここから出してやりたかったんだ」

 気持ちは分かる。ミズを男と偽り続けられるのも時間の問題だろう。

「それにな」

 アサがハリを抱えたヤミを一瞥する。

「会いたい人にはまた会えるんだったよな?」

「ええ! ミズもアサもそう願えばきっと叶う」

 ヤミが無垢な笑顔を見せる。

 クイはもう、何も言えなくなった。ヤミは事情を知らないのだ。


「お前……、元気でな」

 ケンがユミに声をかける。あくまでも穏やかな表情だ。

「ふん!」

 キリと別れ、ナガレに戻って来て以来、ユミはケンと一言も口を聞いていなかった。

 アイの元に戻る決断を下したのはキリだ。しかし、ユミは誰かを責めずにはいられなかったのだろう。

「クイ、ヤミ。もう行こ!」

 悲しそうな眼をしたケンを振り向きもせず、ユミは森へと足を踏み入れる。それを見失わないようにクイとヤミが続く。

「またね! ユミ!」

 ミズの声が静謐な森を切り裂いた。


――――

 

「ユミさん。ここからあなたの力でウラヤまで帰ることが出来れば、孵卵は合格としましょう。いいですね。ヤミさん」

「ええ。ユミ、もうひと踏ん張り頑張って!」

 前を行くユミに向かって2人は声をかける。

 クイは確信していた。ユミが難なくウラヤに辿り着けることを。

 ヤミは願っていた。ユミとともに鳩として働けることを。


 ユミがぴたりと歩を止め振り返る。

「ねえ、ヤミ。ヤミもウラヤまでの道が分からないの?」

「ええ。私に分かるのはトミサのある方向だけ」

 それを聞き、ユミはクイの顔を見上げる。

「ごめんね、クイ。クイのこと散々からかっちゃった……」

「いいですよ。別に気にしてませんから」

 今更からかわれたこと自体どうでも良いのだが、謝られたことでユミが2人のことをどう見ていたのかが分かってしまう。

 ユミはクイよりもヤミを信頼していたのだろう。やはりこの聡い少女は、クイの心の黒い部分を見透かしていたのかもしれない。

「きっと2人は大事なものを迷わないってことだよね」

「はい?」

 クイにはユミの言葉の真意が読み取れない。


「私ね、先生から言われたの。鳩になるためには、大事なもののことを思うことだって。それはきっと生まれた場所のことを思えってことだったんだね」

 ユミは髪に手をやり、キリのタスキに触れる。

「確かに、あの時はお母さんとソラが大事だった。でも今はキリが大事……、かもしれない」

 次いで、ヤミに抱えられたハリを見つめる。

「ねえ、ヤミ。クイとハリどっちか選べって言われたらどうする?」

「え……」

 ヤミは明らかな動揺を見せた。ハリとクイの顔を交互に見る。クイは気まずくなって斜め上に目を向ける。

「ごめん。答えなくていいよ」

 ユミは言ってしまえばキリに選ばれなかった存在だ。そしてユミも、最終的には自らの意志でキリを手放す決断をした。

「選ばずに済んだ方がいいもんね」

 全くもってその通りだ。あわよくば選択などせず全てを手に入れたい。

 しかし、あわよくばでは駄目なのだ。本当に手に入れたいもののために、何かを犠牲にする覚悟がいる。

 この犠牲との葛藤が人を迷わせるのだろう。森でなくとも人は迷うのだ。

 

 ハリがナガレで生まれたという事実を前に、クイとヤミは選択を迫られている。

 無謀にもトミサへハリを連れて行くか、一旦は手放し、ウラヤに預けるか。言うまでも無く、後者を選ぶべきだろう。

 とは言えヤミの性格から考えれば、一時たりともハリとは離れたくないと考えるかもしれない。

 なんなら、このまま一生トミサへ帰らないとも言い出しかねない。

 それはクイにとって、ある意味微笑ましいこととも言える。

 クイも母親から選ばれなかった存在だ。今はどうか分からないが、母親はクイを生んだ後も百舌鳥として働くことを選んだと思われる。

 母親のいる暮らしがどういう物かは分からないが、ヤミがハリを失うような選択はしてほしくない。

 だからこそ、一先ずはハリを手放す選択を受け入れるべきなのだ。


 人は選択を迫られると言えど、本当にやりたいことしか選べないのではないだろうか。

 選んだ時はさも嫌々ながら決意した、と考えることもあるのだが、それによって得られる利益を期待する。

 そしてそれは、決して恥ずべき事でもない。

 

 キリは父親の想いに報いるため、アイとの生活を選んだはずだ。

 そうすることで、幼いながらもキリに何か利益があると感じ取ったのかもしれない。そう思わせる何かをケンは吹き込んだのでないだろうか。

 

 確かに長い目で見れば、キリがラシノに戻る選択は正しかった。

 ユミはキリをトミサへ連れて行くつもりだったようだが、そんなことが許されるはずもない。

 それよりかはユミが鳩となり、キリと再開できる機会を待つのが賢明だろう。


 さらに言えば、鳩にならずともユミがキリに会う手段はある。しかし、それは母親をトミサへ連れて行く、という当初の目的を諦めることにもなる。

 一方でユミの能力を以てすれば、母親とキリとの両方を掴み取る未来を描けるのではないだろうか。

 もはやクイはユミに魅了されていた。ユミが鳩となり、自身の希望を叶える姿を見てみたいとまで思っていた。


 クイとヤミは何も答えないでいたが、やがてユミが口を開く。

「キリには会いたい。でも、今は選んじゃ駄目なんだと思う。だから……」

 ユミはクイとヤミに背を向け、まっすぐウラヤのある方向を見据えた。

「お母さんを選ぶ」

 ユミは本能に導かれるのではなく、自らの意志で帰巣する。



 ――――

 

 

「どう? 文句ないでしょ?」

 ウラヤの一角であるマイハの裏手に辿り着いたユミは、試験監督らを振り返り胸を張る。

 あれほどの月日をかけた孵卵も、最後は呆気ないものだった。道さえ分かっていればその課題は単純なものなのだ。

「ええ、合格――と、言わざるを得ないでしょう」

 クイはあえて勿体ぶるような言い方をした。自らの興奮を押さえつけるように。

「おめでとう、ユミ」

「ありがとう!」

 久しぶりにユミの笑顔を見た気がする。

 

 孵卵の合格条件は村に帰ることだ。

 帰巣本能を目覚めさせるための儀式とも捉えていたが、認識を改める必要がありそうだ。

 ユミはウラヤの生まれだ。ウラヤに帰り着く方法さえ分かっていれば、鳩の業務上問題ないだろう。

 しかし、懸念事項はある。


「ユミさん。いつになるかは明言できませんが、いずれトミサへの移住のため、お迎えに上がります。それまで――くれぐれも森に入ることなどないように」

「う……」

 腹の中を読まれたユミはたじろぐ。

「お母様をトミサへご案内できなくなってしまうかもしれません」

 ユミに勝手なことをされては困る。孵卵が長引いたこと自体不可解だと思われるかもしれないのだ。あくまでユミは普通の鳩と同様に合格したことにしておきたい。

「分かった。今は我慢する。……いつかキリにも会えるよね?」

「ええ。ユミはキリに会いたいのでしょう?」

「うん!」


「私、それまで何をすればいいのかな?」

「いつも通り過ごしてください。最低限の荷物はまとめて頂きたいですが……」

 ユミが怪訝そうな顔を浮かべる。

「トミサへ行ったら、ソラとは会えなくなっちゃうの?」

「いえいえ。ただ、しばらくは鳩としての導入研修を受けて頂くことになります。これを雛と言うのですが、雛の終盤までウラヤには戻って来られません」

「それって大変?」

 当然の疑問だろう。ユミにとって孵卵は壮絶なものだった。――そうとも言えない時間の方が長かったのだろうが。

 まだ課題が課せられるのかと辟易するのも無理はない。

「いえ、恐らくユミさんに限っては簡単な物でしょう」

 雛は座学に始まり、森での実習などが行われる。孵卵を終えたばかりの者にとっては不安も付きまとうだろうが、ユミは規格外すぎるのだ。雛など取るに足らないものだろう。


 クイはユミの能力について考え続けていたが、やがて彼なりの答えに辿り着く。

 森の隅々まで覚えてしまうほどの学習能力と記憶力。森の脅威である千鳥をも欺く聡明さと狡猾さ、そして鈍さ。

 これらのおかげでいわゆる帰巣本能に目覚めることなく、むしろユミ自身の本能に従い、ウラヤへの道のりを切り開いた、とクイは結論付けていた。

 

 一方のユミは、森は迷うという事実を根本的に勘違いしているようだ。

 先ほど、ユミはクイとヤミの2人が大事なものを迷わないのだろうと言った。それ故にヤミはトミサへ、クイはウラヤへ帰ることが出来るのだとユミは考えているようだ。

 つまり鳩でない者は森には選択肢が多すぎて、選び切れないから迷うのだと捉えている。多くの選択肢の中から大事なものを正しく選び取る力が帰巣本能の本質であると認識しているのだろう。


 あながち間違いとも言えないのだが、やはり違う。それは森でなくとも同じことだ。森を森でない場所と同様に扱えること自体がおかしいのだ。実際に目に見える形で森に杭を打ち付けていったとしても、人はそれを目印としてとらえることが出来ない。

 

「これからあなたはウラヤの鳩です。間違いなくウラヤへの帰巣本能を持っています」

 ユミはまだ自身の異常さに気づいていないはずだ。他の鳩と同様、帰巣本能を持っていることにしておいた方が良いだろう。

「しかし私が意地悪なことを言ってしまったように、あなたについてあらぬ疑いをかける者もいるかもしれません。」

「うん。私はお母さんの子なんだから!」

「キリさんのことやナガレでのことは他言しないのが良いでしょう」

「……わかった」

 ユミは渋々頷く。

 

「さて、ヤミさん。一旦家に帰りましょうか。これからハリをどうするのか、ユミさんの孵卵をどう報告するのか、作戦会議が必要です」

「それもそうね……」

 基本的に楽観的なヤミだからここまでやって来れたのだろうが、さすがに事の重大さは認識しているようだ。

「ユミ、しばらくのお別れだけど元気でね」

「ありがとう。ヤミとクイも元気でね」

 最後にユミは、ヤミに抱えられたハリの顔を覗き込む。

「ハリも元気で」

「だぁ!」

 


 ――――


 

 ユミは歩く。考えながら歩く。

 

 キリとまた会えるかな。

 アイにも何か事情があるのかな。

 キリとソラとは何か関係があるのかなぁ。

 どうしてケンはあんなにも不快なんだろう。先生とは知り合いっぽいけど……。

 ミズはこれからトミサに送られるのか。もしかしたらまた会えるのかも。

 アサは寂しくないのかな。

 ハリは可愛かったな。私たちの子はどうなっちゃうんだろ。


 本来、孵卵で出会うはずもなかった人々だ。

 会いたい人、もう二度と会いたくない人。

 この出会いは新たな道を作り、選択を迫る。

 

 クイは意地悪だけどずっと私のこと見ててくれたんだよね。今度はちゃんとありがとうって言わないと。

 ヤミは優しかった。私のことを許してくれた。ヤミにもお礼言わないとな……。


 ユミの孵卵が長引いたからこそ見えてきた人の一面。

 迷った先に導かれる物があるのだろう。

 

 トミサってどんなとこだろ。

 簡単って言ってたけど、雛も不安だな……。


 森は人を迷わせる。森でなくとも人は迷う。ユミでも迷う。ユミだからこそ迷う。

 知りたいことが多すぎる。全部知ろうとするから混乱する。


 ――翼求めた雛は ソラに何を描く

 

 やっとのことで翼を手に入れた。少しずつ知っていけば良いのだ。

 そして今やるべきことはただ1つ。1つに決めれば迷わない。

 

 私が家を空けて、お母さんまた落ち込んでないかな。

 

 ――便りの無い便りが ヤマのように溢れ

 

 言いたくても届けられなかった言葉がたくさんあった。これを届けていくのが鳩の務め。

 便りの無い便りを都合よく解釈してくれれば良いが、母はそうではなかったようだ。

 まずは自分の言葉を届けよう。

 

 ――郵便バコ開く


「ただいま、お母さん」



 ――――


 鳩の縛め 第一章 孵卵 完

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