第十一節 第十一話 出産

要約動画はこちらから(https://youtube.com/shorts/qTpXWGINf_0)



 ユミ率いる一行は、森と村との境界でナガレの村が寝静まるのを待っていた。

「……ユミさん、ミズさん。アサさんとケンさんには、ミズさんの力でここまで辿り着いたことにしといてくださいよ」

「え? なんで?」

 ユミを信じてここまでついて来たクイだったが、とんでもないことをしてしまったと気づく。

「いいですか? アサさんの目的はミズさんに帰巣本能を目覚めさせることです。ナガレを拠点として」

 普通に考えれば、それ以外にナガレへ辿り着く方法などないのだから、何も言わなければいいのだが、ユミが口を滑らしかねない。

 そして、いささかナガレに着くのが早すぎた。通常の孵卵であれば早くとも3日はかかるところを、一晩跨いだだけで帰ってきてしまったのだから。

「ミズの力ってことにしとけばヤミは助かるの?」

「ええ、恐らくは」

 アサを見る限り、約束は守る男だと思った。ただ、彼も生きるために必死なのだろう。

「分かった。私だってヤミのことは助けたい」

「……ありがとうございます」

 クイははっとする。もっと早くユミにヤミのことを告げておけば良かったのではないかと。

 散々悪態を吐かれ見失うところであったが、元来ユミは優しい少女なのだ。

 

 

「そろそろ行きましょうか」

 ナガレの広間から人気ひとけがなくなるのを見計らい、傍らで眠っていたミズを起こした。

 3人は音をひそめてアサの住居まで歩いていく。

 戸も叩かずに部屋へ侵入するのは忍びないが、ゆっくりと引き戸を横に滑らせる。しかし、建付けが悪いのかぎぎっと嫌な音がする。

「お前ら!? ……もう帰ってきたのか?」

 戸の開く音を聞きつけたアサが玄関先までやってきた。当然の反応だろう。

「ケンは?」

 ユミは懐からヤマの文を取り出し、目の前でひらひらとさせる。

「ああ……、奥にいる。おいケン! クイさんらが戻って来たぞ!」

 ケンは高い位置から赤い眼を光らせ、みしみしと足音を立てて近づいてくる。

「いくら何でも早すぎるだろ」

 ぼそっと呟くとクイの方を睨んだ。ウラヤに行ってきた証拠はどこだと言うように。

「はい、ケン」

 ユミは手に持っていた文をケンの眼の前に掲げる。

「お、これか……」

 ケンが文を受け取った。

 

「ミズ、ウラヤはどうだった?」

 アサが我がに向かって問う。

「ソラが可愛かったよー!」

「ああ、間違いない。確かにこいつらはウラヤに行った。この文がその証だ」

 先ほどユミがしたように、ケンが文をひらひらとさせる。まだ封も切られていないようだが。

「本当か?」

「そう、ミズ頑張ってたんだから! 私にできないことをやすやすとやっちゃうんだから、なんか妬けちゃうなー」

「ええ、ミズさんは素晴らしい! 間違いなく合格です!」

 ユミが余計なことを言わないかと、クイは冷や冷やしながら付け足す。

「ミズ、お前頑張ったな!」

「えへへへへへ」

 父親に撫でられ、ミズは嬉しそうにする。実際はどのような感情なのだろうか。

「クイさん。本当にありがとう。ヤミさんは奥で寝ている。ああ、心配しなくても輩は一切近づけていない」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます」

 一抹の罪悪感のおかげで、素直に礼を述べることができた。

「今日は泊まっていくと良い。こんなところで申し訳ないが……」

「はい、ご厚意に甘えさせていただくとしましょう」

 クイとしてはぼろが出る前に一刻も早くヤミを連れて帰りたいところだが、当の本人が寝ているのだから無理はさせられない。

「キリは?」

「もちろん無事だ。ヤミさんのこと気遣ってくれていたよ」

「良かった」

 ユミは自身の鴛のことを誇らしく思った。


「キリ!」

 眠るヤミの傍で膝を抱えていたキリが、眠そうな顔を上げる。

「ユミ?」

 キリが次の言葉を放つ前にユミががばっと抱き着いた。

「ただいま!」

「……おかえり」

「ケンに変なことされなかった?」

「うん……。まあ……」

 キリは言葉を濁す。

「ソラにも会って来たよ」

「ソラ……、僕の姉さんかもしれない人?」

「うん。でも……、ちゃんとキリのこと話できなかった」

 と言うよりも逃げるようにここまでやって来てしまった。

「そっか……。じゃあ、僕がいきなり行ったらびっくりしちゃうね……」

「大丈夫。ソラならきっと受け入れてくれる」

 とは言え、鳩の素質が認められたらキリと共にトミサへ行くつもりだ。ソラと過ごせる時間は短いかもしれない。

 ――キリ、私よりソラのこと選んだりしないよね……。

 結果として、ソラはハコの娘となることはできなかった。ハコにとって娘はユミしかいないが、親のいないソラは誰かに家族としての絆を求めているはずだ。

 もちろん、ユミもハコもヤマも、ソラとは家族のに接してきた。しかし、今回のことでの部分が明らかになってしまったと言えるだろう。

 キリがソラの弟であることを示す術はないが、弟で無いと言い切ることも出来ない。

 キリと引き合わすだけ引き合わせて、トミサへ連れて行くようなことをすれば、またソラから家族を奪うことになりかねない。

 それでも今のユミはソラよりもキリを選んでしまう。酷な話だが、目的のためには何かを犠牲にする覚悟が必要なのだ。

 

「ユミさん。今日はもう寝ましょう。明日は早々に出て行きたいです」

 一昨日まで大きな腹を抱えたヤミとともにユミとキリのことを追いかけていた。

 幸か不幸か、ユミがキリと手を繋ぐことで足は遅くなり、ヤミも何とかついていくことが出来ていた。

 そのぐらいの歩調なら、何とか明日の内にウラヤまで辿り着けるはずだ。

「ふぁーい」

 ユミは欠伸のついでに返事をする。

 そして、当たり前のようにキリを抱き枕にして眼を閉じた。


 ――――

 

「あ、ああ、ああああああ!」

 寝静まっていたはずの一室に、突如うめき声が響き渡る。

 ヤミの声だ。真っ先にクイが飛び上がる。

「ヤミさん!」

「く……い……」

「痛いんですか!?」

「う……ん……」

 クイは寝そべるヤミの手を取る。しかし、次の動き方が分からない。

 ――生まれてしまうのか? こんなところで……。いや、この際場所はどうでもいい。

「俺の出番の様だな……」

 アサがずいと立ち上がる。

 ――頼るしかないのか、この男を……。

 クイはアサへ諦めの表情を向ける。

「い……や……」

 痛みのせいか、その男への恐怖のせいか、ヤミは眼に涙を浮かべる。

「すまない、ヤミさん。嫌なのはわかるが……」


「どいて!」

 

 アサとクイが声の方に眼を向ける。そこには腰に手を当てたユミが立っていた。

「クイはちゃんと手を握ってあげて! アサは水でも汲んできて!」

 クイとアサに指を差し、てきぱきと指示を飛ばす。

「キリ! 起きて! 囲炉裏に火を入れて!」

 床に転がしてしまった抱き枕をゆっさゆっさと揺らす。

「う、うん。任せて……」

 キリはおずおずと囲炉裏に向かう。

「ミズも起きて! ヤミが大変なの!」

「……ユミ?」

 寝ぼけ眼をこすりながらミズも眼を覚ます。


 クイは呆気に取られて動けないでいた。

「ユミさん……?」

「覚えたから! 命の繋ぎ方、先生に昨日教わってきたから!」

「ヤマ先生か!」

 自ら起き出してきたケンがクイに向かって呼びかける。

「おいあんた、こいつのこと信じてみようぜ」

 クイはユミのこれまでの行動を振り返る。

 

 たった一人でイチカでの生活基盤を樹立した。

 キリと二人になってからは250日間も森で過ごした。

 クイを出し抜いてウラヤまで辿り着いた。

 ミズの歌を一度だけ聞き、即興で詩を紡いだ。

 ナガレまで案内してやると言い、見事に成し遂げて見せた。

 

 いずれもクイにとっては信じがたい行動だ。何がそれを可能にさせるのだろう。

 イチカ、ラシノ、ナガレの3地点への帰巣本能にばかり目が行っていたが、それ以外にも彼女にはできることが多すぎる。

 きっと赤子の取り上げ方が分かると言うのならできるのだろう。

 

「……信じましょう。ユミさん、お願いします」

「よろしい!」

 ユミは力強く頷いた。

 

「おーい。汲んできたぞ」

 アサが水の入った桶を持って部屋に入ってくる。

「じゃあお湯沸かして。それでこれを消毒して!」

 ユミは足元に置いてあった風呂敷からはさみを取り出す。――ウラヤでヤマから借りてきたものだ。

「おう」


「ヤミ、大丈夫?」

「う……ん。ありがとう、ユミ……」

「ごめんね、私が孵卵を長引かせちゃったから……」

「い……いの。ユミのこと……、応援していたのは私だから……」

 クイの胸がチクリと痛む。孵卵の継続はヤミが望んだものだと甘えていた。

 クイはユミの孵卵を妨害しようと提案した。しかしヤミはそれに反対し、むしろ応援しよう言い出した。それは恐らく彼女自身の経緯と重ねたからだろう。

 ヤミが孵卵を受けた際も、親の反対を振り切って臨んだそうだ。制度上、再受験が認められているとは言え、実質彼女にとっては一生に一度きりの機会だったのだ。

 こうして鳩になっていなければクイと出会うことも無かっただろう。孵卵とは苦しいものではあるが、それによって得られる絆を大切にしたかったのかもしれない。

 阿呆鴛鴦あほうどりと揶揄しながらも、2人の行く末を見守るヤミの眼は温かかったものだ。

 


「ミズ、手伝って。ヤミの体を揉んであげて」

「うん、分かったー。」

 ヤミの表情が曇る。

「ちょ……、まだ、子供とは言え……」

「ミズは大丈夫だよ」

「うん、ボクを信じて!」

 ミズはヤミの空いた方の手を取り、自身の胸に当てさせる。それで伝わるほどの膨らみはないが、ヤミの体から力が抜けるのを感じた。


「じゃあ、僕も手伝う!」

 キリがミズに張り合うように声を上げ、ヤミ達に近づいてくる。

「キリはダメ! 絶対ダメなんだからね!」

「なんで!? なんでそいつは良くて僕はダメなの?」

「ケン!」

 ユミが憎き男をきっと睨みながら呼びかけた。

「今だけはキリのこと抑えといていいよ!」

「おう、任せとけ」

 ケンがキリを羽交い絞めにする。

「は、はなせー! お前なんか大嫌いだ!」

「キリ。」

 暴れるキリの眼をじっとユミが見つめる。

「……私の時は傍にいてね」

「……うん」

 キリは嘘のように大人しくなった。

「よーし、お前はお勉強だ。あの女にふさわしい男にしてやる」

 ケンがキリを抱えたまま、外に出て行った。

「アサもどっか行って!」

「お……、おう」

 その立派な男も肩をすくめて部屋から退場した。

 

「ヤミ、痛みはどう?」

「すごく……、痛い……」

「脱がすよ?」

「お……ねがい」

 ユミがヤミの帯を解き、袴へ手をかける。

 

「ヤミ、ひっひっで吸って、ふーで吐いて。ミズは息に合わせてお腹揉んであげて」


「ヤミ、ふーって吐いて、ウンていきんで」


「もう一回……」

 

「がんばって」

 

「ほら、クイもちゃんと手を握ってあげて!」


「ミズ、はさみ!」


 

――――

 

 

 安らかに眠るヤミの傍で、クイは我が子を抱いていた。愛する鴦との間に生を受けた子だ。

「きっとクイとヤミの間で幸せになるために生まれてきたんだね」

 ユミは幼子の顔を見ながら呟く。

「はい……、そうあって欲しいと思います……」

 赤子は幸せになるために生まれてくる。ユミへ告げた時には心などこもっていなかった。

 しかし今ではその言葉に心打たれてしまった。

 

 幸せになるためにはまず生まれなくてはならない。

 ケンは問うた。妊婦を連れて歩くなど正気かと。

 クイは憤慨した。これは仕方のないことなのだと。

 しかし、クイは正気ではなかった。正しいのケンの方だった。


 孵卵の終了条件はユミがウラヤに帰り着くか、ユミがクイとヤミに助けを求めるかだった。

 前者に関しては確かに運が悪かったとしか言いようがない。ユミが規格外すぎたのだ。

 後者については手を打とうとした。しかし、ヤミがそれを引き留めた。

 ならば僅かな運にかけてユミがウラヤへの帰還を果たすのを待つしかない。我々にできるのは見守ることだけだと、手を尽くした気になっていた。

 そのわずかな運に縋った結果、母子ともに失うという最悪の事態を避けることはできたのだが。

 

 しかし、より良い結果を得るため、他にいくらでもやりようはあったはずだ。僅かな運を確かなものにする一手を講じるべきだったのだ。

 物事が解決していないのに、手など尽くせていないのだ。

 クイは自身が最悪の事態にある時も、それを誰かのせいにしないように心がけていた。他人に責任の所在を求めず、自身の落ち度を省みてそれを是正していくことが根本的な問題解決につながるからだ。

 ところが本件に関して、あろうことかクイはユミとヤミのせいにした。

 そして胸に抱いた我が子が示す通り、ナガレで生まれるという結果を招いてしまった。

 

 どうすればこの事態を避けられたのか?

 単純な話だ。足りなかったのは対話だ。

 昨晩、ユミはヤミを助けたいと即答した。

 もっと早く、ユミに助けてくれと縋れば、自身の孵卵からその身を引いてくれたかもしれないのだ。

 

 クイはヤミに軽蔑の眼で見られるのが嫌で、それ以上行動を起こそうとしなかった。

 ヤミがユミを応援しようと言うのなら、まずはヤミとの対話が必要だった。

 自分の体のことを大事にしてくれと力強く言うべきだったのだ。

 

 なぜ、それをしなかったのか?

 鳩の縛めに従ったからだ。孵卵において、受験者の命に係わる状況となるまで試験監督が姿を現すことは許されていなかった。

 故に、妨害を企てようとした。ユミの前に姿を現さずにことをすまそうとした。

 考えてみれば、妨害行為など許されるはずもない。ばれなければいいだろうとの考えからの着想だった。

 ばれないように妨害できる可能性はある。しかし、姿を見せずして対話することは叶わない。


 ユミはここに来て、自身の力でナガレに辿り着いたなどと自慢することも無かった。

 同様に、クイが早々にユミとの対話を試みたとして、そのことを他の鳩に黙っておいてくれと縋れば、ユミはその通りにしてくれた可能性が高い。

 それにより生じる不利益と言えば、ユミの持つ妙な語彙力によって揶揄されることぐらいだろう。

 

 静まり返ったアサの住居にぎぎっと軋む音が響き、朝の光が差し込む。

「お、生まれたのか……」

 部屋に入ってきたケンが穏やかな表情を赤子に向ける。ユミが初めて出会った時の印象とはまるで違う。

 キリもケンの背後からおずおずと姿を現した。

「キリ! 私、ちゃんと命を繋いだよ!」

 ユミが鴛に向かって自らの功績を報告する。キリは一瞬ユミの顔を見たかと思うと、顔を真っ赤にしてその場にしゃがみ込んだ。

「キリ?」

 ユミがキリの顔を覗き込む。

 その場にどかっと座ったケンは口元をにやつかせる。

「ケン! なんかキリに変なこと吹き込んだでしょ!」

「いや、お前らにとって必要なことを教えてやっただけだ。……鴛鴦の間に赤子が生まれる理由とかな」

「ふん! そのぐらい私だって知ってるもん!」

 ユミがクイに両手を差し出す。クイはゆっくりと我が子をその手に置いた。

 ユミは一瞬重そうに表情を歪めたが、新しい命を落とさないよう懸命に抱え、その顔を覗き込んだ。

 優しく微笑むユミを見て、クイには複雑な気持ちが沸き上がる。

 

 鳩の縛めにより、森での出産は禁じられている。赤子にとって森は危険すぎることがその理由とされているが、それも名目上の話だ。

 森で子が生まれることにより、得体のしれない場所に帰巣本能を持つ者が現れないようにする。それが本質だろう。

 それはナガレであっても同じはずだ。想定されていない場所に子が生まれてはならないのだ。

 トミサへの入村の際には入念な検分が行われる。孵卵に出かけたはずの試験監督が、子を抱いて帰るなど許されないはずだ。

 このまま我が子をトミサへ連れて帰るわけにはいかない。

 

 ――ヤミに紛れ眠れる 縛めの卵

 

 ユミはどこまで事情を把握し、このように歌っていたのだろうか。

 

 ――まてよ、鳩の縛めで禁止されなければならないほど、子が森で生まれることはこのイイバの地において脅威なのか?

 よく考えればその理由が見えてくるかもしれない。

 それで言うなら、ユミの存在はなおさら脅威なのではないだろうか。

 我が子がナガレへの帰巣本能を得ることが脅威とされるのだ。既にナガレへの辿り着き方を把握しているユミは、間違いなく現在の鳩の体制を脅かす存在となるだろう。それだけではない、いざとなればイチカなどという誰も辿り着くことのできない場所へ逃げることだってできるのだ。


 今からでもユミとは対話を試み、潰せる懸念事項は潰しておくべきだ。

 ユミができると言い張ったことはできるのだ。

 ならば、ユミに課すべきことは1つ。

 

「ユミさん。キリさんをラシノへ帰してあげなさい」

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