ラスト・ライド
スカイ
ラスト・ライド
雨を予感させる重苦しい天気。
空は陰鬱な自分の心情を映し出すかのように曇天に包まれている。
冬を知らせる肌寒い風は俺のジャケットをすり抜け神経に刺激を与える。
都会を忙しなく行き交う車の雑音も人々の話し声も今は特に気にならない。
コンビニで買ったコッペパンを食し、自販機にある120円の缶コーヒーを片手にただ空を見上げる。
スマホには病院からの着信が鳴り止まないがそんなものに構う事はしない。
今日も病室から抜け出した俺は愛するバイクと共に大道近くの公園に腰掛けていた。
艶のない黒髪を掻き、隈が出来た目をひたすらに擦る。
「入れるかよ、あんな狭い場所に」
誰にも聞こえない程度に、いや聞こえてもいいが孤独である時しか吐露できない愚痴を吐いていく。
ただの無意味な反抗ではあるがそれでもあの眼鏡のおっさん医師やら上辺の慰めをする看護師などに従いたくはない。
そこまで迫っていた二十歳という大人への区切りにも到達できない。
自分の存在意義を考えても納得のいく結論を見い出せない中、鼓膜には少し嗄れた声が確かに鳴り響く。
「お坊ちゃん、そこで何をしている?」
振り向いた先には何とも言い難い老婆。
本朱色の杖を片手に腰を曲げ、白髪を靡かせながら糸目で俺へと質問を投げ掛ける。
当然だろう、こんな朗らかなお年寄りに質問される程に俺は異質なんだから。
「家出かい?」
「残念ながら違います。そんな理由だったらどれだけ幸せだったか」
少し間を空けて隣に腰掛けた老婆へと自身の境遇を無意識に明かしていた。
初対面だってのに、思ってた以上に俺は誰でもいいから誰かに本心を伝えたかったのかもしれない。
「俺、元々はプロのライダー目指していて。父親の顔は知らないし母親は蒸発。それでも夢を掴もうとしたら……病と言われて」
「もう治らないのかい?」
「余命を宣告されました。持って半年でそろそろ身体も動かせなくなるとも。人生山あり谷ありなんて言いますけど、あんなの嘘ですよ。谷しかない人生だってある。俺みたいに登りたくても登れない奴もいるんです」
ホットコーヒーもとっくに冷めてしまい風に舞った落ち葉がリベット部分に付着する。
ポツポツと小雨が公園を濡らしていきたい雨なのか涙なのか自分でも分からない水滴が頬から零れ落ちる。
「貴方も慰めますか? 俺を上手だけで気を遣った言葉を並べて。あんなの……もう聞き飽きました」
卑屈な事は分かっている。
きっと心からの声を上げてくれる人もいるのだろう。だが気休めにしかならない温かい言葉の羅列はもはや苦痛でしかなく、運命という曲げられない冷徹な事実との矛盾が不快感を強くする。
この老婆も同じように自分を憐れむのだろうと思い、もはや思考が働く前に身体が身構えてしまっていた。
「人間いつかは死ぬ。希望を抱けずに死にゆく人間も沢山存在する。来たる未来は曲げられずそれに従うのが世の摂理」
だが彼女の言葉は淡白だった。
紛れもない事実を述べ、薄情とも思われる内容だが俺には妙に魅力的に思い俯いていた視線を老婆へと向ける。
「でもお坊ちゃんは幸運だよ」
「幸運……?」
「いつ運命が途切れるのか既に分かっているのだから。失う者がない人間は誰よりも強く恐ろしくも勇ましくもなれる」
弱々しそうな腰を上げると淡々とした意見を一方的に並べた後にその場を離れようと歩を進め始めていく。
「後悔しないかはお坊ちゃん次第だよ」
問いかけるような言葉を述べ、老婆はその場を去っていく。
意味深な言葉に対し、俺は返す言葉を作成する前に彼女は既に姿を消していた。
何とも言えない感情が急激に心へと襲い掛かりベンチに座り続けていた身体を起こす。
小汚いゴミ箱へと缶コーヒーとコッペパンの袋を捨てる、愛用の黒いバイクと共に雨に濡れる公道を走ろうとヘルメットを被りかけたその時だった。
「スリップ音……?」
ライダーになると常に夜道を駆けていたからこそ甲高い音の正体を見抜く事は容易であった。
雨や雪などの摩擦抵抗が普段より生じない場面で見られるタイヤが滑る現象。
何事かと右方向へと視線を向けると大きなスリップと共にハンドルがまるで聞いていない大型の乗用車が大きく車体を左右させながら蛇行運転を繰り返す。
反対方向には青信号となり横断歩道を手を繋ぎながら仲良く傘をさしながら歩いている母娘の姿が薄っすらと目に映る。
「ッ! 不味いッ!?」
ようやく異変に気付いた周囲は迫りくる暴走車に悲鳴を上げ、大きなクラクションにより母娘も事態を察知する。
母親の足は固まっており逃げるという選択肢を取れずにいた。
しかし俺も似たような感情にいる。
目の前には命の灯火が消えるかもしれないのに足が動かない。
何故なのか、もう僅かな命なのにそれでも生きることに執着していると言うのか。
いや仕方ないのもしれない。
もはやあの距離は助かる可能性は低く、助けられても俺はただでは済まない。
自分と同じようにあの二人も理不尽な運命に目をつけられてしまったのだろう。
そうだ、これも運命……俺はまだ半年という余生を過ごせ、まだ最後に希望を見いだせるのかもしれない。
『後悔しないかはお坊ちゃん次第だよ』
「ッ……!」
いや違う……ここで見捨てて俺は後悔しないのか?
見殺しにして希望を見出すなんて事が出来るのか? 許されるのか?
老婆の言葉が稲妻のように脳裏を駆け巡り保身に走ろうとした思考を咎める。
そうだ……俺はきっとこの瞬間を見捨ててしまったら
「一生後悔する……ッ!」
エンジンを起動させると同時にアクセルを捻りクラッチレバーを離す。
加速を始めたバイクと共に数秒前に俺の視界を横切った乗用車を追うようにギアを即座に上げていく。
大きな雨粒は全身に弾丸のように降り注ぎ痛みが身体を侵食する。
痛覚を振り払い、5速まで上がった速度に身を任せその距離を急速に縮めていく。
ヘルメットを着用せずに雨の降る中、風を切る程の速度はもはや目を開けるのも至難な程に強い負荷がかかる。
視界に映る周囲の建築物は段々とぼやけていき、靄に変化していった。
「クソッ!」
完全に制御不能となった乗用車は左右のガードレールに次々と激しく接触する。
衝撃により飛び散った残骸が自身へと次々襲いかかり必死に回避を行う。
「この……退きやがれェェェェ!」
判断を誤り、車とガードレールに挾まれ非業の死を遂げるという最悪の未来。
脳裏に危惧しながらも俺は僅かな好機を狙って暴走する機会の塊の隙間を横切る。
恐怖心なんてもうない。
「届けェェェェェッ!」
雨空に響く咆哮。
バイクから身を離すと親子に向けて手を伸ばし最大限の力で二人を路上へ押す。
バランスを崩した母娘は付近の歩道へと尻もちをつきながら倒れる。
やった……。
そう久々の幸福に溢れる心も束の間、背後から迫る光が俺を飲み込んだ。
宙を舞う俺の視界には残骸となって無惨に飛び散るバイクが見える。
この選択が正しかったのか。
きっとより良い選択肢がもしかしたら存在したのかもしれない。
だが、自らが突き進んた未来に一切の後悔はない。
最後の最後で……何もなかった俺は誰かの命を繋げることが出来た。
例えそれが感謝されなくても一方的な善意だとしても満足している。
冷たい地面に突っ伏しながら目の前に広がる広がっていく赤黒い海に浸り、薄っすらと笑みを浮かべる。
空は雲が晴れていき、祝福するように鮮やかな虹が蒼い晴天に掛かっていた。
ラスト・ライド スカイ @SUKAI1234
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