第4話
目が覚めたらもうお昼過ぎで、気怠さだけがこの身を襲う。なんとかシャワーを浴びて、食事をする為に家を出る。
今日はパンにしよう。
いつも通勤に使っていて、そして彼女がいる駅。
そこに私の好きなクロワッサンを売っている店がある。
クロワッサンとサンドイッチ、夕飯用に惣菜パンをいくつか買い込んでコーヒーも注文する。
クロワッサン。
パン屋によって微妙に形や味が違っていて、親の都合で頻繁に引っ越しをしていた我が家では、引っ越し先の楽しみの一つになっていた。
姉と学校帰りにパン屋を見つけては買って、よく二人で食べていた。
突然、食べていたものが気管に入り込む。
思い切り咽せ、周囲から冷たい視線を集める。
そそくさと食事を済ませ、外に出た。
空があまりにも能天気な色をしていたので、帽子を目深に被って日差しを遮る。
ふとリサイクルショップの看板が目に入る。
そこには楽器の2文字。
自然と足が向かっていたのは、きっとこの天気のせい。
楽器コーナーに入ると、そこは異空間だった。
見た目も値段も違う楽器が、所狭しと並んでいる。
このギター、彼女のそれに似ている。
周りに誰もいない事を確認して、恐る恐る手に取る。
彼女がやっていたようにギターを構え、右手の爪で鳴らしてみる。
思ったより大きな音が響き、肩が跳ねる。
さっきより小さな音になるように気をつけつつ、何回か鳴らす。
なんか違う。
あまりにも煌びやかなその音は、どうしても好きになれなかった。
店内をぐるりと歩いてみる。
様々な物が置いてあったが、どれにも興味を惹かれない。
たどり着いたのは、また楽器コーナー。
しかし置いてあるのは、いわゆるジャンク品のようだ。
弦がないもの、表面の塗装が削られたのかボロボロなもの。色褪せて埃を被っているもの。
でもさっきの華やかすぎる楽器コーナーよりは、いくらか落ち着く。
数本置かれていたギターのうち、一本に目がいった。
キラキラと上品に光る装飾と、綺麗な杢。
しかし塗装はところどころ剥げていて地肌が見える。おまけに弦はサビサビだ。
それを手に取り、弾いてみる。
甘い、としか形容できない音がした。
主張は控えめで、でも存在感のある音。
彼女のギターとはまるで違うけど、いい音だ。
レジにそのギターと、横に売られていた袋を持っていくと、中にいた店員が声をかけてきた。
ジャンク品で傷が多い上に、ネックがひどく反っているのでネックアイロンをかけないといけない。フレットもかなり減っていて、擦り合わせが必要だと。
よく分からなかったが、もう既に心はこのギターに決まっている。そんな私の様子を見て察したのか、店員は渋々といった様子で会計を進める。
近くにあるカラオケボックスに入り、買ったばかりのギターを取り出す。
彼女の真似をして、左手で弦を押さえ、右手の指先で一本一本の弦を弾いてみたり親指でまとめて弾いてみたりしてみる。
面白い。
どこを押さえるか、どのくらいの強さで弾くかでも音が全然違ったものになる。
しばらく弾いていたが正しい弾き方というものを全く知らないので、ネットでギターの弾き方を検索する。
どうやらチューニングというものが必要なようだ。
スマホに元から入っているアプリでできるというので、それを起動しチューニングとやらをしてみる。
解放弦──左手は押さえない状態で弦を鳴らすとアルファベットが出てくるというが、スマホは何の反応も示さない。
ギターの上の方にあるペグというパーツを回してチューニングを合わせるらしい。ペグをくるくる回してみるが、アルファベットが一瞬出てきたと思うとすぐに消える。
どの弦でもこんな感じで、埒が開かないのでチューニングは飛ばす事にする。
ギターの弾き方を解説しているサイトよると、まずはEmコードを弾くといいとあったのでそれに挑んでみる。
中指を5弦、薬指を4弦に置くそうだが、5弦と4弦がどこだか分からない。
サイトの写真を見てようやく理解し、そこに指を置き全ての弦をまとめて弾いてみる。
しかしギター特有の重厚な音は響かず、ビリビリと変な音の混じった響きになってしまう。
1時間ほど格闘し、左手は弦を強く押さえるとギターのあの音が鳴るという事実に辿り着いた。
しかしその音は歪な不協和音だ。
まだまだ課題ばかりではあるが、もう脳みそと指が限界だったので、袋にギターをしまい帰り支度を始める。
ギターを弾くのがこんなに大変だったなんて。
淡々とあんなに美しい演奏を続けられる彼女の凄さを思い知った午後だった。
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