第5話
仕事を片付け、デスクの上にある日付印を翌日に合わせる。
11月11日。
彼女に出会ってから、丁度1ヶ月が経ったのか。
それだけ経てば、彼女のルーティンの様なものが分かってくる。
毎日夜6時半には演奏を始めて夜9時まで、週末になると夜8時までギターを弾いている。
弾く曲は大抵同じで、時々気まぐれで違う曲だったり有名なポップスを弾くこともある。
先週は、最近とある女性タレントがカバーした事で話題になっていた曲を弾いていた。
あまりにも曲の雰囲気が原曲と違っていて気付くのに時間がかかったが、そうと知った時には鳥肌が立った。
原曲はとても強い希望の曲。
しかし彼女が弾くと、その閃光を自分の中に取り込めないといった様な、彼女が持つ鬱屈とした闇の深さを感じる演奏で。
そう。あの曲は、あまりに強い光で、気圧されてしまうから。
雨の夜の様なアレンジをした彼女に、心から拍手を送ったのは記憶に新しい。
演奏が終わると、喫煙所に行ってその後ふらりとどこかへ消えていく。
いつもの場所に行くと、今日も彼女が弾いている。
今日はどんな演奏をしてくれるんだろう。
彼女の出す一音一音に意識を集中させる。
この曲は。
私のよく知っているバンド曲だ。
しかも一部のファンの間でしか知られていない、最初期からの曲。
それをゆったりと、気怠げなアレンジで紡いでいく。
11月11日。
今日はそのバンドの結成記念日。
しかも初ライブの一曲目にやったという曲を、今日の一曲目に持ってきた。
偶然ではないだろう。この日にこの曲をやるなんて、相当コアなファンだ。
初めてそのバンドを知った時の様な、正体不明の高揚が胸を震わす。
まさか音楽の嗜好まで彼女との共通点があったなんて。
いつの間にか次の曲に入った。
あ、いつもの彼女の曲だ。
安定した演奏が鼓膜に染み渡る。
しかし先程の興奮が余韻となって尾を引いているのか、今日は彼女の演奏がいつも以上に心地よく感じる。
彼女が全ての演奏を終えたのを見届けて、空のマッチ箱に100円玉を入れる。
いつしかしてくれる様になった彼女の会釈に目礼で返し、そのまま駅に向かう。
彼女の路上演奏を何十回と見たが、一つ気になっていることがある。
それは、彼女が私と『同じ』ものを持っているのではないかという事。
そう思うのは、あの日出会ってから今日まで彼女は一度も────────。
休みの度、あのカラオケボックスにギターを持って行くのは最早ルーティンになった。
いつか彼女の様な心震える演奏をしたい。
分不相応にそんな事を思ってしまうが、中々上達しない。
チューニングは1週間経っても上手くいかず、Emコードは弾けるようになったけれど、次に練習すると良いと書かれていたAadd9というコードを弾こうとするとうまく音が鳴ってくれない。
チューニングは毎日するように、とネットに書いてあったので、分からないなりに今日も挑戦してみる。
メーターの真ん中より右側が高い音だっけ、と思いながらスマホのチューナーの針が反応するところを探してみる。
一瞬針が左側に点灯した。左側ということはもっと高い音にしないといけないから、時計回りに回すんだ。そう思ってペグを大きく回すと、衝撃が手に伝わってきた。
弦が切れた。
これでは練習にならない。
こういう時は、楽器屋で替えの弦を買うらしい。という訳で近くの楽器屋へ足を踏み入れる。
店内はあのギターを買ったリサイクルショップを彷彿とさせる物量。どこを見てもギターが並んでいて、圧迫感に息が詰まりそうになる。
洋楽のロックミュージックが大音量で鳴らされている中を、数人の客がうろついたり楽器を試奏したりしている。
立ち尽くしていると、若葉マークのついた名札の店員が声をかけてきた。ギターの弦を探していると伝える。
今使っているギターがどんな物か見せてほしいと言われたので、背負っていた袋の中からギターを取り出し、作業台の上に乗せる。
店員がクラシックギター用の弦を何種類か持ってきた。
初心者であればライトゲージと書かれたものを使うと良いらしい。
弦交換の作業も追加料金を払えば代行すると言われたので、それも頼む。
レジで会計をして、今後のために弦交換の様子を見ていると別の男の店員に話しかけられた。
ネックの反りとフレットの摩耗が酷い。指板とフレット交換で14万はかかるが、修理した方が良いと。
あまりに急な話だったので、今日はお金がないと断りを入れる。
しかし男はこのギターの状態ではまともに演奏できないから修理しておけ、と食い下がってきた。
視線に込められた圧に、冷や汗が浮き出る。
男が続けざまに何かを言っているが、全く耳に入っていかない。
辛うじて聞き取れたのは、修理できないなら買い換えた方がいい、とか、物は良いのに状態が悪過ぎる。ジャンク品のお手本の様なギターだ、とか、そんな言葉ばかりだった。
無理にでも修理させようとしている流れだと思い視線を泳がせていると、後ろから足音が聞こえてきた。
こちらに近づいて来る。
ジャスミンの香り。彼女だ。
そう思ったのも一瞬、彼女は弦交換も終わっていない私のギターを引っ掴み、店外へ駆け出す。
この場にいた誰もが動けないでいた。
しばらくして警察を呼ぼうと言い出した店員達に知り合いだと説明し、店の外へ出る。
外にも駅前にも、彼女の姿は無かった。
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無題 外街アリス @Impimoimoko
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